第38話 卑弥呼の社(1)
天香久山の麓を通り、ヴィッツは大和三山の内部へと入っていた。畝傍山、耳成山、天香久山で構成される大和三山。その中央に藤原宮跡はある。
沙良は藤原宮跡の北西角にある駐車場にヴィッツを乗り入れた。すでに日は葛城山地の向こうに隠れ、駐車場には他の車も停められていない。まだ明るいが、やがて急速に夜が訪れるだろう。
駐車場にヴィッツを停めたあとも平城の話は続き、健吾と沙良は座ったままその話を聴いていた。
沙良がアイコスを手に取った。
「次の大王って、応神天皇ですよね」
健吾がうなずく。
「そういうことになりますね。ナガは神功皇后なんだから。
おまけに神功皇后が北九州各地に残している伝承や事績とかもぜんぶ、平城さん話の中でやっちゃいましたね」
神功皇后とその皇子である応神天皇の出生譚、伝承は北部九州各地に残っており、実在したとすれば明らかに北部九州と繋がりが深い人物であったことは間違いない。
沙良が振り向いて後席の平城に顔を向ける。
「ヒサヒデさん、
弥生時代の話であり平城の想像の中での出来事なのだが、沙良はやはり心配そうだ。
台与は十三で卑弥呼の跡を継ぎ、その約二十年後に捕らえられたのだから、その時点で三十代ということになる。年齢的に近いことや同性だということも、沙良の感情を刺激するようだ。
平城もアイコスのグレーのケースを手に持っていた。
「台与は、宇佐に送られる。宇佐で処刑されたのだと思う」
沙良ががくりと頭を落とした。
「ああ、やっぱり。そういうことになっちゃいますよね」
「しかたがない。神功皇后は縄文文化を感じさせるものを、一切残す気はなかったのだから」
健吾も振り向いて平城に顔を向けた。
「すると平城さん、今の宇佐神宮はやはりそのときが起源ってことですか」
平城がうつむいてアイコスをくわえた。
「たぶん、としか答えようがない。これこそ根拠はなにもない。
私はスサノオのことを考えていて、宇佐神宮だけがどうしてもわからなかった。どうして宇佐なのか。どうしてあの場所に宇佐神宮があるのか、ということが」
「宇佐神宮を邪馬台国に比定したり、卑弥呼の墓だという説もありますけど、平城さんの場合は、宇佐は比定地じゃないですからね」
「そうだ。しかし宇佐神宮は現実にそこにある。
それで地図を見ていて思いついたのだ。宇佐は、北部九州を攻めるときにはどうしても必要な戦略拠点だとね」
宇佐神宮は大分県宇佐市にある、八幡宮の総本社だ。社殿の創建は725年とされているが、信仰自体は巨石を祀る磐座信仰だろうともいわれており、かなり古くなる。
祭神は応神天皇、
沙良が怯えたような小さな声を出した。
「それでナガは、台与を宇佐の前線基地に連れて行って、そこでひどいゴウモンして……」
「ちょっと待て、沙良君。私はそこまでは話してないぞ。感情移入し過ぎてはいけない」
はっと気づいたように沙良が顔を上げる。
「あ、ごめんなさい! あたし、この前『悪の法則』っていう映画を観ちゃって、それからどうも」
「リドリー・スコット監督だな。素晴らしい映画だが、確かに沙良君にはキツすぎる。直接表現が抑えられていた分、想像力を刺激される恐ろしい映画だった」
健吾がうつむいた。
「すみません。僕は観てません」
平城が笑った。
「十年後に観るといい」
「それで平城さん、台与は宇佐のヤマト・吉備連合の基地で処刑されて、遺体が埋葬された場所が三輪山や八雲山と同じく封印されたってことですよね。そして監視神が配置された。
でも、女王の割にはなんだか他と比べて、なんというか宇佐神宮には悪いですけど」
「宇佐神宮には悪いが、規模が小さい気がするということか?」
「ええと、印象だけなんですけど、他と比べて警戒が厳重じゃないというか」
平城が白い水蒸気をはき出しながら応える。
「まあ、わからないこともない。そんな印象だ。
それはおそらく、ヤマト側の台与に対する評価が反映されているのだろう。卑弥呼ほど台与は力を持っていなかった。
それでも両脇を固める監視神には邪馬台国討伐の主役、神功皇后とその皇子である応神天皇だ。やはり相当なものとも言えるぞ」
健吾は顔を上げる。
「比売大神は宇佐神宮の二之御殿に祀られているわけですけど、参拝する人から見ると、中央に祀られているように見えるのが二之御殿なんですよね。両脇に一之御殿と三之御殿があるという。
これは有名な話で、だから宇佐神宮はほんとは比売大神が主祭神ではないかともいわれてるわけで、卑弥呼に比定されたりしてるんですよね」
「宇佐神宮の本殿三棟ですね! 国宝だ! まだ観てない!」
沙良が声を上げる。どうやら元気を取り戻したようだ。
平城が吸い終わった煙草カートリッジをアイコスから抜き、携帯灰皿に放り込む。
「比売大神は、謎の神だ。
比売大神は宗像三女神とする、という宇佐神宮の公式見解は出ているが。
しかしそうするとやはり、なぜ宇佐に宗像三女神が祀られているのかがわからなくなる。比売という女性を表す言葉以外に、説得力がないのだ。
私はやはり、比売大神は台与であり、台与の霊を封印して監視している場所が、宇佐神宮の起源になったと考えたい」
健吾がうつむいてうなる。
「なるほど」
平城はアイコスホルダーをケースに収めると、ジャケットを持ちヴィッツのドアを開けた。
「暗くなる前に藤原宮跡を見に行こう。せっかく来たのだからな」
平城の言葉を合図に、健吾と沙良も車から降りた。
平城は今日初めて、黒い皮のジャケットに袖を通していた。
ほんとに真っ黒だな。平城のうしろから少し遅れて沙良と並んで歩く健吾は平城の後姿を見ながらそう思う。
隣を歩く沙良が、健吾に顔を寄せて小声でささやいた。
「若者くん、さっきのヒサヒデさんの話、聞いてましたよね。金印と卑弥呼のお墓」
健吾も少し声を落として沙良に応える。
「うん、聞いてました。金印が話に出てくるということは、平城さんほんとに金印の在りかを推理しちゃってるのかな」
「ですよね。卑弥呼のお墓もですよ!」
ふたりは歩きながら顔を見合わせる。健吾よりも背が低い沙良は、どうしても健吾を見上げるような形になってしまう。
健吾は沙良の瞳に耐えられずに目を逸らしてうつむいた。
顔が赤くなっていないといいけど。陽も落ちてるし大丈夫かなと思いながらも、健吾は照れ隠しのように話し始めた。
「
これまでの平城さんの話は確かにオリジナリティがあってすごかったけど、さすがに卑弥呼の墓と金印は、そうそうぶっ飛んだことは考えられないんじゃないかな。
仮になんらかの結論を平城さんが持っていたとしても、そうは驚くような場所ではないと思うんですけど」
歩きながら沙良もうつむく。
「ですよね。これだけたくさんの説が乱立してるんだから、そのどこかってことになりますよね、いくらなんでも」
「平城さんは邪馬台国北部九州説なんだから、卑弥呼の墓は平原遺跡あたりに落ち着かなければ、逆におかしい気もします。
金印もその近くってことになるんじゃないかな。他に考えられないですもん。
問題は場所がありきたりでも、説得力があるかどうかですよ。僕はその方が楽しみかな。平城さんがほんとに考えているならってことですけど」
「ヒサヒデさんのことだから、日向! とか言うんじゃないかな。日向、好きみたいだし」
健吾がちらりと沙良の横顔を見てから微笑む。
「日向でもいいですけど、説得力を持たせられるかなあ」
沙良が、ぴょんと健吾の眼の前に飛んで、顔を近づける。
「ねえ、もういっそのこと聞いちゃおうか。ヒサヒデさん任せだと、いつ聞かせてくれるかわからないし」
健吾は目の前の沙良にうろたえて、頭だけを遠ざける。
「で、ですね。聞いちゃいましょう。沙良さん、聞いてみてください」
沙良がウインクする。
「了解!」
くるりと振り向くと、沙良は少し前を歩く平城のところへ駈けていく。健吾も早足で沙良を追った。
ちょうど藤原宮跡の西側に作られた入り口に、平城が足を踏み入れるところだった。
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