第11話 彼の素性・一
「……で、その虎を連れて帰ってきたわけですか」
こめかみに指を当て、頭痛を堪えるような仕草で
混乱が収まった後、琥琅は白虎を伴い、宿営地へ戻ることにした。雷禅以外のことでは感情の起伏に乏しい琥琅と言えど、この想像を越えた展開に頭がよく働かず、とりあえず宿営地にある自分の天幕へ戻るしかないと判断したのだ。どうか、と縋ってくる白虎の切なる願いとぬくもりに抗えなかったというのもある。
琥琅と白虎を見るなり大きく目を見開き呆然とする男たちの間を抜け、帰りついでに仕留めた鹿を近くにいた男に押しつけ、自分にあてがわれている天幕で寛ぐことしばらく。集落へ買い物に出かけていた雷禅が天幕の中を覗いて、硬直した。次に現れた
寝そべる白虎を背に腰を下ろす琥琅は、だって、と口を尖らせた。
「ほっとけない」
「ええ、わかってますよ。貴女が動物、とりわけ虎を放っておけるわけがないということは」
と、雷禅は苦笑して息をつく。続いて口を開いたのは、秀瑛だった。
「けど、そいつが神獣だと言われてもなあ……見たところ、普通の白い虎だぞ? そりゃ、人間の言葉しゃべってるし、こういう状況だけどよ。人語を解する虎の化生というのも、世の中にゃいないわけじゃないしな」
「こいつ、あいつらと違う」
「わかってるって。でもだからって、神獣だと突然言われても簡単には信じられねえよ」
琥琅がじとりとねめつければ、秀瑛は慌てた様子でそう弁明する。が、それでも琥琅の苛立ちは収まらない。言い訳しているが、要は琥琅と白虎の話を信じられないということではないか。
そこに割って入ってきたのは、当の白虎だった。
〈私が神獣であると、にわかには信じられぬというのは無理もない。先代の主の頃に私が目覚めた直後も、多くの者は私をただの化生と最初は侮っていた。だが、化生や妖魔の気配を知るのであれば、私が普通の虎でも化生や妖魔でもないことはわかるはずだ。この方が私の主であるのも、疑いようのない事実だ〉
「ええ、琥琅が貴方の主であることは疑いませんよ。普通の野生の虎は、飼われても人間を主と思ったりしませんし。琥琅は術者でもないですしね」
と、雷禅は肩をすくめてあっさりと白虎を受け入れる。琥琅は雷禅の服の袖を引っ張った。
「
「構いませんよ。彼の素性はともかく、白い虎は幸運の象徴です。
「いいなあ、白虎と一緒に暮らせるなんて。羨ましいです」
雷禅の傍らで、白虎をじいっと見つめて黎綜は言う。天幕に入ってからというもの、この少年は白虎ばかりをきらきらした目で見ている。獣が好きなのかもしれない。
だから、自分の叔父が眉根を寄せ、難しい顔をしているのにまったく気づいていない。先に気づいたのは、雷禅だった。
「……? 秀瑛殿、どうしました?」
雷禅が声をかけると、秀瑛はああ、と気のない返事を返してきた。はああと長息をつき、髪をかき回すと、意を決したふうで口を開く。
「……お前らに頼みがある」
「頼み……ですか?」
雷禅は眉をひそめ、どこか困惑した様子で秀瑛を見る。秀瑛が真摯な表情だからだ。天幕の中の空気も、わずかに張りつめたものになる。
「俺たちは傭兵隊だと言ったが、あれは嘘だ。本当のことを言って騒がれたくないんで、素性を隠すよう、黎綜を含めて皆に言っておいたんだ」
「傭兵ではないのですか? では貴方たちは……?」
雷禅がますます不可解といった顔になる。それに苦笑し、秀瑛は首にかけていた鎖を外すと、下げていたものを手のひらに乗せて琥琅たちに見せた。
それは、龍が取っ手として彫刻された金印だった。龍の彫刻は髭や鱗といった細かなところまでよく彫り込まれており、職人の技術の高さをうかがわせる。琥琅の趣味ではないが、価値を認める者はいるだろう。
その価値を認める者の一人であったのか、雷禅はぎょっとしたふうで目を見開いた。
「まさか…………府君の印ですか?」
「はい。叔父上は、新しい西域府君なんです」
表情と同じ色の問いに、黎綜がにっこりと笑んで答えた。
この清国は大雑把にいえば、帝都を抱える貴州を含む十五州と、それらを取り巻く八辺境に地域区分されている。州は清の前にあった慧国初期から清民族の領土だった地域で、八辺境はその後の戦争で得た土地だ。したがって、異国や異民族――つまり異文化の民と接する機会が多い地域でもある。慧国の頃から、異文化の民との諍いがしばしば起こっていた。
だから辺境地域には、州府ではなく都護府と称する特別な役所が置かれ、地域一帯を統治している。その八都護府のひとつ、西域都護府を有する彗華にて西域辺境を統括するのが、長官たる西域府君だ。今は不在で、臨時で代行が取り仕切っている。西域都護府に出入りしている雷禅たち綜家の者は言うまでもなく、彗華に住まう鳥獣たちもどんな人物なのか気にしていて、噂を集めていた。
金印は、西域府君の証なのだろう。取引の際に用いられる印は、承諾だけでなく身分証明にも使えるのだと雷禅が以前言っていた。出立の前も、だから絶対に失くしては駄目なのだと、印を鍵のかかる小箱へ大事そうにしまっていたものだ。
本物の次期西域府君だと納得したためか、雷禅はやや表情を緩めた。
「今度の西域府君は、随分と質素なんですね。先代は何十人も家族や家人、妾を連れた、豪華なものでしたが」
「そんなに連れて行かなきゃなんねえ人間なんていねえよ。俺は妾どころか、嫁すらいねえし。子飼いの野郎どもだけで充分さ。――――西がどうも物騒だしな」
「物騒? ですが、府君と部下の方々が対処に苦慮しそうなほどの賊が西域辺境に出たとは、聞いたことがありませんが……」
雷禅は眉をひそめた。
綜家は隊商を出す商家だから、西域辺境のどこに賊が出たかといった類の情報に通じている。それに、琥琅と雷禅が西域辺境を出るまで、不穏な噂なんてどの集落や城市でも聞いたことがない。雷禅が疑問に思うのは、当然のことだろう。
あるんだよそれが、と秀瑛は苦い顔で言った。
「俺は文で報告を受けただけだから、実際に見たわけじゃねえんだが……だが、報告を信じるなら…………西域辺境への通行は今、かなり難しくなっているはずだ」
「……!」
告げられた推測に、雷禅だけでなく琥琅も瞠目する。それを皮切りに、秀瑛は語り始めた。
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