第34話 神話(1)

 健吾と沙良はただ黙って平城の話を聞いていた。

 ヤマト・吉備連合と出雲の戦いの、そのあまりの強烈さに言葉を失っていた。

 健吾は平城の話の内容を検証しようとする批判の気持さえ忘れて、出雲の状況に没頭した。平城のいう絶滅戦争の内容に、戦慄した。

 弥生時代の戦い。歴史をやる健吾にとっても、どこかそれはのどかなイメージを拭えないでいた。しかし、戦いはいつの時代でも人が死ぬ。きちんと想像しさえすれば、それは現代とまったく変わらない凄惨な殺し合いの現場だ。

 沙良がヴィッツを停めた。ふうっとため息をつく。


 近鉄飛鳥駅を左折し、明日香の田園風景の中をしばらく走ったところだった。左ななめ前に天武・持統天皇陵が見えている。

 健吾がスマホを取り出して時間を見ると、十七時を回ったところだった。

「ごめんなさい。少し休ませてください」

 沙良はもう一度ため息をついた。

「すまない。私の想像のままに話したが、少しきつかったようだ」

 平城が謝る。

「いえ! 大丈夫です。あたしがちょっと感情移入しちゃっただけですから」

 沙良はペットボトルを取りあげて一気にごくごくと喉に流し込む。そのあとでチョコボールをふたついっしょに口に放り込んだ。

「平城さん、確かにきつかったですよ。沙良さんの気持はわかります」

 健吾は後席を振り向いて、平城を少しにらむ。

「僕もきつかったですから」

「すまない。確かに少しやりすぎた」

 平城がもう一度謝った。

「沙良君、すまない。あそこの天武陵まで行ってくれないか。そこで少し休憩しよう」

「はい、では動かしますね」

 そう応えると沙良はヴィッツを百メートルほど移動し、天武・持統陵の入り口に作られた駐車場に停めた。


 沙良は車を降りると大きく伸びをした。平城と健吾もヴィッツから降り、手足を伸ばす。

 伸びをしたあとに沙良が元気よく声を出した。

「ふう。もう大丈夫ですよ、ヒサヒデさん!」

「それならよかった。若者、君はどうだ」

 健吾は両手首をぶらぶらとさせながら応える。

「大丈夫です。話の勢いに乗せられてあまり考えられなかったから、今考えてるところです」

 沙良がアイコスをヴィッツから取り出しながら、平城に尋ねた。

「そうそう! あまりの勢いだったから! でもヒサヒデさん、あたし聞きながら思ったんですけど、ナガってもしかして」

「僕もそれを考えていたんです」

 平城がピースをくわえて、ジッポーを取り出した。

「それで、どう考えた?」

 ジッポーがカチンと乾いた音を立てる。

 健吾と沙良が顔を見合わせた。

「沙良さん、どうぞ」

 健吾が沙良に譲る。

「ええと、おそらくなんですけど、もしかしてナガって、神功皇后のことなんじゃないかって」

「僕もそうかなと思って聞いてました」

 平城がピースを大きく吸い、煙をはき出す。

「正解だ。私は、ヤマト・吉備連合軍の司令官に神功皇后を想定している」

「神功皇后、息長帯比売命オキナガタラシヒメノミコト。そのナガから取ったんですよね、名前」

 平城はピースをふかしながら、にやりとする。

「そのとおりだ。オキナガのナガだ」


 神功皇后。十四代仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母だ。

 仲哀天皇は熊襲討伐の途中、北九州の香椎宮で崩御している。神功皇后は仲哀天皇のあとを継ぎ、その後六十九年間執政することになる。

 記紀は神功皇后のために一章を設けており、大和朝廷にとっては特別な存在だったようだ。

 日本書紀は神功皇后紀で晋書の倭の女王についての記述を引用しており、神功皇后を卑弥呼、あるいは台与に比定しようとした節が読み取れる。

 また神功皇后の事績である三韓征伐も歴史的事実としては疑問視されており、大和朝廷による創作の疑いを残している。

 これらの作為的な記述もあり、現在はその在位期間はもとより実在性そのものが議論となっている状況だ。

 健吾は一昨日、平城からの電話があるまで神功皇后のことを考えていたことを思い出す。レポートのテーマは、神功皇后について思うことをまとめよ、だ。

 この話を聞いたあとでは、レポートはしばらく書けないかもしれない。

「しかし平城さん、神功皇后のあんな話は今まで聞いたことがありません。それに年代は合うんですか」

 健吾は思わず尋ねてしまう。しかしその直後、健吾は数字を思い出して、はっと気づく。しまった。平城はそこまで考えている。

「若者、卑弥呼が死去したのは西暦247年か248年だと考えられているな。そして晋書の“倭の女王”の記述が266年だ。これをさっき私は卑弥呼を継いだ台与だと考えると話した。

 そして、日本書紀記載の七支刀、この銘文を私は秦始四年と考えたい。するとこれは西暦268年になる。

 つまり、神功皇后は卑弥呼、台与と同じ時代ということだ」

「七支刀……。石上神宮の国宝、七支刀ですね」

 沙良がアイコスを持ったままつぶやいた。

 石上神宮に伝世する国宝、七支刀。日本書紀には、神功皇后五十二年に百済から七支刀が贈られたとの記述がある。ここに記載された七支刀が、石上神宮の七支刀だとするのが現在の通説だ。

 石上神宮の七支刀には銘文が刻まれているが、年代確定に必要な一部が判読不能になっている。

 銘文の不明部分を『泰始四年』と読むか『太和四年』と読むか。その違いで約百年の差が出てくる。平城はこの部分を『泰始四年』と読む説を採用したのだ。

 平城が続けて話す。

「若者、私には七支刀の銘文が本当はどちらなのか、ということは問題ではないのだ。

 神功皇后に七支刀が贈られたという記事があり、その七支刀に西暦268年という年号が刻まれているとする説があるならば、それで充分だ」

 健吾が反論できないままうなずいた。

「わかります」


「卑弥呼が248年に亡くなり、後を継いだ台与が266年に倭の女王として晋書に記載された。そして七支刀制作の268年から数年の間に百済から神功皇后に七支刀が贈られる。

 現実はどうあれ、こう解釈することは可能だ。

 すると、ここから邪馬台国の流れを見ることができる。邪馬台国は西暦266年から270年前後の間に滅亡し、そのあとを神功皇后が引き継いだのだ」

 健吾は少しでも反論できないかと考える。266年に倭の女王として記載されたのが台与ではなかったとしたら?

 そうだとしても、晋書の倭の女王が神功皇后だったということも考えられる。神功皇后は仲哀天皇亡きあと、現実に女王だったのだから。

 その場合平城説の邪馬台国の滅亡はもっと早くなるが、それで平城の話に反論できるわけではない。ディティールがわずかに変わるだけで、内容に変化はないのだ。

 健吾はうつむいて考え込む。一昨日、ひとりで考えていたときには、まさか神功皇后についてこんな考えが可能だとは夢にも思わなかった。それに、と健吾は思い出す。

 平城の話からすると、神功皇后はヤマト・吉備連合軍の司令官というだけではない。平城はもっとぶっ飛んだことを言おうとしている。


「スサノオは、女装している。古墳時代の衣装の上に弥生の衣を羽織っている。衣の模様は縄文で禍々しく異様な装飾がつけられている。片手に持った熊の毛皮がマントのように翻り、倒された縄文人が山のように積み重なったその上でスサノオは血まみれの剣を持ち、カッコ良く立っているのだ」


 それが昨日聞いた、平城のオリジナル造形作品スサノオのアイディアだったのだ。

 健吾は大きく深呼吸した。

「平城さん、スサノオに神功皇后を比定したんですね」

 平城が健吾を見つめてうなずく。

「そうだ」

 沙良が大きく声をあげた。

「やっぱり! さっきの話からそうだと思ってました! とんでもなさすぎ!」

 すぐに沙良が肩を縮ませ、両手を胸の前で振る。

「あの、とんでもないっていうのは、すごいというか、面白いというか」

 平城が短くなったピースをくわえたまま笑った。

「沙良君、とんでもないままでいい。私自身がとんでもないと思っているからな」

 健吾は平城の話を自分の中で再構成してみようと、考えながら話しはじめた。

 もはや健吾にとって、平城のスサノオのアイディアが正しいとかめちゃくちゃだとかいう問題ではなくなっていた。

「ヤマタノオロチは巨大な蛇ですよね。それはつまり巨大縄文文化国家の出雲そのものを表していて、それを退治するのがスサノオ、つまり神功皇后ってことですね。

 それで、ヤマタノオロチの尻尾から出てきた草薙の剣は、出雲の刀剣制作技術をヤマトが手に入れたということで、いいですか? 稲佐の浜の国譲りシーンは、えぐかったですけど」

「ですよね! そういうことですよね! まさかスサノオが女のひとだったなんて! 国譲りシーンはえぐかったですけど!」

 沙良が興奮して飛び跳ねている。

 平城は吸殻を携帯灰皿に押し込んだ。

「熊襲討伐のために自ら出陣した仲哀天皇をスサノオに比定するべきかもしれないが、このあとの神功皇后の事績を考えると、やはり人物としてのスサノオは神功皇后だ」

 健吾はしかし、すっきりとしない。

「でも平城さん、神功皇后をスサノオに比定すると、やはりいろいろとおかしなところが出てくると思うんですけど。なぜ男として神話に描かれているのか、アマテラスや高天原との関係とか他にも。

 というか、ヤマタノオロチの部分だけでスサノオに神功皇后を比定するのはちょっと無理があるんじゃないかと。無理があるから今まで誰も神功皇后とスサノオを結びつけようと思わなかったんじゃないかと」

 平城は健吾に目をやってにやりとしたあと、振り向いてヴィッツの方へ歩き出す。

「私は、人物としての比定は神功皇后だ、と言ったはずだぞ。

 つまり、キャラクターとしてスサノオを造る場合に、モデルとするのは神功皇后が最適だと考えているだけだ」

 健吾と沙良も平城を追ってヴィッツに戻る。

「すると、スサノオの本当の正体は別にあるっていうことですか」

「そういうことだ。記紀に描かれたスサノオの正体は、別にある」

 沙良がキーのボタンを押してドアを開ける。

「ということは、お話はこれで終わりじゃないんですね!」

「そんな中途半端なことはしない。最後まで行くつもりだ」

「最後というと」

「決まってるだろう。縄文文化の完全抹殺までだ。さあ、車に乗ろう」

 沙良がヴィッツに飛び乗り、エンジンをかけた。

 平城がヴィッツに乗り込む前に、天武・持統天皇合葬陵を見上げた。

「……ここに、天武と持統が眠っている」

 平城のその独り言を、健吾は聞き逃さなかった。

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