6 大和
第42話 大和三山
健吾は平城の話に圧倒されていた。怒涛の如く話される平城の話は、健吾がこれまで当然だと思っていた日本の歴史を根底からひっくり返す勢いを持っていた。
聞きたいことはたくさんあった。反論ではなくて、詳しく聞きたいことだった。しかし、なにひとつ言葉にできない。
三人は徐々に暗くなる藤原宮、大極殿跡の横に立ったままだ。
黙ったまま平城を見つめるふたりに気がついたのか、平城は少し照れ笑いのような表情を浮かべた。
「少し急ぎすぎたようだ。すまない。私が落ち着かなくては」
「ヒサヒデさん、すごすぎです。まるで、ドラマを観てるみたい」
沙良が今にも飛び跳ねそうに体を屈めて、こぶしを握り締めている。
平城が大きく深呼吸をした。
「まだスサノオについて話すことが残っている。
それを解決しておかなくては、すっきりとしない」
平城がもう一度大きく息をはき出す。
まだ先があるのだ。これだけの考察を繰り返して、それでもまだ先があるのだ。
健吾は質問することも忘れて、深呼吸する平城を見つめた。
平城が健吾に顔を向けた。
「スサノオは出雲でヤマタノオロチを退治した。
若者、スサノオはそのあと、どうした?」
突然尋ねられ、健吾はあわてて頭の中で記紀のページをめくる。
「ええと、スサノオはですね、ヤマタノオロチのあとはあっさりしたものです。
日本書紀によればヤマタノオロチから助けた
そして産まれた子どもが、オオクニヌシということになります。
この部分、古事記ではもっとややこしい系図になっていて、オオクニヌシはスサノオの何代かあとということになってます。
そのあとはもうなにもなくて、スサノオはかねてからの望みどおりに母の国、
平城は微笑みながらうなずいた。
「八雲立つまで詠ってくれて、ありがとう」
おとなしく聞いていた沙良が、両手を胸の前でぽんと叩いた。
「そうか、スサノオって最後はお母さんの国に行ってしまうんだ。忘れてたなあ」
と、言ったあとで首を傾げる。
「ん? でも母の国っていっても、確かスサノオはイザナギの鼻から生まれてませんでしたっけ、ヒサヒデさん?」
胸の前で叩いた手をそのままにしている沙良は、合掌しているように見える。
平城がその姿を見て思わず笑みをこぼす。
「神話だからな。仮にスサノオに母がいるとすれば、それは当然イザナギの妻であるイザナミになるだろう。
そしてイザナミがいるところは、イザナギが逃げ帰って来た黄泉の国というわけだ」
健吾はうなずく。
「ですね。なのでスサノオは黄泉の国に行ったということで、間違いないかと」
沙良が健吾に尋ねる。
「黄泉の国ということはもしかして、スサノオは死んでしまったということ?」
「そういうことになるのかなあ。平城さん、どうなんです?」
健吾は平城に助けを求める。
「スサノオが向かったのは、古事記では
しかし、やはり私は疑問だ。なぜ素直に黄泉国とはっきり書かないのだ?」
健吾が肩をすくめる。
「そんなこと言っても、そう書いてあるから仕方ないとしか」
「そうだ。仕方ないのだ。だから私は根堅洲国を黄泉国と読み替えるのをやめて、素直に根堅洲国に行ったと読むことにした。
だから沙良君。スサノオは死んではいない。
そして黄泉国より、根堅洲国こそスサノオが向かうにふさわしい」
沙良がその場で小さくぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「え? え? どういうことですか」
健吾が平城の考えを読もうと頭をひねる。連想が広がる。
「そうか、根の国、つまり根っこの国、ってことですか?」
平城が健吾の肩をぽんと軽く叩く。
「そうだ。根堅洲国。根元にある堅い土地、という意味に取れば、スサノオがどこに向かったかはもう明白だ」
「日向!」
沙良が大きな声を上げる。
平城はにこりとしてうなずいた。
「邪馬台国を制圧したヤマト・吉備連合軍は、次の標的を狗奴国と定めていた。
これは当然の考えだ。邪馬台国と敵対していた強国、狗奴国もまた縄文文化の国であったのだから。
おそらく邪馬台国で日向の使者と面会しただろう神功皇后は、日向がいまだ狗奴国の脅威にさらされていることを知るのだ。
ヤマト・吉備連合軍は狗奴国へ進軍する。邪馬台国を殲滅した勢いもあり、連合軍はやがて狗奴国を滅ぼすことになる。
そして高千穂の峰を越え、ヤマト・吉備連合軍はついに日向を狗奴国の圧力から解放するのだ。
これは、凱旋だ。
遠い昔、狗奴国に追われて船出した人々が、その宿敵狗奴国を倒して日向に戻ったのだから。
スサノオは、ついに母の国に帰り着いたのだ
それ以降の日向の発展は遺跡が証明している。
古墳時代最大規模の遺跡が、日向国、西都にある」
健吾がつぶやく。
「西都原古墳群……」
「ヤマトから見て、西にある都、西都。
西都という地名をつけるほど、ヤマトにとって日向は想い焦がれた土地だった。
そこに帰還した人々の喜びはいかほどだっただろう。
弥生文化発祥の地として、ヤマトの出発地として、永久に忘れることがないように、その印を土地に刻みつけるほどだったのだ」
平城の言葉に熱がこもっている。平城も弥生文化人に感情移入しているのだ。
「平城さん、でも西都という地名をつけただけでは、現代でもそうですけど、すぐに由来とかは忘れ去られますよ。
ヤマトも本気で忘れたくないなら、もっと忘れないような方法で刻みつければ良かったのに」
平城が深呼吸する。
「沙良君、すまない。またスマホだ」
はい! と応えて、沙良がすぐにスマホを準備する。
「どこを表示しましょう? 日向ですか?」
平城が沙良を見つめた。
「ここだ」
沙良がわずかに首を傾げる。
「沙良君、ここだ。この藤原宮を表示してくれ」
沙良があわててスマホを操作する。
健吾も、平城がなにをしようとしているのかがわからない。
「はい、出ました! 藤原宮跡です」
平城は沙良からスマホを受け取る。そして健吾と沙良に見えるように操作した。
「藤原宮がここだ」
平城が今まさに三人が立っている場所に星印のマークをつけた。
「そして、耳成山、天香久山、畝傍山」
平城は大和三山のそれぞれの頂に星印をつけていく。
大和三山が描くきれいな二等辺三角形の、その中央に藤原宮の星印が光っている。
「そして最後に、ヤマトがはじめて作った神社、大神神社の神体、三輪山がここだ」
平城は三輪山の頂に星印をマークすると、二本の指で画面をズームアウトした。
「これを見てくれ。どう見えるか教えてくれ」
健吾と沙良は、画面にマークされた五個の星印を見つめる。
沙良が声を上げた。
「これってもしかして、ええと、畝傍山を頂点にして耳成山と天香久山を結んで、畝傍から三輪山を線で結べば」
健吾も気がついた。
「矢印が出来る」
三輪山と畝傍山を結ぶ長い直線の上に、藤原宮がある。そして畝傍山からその両側に斜めに広がるように、耳成山と天の香久山を線で結ぶ。
画面上に巨大な、左斜め下を向く矢印が浮かび上がった。
沙良がスマホから目を離して、周囲をぐるりと見まわした。そこからは、畝傍山、耳成山、天香久山がすべて見渡せた。
「平城さん、この矢印が指す方向って、もしかして」
「この矢印の方向をよく覚えておくんだ」
沙良があわててスマホに目を戻す。
平城がゆっくりと地図をズームアウトする。地図はどんどん広域表示になり、ついに西日本全体を表示するまでになった。
大和三山と三輪山が作る矢印は、もう細かすぎて見えない。
しかし、矢印の方向は明らかに、宮崎県に向かっていた。
言葉が出なかった。今日、もう何度目になるのかわからなかったが、健吾はまた言葉を失っていた。
沙良は両手で口を覆い、スマホの画面をにらみつけたままだ。
「この矢印は、まっすぐに日向、西都を示している。
これが、ヤマトが刻みつけた、忘れてはいけないものを示す矢印だ」
健吾と沙良は、しばらく黙ったままスマホの画面から目を離さなかった。
あり得ない。こんなものが現実に残っているなんて、あり得ない。
健吾は信じることができない。それほど、衝撃的な矢印だった。
「でも」
かろうじて健吾は口を開く。
「自然の地形でこんなきれいな矢印ができるなんて思えないです。どうして」
平城がにやりとする。
「ほとんどが元々そこにあった自然の地形だ。
だが、耳成山は違う。よく見るがいい」
平城はふたたびスマホを操作して、地図をズームした。スクロールして耳成山付近をさらにズームする。
耳成山が、平地の真ん中にぽつんと表示された。
「おそらく耳成山は、平地にあった独立峰だったのだろう。
しかしこの山の形を見るがいい。あまりに整いすぎていると思わないか」
健吾が大きな声を出した。
「それじゃ、耳成山はこの矢印を作るために、加工されて調整された山だってことですか」
沙良がまたあわてて耳成山の方向を見る。美しい形をした山が、影絵となってそこにあった。
「そう考えなければ、このあまりに正確で美しい矢印ができるわけがない。矢印はぴったりと西都を指し示しているのだから」
「そんな……」
健吾は平城の手からスマホを受け取り、自分でもう一度操作する。
画面にふたたび、巨大な矢印が表示された。
もはや、反論という言葉さえ浮かばなかった。
地上絵だ。これはまさしく地上絵だ。ナスカと同じく、この矢印は巨大な地上絵になっている。
健吾はスマホを沙良に手渡すと、平城を見つめたまま動くことができなかった。
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