第4話 愛しき故郷にて・二

 川辺へ戻った琥琅が土砂崩れのことを話すと、雷禅は顎に手を当てて眉根を寄せた。


「昨夜の大雨の影響ですね……心配していたのですが、やはり崩れてましたか……」

「雷、どうする? 別の道、探す?」

〈坊ちゃん、帰りましょうよ。どうせ撤去作業は、今日中には終わらないでしょうしさあ〉


 琥琅が首を傾けると、雷禅のそばで話を聞いていた雄馬の遼寧りょうねいはそんな怠けたことを言いだした。


 化生の天華のみならず、普通の馬である遼寧の声を琥琅が人の言葉として捉えることができるのは、多くの鳥獣の鳴き声を理解する能力を得ているからだ。物心ついた頃から二年前まで続いた、森の奥での暮らしの賜物である。まだ見慣れない犬や猫の言葉はなかなか理解しがたいが、馴染み深い馬や狼、狐や兎なら完璧に理解することができた。


 一方、そうした過去を持たない雷禅は、本物の異能によって鳥獣の言葉を理解している。ごくまれにいるのだ。方術士の素質を持つわけでもなく、異能だけを備えて生まれてくる者は。天華が雷禅のもとに留まっているのも、この異能に関心を寄せたからというのが理由の一つであるらしい。

 その異能をもって、雷禅はでも、と遼寧に言葉を返す。


「琥琅の話によると、すでに撤去作業をしている人たちがいるんでしょう? 手伝わないのは申し訳ないですよ。ここまで来て、城市へ戻るのももったいないですし」

〈けど、作業を手伝ってたらきっと野宿になっちまいますよ? こんなところじゃ、賊が出るかもしれないですし……〉


 遼寧がまたぶつぶつと文句を言う。鬱陶しくなって、琥琅が睨んでやろうとしたときだった。


「あれー? 西域へ行くつもりの人ですかー?」


 間延びした少年の声がしてそちらを向くと、琥琅たちよりやや年下だろう、幼さが残る顔立ちの少年が近づいてきた。何かを書きつけた看板らしきものを腕に抱えているので、どこかへ運ぶ途中なのだろう。

 少年は、琥琅を見るなり目を大きく見開いた。


「うわあ、すっごく綺麗な人ですねえ。しかも男の人の格好なんて、物語に出てくる九天玄女の写し身みたいで、すっごくかっこいいです」

「はは……まあ、外見はそうですよね」


 少年の心底のものであるらしき称賛に、雷禅は空笑いで応対した。

 綺麗。それが、琥琅の容姿に対して周囲が下す評価だ。月の女神のよう、怖いくらい、魂が抜け出る。そうした形容をつけられることもある。美醜に興味のない琥琅からすれば、どうでもいいことだが。

 ところで、と雷禅は少年に問う。


「この先の道が土砂で塞がっていると聞きましたけど、貴方は集落の人ですか?」

「違いますよー。僕はえと、傭兵隊の一員なんです。叔父上が傭兵隊をやっていて。この先の道が崩れてたから、皆で撤去作業をしてるんですよ。他の旅人さんも、何人か手伝ってくれてます。だから、ここを通るなら明日以降にしてください」


 と、少年はにっこり笑う。彼はこの看板を山道の出入口に立て、作業が終わり次第撤去するよう叔父に命じられたのだという。よく見ると確かに、腕に抱えている看板には山道が塞がっていることが書かれてあった。

 雷禅は何度も頷き、感心した。


「それは親切ですね。役人でもないのに、わざわざ看板を立ててくれるとは」

「叔父上は、皆のことを考えてる人ですからー。じゃあ、僕はこれで失礼しますねー」


 少年は嬉しそうに言うと、そう一礼して去っていく。それを見送り、琥琅は雷禅に顔を向けた。


「雷、どうする?」

「そうですね……急ぎではないですし、引き返して別の道を探すのがいいのでしょうが…………」


 そう呟くと、雷禅は遼寧の手綱を掴んだ。


「雷?」

「ここに残りましょう。遼寧、玉鳳ぎょくほう。すみませんが、重労働をしてもらえませんか?」

〈って坊ちゃん、もしかしなくても、作業を手伝うんですか?〉


 遼寧はぎょっとして、二、三歩後ずさりした。が、雷禅に手綱を掴まれているので逃げられない。

 ええ、と雷禅は頷いた。


「城市で作業が終わるのを待つだけなのも、申し訳ないですから。木や岩の撤去には、少しでも馬と人手が多いほうがいいでしょうしね」

〈そんな、坊ちゃん、俺も玉鳳もここまでそれなりに走ってますよ?〉

〈あら、私はまだまだいけるわよ?〉


 遼寧が雷禅に抗議すると、その玉鳳が口を挟んだ。え、と遼寧が首を向ければ、人間に忠実な雌馬は遼寧に冷たい目を向けるばかり。遼寧がやらなくても自分はやるつもりなのは、明らかだ。

 意中の雌馬の非難を浴びた遼寧は、はあああ、と重く長いため息をついた。


〈うう、坊ちゃんって時々馬使いが荒いですよね〉

「すみません。向こうの村に着いたら、塩と砂糖をあげますから。……琥琅も手伝ってくれますか?」


 苦笑し、雷禅は琥琅にも問いを向けてくる。とは言え、雷禅が手伝う気なのに琥琅が見ているだけというわけにはいかないのだ。琥琅は雷禅の護衛なのだから。

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