第33話 八岐大蛇(2)

 大王とナガは出陣した兵団のうしろから、出雲平野中央付近にある物見櫓に向かった。

 この戦いが始まってはじめて、陽の光の下で見る出雲だった。

 そこら中に出雲人の死体が転がっている。剣で斬られ、裂けている死体。矛で貫かれた死体。戈で横殴りにされ首が飛んだ死体。矢が幾本も刺さった死体。

 鳥が群がりそれらをつついている。この時期、あと数日もすれば腐敗が始まる。ナガはそろそろ死体の処理を考えなければならないと思う。

 外周部環濠は埋め立てられ、すでに大量の兵の出入りに支障はない。板塀は撤去され、燃えなかったものは分解され運ばれて、斐伊川前線基地の燃料として使用されている。

 ところどころに黒焦げになって崩れ落ちた物見櫓が見える。家屋、祭殿、倉庫も燃やされて崩れ、黒い灰の中には炭化した死体もある。

 大王とナガは出雲平野の中央付近まで歩き、そろそろこのあたりに前線基地を移動しようという相談を始めた。


 そのとき、正面の燃え残った板塀の影から、異形の集団が現れた。連合の兵が大王とナガの周囲に集まる。しかし主力部隊はすでにずっと先に向かっており、大王とナガの近くには護衛兵団だけしかいなかった。

 ナガは鉄剣を抜くと、大王の前に立ち剣を構えた。

 出雲の異形兵団は散開すると、連合の護衛兵団を取り囲む。

 ナガは油断した、と悟る。追いつめられた出雲が大王を直接狙う可能性を低く見積もり過ぎていたのだ。

 長槍を持ち、角と長い鼻を持った仮面をつけた異形兵団は、禍々しいという言葉そのものだった。仮面の眼は大きく、まるで酸漿ほおずきのように赤く爛れている。身体には獣の皮で作ったのだろう甲冑を身に着け、肩には異形の土器と同じように突起が突き出した肩当てをつけている。

 異形兵団がぶつぶつとなにかをつぶやいているが、ナガにはそれが聞き取れない。

 大王が長い鉄剣を抜くと、ナガの身体を押しのける。下がっておれ、という大王の言葉にナガは素直に従うつもりはなかった。


 護衛兵が叫び声を挙げて異形に斬りかかり、それを合図に乱戦が始まった。

 異形は腰を落として長い槍を無言のまま突き出す。兵が貫かれ崩れ落ちた。見えないほどの速度だった。

 異形はぶつぶつとつぶやきながらさらに槍を突き続ける。鉄剣を持った兵が横から切りかかるが、ふっと横に現れた異形の大きな石斧で兵が頭部を砕かれる。

 環濠の奥から大王の異変に気づいた兵たちが走り寄る。異形たちは槍と剣を両手に持ち、走り来る連合兵を斬り突き刺す。

 ナガは目の前に突き出た長槍を身をかわしてかろうじて除け、即座に剣を振り下ろす。槍が切断され、引かれると同時にナガは叫びながら異形に斬りかかった。異形の剣が腹部を掠めた次の瞬間、ナガの鉄剣が異形の頭部に振り下ろされる。木製で毒々しく塗られた仮面が割れ、鉄剣が額を砕く。

 異形が崩れ落ちるとナガは次の異形に向かっていく。

 大王も鉄剣を振り回し、長槍を切断しながら異形に斬りかかっている。

 環濠の奥から次々に連合の兵が戻って来る。

 ナガは小ぶりで軽い体を活かし、異形の長槍を避け続けて隙を見ては懐に飛び込む。異形の重い石斧が頭を掠める。地面に転がると同時にうねった文様が描かれた衣もろとも、異形の脚を切り裂く。崩れ落ちる異形の背中から鉄剣をずしりと刺し込む。


 異形兵は異様なほど速く強力だが、護衛兵を圧倒できるほどの数ではなかった。続々と環濠奥から連合兵が戻って来る。

 だが同時に、出雲兵が環濠奥から押し寄せるのをナガは見る。兵力を分散し過ぎたか。ナガは大王を守るために、彼の正面に立ちはだかった。まだ残っている異形兵が長槍を構えて近づいてくる。

 ナガが剣を構える。そのとき、鬨の声が出雲に響き渡った。聞き覚えのある鬨だった。宍道湖方面から進軍してきた連合兵団だ。

 ナガがふと鬨の声がする方向に目を向けた瞬間、異形の槍が突き出された。槍はナガの脇を掠めて、伸びた。背後でうめき声が聞こえた。ナガの肩に大王の片手が置かれ、背中に滑り落ちる。

 槍を着き出した異形兵に連合兵が数人で一気に斬りかかった。異形は戈で首を掻き切られて倒れた。

 鬨の声がした方向から、大量の兵団が押し寄せてきた。異形兵と出雲兵団は波に飲み込まれるように連合兵団に包み込まれた。

 ナガは振り向いて、大王の身体を支えた。大王は甲冑ごとみぞおちを長槍で貫かれ、捩じられていた。

 ナガは大王を抱きかかえたまま、膝をつく。大王がナガの眼を見つめた。

 私のあとはお前が指揮を執れ。私の死は邪馬台まで伏せよ。士気を落としてはならん。

 ナガはうなずくと、大王を抱き号泣する。

 大王はナガの胸の中でゆっくりと目を閉じた。


 その五日後、ナガは八雲山を背後にして燃え上がる出雲の主祭殿を見ていた。巨大な主祭殿は巨大な黒煙を上げ、空を覆っている。

 連合軍は第二次隊、第三次隊がすでに揃い、主力部隊すべてが出雲王宮環濠に投入されていた。

 生き残った出雲人は縛られ王宮前に集められている。千人ほどだろう。戦いのさなか逃げ出した出雲人も、このあとの掃討戦ですべて捕らえなければならない。女子どもは数千人。いくつかの祭殿、高床式倉庫に押し込めてある。

 出雲王も息子たちと共に生きたまま捕らえられ、稲佐の浜に作られた檻に入れられていた。

 ナガは燃え上がる主祭殿からその近くの王宮に目を向けると、小さくうなずいた。

 それを合図に、縛られた出雲人の背後に控えていた兵団が立ち上がり、矛を構えた。ナガがもう一度うなずく。矛が一斉に出雲人の背中に向けて突き出された。王宮環濠を覆いつくす叫びの塊が響いた。

 その塊が届いたのか、祭殿、倉庫から悲鳴と泣き声が挙がる。ナガはうつむき、兵に片手で合図する。女子どもが押し込まれているすべての祭殿、倉庫に火が放たれた。

 八雲山を覆う黒煙よりもさらに黒い悲鳴を聞きながら、ナガは稲佐の浜へ向かった。


 稲佐の浜には、鳥取から出陣した連合軍の舟が見渡す限り停泊していた。

 ナガは浜に整列した兵団に声をかける。士気に乱れはなく、統率も取れている。

 ナガの前に、出雲王とその息子ふたりが連れ出された。

 出雲王とその息子は、毒々しい赤と黒で彩られた奇怪な文様の衣を着けていた。

 ナガはその衣に目を覆いたくなる。兵に指示して、出雲王と息子たちの衣をはぎ取らせる。

 裸に剥かれた出雲王は身振り手振りでなにかをナガに話している。しかしナガにはその言葉がわからない。

 出雲に潜伏させていた兵のひとりが、通訳する。出雲王は、このクニは渡す、だから息子の命は助けてくれと言っているらしい。

 ナガは薄笑いを浮かべた。大王を、私の大王を奪ったのは誰だ。大王を奪っておいて、クニを渡すだと。

 大王を奪われたのは私だけではない。ナガは甲冑の上から自分の腹をさする。

 ひと月前から気がついていた。ここに、大王の子が宿っている。大王の跡を継ぐ、次の大王がここにいる。次の大王は父親を、奪われたのだ。

 ナガは出雲王の両腕を兵に持たせ、広げさせた。剣を抜き、その右腕を肩から叩き落した。出雲王の悲鳴が浜に轟いた。

 ひとりの息子は涙を流し、俯いている。もうひとりはわめき散らし、兵に抑えつけられていた。

 大王を返すなら、私もこのクニをお前に返そう。ナガは出雲王に言う。通訳がそれを訳す。出雲王が弱々しく首を振った。

 ナガは鉄剣を振り上げ、もう片方の腕を肩から切り落とす。両腕を失った出雲王はそのまま浜に倒れ込んだ。

 その姿を見てナガは思う。蛇だ。まるで蛇だ。蛇を生かしておくわけにはいかない。すべての蛇を、この世から消し去ってやる。

 ナガは出雲王の背中に鉄剣を叩き込んだ。


 出雲王の息子ふたりの処理を兵に任せ、ナガは王宮環濠へ戻った。

 祭殿と倉庫はまだ炎を上げているが、すでに悲鳴は聞こえなくなっていた。

 ナガは王宮背後の八雲山に向かった。そこに出雲人の死体を集め、埋めるように指示したのだ。

 兵団が樹々を伐採して切り開き、大きく穴を掘っている。その脇にはすでに死体が集められ、山となっていた。

 ナガは積まれた死体の上に放り出されていた出雲の衣を拾い上げた。出雲王が着ていたものよりはまだ控えめだが、やはり毒々しい。

 なぜ彼らはこのような奇怪な衣を身に着けるのか。ナガはその気持ちがわからなかった。一度羽織ってみれば少しはわかるのかもしれない。ナガはそう考え、衣を肩にかけてみる。

 ぐるりとした禍々しい文様で彩られた衣を羽織り、ナガは出雲人の死体の山を登る。途中、出雲人が防寒に使用していたのだろう、獣の毛皮でできた外套を拾い上げる。獣の頭が残されたままの外套を、異形の衣の上から羽織る。禍々しいその外套は血にまみれ、黒と赤の混じった毒々しさに満ち溢れていた。

 低い山のその頂まで登り、ナガは鉄剣を抜く。

 こうすれば少しは彼らのことを理解できるかと思った。しかし、やはりわからない。忌々しさが残るだけだ。ナガは獣の外套を片手で肩から剥ぎ取り、投げ捨てる。

 この忌々しさをどうしてくれよう。大王を失った私の悲しみを、どうしてくれよう。

 この八雲山はこの先封印されることになるだろう。ヤマトの三輪山と同じように。これまでにも多くの封印された場所を造ってきた。

 しかしこの八雲山はより厳重にしなければならない。蛇を、この地に蘇らせてはならないのだ。

 ナガは決意を込めて剣を足元の死体の山に突き刺す。

 そのとき剣の先にわずかに抵抗を感じた。

 ナガは剣を引き抜いた。引き抜いた剣を見ると、刃がこぼれている。

 忌々しい連中だが、剣の造り方には長けていたようだ。出雲の剣はヤマトより硬い。やはり職人は残すべきか。

 ナガは死体の山を下り、羽織っていた衣を脱ぎ捨てると、兵に戦後処理の支持を出した。あとは掃討部隊の仕事になるのだ。


 その夜、ナガは兵を集めた。大王が大病を患い今のままでは指揮が執れないため、このままこの先は私が指揮を執る、と告げる。

 兵に異論はなかった。むしろその方がいいと陰で喜ぶ兵もいた。

 ナガは腹をさすりながら告げた。主力部隊の進軍を開始する。

 兵が歓声を挙げた。歓声を挙げる兵を眺めながら、ナガは強く思う。

 ここにいる次の大王のために、私は美しくみやびな国を造る。大王が禍々しい世界に生きなくとも良いように、私がすべての蛇を絶えさせる。

 ナガが大声で叫ぶ。

 目指すは筑紫、邪馬台国。

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