第32話 過ぎ去りし日の夢
「それで、次の戦いはいつだ?」
血による剣の封印を終えた後。立ち上がった女は老人にそう問いかけた。老人は力を封じたばかりの剣を鞘に収めると、さてな、と肩をすくめてみせる。
「そこまでは読めぬよ。が、近いうちではないのは確かだ。しばらくは、貴女も穏やかに暮らせるだろう。――――ほれ」
言って、老人は剣を女に向かって放った。女は剣を片手で受け止めると、まったく、と腰に手を当てて息をつく
「天から与えられた聖剣を放って寄越すなんて、
「ふふ、その剣とは、もう何十年も付き合ってきたからなあ。研ぐのも慶仲にやらされかけたし。それを思えばこのくらい、丁重な扱いだろう」
「そうか? どちらも似たようなものだと思うがな」
と、女はくすくす笑う老人に応じて苦笑する。白虎の主は子供のように無邪気で陽気で、天より賜った剣を人間が打った剣と同じように扱う大馬鹿でもあったのだ。あれには女も老人も呆れはてたものだった。
「ああ、そういえば、今日の昼に面白いものを見たよ」
「ほう、何を見たんだ?」
「未来の西域と河西回廊だよ。
先を進められ、老人は目を細めて未来を語る。喜びで淡く輝く横顔は、皺が刻まれ白いものが混じっていてもどこか若々しく、少年のようですらあった。願いはすべて叶うのだと根拠もなく信じる、希望に満ちた若者の表情だ。
だが老人の夢は、単なる夢想ではない。現実となる時間の欠片なのだ。彼が持つ千里眼は、条件さえ整えれば千里を越え、時間の先までも見通すことができる。この異能によって見つめた未来の景色であるなら、それはいずれ実現する可能性がある未来なのだ。
この異能を駆使し、望まない未来を回避する方法や明るい未来を語り、人々に希望を与えてきた彼は、白虎の主とは違う意味で英雄なのである。だが彼は未来を望んで努力しただけだと言って、己の功を誇らない。それどころかこうして人知れず、自分が死んだ後の未来を守るための種を撒いている。女が物好きだと老人を揶揄するのは、決して的外れではないだろう。
女は皮肉っぽく口の端を上げた。
「……民族の別なく共存する世界、か。侵略し支配しておきながら、随分と勝手な物言いではあるな」
「それを言われると反論できないが……しかし慶仲は異民族への干渉を可能な限り避けると約束してくれたし、彼の子たちも彼の遺志を継いでくれている。慶仲の遺志を後世の者たちが守り続ける限り、時間はかかるだろうが、清民族が
「白虎やその剣の封印が解ける日も、だろう?」
「ああ、もちろん。……白虎には悪いがな」
女のからかう声に、老人はどこか悲しみと哀れみを湛えて微笑む。剣を持ったまま立ち上がり、剣より先に封印された白虎を見上げた。
「彼も大変な宿命を背負ったものだ。神獣として、清民族の守護の一翼を担い続けねばならんとは……天も酷なことをなさる。せめてもの救いは、こうして封印されている間は孤独を感じずにすむことくらいか」
「仕方ない、それが私たちに課せられた宿命だからな。受け入れるだけだ。……もっとも、お前と慶仲はもう終わりだがな」
「………ああ、すまないな」
老人は一抹のさみしさを声と表情に乗せ、戦友に謝った。
彼は、自分の寿命がもうすぐ尽きようとしていることを理解していた。高齢であるし、若い頃から大きな力を幾度となく使ってきたのだ。身体が限界を訴えていることは、親しい者でなくても薄々気づいている。だからこそ先日、職を辞して一私人に戻ることを誰も強く引き留めはしなかったのだ。
白虎の主であった慶仲は先年に天寿を全うし、白虎も女と老人が封印した。老人も遠からず、この世を去る。清民族の守護を天より命じられた者たちで、女だけが生き残る。戦友として、そのことを老人は申し訳なく思っていた。
女は肩をすくめた。
「まあいいさ。お前は、人間にしては充分に生きた。このあたりで少しくらい休んだって、天は許すだろうさ。私は一人さみしくこの剣と白虎を守り、西の安寧を見守ることにするよ」
「そうか……ならば永遠の別れをする前に、私の先見をまたいくつか教えよう。貴女が未来に希望を灯せるように」
そう、重ねた月日よりもなお深い英知と豊かな感情と祈りの気持ちを、老人は声音と面ににじませる。
青い目を持つ、人外の戦友のために。
「貴女は遠い未来に、次代の白虎の主を育てる母になるだろう」
「……はあ?」
「そして私の魂魄もまた、この世で再び生を得るだろう」
「ちょっと待て、私がこいつの主――慶仲の生まれ変わりの母だと? 人虎で聖剣の守護の役目を負った私が? お前、最後の最後でボケたか」
驚愕を無視して語られる予言に、女は白虎の像を指差しながら抗議した。
当たり前である。天より聖剣の守護という使命を与えられ、子を生すことを諦めたというのに、何故母となるのか。しかも、よりによってあんな馬鹿者の生まれ変わりのだなんて。戦士として長い時を過ごしてきた女には、まったく想像できない。
彼女の表情がよほど面白かったのか、老人はくつくつと肩を揺らして笑った。
「私の先見は可能性だと、貴女も知っているだろう。そして未来への道は、そのときその場所に、しかるべきものと意思があってこそ開かれる。私の先見を実現させるもさせないも、貴女次第だ」
「調子のいいことを……」
と、女は苦い顔で舌打ちする。何しろこれは、この老人のお決まりの科白なのだ。
「しかし、何故慶仲や自分が転生するとわかるんだ? お前は先見の異能の持ち主だが、魂の色を見分ける目はないだろう?」
「ああ、そのはずなのだがな。しかし何故か、わかったのだよ。ああ、この子が慶仲の生まれ変わりで、この少年が私の生まれ変わりなのだとね。……彼らは私たちではないというのに、相変わらず私の生まれ変わりは彼の生まれ変わりに振り回されていてね。大変そうだったよ」
「魂に刻まれた腐れ縁は、死んでもまだ続くというわけか。またお前たちみたいなのと付き合うはめになるのは、御免だな。せめて、お前たちほど喧嘩しない奴らに生まれ変わってほしいよ」
「それは天のみぞ知る、だな」
やれやれと肩をすくめる女に、老人はそう意味ありげな笑みを浮かべる。なんだそれはと女が胡乱な目を向けても、にっこりと笑ってごまかすばかりだ。こうなれば教えてもらえないことを熟知している女は、舌打ちして諦めるしかない。
「……さて、そろそろ行くかね」
果たすべき役目を終え、戦友とひとしきり語りあって満足した老人は、ゆっくりと立ち上がった。
「
そうして、長い歳月を戦友として共に過ごした雌の人虎と予言者の老人は、現世での永遠の別れの言葉を交わした。
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