第39話 卑弥呼の社(2)

 藤原宮跡。奈良県橿原市から明日香村にかけて広がっていた藤原京の中心部だ。

 畝傍山、天香久山、耳成山で構成される大和三山が作る二等辺三角形の中央に位置している。研究によれば西暦676年、四十代天武天皇により建設が始まり、704年に完成したといわれている。

 遷都は694年。以降710年まで、持統、文武、元明の三代に渡って都が置かれていた、日本史上初の本格的な条坊制都城だ。

 最近の研究によれば、藤原京は規模において平城京、平安京を凌ぐ古代日本最大の都であったことが判明している。

 現在は藤原宮大極殿跡の土壇を中心に門の柱を一部復元した列柱が並べられるなど、広大な史跡公園となっている。


「ヒサヒデさん! 聞いていいですか?」

 平城が歩きながら応える。

「ふたりでなにかひそひそ話をしてたな。なんだ、いったい」

 西の入り口からは、東向きの道がまっすぐに藤原宮跡中央部に続いている。周囲は広大な広場だ。

「ひそひそ話ではないですけど、若者くんと相談して、もういっそのこと聞いちゃおうってことになったんです!」

「なにをだ」

「卑弥呼のお墓です!

 ヒサヒデさん、さっきの話に卑弥呼のお墓が出て来たじゃないですか。でも卑弥呼のお墓ってどこにあるのかわからなくて、日本中が探してますよね」

 広大な藤原宮跡に、今は三人しか歩いていない。左ななめ前方に一か所だけ小さな森のような場所が見えている。藤原宮、大極殿跡だ。

「それを私に答えさせようというのか。なかなか酷な質問だ」

 健吾も平城に追いついて、横に並ぶ。

「それで、どうなんですか平城さん。卑弥呼の墓、オリジナルな説があるんですか」

 平城が声を出して笑った。

「オリジナルな説か。オリジナルな造形なら慣れてるのだが」

「茶化さないでください。沙良さんも僕も、さっきのナガの話聞いたときからうずうずしてるんですから」

 平城が立ち止まる。前方には大極殿院閤門こうもんの赤い復元柱が二十四本、地面から一メートルほど突き出して並んでいる。

「よし。それでは答えよう。

 卑弥呼の墓だが、私にはわからない。おそらく平原遺跡あたりが適当だろう」

 健吾が、がくっと頭を落とす。沙良も口を半開きにして平城を見つめるだけだ。

「平城さん、あそこまで考えておきながら、最後の詰めがないじゃないですか。それはないですよ」

「なぜだ。スサノオの考証なら、ほとんど終わってるはずだ」

「だってヒサヒデさん、天武陵で確か、最後まで行くって……」

 沙良が小さな声で文句らしきことをつぶやいた。

「今日のお話を聞いていて思ったんですけど、弥生文化に滅ぼされた出雲に、おっきな出雲大社があって、そこに出雲人と出雲縄文文化が祀られているなら、同じく弥生文化に滅ぼされた邪馬台国にもおっきな神社があって、そこに卑弥呼が祀られていてもいいんじゃないかって思ってたんですけど……」

 健吾も沙良に続く。

「そうですよ、平城さん。ありきたりでもいいので、せめてどこかに比定してくれないと。尻切れトンボじゃないですか」

 平城がふたりを交互に見つめた。


「そういうことなら、なんとかしよう」

 そう言うと、平城は沙良の方を向いた。

「沙良君、そのとおりだ」

 沙良が顔を上げた。

「え? そのとおりだっていうのは」

「大きな神社の話だ。まったくもってそのとおりだ。

 出雲に巨大な出雲大社がある。そこには大神神社と同じく、滅ぼされた出雲縄文人の霊と、出雲縄文文化が祀られている。

 それならば、邪馬台国でも出雲大社クラスの巨大社があり、邪馬台国と卑弥呼の霊が祀られているのではないか。

 もっと言えば、邪馬台国は祭祀の中枢であり、卑弥呼はあまりにも強力な存在だ。

 経済軍事の中枢である出雲であれだけの大社を造るなら、祭祀の中枢である邪馬台国ではさらに大きな社を造らなければおかしい。

 なぜなら、弥生文化人が恐れるものは怨霊だからだ。

 怨霊としての強大さでは、卑弥呼は出雲とは比べ物にならない。祭祀の中枢、卑弥呼こそがヤマトにとって、最強最悪なのだ。

 その卑弥呼を祀るのだ。そんじょそこらの神社では卑弥呼の霊を隔離することはできない。

 つまり邪馬台国付近で、北部九州で、出雲大社以上の大きさの神社を見つけさえすれば、ほぼ間違いなくそこが卑弥呼の墓であり、卑弥呼と邪馬台国縄文文化を祀った場所なのだ」


 一気に話した平城を、健吾は唖然として見つめた。

「平城さん、まさか、考えてるんですか」

 平城がにやりとする。

「若者、私は、卑弥呼の墓、つまり元々卑弥呼が埋葬されていた場所はわからない、と言っただけだ。卑弥呼は248年に死んでいるのだから。

 しかし270年前後に行われた邪馬台国戦争のあとで、卑弥呼は神功皇后によって元々の墓から出され、改めて埋葬され隔離された。

 その場所は、わかっている」

「ほんとですか!? ヒサヒデさん!」

 沙良が飛び上がって叫んだ。

 平城がゆっくりと歩き始めた。前方の復元列柱へ向かっている。

「出雲大社よりも巨大な社。そこに卑弥呼は祀られている。

 これは至極当然の考え方だ。

 そしてだ、きちんと条件に該当する巨大神社も存在している。

 そこは北部九州であり、出雲大社を上回る巨大さがあり、卑弥呼の霊を隔離するにふさわしい厳重さをクリアしている祭祀施設だ。

 しかし私は今まで、そこが卑弥呼の墓だという説を聞いたことがない」

 健吾は復元列柱に向かう平城に追いつき、横に並んだ。

「ちょっとガラにもなく興奮してきました。きましたけど平城さん、僕にはその神社が思いつきません。そんな大きな神社なら当然知っていても良さそうなんですけど」

 沙良も健吾の反対側で平城に並んだ。

「卑弥呼のお墓、卑弥呼の神社。ええと……。だめだ! 思いつかない!」

「平原遺跡ではないんですよね」

 平原遺跡は福岡県糸島市にある遺跡だ。弥生時代後期と考えられており、鏡が四十面出土している。そのうち五面は直系46.5センチの大きなもので、三種の神器のひとつである八咫鏡やたのかがみと同じ大きさであり、なんらかの関係があるのではないかと議論されている。

 この四十面の鏡をはじめ多数の出土品が出ており、そのすべてが国宝指定されている。邪馬台国との関係が議論される重要な遺跡だ。

「平原は、卑弥呼が248年に埋葬された本来の墓である可能性はある。出土品がただごとではないからだ」

「もしかしてやっぱり宇佐ですか?」

「宇佐はさっき、台与の墓だと考えたい、と話したはずだ。それに小さすぎる。警戒が厳重でないと言ったのは、若者、君だ」

 平城が列柱の東南角を折れ、北に足を向けた。健吾と沙良が平城の横で明らかに焦れている。

「だめだ、平城さん、思いつきません。お願いします。教えてください」

「ああ、もうー! ヒサヒデさん、教えてくださいー!」

 平城が復元列柱の北東角で立ち止まった。くるりと振り返り、健吾と沙良と向かい合う。

「君たちの反応が面白いから少し焦らしてみた。すまない」

 平城が意地悪くにやりとする。

「宗像大社だ」


 平城がぼそりと言った。

「私は宗像大社こそが、卑弥呼と邪馬台国を祀った場所だと考えている」

 健吾と沙良の動きが止まる。

 数秒の間があり、健吾と沙良が同時に独り言のようにつぶやいた。

「む、宗像大社?」

「む、むなかたたいしゃ?」

 にやりとして、平城がうなずいた。

「そうだ。宗像大社以外は、考えられない」

 再び数瞬の間を置いて、健吾が大きな声を出した。

「ちょっと、ちょっと待ってください平城さん。宗像大社なら僕も知ってますけど、あそこは決してそんな大きな社ではないですよ。

 もちろん有名で由緒正しい神社ではありますけど、出雲大社と比較すると、どう考えても」

「む、宗像大社まではまだ行ったことがないです」

「僕も行ったことはないですけど」

「まあ確かに、それほど大きな社殿ではないな。認めよう」

「ちょっと平城さん!」

 平城は沙良に顔を向ける。

「沙良君、スマホは持ってきたか。地図は表示できるか」

 あ、はい! と言いながら沙良は肩から下げたポーチからスマホを取り出した。

「宗像大社付近を出してくれないか」

 沙良はうなずいて、スマホを操作する。

「若者、君は見方が平面的なのだ。もっと別の角度から、宗像大社を見直してみるといい」

「別の角度、ですか?」

「はい! 出ました。宗像大社です」


 沙良が平城と健吾に見えるようにスマホを差し出す。

 画面には宗像大社の辺津宮がある宗像市を中心とした周辺が表示されていた。

「若者、宗像大社とはどんな神社かは、もちろん知っているな」

 平城は沙良からスマホを受け取り、地図のズームイン、ズームアウトを試している。

「祭神は宗像三女神ですよね。さっき少し話しましたよね」

「そうだ。では宗像大社が三つに分かれていることも知っているな」

「ああ、はい。三女神それぞれに社殿があるという記憶が」

 平城は沙良にスマホを返す。

「沙良君、地図上にマークすることはできるか」

「できます! 指定の場所に星印つけられます!」

「では頼む。これから指定するところをマークしてくれ」

 沙良を中心にして、平城と健吾がスマホをのぞき込む。

「いいか、ここが“辺津宮”へつぐうだ。市杵島姫神イチキシマヒメノカミを祀っている。九州本土だ。沙良君、マークを頼む」

 沙良の細い指が、九州本土の宗像大社と表示されたところをタップする。星印が光った。

「沙良君、少しズームアウトして」

 沙良の二本の指がスマホの画面を撫でる。画面が少し広域表示になった。

「ここが“中津宮”なかつぐう。祭神は湍津姫神タギツヒメノカミ。大島にある」

 沙良が九州本土から少し離れた島、大島上をタップする。中津宮が星印でマークされた。

「沙良君、ズームアウトだ。そうだ。もう少し」

 沙良の二本の指が画面上で閉じていく。大島の沖に、小さな島が表示された。

「最後にここが“沖津宮”おきつぐう田心姫神タゴリヒメノカミ。沖ノ島だ」

 そのままでは沖ノ島は小さすぎてはっきりとしない。沙良は沖ノ島をズームインして、沖津宮と表示された地点にマークしてからもう一度ズームアウトし、三つの星印がすべて画面上に収まるように調整した。

 平城が二人の顔を交互に見る。

「さあ、どうだ」

 健吾と沙良が同時に首を傾げる。

「さあどうだって言われても。三つ星がつきましたね……、あ!? あ!」

 健吾がもう一度スマホの画面をのぞき込んだ。

 沙良がスマホを持ったまま、その場で小さく飛び跳ねた。

「あー! そうか! そういうことなんだ!」

 平城が満足そうに、のぞき込んでいたスマホから顔を上げた。

「わかったか。九州本土の辺津宮から、大島の中津宮まで十一キロ、さらにそこから沖ノ島の沖津宮まで四十九キロ。

 これが全部ひとつの、宗像大社なんだ」

 健吾と沙良は再びスマホをのぞき込んだまま、動きを止めている。

 平城が続けた。

「上空から見て、全長六十キロの神社だ。

 これほど巨大な神社、祭祀施設は、世界を見渡してもほとんどあるまい。

 誰が見ても明らかだ。出雲大社をはるかに凌ぐ、我が国最大の巨大神社だ」

「これは……、確かに」

 健吾の声がかすれていた。

「これは、しゃれにならないレベル……」

 沙良がスマホを見つめたまま、小さくつぶやいた。

 福岡県北九州市から長崎県佐世保市までが広域表示された画面の中で、宗像市を起点とする三つの星印が直線となり、玄界灘に向かって真っすぐに伸び出していた。

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