第36話 三貴神

「平城さん、ヤマトは、それと日向はどこにいったんです?

 スサノオが葦原の中つ国すべてを治めているということなら、そこにヤマトや日向も入っているはずですよね」

 これが反論になるのかどうかは健吾にはわからなかったが、なにかを聞かなくちゃと健吾は思っていた。

「ヤマトと日向はそもそも、葦原の中つ国に含まれていないのだ。

 そのふたつの国は、イザナギの支配地域分担ですで割り当てられているからだ。

 いいか、アマテラスは高天原と昼の世界の支配者だ。そしてアマテラスは現在もこの国の最高神だ。言い換えれば、アマテラスは弥生文化の中心に祀られている神なのだ。

 すなわち、アマテラスが治める国は陽が射す弥生文化のクニ、ヤマトそのものだといえる。

 そしてヤマトがアマテラスのクニであるなら、その対となるもうひとつの重要なクニは、純粋な弥生文化の発祥地である日向だと考えるのが当然じゃないか?

 私はイザナギが禊のときに産み出した三貴神というのは、左目がヤマトで右目が日向、そして鼻からはそれ以外の縄文文化圏のクニ、吉備、出雲、邪馬台国であったと考えている。

 やはり、ヤマトと日向は弥生文化人にとっては特別な土地だったのだ。特に日向は、ヤマトの人々にとっては決して忘れてはならない故郷の土地だった。

 だからこそ太陽と対を成す月を割り当てて、その存在を特別視したのだ。

 ツクヨミがアマテラスと同列の神でありながら、神話内でほとんど活躍することがないのは、日向が記憶の中の憧れの土地であり、当時の歴史の表舞台に出てくることがなかったからだ」


 沙良が右手を口にあてて考え込んでいる。そしておずおずと口を開いた。

「あの、ヒサヒデさん。七番でしたっけ、岩戸隠れのとこ。

 三貴神のツクヨミが月で、それが日向だとすると、アマテラスの岩戸隠れはどうなるんですか?

 岩戸隠れをどう解釈するかっていうのは、いろいろといわれていると思うんですけど」

 健吾が顔を上げて、そうか、とつぶやいた。

「沙良さん、そうですよ。

 平城さん、アマテラスの岩戸隠れは卑弥呼の死を表現しているんじゃないかっていわれてますよね。

 ちょうど247年と248年に皆既日食があって、それが卑弥呼の死と結びつけられて岩戸隠れ神話になったんじゃないかって」

 平城が目を大きくして、ほうとつぶやいた。

「君たち、面白いぞ。

 卑弥呼の死を日食に結びつけるのはメジャーな説だと思うが、そこに月が関係しているという話は、私ははじめて聞いた」

 沙良があわてたように早口になる。

「あ、いえ、あたしはただ岩戸隠れは日食と覚えてたから、なんとなくそこからの連想で月が思い浮かんだだけで、ちゃんと考えてるわけでは」

 健吾も首をひねる。

「あれ、ですよね。僕もなんとなく日食からの連想で聞いただけなんですけど。すみません、まだ考えが整理できてないです」

 平城はチョコボールをひとつ口に入れてから、身を乗り出した。

「その連想ができるだけで大したものだ。普通はそういう連想さえしない。

 いいか、アマテラス、あるいは卑弥呼の死のときにたまたま日食が起きた。この日食がアマテラス、あるいは卑弥呼の死に結びつけられて岩戸隠れ神話になった。

 これがメジャーな説だ。

 しかし、これはよく考えるとおかしな話だ。

 神話ではアマテラスの岩戸隠れ、すなわち死の原因はスサノオの暴虐だと書かれている。

 しかし、比喩の元になった日食で、太陽を隠すのは月なのだ。

 普通に考えれば、岩戸隠れの原因になるべきなのは、スサノオではなくて、月の神であるツクヨミにならなければおかしいと思わないか。

 神話に整合性を求めるのは無理だとわかっているが、しかしこの部分のおかしさを指摘した説を私は聞いたことがない。

 それを今、君たちがなにげなく指摘したことに驚いている」


 平城にそういわれると確かにこの神話の因果関係はおかしく思える。

「平城さん、すみません。僕はそこまで考えてたわけじゃないです」

「あたしも……」

 平城が前席シートに腕をかけて笑った。

「とっさの連想だとしても、そこから考えは広がるものだ。まずは連想できないと話にもならない」

「それで平城さん、そこまで考えてるってことは、平城さんは岩戸隠れと月を結びつけて考えてたんですか」

「日向をツクヨミ、月と比定したのだから、やはり考えてしまうだろう」

 沙良が声を上げる。

「聞かせてください!」

「僕も聞きたいです」

 平城が一瞬ためらったように、健吾は感じた。

「しかし、完全に私の妄想になるぞ。それを前提としてくれるなら話そう」

「了解です! 妄想大歓迎です!」

「お願いします」

 前席シートに両腕をかけたまま、平城が話しはじめた。


「ヤマト、吉備が発展を続けていた時期、日向は狗奴国の侵略に怯えながらも少しづつ発展していた。

 しかし日向は狗奴国、邪馬台国を攻撃する力を持つまでは至らなかった。西を狗奴国、北を邪馬台国に抑えられていたからだ。日向は宮崎平野、いわゆる日向平野の一部だけに押し込められていたのだ。

 しかし、過去にヤマト、吉備に船出した仲間を見ながらも、あえて日向に残った人々だ。その押し込められたままの状況にずっと甘んじているつもりはなかったに違いない。

 狗奴国、邪馬台国に戦いを仕掛け、日向平野の外に進出したいと願っていたはずだ。

 しかし戦力では圧倒的に劣っている。

 こういう場合、現代戦でも同じことだが、どういう戦略を取るかわかるか」

 健吾が答える。

「吉備がやったような、レジスタンスですか?」

「レジスタンスは占領下で、体制に対して行うものだ。だから日向には当てはまらない。小さいクニながらも、日向は独立していたのだから」

「となると、ゲリラ戦?」

 平城がうなずく。

「ゲリラ戦というよりも、一番手っ取り早くすぐに行動できる戦法として、いきなり敵国の首脳を狙いに行ったのではないかと思う」

「卑弥呼をですか!?」

 沙良がびっくりして大きな声を上げた。

「そうだ。日向は、卑弥呼暗殺部隊を組織して、邪馬台国に送り込んだのだ」

「これはまた、ぶっ飛んできましたね。根拠は、ないんでしたね」

「そうだ。あくまでも私の妄想だ。しかし日向の立場になれば、あり得る手段だとは思っている。

 卑弥呼の死だが、魏志倭人伝にこう書かれている。『卑弥呼以死』。もって卑弥呼死す。そして卑弥呼死す。

 この“以”をどう解釈するかが議論されているのは、若者も知っているだろう」

「以て死す、ですね。もって死すと書かれているのに、魏志倭人伝にはその原因がはっきりとは書かれていないんですよね。卑弥呼の死因は謎のままなんです」

「この“以”をいろいろと解釈をする説の中には、狗奴国との紛争が原因だとする説や、狗奴国の王に殺されたとする説もある。

 ということはだ、卑弥呼が日向の暗殺部隊に暗殺されていたとしても、さほどおかしくはないことになる」

「論理的にはそうですけど、でもそれが神話に結びつくためには、その情報がヤマトに伝わらないことにははじまりませんよね」

 平城がうなずいた。

「当然、伝わっただろう。自分たちの故郷、同胞日向人が成し遂げた快挙として。

 ヤマトは邪馬台国に攻め込んでいる。その地で、日向人たちと会っていたと考えられないか。

 だからこそ、神話として残ったのだ。

 太陽を隠す月。卑弥呼が暗殺されたとき、ちょうど日食が起きた。それが日向と重ね合わされて、神話化される。卑弥呼を排除した日向、として」

 沙良が少し興奮したような早口で話した。

「すると、すると岩戸隠れ神話は、岩戸に隠れたアマテラスが日向に暗殺された卑弥呼のことで、そこから出て来たアマテラスが、ええと、誰になるんでしたっけ」

 平城が沙良の口調に思わずうつむいて微笑む。

「岩戸から出て来たアマテラスは、まあ神功皇后ということにしておくのが妥当だろう。邪馬台国殲滅の司令官なのだから」

「そうか! 神功皇后、ナガか!」

「注連縄のところは沙良君が話してくれたが、アマテラスが出たあとフトタマノミコトは岩戸に注連縄を張り巡らせてこう言った。『これより内側には、二度とお戻りにならないで下さい』と。

 岩戸の中は卑弥呼のいた世界であり、縄文文化そのものだったのだ。

 こう考えれば日食との整合性も担保され、岩戸神話が因果関係も含めて説明できると思わないか」

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