第33話 暁にて吼える
熟睡していたところを伯珪に揺り起こされ、まだ眠い目をこすりながら
「もっと寝てたかったのに」
あてがわれた室で着替えた琥琅は、
一方雷禅は、昨夜に続いて顔を赤くしたまま、どこか心ここにあらずといったふうだ。寝ぼけ眼で伯珪を認識してからずっとこうである。琥琅のように眠いというわけではないのだろうが、寝起きからこうも憂鬱そうなのが謎だ。
腕を包帯で吊っていない自由なほうの手に照明を掲げる伯珪は、前を向いたまま、すまなさそうに言う。
「すまなかったな。どうしてもこの時間でないと駄目だったんだ」
「? 関令がそう言ったんですか?」
「ああ。まあ、ついて来ればわかるよ」
反応する雷禅に、伯珪は小さな笑みを返す。用事の内容を教えてくれる気はないらしい。もったいぶらず、早く言えばいいのに。口には出さないものの、琥琅は不満だった。
「足元には注意してくれ」
雷禅の目に似た色が大半を占める空の下、伯珪は城壁の階段を上がるよう琥琅たちを促した。
言われるまま階段を上ると、山脈に挟まれた河西回廊の渇いた大地の果てで、太陽が赤や橙、黄金に輝きながら昇ろうとしている光景が眼前に広がる。未だ夜に沈んだままの地上とはかけ離れたその眩さに、琥琅は目を細めた。
元仲は、望楼の近くで琥琅たちを待っていた。
「雷禅殿、琥琅殿、白虎殿。すまないな、こんな朝早くに起こしたりして」
「いえ……関令、僕らに用と聞きましたけど、一体何の用でしょう」
「なに、簡単なことだ。……こちらへ」
悪戯を思いついた人間の顔で元仲は言う。琥琅と雷禅は顔を見合わせ、西域辺境側の城壁の際へ少し近づいた。
その途端、城壁に設置されたいくつものかがり火が次々と赤く燃え盛り、西域辺境側の
何しろ、甕城に数多の人々が押しかけていたのだ。その数は二百、いや三百は間違いなくいるだろう。旅人たちに混じって、兵士らしき姿も見えた。
一体これは何なのだろうか。琥琅に代わって雷禅が戸惑い顔を元仲に向けると、彼は大したことではないかのように肩をすくめた。その隣では、伯珪が満足そうに薄く笑んでいる。
「妖魔を退け、西域辺境を救った白虎とその主を一目見たいという要望が後を絶たないのでな。ならば開門の際に立ち合ってもらおうとふれを出せば、こうなったのだよ。もちろん、西域府君の許可は得ている」
「……」
「やり方は滅茶苦茶だったが、お前たちが妖魔の首領を倒し、
「……」
「琥琅殿。貴女はまさしく神獣の主、西域辺境の英雄だ。――――皆に姿を見せてやってくれ」
そう、元仲は琥琅に促すが、琥琅がはいそうですかと頷けるわけがない。元仲も伯珪も、琥琅が人間嫌いであることを知っているから今の今まで黙っていたに違いないのだ。そんな嘘つきに従いたくない。
だというのに、雷禅は言うのだ。
「琥琅。そこに少しの間立って、皆さんに顔を見せてあげるだけですよ。そのくらいはいいでしょう?」
「……」
雷禅に言い添えられ、琥琅はじろりと彼をねめつけた。元仲の要請だけなら突っ張ることはできても、雷禅にこう言われては観念するしかない。
「皆、待たせた! こたびの英雄の登場だ!」
琥琅がふくれ顔で沈黙したのを了承と受け取ってか、元仲が声を張り上げる。すると、歓声が湧き上がった。待ち焦がれたと言わんばかりの熱い叫びが、関所を満たす。
伯珪に促されて仕方なく琥琅と白虎が人々の前に姿を見せると、歓声はいや増して空へと舞い上がり、琥琅たちの耳に届いた。その数多の声を縁取るかのように、関所内にいる兵たちは拱手し、あるいは頭を垂れ、また膝をつくことで琥琅への敬意を示す。
関所中の人間の感情は今や一つの方向を向いていて、その渦の中心は紛れもなく琥琅だった。この瞬間、
〈主、剣を抜かれませ。先の主は、そのようにして民の歓呼に応えていたものです〉
「ああ、それはいい。
「いいですねえ、物語みたいで。
白虎が見上げて琥琅に助言してきたかと思うと、伯珪もどこか楽しそうな色の声で賛同する。雷禅までにっこりと笑んで、さあやりましょうと無言の圧力をかけてくるのだから腹が立つ。元仲は元仲で、くつくつと喉を鳴らすばかりである。
こいつら、他人事だと思って。琥琅は薄情な男たちを睨みつけると、念のためにと腰に佩いていた剣を鞘から抜いた。刃が曙光を返し、宝石か篝火のように辺りを眩しく照らす。
その途端、もうこれ以上はないだろうと思っていた人々の歓喜は更に盛り上がった。人々から発せられているのか、大地そのものから湧き上がってくるかもはや区別がつかない。感情と音の波が、琥琅の身体を震わせる。
不意に、一体何を考えたのか、白虎が声を張り上げた。
〈これより西の地に広がった憎悪を糧に生まれた妖魔の災厄の根源は、我が主の剣によってすでに取り除かれた! 残る幽鬼や、災厄の拡大をたくらんだ者らも、新たな西域府君がしかるべき裁きを与えるだろう。西への歩みを躊躇う必要はもはやない。西への旅路は再び開かれた!〉
我が主を讃えよという神獣の声は、風に乗ってすべての聴衆の耳まで届いた。しかしその風は自然のものではない。白虎が風を生み、自らの声を運ばせているのだ。『龍は雲を操り、虎は風を操る』と記す古典があるが、そのとおりだ。そう、琥琅の養母も風を自由に操っていたものだった。
養母に想いを馳せ、琥琅は唇を噛んだ。心の中で、養母に告げる。
母さん。仇はとったから。俺には雷がいるから。
だから、心配しないで――――――――――
「これより、玉霄門の封鎖を解除する!」
元仲の号令が響きわたる。かくして、閉ざされていた西への回廊が再び開かれた。
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