第四章 よみがえりしもの

第17話 吐蘇族の集落

 天華てんかにまた彗華すいかへ文を届けに行ってもらい、琥琅ころうたちが西域辺境へ入って五日。渇いていた大地の景色は、少しだけ色を変えた。


「ここから吐蘇とそ族の自治区内です」


 河西回廊を回廊たらしめる山々を登り、南へ馬を走らせてしばらく。案内役の兵はそう言って、馬の足を止めた。

 その眼前には、まばらに草が生える荒野が広がっていた。それは自治区の外も同じなのだが、草が生える密度が違う。鮮やかな色と葉の形を見れば、道中見かけたどの植物とも種類が異なっているのは明らかだ。


「吐蘇族の自治区内は、特有の植物が自生しているとは聞いたが、こんなに当たり前に生えているとは……」

「不思議でしょう? 薬効がある他、染料にもなりましてね。特産品の織物も、自生するこれらの植物を特殊な工法で染めたものなんだそうです。神事や戦闘に用いる服は、特に希少な植物で染めるそうですよ」


 穏やかな笑みを浮かべて、ここでも雷禅らいぜんは持てる知識を披露する。道について知っていても文化については知らなかったのか、秀瑛しゅうえい伯珪はくけいだけでなく、案内役の男も興味深そうだ。


「随分と詳しいな……雷禅殿は、ここへ来たことがあるのか?」

「ええ、一度だけですけどね。時期が時期で、吐蘇族のほうもしん民族との商取引を控えるようになってましたから、あまり長くは滞在できませんでしたけれど。そのときに、吐蘇族の文化について少しだけ教わりました」


 そう伯珪に返す雷禅の目が、流れ込んだ感情で揺れた。

 先代の西域府君が悪政を行っていた頃、雷禅はそう家の隊商に随行して西域辺境を歩き回っていた。清民族でも異民族の血が混じる者は彗華から追放というくだらない通達が出た折、この際跡取りとして経験を積んでおきたいと、雷禅が義父に頼みこんだのだ。

 琥琅はその頃に雷禅と出会ったのだが、ここへは来ていない。ということは、それ以前に訪れていたのだろう。

 かーっ、と妙な声を上げて、秀瑛は前髪を掻きむしった。


「話に聞いてはいたが、マジで西は面倒だな! 少数民族がわんさか住んでるし、隣国と睨みあいだし……北だって少数民族はいたが、こんなにややこしくなかったぞ」

「先代府君のせいですよ。彼の悪政が始まるまでは、どの民族ともそれなりに上手くやれていたんです。吐蘇族の人が市で特産品を売るのも、珍しくありませんでしたし。まだ清民族の城市まちに住み、清民族と交流を続けてくれる吐蘇族の人はいますけど……少数派ですよ」


 ここが襲われていたらさすがに即刻反乱が起きていたでしょうけどね、と雷禅は低い声で締めくくった。

 先代西域府君の悪政の後始末をするべく、琥琅たちはさらに吐蘇族の自治区内を進む。草木の植生に変化が現れていても、日差しは変わらずきつい。風は渇いて砂混じりだ。

 そうして吐蘇族の集落の一つに到着し、一行は絶句した。


「家、壊れてる……?」


 眼前の惨状に、琥琅は思わず呟いた。

 豊かな緑と塀の合間から見える家屋が、倒壊している。しかもそれは一つや二つではなく、ほぼすべてだ。かつて住んでいた跡である家々の残骸以外には住人だろう亡骸がいくつか転がっているだけで、生きた住人は一人として見当たらない。


「どういうことだ……? これじゃ全滅じゃねえか」


 吐蘇族の集落の中へ入ってみたが、秀瑛も雷禅も、皆困惑するばかりだ。誰もこんなことになっているとは思わなかったのだから、当然である。


「雷禅殿。ここが、吐蘇族の神官連中の集落なんだよな?」

「ええ。吐蘇族の神を祀る神官と、彼らに仕える人々と、部族の重鎮の一部が住んでいる集落です。よそ者を滞在させる場でもあって……」


 秀瑛に尋ねられた雷禅は、そう呆然と答える。その間にも首をぐるぐると巡らせ、かつて見た面影や見知った顔を探しているふうだった。


 生きている人間を探すよう秀瑛は部下たちに命じていたが、このありさまでは見つからないだろうと、琥琅は辺りを見回して思った。妖魔の気配の残滓が強くたちこめているだけでなく、集落全体が徹底的に破壊されていて、到底人が生きていられるようには見えないからだ。それに、生きてここに残っているなら、助けを求めるはず。それがないのは、死者だけだからに違いない。


 兵たちが生存者を探す一方、雷禅と秀瑛は倒壊した家や地面を詳しく調べていた。


「どの家も火を放ってじゃなく、強い力で壊されてるな……獣の足跡もあるし。妖魔と幽鬼の仕業だろうな、こりゃ」

「ええ、いたのは間違いでしょうね。しかも、今日犯行が行われた可能性が高い。破壊された家の数と比べて遺体の数が少ないのは……」

〈幽鬼として用いたから、であろうな〉


 青ざめた雷禅の言葉を引き取り、白虎は推測を口にする。その間にも青い目は周囲を油断なく見回し、警戒している。


「琥琅、白虎殿。何か感じるのですか?」

「……あっち」


 雷禅が尋ねてきたので、琥琅は白虎と共に集落の外を睨み、低い声で答えた。

 この集落に着いたときから、一つの独特な気配を琥琅は感じていた。辺りに立ち込める妖魔の気配に紛れてひっそりと、しかし己を主張して、集落から点々と続く血だまりのように珠月を誘っている。


 気配を感じ取ろうとすればするほど、不愉快な気分を覚えて琥琅は苛立った。自分でもおかしいほど、気配に感情を揺さぶられる。


「あっち、行く」

〈はい。ですが主、ひとまず雷禅を下がらせたほうがいいのでは〉

「……ん」


 半歩進みかけた琥琅は、白虎の提案に頷き、雷禅を見た。雷禅は視線に気づき、苦笑して首をすくめた。


「ここで待ってますよ。どうやらあちらは、僕が入っていける場所じゃなさそうですし」

「だよな。どうせ何人かはこの周辺を見回ってもらうつもりだったから、雷禅殿も同行してくれ」


 秀瑛も白虎の案に賛成すれば、雷禅ははいと頷いた。

 そうこうするうちに、生存者の探索を終えた伯珪が報告しに来た。生存者なしと聞いた秀瑛は唇を噛みしめ両の拳を握り、感情を押し殺すふうを見せる。

 数拍置いて、秀瑛はぐるりと兵たちを見回した。


霆清ていせい呂明りょめい孔遜こうそん黎綜れいそう。念のため、雷禅殿と一緒にここから離れてろ。そうだな、この周辺を軽く見回ったあと、ここへ来るときに通った崖の下で待機だ。やばそうになったら、遠慮なく逃げろよ」


 と、秀瑛は声を張り上げ、さらによどみなく兵たちに指示を下していく。兵たちはただちに応じ、与えられた役割をまっとうするために動きだす。

 それを聞きながら、琥琅は雷禅を振り返った。腕釧うでわを外し、彼に渡す。


「預ける」

「はい。無茶をして大怪我を負ったりしないでくださいよ。貴女をかついで帰りたくないですから」

「ん」


 自分こそ無理をした微笑みを浮かべる雷禅に、琥琅はこくんと強く頷いてみせる。当たり前だ。雷禅を放って、こんなところで死ねるわけがない。

 それに―――――――――


 いつの間にか少し離れていた秀瑛は、何故か腹を抱えて笑いを押し殺していた。他数人の兵たちも、こちらを見ないまでも笑いたいのをこらえているのが空気で伝わってくる。一体何が面白いのか。


「いやあ、いいねえ、若い兵士と姫君の別れは」

「…………皆さんも、どうかご無事で」


 秀瑛のからかいを無視し、雷禅はしなくてもいいのに彼らにも言葉を投げる。何故か、かなり複雑そうな顔だった。

 ともかく、そうして琥琅と雷禅は二手に分かれた。

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