第16話 飼われた虎
それからいくらかのやりとりをして
寝台にもそもそ上がった
食事を終えたばかりの雷禅は、そんな琥琅の恨み混じりの視線を敏感に察知し、困ったように眉を下げた。寝台の端に近づいて、琥琅を見下ろす。
「琥琅、そんなに怒らないでください」
「……怒ってない」
そう、怒ってはいないのだ。ただ、強烈に反対で、不愉快で、不満があるというだけ。雷禅の意志を止めることは諦めている。
それを怒っているというんですよ、と雷禅は額に指を当てた。
「貴女が反対するのは当然でしょう。僕は弱いですからね。だからこそ、義父上は貴女を僕の護衛につけたわけですし」
「だったら行くな」
「それはできません」
一縷の望みをかけて琥琅が止めようとしたのに、雷禅はまた困ったような笑みで、けれどはっきりと拒否する。睨みつけても、意志を貫く姿勢は変わらない。兎のように逃げ足が速いわけでもないくせに、無駄に頑固なのだ。
琥琅はさらに腹立たしくなった。
死はとても勝手で残酷だ。生きるために最善を尽くしていても、戦っていなくても襲いかかってくる。養母がそうだった。あの日、養母に死の影など一片もなかったのだ。養母だって予期していなかっただろう。
死は突然訪れるものだということを、雷禅はわかっているのだろうか。先代府君という人災のせいで、彗華のみならず彼もまた苦難に遭ったというのに。こんなにも琥琅が行くなと言っているのに。なのに危険な場所へ行こうとするなんて、雷禅は馬鹿だ。
見かねてか、白虎がため息をついて口を挟んだ。
〈雷禅。何故、それほど
「……ええ、そうですね」
雷禅はそう、笑みを淡く悲しそうなものに変えた。
「でも、吐蘇族にはまだ知り合いがいるんです。その人がもし今回の件に関与しているなら、いえしていなくても、吐蘇族が反乱を起こそうとしているなら、それを止める手伝いがしたいんです。……見知った人が死ぬのを見ているだけなのは、もう嫌ですから」
「……」
「もちろん、死ぬ気はありませんよ。貴女たちの出番になりそうなら、大人しく引き下がります。だから、お願いします」
どこか申し訳なさそうに雷禅は言う。それで琥琅は、もう何も言えなくなってしまった。
〈……ふん、情けないのが本性だというのに、何を格好つけておるのじゃ〉
翼がはばたく音と共に、そんな小馬鹿にした声が窓から聞こえてきた。見てみると、
〈まったく、騒がしくしおって。窓から聞こえてきておったぞ。おかげですっかり目が覚めてしもうたわ〉
「すみません、窓が開けっぱなしでしたね。でも天華、僕は別に格好をつけたわけじゃないんですけど」
〈どこからどう聞いても、格好つけじゃろう。獣を焼く匂いにも顔をしかめるお前が、物騒な輩のもとへ行くなど、身の程知らずの格好つけ以外のなにものでもないわ。頭に血が上った連中に殺されなければいいがの〉
眉を下げる雷禅を見下ろし、彼の目付け役を自称する雌鷲の化生は反論を一蹴する。はるか昔に幾多の戦いをくぐり抜けた白虎も、これに賛同した。
〈同感だ。吐蘇族の勇猛な気性は、昼の者らを見るに今も変わっておらぬ。雷禅、彼らはお前の技量でどうにかなるような相手ではないぞ〉
〈そう、お前は荒事に向かぬ。お前の一番の役目は、
「……人を調教師か飼い主みたいに言わないでくださいよ」
〈似たようなものじゃろう。いつになったら認める〉
苦虫を噛み潰したような雷禅の顔に、天華は嘴に羽を当てくつくつと笑う仕草でからかった。
琥琅が
けれど、似たようなものだとは琥琅も思っている。旅の一座が連れている、飼い主に従順な猛獣と同じように、琥琅も雷禅に忠実なのだから。先ほどの件は、その表れ、証拠のようなものだ。
ふと衝動に駆られ、琥琅は雷禅に抱きつき、彼の首筋に顔をうずめた。
「ちょっ琥琅! いきなり何するんですか!」
「あったかい」
「意味がわかりません! 離れなさい!」
「やだ」
雷禅の命令を、琥琅はふくれ面で拒否した。雷禅が琥琅の願いを退けるのだ。なら、琥琅だって彼の言うことを一々聞く必要はないはずである。
天華はくつくつと片翼の先を嘴に当てた。
〈よいではないか、雷禅。お前とて悪い気はしないであろう?〉
「いいも悪いもないですよ! 琥琅、離れなさい」
「やだ」
二度目の命令も琥琅は無視し、より強く抱きついた。さらに雷禅は慌てるが、知ったことか。走った後のように速い、雷禅の脈の音と動きに感覚を集中させる。
――――――――大丈夫、雷禅は温かい。
琥琅が思わず頬を緩めていると、たまらず、といったふうで天華はばさばさと両翼をばたつかせて、げらげら笑った。
〈愛されておるのう、雷禅。もういっそ、そのまま添い寝してやればよかろ。そこに寝台があるのじゃから〉
「しませんよ!」
雷禅は真っ赤になって叫ぶ。よっぽど嫌らしい。琥琅としては、是非ともしてほしいのに。
〈……雷禅。添い寝が嫌だというのなら、せめて主が御眠りになるまで手を握って差し上げてくれ。お前が主の精神を安定させているのは、疑いようのない事実なのだから〉
今回は徹底抗戦しようと琥琅が雷禅を見つめていると、足元からそんな援護がうろたえる雷禅めがけて飛んでいった。琥琅の忠実なるしもべ、白虎である。
孤立無援になり、雷禅は天華と白虎に恨みがましい目を向けた。やがてはあと息をつき、自由なほうの手でぎこちなく琥琅の頭を撫でる。
「……わかりましたよ。琥琅、手を握るので我慢してください」
「……手、繋いでくれる?」
「繋ぎますから。だから、今は離れてください」
「……ん」
雷禅に促され、確約を得た琥琅は今度は素直に従った。ふん、と天華は笑い混じりの息をつく。
〈そうやって最後は甘やかすのなら、最初から甘やかしてやればいいものを〉
「天華、琥琅をけしかけないでください。……琥琅、もう寝ましょう」
からかう声音の天華をまた睨み、雷禅は琥琅を促す。琥琅は目を瞬かせ、ん、と頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます