第43話 日本

「ヤマトと縄文文化の戦いは、弥生文化の純粋性を守るための戦いだ。

 その純粋性の根源である日向、それを示し、決して忘れないためのモニュメントが、この矢印なのだ」

「この矢印は、弥生文化は縄文文化に勝ちました! という印でもあるってことですよね」

 沙良が小さな声でつぶやく。

「それにしても、でっかい勝利宣言だ……」

 平城が立ったまま腕組みをした。

「いや、まだだ。まだ勝利宣言には早い。

 ヤマトにはもうひとつ、最重要な仕事が残っている」


 平城が微笑む。

 健吾と沙良は平城の微笑みを見つめるだけで、言葉を続けることができない。

「邪馬台国の時代、魏志倭人伝に記されているように、外交はすべて邪馬台国が握っていた。

 邪馬台国を攻め滅ぼした神功皇后は、邪馬台国の外交も引き継いだはずだ。

 邪馬台国以降、約百五十年に渡ってこの国は文献に登場してこない。空白の四世紀だ。この間になにがあったのかわからないが、少なくとも外交は続いていたはずだ。

 邪馬台国の外交を引き継いだヤマトは、外国に対しては邪馬台国の立場をそのまま受け継いでいたはずなのだ。

 それが現在も使われている、“ヤマト”という名称に表れている。

 ヤマトは当時の漢字で書くと“倭”だ。倭国すなわちヤマトという名称は、邪馬台国が外交の際に使用した国号なのだ。

 私たちは現在も“ヤマト”という名称を使用する。

 しかし、日向から発生したヤマト弥生文化人が自分たちのことを、邪馬台国が発祥と思われる“ヤマト”と自称するわけがないのだ。

 邪馬台国を意味する“ヤマト”。

 これを名乗ることが、大和朝廷にとってはどれほどの屈辱だったのかは、想像に難くない。

 あらゆる縄文文化抹消対策を打ってきた大和朝廷が最後の仕上げに、最重要な本当の最後の仕上げに行ったこと。それがこの、“ヤマト”を消すことだった。

 すなわち、国号の変更だ」


 健吾は体が震えていることに気がつく。

「国号を変更したのは、天武天皇ですね……」

 健吾は天武・持統合葬陵で聞いた、平城の独り言を思い出した。

平城は陵を見上げながら「ここに天武と持統が眠っている」とつぶやいたのだ。

 ヤマト弥生文化人の総仕上げ、国号変更。平城の話は、ここに来るべくして来たのだ。

 平城がゆっくりとうなずいた。

「天武、持統の時代、なにが行われたかを思い出してみるといい。

 まず日本神話と神道の確立。国史の編纂だ。古事記は天武の命令で編纂が開始されている。

 同時に、日本神話の成立はそのまま、神社の体系化だ。

 そして、藤原京。日本最初の計画都城であり、平城京、平安京よりも大きかったとされている。

 この藤原京を、大和三山のど真ん中、矢印のど真ん中に計画したのは、天武だ。

 そして最後が、国号の変更。

 天武の時代に行われたこれらすべてが、縄文文化との戦いを清算する行為だと考えても、おかしくはないだろう」

 健吾の声が震える。


「しかし、国号の変更にまで、縄文文化の影響があるとはとても」

「とても思えない、か?

 若者、君は文献に詳しいはずだ。思い出したまえ。『旧唐書』の東夷伝に、ヤマト側が述べた国号変更の理由が記載されていたはずだ」

 健吾は思い出した。国号変更のその理由を。しかし、唇を開いたままで言葉が出てこない。

「日本国は、倭国の別種なり。その国、もって日辺にあり。ゆえに日本をもって名と為す。

 倭国自らその名の雅ならざるをにくみ、改めて日本と為すと。

 日本はもと小国にして、倭国の地を併せたり」

 平城がゆっくりと暗唱した。

「日本国は邪馬台国とは違う国であり、太陽に近いところにあるので日本国を名乗る。

 倭、ヤマトという名は、雅ではないから、改めて日本とする。

 日本はもともと小さな国だったが、倭国、すなわち邪馬台国を併合した、と書かれているのだ」

 平城は深く呼吸をする。

「もう一度言うぞ。

 国号変更の理由は、“ヤマト”という名が、“雅”みやびではないからだ」


 平城はゆっくりと歩き出した。薄暗くなった中を、藤原宮大極殿跡の小さな森に入っていく。

 健吾と沙良も平城に歩調を合わせてついていく。

「ヤマトにとって、国号変更はそのまま、縄文文化に対する勝利宣言だった。

 忌まわしい“ヤマト”という国号をとうとう廃止できたのだから」

 平城は大極殿の中央に立つ神木の前まで歩き、そこで神木を見上げた。

 沙良と健吾は神木を見上げる平城のうしろで、顔を見合わせた。

 平城は神木の前でしゃがみ、小石を拾っている。健吾と沙良はもう一度顔を見合わせる。

 これで、平城の長かった話は終わりなのかもしれない。

 健吾はふうっとため息をつく。あまりに濃い内容に健吾は細部を思い出せない。帰ったらもう一度平城に確認して、レポートにまとめてみようかとも考え始めていた。

 そのためには、また平城さんに協力してもらわなくちゃ。

「平城さん、帰ったら」

「ここだ」

 平城が小石を投げ捨てて、しゃがんだまま足元の地面をこつこつとこぶしで叩いている。

 沙良が首を傾げる。

「ヒサヒデさん?」

 平城が顔を上げて、ふたりを見つめた。

「ここだ」

 もう一度言って、こぶしで地面を叩いた。

 健吾は意味がわからなかった。

「なにがですか?」

 平城が薄暗がりの中で、にやりとした。

「決まってるだろう。金印だ」

 数瞬の沈黙のあとで、沙良が飛び上がった。

「金印!」

 びっくりした健吾は、思わず平城の横にしゃがみ、平城が叩いていた地面をなでた。

「金印、ここにあるって言ってるんですか!? まじで?」

 平城が笑った。

「君たちの反応は面白い。すまん。驚かしてしまった」

 健吾は地面に手をつけたまま、平城をにらむ。

「平城さん、笑い事じゃないです。まじなのかウソなのか、はっきりしてください」

 平城が立ち上がった。声を出して笑っている。

「ヒサヒデさん!」

 沙良が焦れたようにその場で駆け足した。

 健吾も立ち上がる。

 平城は健吾と沙良を交互に見つめてから、うなずいた。

「本当だ。私はまさにこの場所の地下深くに、親魏倭王しんぎわおうの金印が眠っていると考えている」

 沙良が、きゃー! と叫んで飛び跳ねた。

 健吾がぼそりと、まじで? とつぶやいたまま平城を見つめて動きを止めた。

 平城がまた、話し始めた。


「ヤマトは邪馬台国を制圧したあと、間違いなく金印を手に入れている。

 邪馬台国の外交を引き継ぐためにも、金印はなによりも重要なものだからだ。

 金印が発見された場所が邪馬台国だという話も聞くが、私はそうは考えていない。なぜなら、金印は簡単に持ち運びができるものだからだ。

 政権が変わったなら、そのまま受け継がれて場所も移動するのが当然だろう。

 金印は、ヤマトに持ち帰られたのだ。

 そして代々の天皇に受け継がれ、大切に保存されていたはずだ。使用するしないに関わらずだ。

 そして天武の時代、国号変更を行ったことで、ついに金印はその役目を終える。

 ヤマトが邪馬台国から受け継いだ最後の遺産、親魏倭王の金印。

 それは国号変更とほぼ同時期に、藤原宮の中枢、大極殿の下に埋納されたのだ。

 実際に埋納したのはこの大極殿が造営される直前だ。時期的には持統天皇が行ったのかもしれない。

 しかし、間違いなく埋納を指示したのは、天武だ。

 縄文文化との戦いを清算するためにあれだけのことをした天武だ。金印の処分方法を考えていなかったはずがない。

 福岡県の志賀島で発見された金印、漢委奴国王印かんのわのなのこくおういんは、巨石の下に箱に入れられた状態で見つかったという。

 おそらく天武も、似たような状態で埋めるように指示したはずだ。

 この足元に、まさにこの真下に巨石が埋められており、さらにその下に箱が埋められている。

 その中で、親魏倭王の金印は今も眠っている」


 平城の足元を囲むように三人は足元を見つめて立っていた。

 健吾が今にも泣き出しそうな表情を見せている。

 はしゃいだ沙良も、今は茫然とそこに立ちすくんでいた。

 平城が足元を見つめたまま、静かな声で話を締めくくった。


「天武から始まった古事記、日本書紀の編纂は奈良時代に入って完了する。

 各地に配置した日本神話の神々は系統立てて記述され、縄文との戦いの記憶も神話の中に埋納された。

 日向、西都を指す矢印が造られ、弥生文化の純粋性が示される。

 最後にすべての総仕上げとして、国号変更が行われた。

 “ヤマト”は“日本国”になったのだ。

 そして邪馬台国の最後の遺産、親魏倭王の金印がここに埋納され、すべてが終わる。

 このとき、ヤマトはついに縄文の記憶から解放されることになったのだ。

 邪馬台国から実に五百年。

 弥生文化は、縄文文化に勝利したのだ」

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