第40話 失われた記憶(1)

 平城が再び歩き出した。藤原宮中心部を、大極殿跡に向かって歩く。健吾と沙良もそのあとに続く。

 平城が歩きながら話し始めた。


「ヤマト弥生文化人が出雲と邪馬台国を滅ぼしたあと、一番恐れたのはその怨霊だった。

 出雲には古事記に記述があるように、天にまで届くほど大きな社を造り、出雲縄文人と縄文文化を祀った。

 邪馬台国では、さらに大きく強力な社が必要だった。

 邪馬台国縄文文化と共に、卑弥呼の霊を閉じ込める必要があったからだ。卑弥呼の霊が二度とこの世に蘇ることのないような結界が必要だったのだ。

 大きな社だけでは不十分だった。どれほど巨大な社であろうとも安心はできない。

 それほど卑弥呼は強大だったのだ。

 そしてヤマト弥生文化人は、結界を物理的距離に求めたのだ。

 陸地から六十キロ彼方の小さな島。周囲すべてを海に囲まれた孤島、沖ノ島を、卑弥呼を葬る場所としたのだ。

 卑弥呼は、いわば島流しにされたのだ。二度と本土に戻る手段のない、海の彼方に。

 ヤマト弥生文化人は邪馬台国を滅ぼしたあと、その地にあった卑弥呼の墳墓を暴き、遺体、遺骨を沖ノ島まで運んだのだ。そうしなければ、卑弥呼復活の可能性を残してしまうからだ。

 沖ノ島に卑弥呼の遺体を運び葬り、沖ノ島を封印する。

 これが、邪馬台国戦争の戦後処理だ。


 それでもまだ、ヤマトは安心できなかったに違いない。

 後世、日本神話と神道が確立したとき、大和朝廷は卑弥呼の霊を監視するために強力な三人の神を置くことにしたのだ。

 宗像三女神。

 この女神たちはとてつもなく強力な神だ。

 アマテラスとスサノオの誓約のとき、スサノオの十拳剣とつかのつるぎから産まれた神々だ。

 いわばアマテラスとスサノオを両親とする、剣の象徴として産まれ出た神なのだ。

 今でこそ交通の神として崇められているが、三女神はその出自から間違いなく、戦う神だ。

 荒ぶる神スサノオを父とし、武装したアマテラスを母とする、剣から直接産まれ出た神なのだから。

 卑弥呼の霊は三女神に監視され祀られることになり、現宗像大社が成立した。


 たとえ卑弥呼の怨霊が蘇り本土へ還ろうとしたとしても、沖ノ島で田心姫神タゴリヒメノカミに、大島で湍津姫神タギツヒメノカミ、最後の九州上陸前に市杵島姫神イチキシマヒメノカミを打ち破らなければならない。

 三重に張られた防壁は、さすがに卑弥呼でも突破は難しいのではないか。

 こうしてヤマト弥生文化人、大和朝廷はようやく安心できたのだ。

 沖ノ島は現在でも、神職以外立ち入り禁止の無人島となっている。おそらく卑弥呼が葬られたそのときから今日まで続く、封印なのだ。


 ヤマトはその後も沖ノ島を決して忘れたわけではなく、定期的な祭祀を行っている。それも最高レベルの祭祀を継続して行い続けたのだ。

 どれほど卑弥呼を恐れていたのかがここに表れている。

 近年、沖ノ島調査で発見された遺物は総計八万点以上に上っており、そのすべてが国宝指定されている。

 “海の正倉院”とも呼ばれる沖ノ島で、とてつもないレベルの祭祀が行われていたことがはっきりしているのだ」


 平城が言葉を切った。

 沙良がつぶやく。

「国宝、“宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品”……」

 健吾は、無言のまま平城のうしろを歩いていた。

 言葉が出てこなかった。まさか本当にオリジナルな説を、本当に卑弥呼の埋葬場所までを平城が考察しているとは思っていなかった。

 これまでいくつも、ここが卑弥呼の墓だという説を眺めてきたが、信憑性はどうであれ、これほどわくわくする説に健吾は触れたことがなかった。

 もしかしたら、本人から直接聞いているということが大きいのかもしれない。それでも健吾は、あり得るかもしれないという感想を抱いたことに間違いはない。

 健吾は、自分に足りないなにかがそこに見えた気がした。自分がこれから歴史を考える上で、忘れてはいけないなにかに触れた気がしていた。


 ゆっくりと大極殿跡に向かって芝の上を歩く平城に、沙良がうしろから声をかけた。

「あの、ヒサヒデさん。もしかしたらものすごく細かなことかもしれませんけど」

 平城が立ち止まって振り向く。

「気になることがあるなら教えてくれ」

 沙良は平城に追いついて横に立つ。すぐに健吾も追いついた。

「あのですね、卑弥呼は沖ノ島に流されて、九州に向かっては三女神が守っているから行けないとしても、でももしかしてうまく沖ノ島を逃げ出したら、ええと、例えば日本海を東に行って、盟友であった出雲方面に向かうってことはないですか。卑弥呼の怨霊」

 平城が、ほうとつぶやいて沙良を見つめた。

「面白いことに気がつくな。沙良君」

「ご、ごめんなさい。重箱の隅つっつくみたいなことですよね。忘れてください!」

 沙良が肩をすぼめて謝る。

 平城は深呼吸してから、沙良を見つめた。

「いや、謝ることではない。

 沙良君が考えたことはおそらく、大和朝廷も恐れたことだと思う」


「え?」

 沙良がびっくりして顔を上げた。

 健吾も驚く。まだ続きがあるのだ。

「というと平城さん、大和朝廷はなにか対策してるということですか。卑弥呼の怨霊が九州に向かわないで、東に、出雲に向かった場合のことを考えて」

「していると思う」

「どんな対策ですか」

 平城がまた歩き始めた。ふたりが続く。

「卑弥呼が流された沖ノ島に宗像三女神が監視神として配置されたと同時期に、出雲ではオオクニヌシを配置する出雲大社の造営が始まっていたはずだ。八雲山をうしろにして縄文の怨霊を監視し祀るための社だ。

 その出雲大社だが、若者、君は大社造りという建築様式を知っているか」

「ええと、すみません。出雲大社が大社造りというくらいしか」

「私もあまり詳しくはないし、実際に内部を見たこともないのだが、出雲大社の造りはとても面白いことになっている」

 沙良が両手を口にあてて、あっ、と声を上げた。

「出雲大社のテレビの番組で見ました」

 平城が沙良を見てうなずく。

「そうだ、沙良君。

 不思議なことに出雲大社では、祭神であるオオクニヌシは参拝客の方向、つまり正面である南を向いていないのだ。

 出雲大社本殿内部で、オオクニヌシは西に向かって鎮座している」


 健吾は平城を見つめたまま動きを止めた。西日本の地図が頭に浮かぶ。そんなことがあるのか。あまりに出来すぎている。

「平城さん、それはつまり、オオクニヌシは八雲山の怨霊を監視すると同時に、西から来るかもしれない卑弥呼の怨霊も監視しているってことですか」

「さすがに私も、出雲大社のオオクニヌシが卑弥呼の監視ために西を向いていると決めつけるわけにはいかない。

 しかし現実に、オオクニヌシは西を向いているのだ。

 西を向かせた本当の理由がどうであれ、私としては卑弥呼の怨霊監視のためとしたいところだ。

 最強の対怨霊神として創造されたオオクニヌシは、大和朝廷による大社造りの構造により、卑弥呼の怨霊をも監視している。

 そう考えた方が、話は面白くなると思わないか」

 ここまで話が出来すぎていると、さすがに健吾も背筋に寒気を感じる。


「私は建築に詳しくないからこれ以上は話せないが、ただもうひとつだけ例を知っている。

 出雲大社から東に向かっていき、宍道湖を越えた松江市にある神魂神社かもすじんじゃだ」

 沙良が反応した。

「神魂神社! 大社造りの本殿が国宝ですよね!」

「そうだ。この神魂神社の大社造りだが、実は出雲大社とは違い、祭神は東を向いている」

 え? と健吾は疑問に思う。そうなると、出雲大社の西向き大社造りは定型ではないということになる。定型ではないとすれば、大社造りは特に西を監視するための造りではない、と考えられるのではないか。

「そうなると平城さん、オオクニヌシが西を向いているのは、やはり別の理由ということも」

 平城がにやりとした。

「そう考えてもいいところだが、しかしやはりここは地図を見るべきだ。沙良君、すまない、また地図を頼む」

 はい! と返事をして沙良はすばやくスマホを取り出した。

「どうぞ! 神魂神社です」

 平城と健吾が画面をのぞき込んだ。次の瞬間、健吾があっ、と声を上げる。

「若者、見ればわかるだろう? 神魂神社は宍道湖と中海に挟まれた地域にある。中海のその東は、美保湾だ」

 沙良が自分の手にあるスマホを見ながら、もう片手で口を覆った。

「これって、東の海を監視してるってこと、ですか」

「確証はもちろん、ない。ただ、そう考えてもいいという状況だ。

 沖ノ島から日本海を渡り出雲へ向かう卑弥呼の怨霊は、オオクニヌシの監視のために西からは出雲へ入ることができない。

 すると次に卑弥呼が取る手としては、日本海をぐるっと回り美保湾から上陸し、中海、宍道湖を経て出雲へ入るルートだ。

 そのルートを塞ぐために、大和朝廷は神魂神社の東向き大社造りをそこに配置した、という考えはどうだ。

 これも面白い考えだろう?」

 ここまで出来すぎていると、面白いとかいう笑い事では済まないような気さえ、健吾はしてきていた。また少し、背中に寒気を感じる。

 大社造りは、その内部構造を状況によって変化させ、どちらから怨霊がやってくるのかを想定した上で神を配置する造りなのではないか。

 そう考えたくなってくるくらいに、平城の話はうまく出来すぎている。

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