第12話 彼の素性・二

 西域辺境への赴任が決まってすぐ、秀瑛しゅうえいは自分が治めることになった西域辺境の最新情勢について、到着までにある程度知っておこうと私兵を派遣していた。叩き上げの軍人である彼は政治についてまったく無知だったし、異文化交流はちょっとしたことが諍いの種となり、後々まで禍根を残すことになるからだ。

 現地の官吏たちが教えてくれるだろうが、だからといって何も知らないままで向かうのは、西域辺境の統治を任された者として無責任である。任地へ向かう途中も、あまり好きではない勉学に秀瑛は励んでいた。


 そんなある日。秀瑛は先に派遣していた部下から、気になる、かつ信じられない報告を聞いた。

 いわく、西域辺境の諸都市の周辺や街道に、人間に似た姿をした異形が出没し、人々を襲う事例が相次いでいるのだと。


 被害の多くは街道を行く人間や家畜であるが、それに付随して田畑への被害も少なくない。人もどきに襲われ、ほうほうのていで城市に辿り着いた隊商の話は後を絶たないとか。己の田畑を守ろうとして殺された者もいるのだという。


 道行く人が妖魔に襲われることそのものは、たまにある不運の一つである。しかし、大自然に生息する妖魔が人間の領域へ自ら赴き人間を襲うことはまれだ。街道で隊商を襲うことはあっても、集落の周辺に姿を見せることはない。ましてや、数多の人々が集う大都市の周辺で人間を貪り食うなんて、今まで人間が知る妖魔という生き物の在り様からはかけ離れている。


 その不自然が、多発しているのだ。西域辺境で何か異変が起きているのは、間違いない。かくして秀瑛は西へ向かう足を急がせることにした。――――そして、琥琅ころうたちと出会ったのである。

 秀瑛の話を聞き終え、雷禅らいぜんは口元に指を当てた。


「人の姿をした人ならざるもの……というのはおそらく幽鬼ですよね、琥琅」

「多分」

〈ああ、幽鬼なら、私が封印されていた廟にも入ろうとしていたようだ。障壁に触れて死んだがな〉


 淡々と白虎は答える。やはりあの岩壁には、無心で入るべきだったらしい。琥琅は納得した。

 そこに、黎綜れいそうがおずおずと手を上げて口を挟んできた。


「あのー、ところで白虎様。昨夜、琥琅さんに聞けなかったんですけど、幽鬼って何ですか? 妖魔と違うものなんですかー?」

「お、そういやそうだな。俺も聞きてえ」


 首を傾け黎綜が白虎に説明を求めると、秀瑛も続いて同調した。昨夜の騒動の後から先ほどまで、するべきことが山積していて、昨夜の出来事を振り返る暇もなかったのだ。

 白虎は問われるまま、説明してやった。


〈ああ、違う。化生は天地の霊気を動植物が得て転化した存在、妖魔は天地の霊気が凝り固まって意思を得た存在だが、幽鬼は魂を失くした身体に馴染まぬ気……陰気や術式が入り込んだ存在だ。陰気が入り込んだなら残る七魄、術式であれば術者の意思に応じて動く。私がかつて、先代の主と共に妖魔と戦っていたときも、妖魔だけでなく数多の幽鬼とも戦ったものだった〉

「おい、術式って、方術ってことか? その幽鬼とかいうのは、人間が作り出したりできるのかよ?」

〈ああ。使える死体があればな〉


 秀瑛の問いに、白虎はつまらなさそうに答えた。

 つまり、墓を掘るなりしてできたばかりの死体を盗めば、あるいは適当に人をさらって殺せば、幽鬼は作り放題というわけである。あの幽鬼の数からすれば、犯人はどちらかの方法をとっている可能性がきわめて高い。


 琥琅が養母から聞いた話によれば、幽鬼は一度動いてしまえば、後は勝手に動き続けるものなのだという。ならば琥琅たちが見たのは、使役する者を失って暴走した生き残りだったのだろう。あの白虎廟の周りで人間が死んでいたこととも、辻褄が合う。

 琥琅と白虎の推測を聞いて、雷禅と秀瑛の表情は深刻なものになった。


「まずいですね……幽鬼がうろついているなんて噂が中原にまで広まって、商人が近寄らなくなったら、西域辺境中が混乱しますよ。水はどうにかなっても、流通が止まっては自給自足なんて到底無理ですし……騒動の後の経済的被害も大きい」

「ああ。ついでに中の商人も外へとんずらして、しん民族に反意のある少数民族が反乱を起こすか、他国が侵攻してこようものなら、西域辺境は終わりだ。その前に中央は軍を出すだろうが、被害は免れねえ。場合によっちゃ、中央は西域辺境を捨てるだろうな」


 よく考えてやがる、と秀瑛は唸るように言う。深刻そうだった表情は、言葉とは裏腹な怒りの色を目に宿していた。正式にはまだとはいえ、西域府君だからだろうか。

 ぎゅっと両の拳を握ると、秀瑛は改めて琥琅たちをまっすぐに見た。

 その、まっすぐな目。傭兵だと名乗ったときの胡散臭さや夜宴の陽気さはどこにもなく、先ほどから見えるもの以上の真摯な色で染まっている。これから発せられる言葉は信じていいのだと、琥琅は直感した。


「雷禅殿、琥琅殿。それに白虎殿。西域府君として、俺はこの西域辺境の危機を見過ごせない。――――力を貸してくれ」


 そして、秀瑛は深々と頭を下げる。黎綜も居住まいを正し、後に続く。

 雷禅は、顔を上げてくださいと慌てた。


「貴方が頭を下げる必要はありませんよ。僕自身は武芸の面で手助けできそうにありませんが、彗華すいかは僕の故郷で、家族が住む場所です。商売あがったりになるのも御免ですし……手伝いますよ。ねえ琥琅?」


 協力を約束した雷禅は、そう琥琅に話を向けてくる。是の答え以外、認める気はないくせに。琥琅はむう、と雷禅をねめつけた。

 とはいえ、断る理由はないのだ。奇異な部分も含めて温かく迎え入れてくれた綜家の人々は、琥琅にとって大切な者たちである。その上、雷禅は行くつもりなのだ。ならば、一緒に行くしかないではないか。


「……わかった。雷、一緒に行く」

〈私も参りましょう。主と共にあるのがしもべの役目であれば〉


 琥琅が頷けば、白虎はそう宣言して琥琅の手のひらに頬を寄せる。絹糸の肌触りがくすぐったく、琥琅は褒美とばかりに喉を掻いてやった。

 顔を上げた秀瑛は、ぱっと顔を輝かせた。


「ありがてえ! 実は、報告を聞いたときからさっきまで、どうすりゃいいかと頭抱えてたんだ。俺は人外と戦ったことはあっても生態に詳しいわけじゃねえし、術者絡みなら一層専門外だからな。あんたらがいりゃ野郎どもの士気は上がるし、百人力だ」


 そう、にこにこと嬉しそうに秀瑛は安堵を語る。その隣では黎綜が、白虎と一緒にいられるのだと無邪気に喜んでいる。

 そうして秀瑛と黎綜が去り、天幕の外で秀瑛が部下に指示する声もすぐ失せた後。やっと緊張から解放されたとばかり、雷禅は長い息をついた。


「…………まさか、西域辺境に異変が起きていたとは…………僕たちが彗華を出たときは、そんな前兆もない、普通の街道だったんですけどね……」

「……」

「これなら、天華てんかに急いで文を運んでもらわないほうがよかったですね。まあ、府君の口ぶりからするとまだ彗華への襲撃はないようですし、そう家の邸が襲われたりはしていないと思いますが…………」


 しかしそれは、彗華の外に出ている者は危険であるということでもある。そして人ならざるものが旅人を襲っているなら、綜家の私兵の長を務める綜瓊洵けいじゅんが隊商や郊外の工場の護衛をしに行っているはずだ。

「邸の皆、きっと無事。瓊も、死なない。だって、俺より強い」


 己と雷禅の胸に居座る不安を打ち消すように、琥琅は強く言った。

 本当にそうなのだ。琥琅の義父である瓊洵は、琥琅が生死の境目で培った経験と技を凌いで、でたらめに強い。拾われてから琥琅は何度も彼に挑戦しているが、一度も勝ったことがないのだ。

 あの男が幽鬼に後れをとるとは考えられない。――――考えたくない。


「…………そう、ですね。あの義叔父上おじうえが、そう簡単に殺されるはずがありませんよね」


 瞑目し、雷禅も己に言い聞かせる。ぎゅっと拳を握ると、俯けていた顔を上げた。


「ともかく、明日は秀瑛殿が幌付きの馬車を用意してくれますから、白虎はそれに乗ってください。貴方はしゃべらない限りただの白い虎と思う人が大半でしょうが、神獣だと認識されれば人々が我先に押し寄せるか、何か変事があったのではと不安がるに決まってますからね。窮屈で退屈だと思いますが、お願いします」

〈わかった〉


 雷禅の要請に、白虎は首肯する。それでやっと、この予想外に琥琅の日常を脅かすものの話は終わった。

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