第23話 夜闇の希望
日はあっという間に沈み、夜になった。
破壊を免れた家から食糧や必要なものを失敬しての野宿は、静かだった。さすがにこの状況では、秀瑛も陽気ではいられないようだ。琥琅はもちろん、白虎も語る言葉を持たない。沈黙が降り積もった。
〈あの男、大丈夫でしょうか……〉
野宿場所から去っていく背中を見つめ、白虎はぼそりと呟いた。
秀瑛が向かったのは、集落だ。部下たちの亡骸を放置しておくのは哀れだからと、集落の片隅に埋葬するつもりなのである。今はまず自分たちが休息し、玉霄関へ走って至急兵を派遣してもらえばいいと白虎が勧めたのだが聞き入れなかった。適当なところで切り上げると言っていたが、いつ終わらせることか。
だが、わからないではない。せめて、と願う気持ちは琥琅とて覚えがあるのだ。今だって、できるならこの集落を飛び出したいくらいだった。
焚火の前に座り、愛剣を抱く琥琅の腕の力は自然と強くなる。それに引かれるように、白虎が不意に口を開いた。
「……あの妖魔とそのしもべたちには、多くの仲間を殺されました。主の同胞も、部下も、それぞれの思いによって力となってくれた妖魔たちも……数多の兵も。数多くあった西域平定の戦の中でも、あの妖魔との戦いがもっとも激しく行われ……先代の主も、深い傷を負いました」
「……」
「あの戦いの中でも、
そうして白虎は語ることをやめ、青い目を閉じる。言葉が過ぎたとでも言うかのように。けれど、大地に立てた爪の跡が、彼の深い、琥琅と同じ色の感情を如実に示していた。
雪娟。それは、琥琅の養母の名だ。琥琅は一度として呼ぶことはなかった、清民族の神獣の主が振るうべき聖なる剣の守護者の役目を天から与えられた、二つの姿を有していた正真正銘の人虎の名。
白虎と出会い、宿営地へ向かう道すがらに琥琅は、廟と剣を守護していた雌の人虎について尋ねられ、養母の素性を初めて知った。養母は一度として、自分の素性や己の役目、琥琅が負うものについて語ったことはなかったのだ。琥琅も、養母や己について何か知る必要を感じなかった。獲物を探している最中に大樹の根元で泣きわめく赤子を見つけ、気まぐれで育ててみることにした。それだけを聞いていれば、充分だった。
琥琅は、胸に抱いていた剣を改めて見た。
美しい剣だ。柄には銀細工、握りは黒。柄頭には透明な宝玉が飾られている。鞘も、黒漆の上に銀の透かし細工が施されており、装飾性は高い。綜家の店舗で見た、装飾用の刀剣を連想させるものがある。
天が神獣の主のために下したという、聖なる剣。琥琅にとっては日々の糧を得るために不可欠な道具であり、養母の形見。
「……あいつ、これ欲しがってた」
〈当然でしょう。それは、先代の私の主が振るい、あの妖魔の目を潰した剣です。それゆえあの妖魔は忌み、主の手に渡る前に奪おうと考えたのでしょう〉
だが、復活の途中の身では、自らの手で聖剣を探すことは敵わない。そのために、妖魔の首領は己の分身を数多生み出し、憎き剣の守護者を探したのだ。
そして、琥琅の養母は剣を養女である次代の白虎の主に渡していたことを語らず、殺し損ねた異民族の守護獣の分身と戦い――――力尽きたのだ。
『雪娟は常に冷静で物事の割り切りが早い女でしたが、情の深い一面がありました。十数年の間、手元で育てた主を愛しく思わなかったはずがありません。――――雪娟は、貴女を守ったのです』
「……っ」
神連山脈で養母の素性を語ったときの、強い感情を努めて排した白虎の答えを思いだし、琥琅は唇を噛みしめた。
琥琅は養母と種族が違うことを幼い頃から知っていたが、気にしたことはそれほどない。せいぜい、鳥獣たちの揶揄に苛立ったくらい程度。養母の厳しさも、弱肉強食の世界で生き延びるために必要なことであり、養母の愛情なのだと心得ていた。
そう、養母に守られていたのだ、自分は。愛されていた。――――――――白虎の主としてではなく、娘として。それを理解していたから、琥琅は養母も自分の境遇も疑わなかったのだ。
何故養母が、琥琅に果たすべき役目のことを知らせなかったのかわからない。神獣の主の宿命を負う日まで自分も生きているつもりだったのか、養女に負わせたくなかったのか、あるいは他に理由があるからなのか。養母亡き今、彼女が何を考えて教えるべきことを教えず、ただの人間の娘になるよう琥琅に臨んだのか知ることはできない。
だが、どんな理由であれ、それは琥琅を思ってのことのはずだ。
喉や瞼や胸が熱い。喉から何か言葉が出てきそうなのに、出てこない。叫べなくて胸に気持ちが溜まっていくばかりで、頭がぐらぐらする。
たまらず琥琅は白虎の背に覆いかぶさるように抱きついた。慰めるように、あるいは甘えるように、無言で彼の耳元に頬ずりする。
白虎が言っていたように、雷禅の生死を確かめなければならない。生きているなら救い出さなければ。知り合いでもない鳥獣の死にすら心を揺らす彼が、憎悪と殺意に燃える戦士に捕らえられて平気でいられるはずがない。
そして、あの妖魔を殺すこともまた、琥琅にとって果たさなければならない目的となっていた。養母を殺した仇。――――絶対に逃がすものか。
救出と復讐の思いを新たにし、琥琅が白虎の毛並みとぬくもりを堪能することで気持ちを落ち着かせていたとき。白虎が不意に耳をそよがせ、身体を起こした。
「白虎?」
〈蹄の音が……〉
琥琅は目を見開いた。剣を片手に、駆けだした白虎の後を追う。
妖魔に襲われた夜ほどではないが、それなりに月が地上を照らす今夜の視界は良好だ。立ち止まった白虎が向くほうに目を凝らし耳を澄ませていると、確かに一頭の馬の姿と、その蹄の音が確かめられる。
そして、夜空を渡る翼の主の声も。
〈
「
呼び声に誘われ空を見上げ、琥琅は声を上げた。降下してくる影のため、腕を差しだす。
琥琅の腕に降り立つと、天華は琥琅と白虎の顔を見比べて安堵した。
〈息災で何よりじゃの。虎姫、白虎。お主らなら、必ず生きておると信じておったぞ〉
〈その口ぶり、私たちに何があったのかは知っているようだな〉
〈いかにも。
それであやつから話を聞いたのじゃ、と天華は簡単に経緯を説明する。遼寧を連れ出す際は、雷禅や
〈天華さん、置いていかないでくださいよー!〉
情けないいななきをあげて、遼寧も姿を現した。そのまま集落跡へ突っ込んでいきそうな勢いである。琥琅が手綱を引っ張り落ち着かせようとするが、興奮しきった遼寧は鼻息荒く、その場で足踏みする。
〈これ、落ち着かんかこの馬鹿馬〉
〈無理ですよ! あんな化け物と殺気だった人たちに囲まれた俺の気持ちになってくださいよ! 坊ちゃんは捕まってるし、兵士たちも武器を取り上げられてるし……〉
怖かったんですよ、と人間なら大粒の涙を落していそうな調子で、遼寧は恐怖を切々と語る。ぶるぶると首を振るものだから、唾が周囲に飛ぶ。元軍馬とは思えない情けなさである。
琥琅と天華が呆れる中、白虎はため息をつきながらも遼寧を宥めた。
〈遼寧、お前が怖い思いをしたのはわかったから、落ち着け。ここには我らがいるのだ〉
〈うう、白虎様だけです、わかってくれるのは〉
と、遼寧は自分を見上げる白虎に頬ずりしそうな勢いである。白虎は迷惑そうにしながらも、突き放しはしなかった。そうしないと、さらに騒ぐと思ったのかもしれない。
そちらは放っておいて、琥琅は天華を見上げた。
「天華、雷の居場所、わかる?」
〈当然じゃ。妾が空より探してみせようぞ〉
ばさりと羽根をはためかせ、嘴の先に当てて天華は言った。
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