4 スサノオ

第32話 八岐大蛇(1)

 ナガは、それでも心配だった。

 大王おおきみである夫は自ら出陣し、隊の指揮を執っている。彼の準備は万端だった。

 この二十年で瀬戸内海沿いの異形はすべて制圧している。神戸、姫路、岡山、尾道、広島、そして山口に築いた基地はどれも機能し、長く伸びた兵站を支えている。

 吉備の穀物と塩、そして鉄の武器が兵の士気を高めていた。

 ナガは最前線基地である三次にあって、それでも油断はできないと感じていた。

 第一次攻撃隊は奇襲部隊であり、明日出陣を開始する。その翌日以降、第二次、第三次の部隊も出陣するはずだ。同時期に他の最前線基地からも、部隊が敵地に向かう。作戦に抜かりはない。


 敵地への先はまだ長い。中国山地を踏破するための道はすでに整備されているが、千人を数える兵が異形の目を引く可能性は残っている。なるべく敵に悟られないように山を抜けなければならない。

 大王はナガにここに残れと言った。しかしナガの心は変わらない。大王は心配そうにしたが、やがて微笑んで許可したのだった。

 女だてらに、よくやる。大王はそう言った。都で穏やかに暮らしておればよいものを。

 そういうわけにはいかなかった。この作戦は二十年がかりのものだ。大王をひとりにはできない。それにナガは、自分の眼でその戦いを見たかったのだ。

 ナガは駐屯している部隊内を回り、兵に声をかける。準備に怠りはないか。ナガはできる限りの注意をし、細部まで部隊の状況を把握しておこうとした。


 翌日から始まった部隊による中国山地踏破は順調に行われた。食料は事前に山中に配置され、周辺の調査も行われている。

 一週間の踏破は楽ではなかったが、敵襲もなくすべて計画の範疇で行われた。

 敵地は目の前だ。最後の駐屯地で兵に食料を配る。武器の手入れを怠らぬよう指示を出す。ナガの支持は的確で、この数か月間の部隊暮らしの中、兵の中にはナガを将と仰ぐ者さえ出てきている。

 それならそれでいい。ナガは少しでも大王の力になれるなら、どんなことでもやるつもりでいたからだ。


 斥候が戻る。敵に戦の備えなし。大王は報告を受け、今夕作戦開始の決断が下される。収穫のこの時期、出雲の兵はすべて農作業に携わっている。武装した守備部隊は王宮を守るだけの人数だ。

 作戦は雲南から開始された。

 陽が落ちる頃、すべての村人が作業を終えて帰宅したところで、攻撃が開始された。雲南のムラは大きくはない。部隊を分散させて各家を一斉に襲う。

 家に弓で火が放たれた。乾燥した茅葺屋根は一気に燃え上がる。半地下式の内部から異形たちが転げ出たところを矛、が待ち構える。


 雲南のすべてを焼き払うのに、それほどの時間はかからなかった。

 雲南を攻撃すると同時に斐伊川沿いに北上させた隊は、川沿いにある小さな集落をひとつ残らずに焼いていく。雲南攻撃を終了した本体がやってくる前の露払いだ。

 やがて本体が斐伊川を下り始めた。斐伊川が出雲平野に流れ込む位置に本体先頭が到着したとき、先遣隊はすでそこにある物見櫓を落としていた。その小さなムラを一時的な前線基地にするよう、ナガは指示を出す。

 その前線基地に本体と先遣隊が集合して隊を整える。簡単な食料と水が配られ、しばしの休息が与えられる。これから夜を徹した作戦が始まるのだ。


 ナガは敵の物見櫓に登り、周囲を見渡した。遠くにいくつか火の灯りが見え、その中にひと際明るい地点がある。斥候によれば、そこが中央環濠だ。

 夜は更け、灯りがなければなにも見えない闇だ。月も今夜は出ていない。

 ナガは物見台を降りると、兵に音を立てないように指示する。木製の甲冑をきつく縛り、走っても音が出ないようにする。剣だけを持ち、他はすべてこの場所に置いて行けと命ずる。

 やがて隊の準備は整い、灯りが漏れないように加工した松明の元、進軍が開始された。

 ナガは第一隊と第二隊との間で進む。部隊は第四隊まであった。自ら申し出てナガを護衛する兵士が現れ、ナガの周囲を警護しながら進んでいく。

 大王は隊の最後方で全体の指揮を執っている。

 物音ひとつ立てない部隊が、田畑の中の道を進んでいく。わずかに足元を照らす灯りと、遠くに見える環濠の灯りだけが暗闇を照らしている。

 突然、叫び声が闇の中で響いた。ナガは驚き、声の主を探す。しかし闇は深い。ナガはとっさの判断で兵に灯りの覆いをすべて取らせ、突撃を命じる。最外周環濠まではもうそれほどの距離ではない。


 一斉に声が上がった。部隊の先頭で上がったときの声はすぐに全部隊に伝わり、部隊すべてが鬨に満たされていく。

 兵は我先にと走り始め、剣を抜く。まずはじめに環濠前に到着した兵が背負っていたすべての茅に火を点けてあたりにばらまく。灯りの確保だ。

 すでに床に就いていた出雲人が外から聞こえる鬨の声であわてて飛び起き、敵襲を知る。収穫時期の、心の油断があったのだ。

 武器は武器庫に保管されていた。手元にあるのは農具の類だけだ。しかたなくそれを手に取り外に駆け出るが、そのとき家の中が白い煙で包まれる。屋根に火が点けられたのだ。咳き込みながら外に出ると、目の前に剣を持った弥生人が見えた。次の瞬間、出雲人は肩から胸にかけてなで斬りにされ血を吹き出した。


 広い出雲の敷地に続々と連合の兵が押し寄せた。ところどころで茅葺屋根が燃え始めた。すでに全軍が環濠内に入り込み、出雲は茅が燃える灯りに包まれている。

 青銅製の薄い甲冑を身に着けたナガは鉄製の剣を持ち、環濠入り口で戦いを見守った。やがてそばに大王がやってくる。

 兵が報告に来た。環濠入り口の物見櫓を確保した報告だった。

 大王はナガを促し、物見櫓に向かう。大王とナガは護衛に守られて物見櫓に登り、そこから戦いの様子を見守る。

 出雲の奥からかんかんと音が聞こえてくる。鐘として残された銅鐸を鳴らす音だ。出雲は広い。まだ奥にまでは兵士は届いていない。

 襲撃から一時間が過ぎた頃、ようやく出雲が反撃の兆候を見せた。武装した兵が現れたのだ。

 大王は分散しているだろう武器庫と穀物庫を探すように命じた。出雲王よりもまず、武器庫だ。そして穀物はこれからの戦いに必要だ。兵は命令を受け、走り、やがて闇に消える。


 出雲の何重にも造られた環濠は奥が深い。事前に忍ばせた斥候からの報告では、王宮は八雲山を背にした環濠の最深部だ。戦いは長引くだろう。

 両軍が全力でぶつかれば、出雲に分があるのはわかっていた。

 だからこそ、この最初の一撃が重要なのだ。ナガはそう考え、明日一日では出雲が体勢を立て直すことができないだけの打撃を今夜、与えるつもりでいた。

 物見台から見渡せる範囲は、火に包まれていた。茅葺屋根は燃え上がり物見櫓や祭殿も炎を上げている。

 煙を上げる建屋から飛び出す人間は、男も女もすべて見境なく剣で斬られ、矛で貫かれる。松明の灯りに照らされた地面が徐々にどす黒く染まっていく。

 燃える建屋の出入り口にはそれぞれ数人の遺体が転がり、中には連合の兵の死体も見うけられた。


 やがて物見櫓あたりの兵の数が減り始める。環濠の奥へと戦いの場は移り始めているのだ。

 夜があと数時間で明けるという頃、兵の報告が上がった。主要な武器庫数棟と穀物庫を確保したとの報告だ。

 ナガは武器と穀物を運び出し持てるだけ持ち、引き返せと指示を出す。大王もうなずく。

 東の空が白みはじめ、大王が退却の支持を出す。一日目の戦いの終了だ。物見櫓から見る限り、充分な戦果が挙がっているように思う。やがて詳細が報告されるだろう。

 大王は命令を出し、兵を斐伊川の前線基地まで引き上げさせる。戦いはこれから何日も続くだろう。


 斐伊川の前線基地に夕方、補給の部隊が着いた。ナガはさっそく兵たちに届いた食料を配る。補給部隊からの報告では第二次の隊が到着するにはもう数日かかるかもしれないということだ。傷ついた兵を後方に送り部隊を再編成して、どのような攻撃が可能かを考える。

 攻撃にあまり時間をかけるつもりはない。できれば数日ですべてを終わらせたいとナガは考えている。

 まずは今夜、第二次の攻撃をしかける。出雲も戦いの準備を整えつつあるだろう。


 翌日の戦いは激戦だった。夕暮れから始まった第二次攻撃は、前日に燃やして撤去した環濠の板壁部分数か所に分かれて侵入する分散攻撃で始まった。

 連合の兵力は昨日よりわずかに削がれている、しかし奪い取った武器がそれを補ってくれるだろう。

 出雲は武装兵団をあわてて組織したようだが、やはり一日ではたいしたことはできない。出雲全域に散らばって農作業に当たっていた兵たちを呼び戻す時間が足りないのだ。

 そして、出雲に散らばったムラは数週間前から、連合の別動隊に攻撃を受けているはずだ。報告では鳥取から日本海に沿って、ムラを焼きながら出雲に近づいている。やがて宍道湖を渡り出雲平野へと到着するだろう。


 幾重にも巡らされた環濠を乗り越え、板壁を破壊して新たな地区への攻撃をしかける。住居建屋は片端から火を点ける。高床式の倉庫は内部を確認し食料はすべて奪う。

 土器、祭祀器具などの禍々しい品々は徹底破壊だ。

 大王とナガは今日も物見櫓に上がった。昨夜よりはかなり環濠内部に入り込んだ櫓だ。しかしまだ、王宮の主祭殿は見えない。広大な出雲の所々で煙と炎が上がっている。

 各所で激しい戦いが続いているが、すでに日は落ち細部の状況は櫓からは見えない。

 あまり兵を疲れさせるのは良くない。この戦いは長くなる。大王は昨夜よりも早く、撤退の命令を出した。


 日暮れから夜半にかけての攻撃は四日間続いた。

 連合の兵站はすべて機能し、兵が飢えることはなかった。傷ついた兵は補給部隊と交代するが、二次隊が到着するまでは大幅な増強は出来ず、徐々に兵力は削がれている。それでも予想よりは少ない被害だ。

 大王とナガは、翌日の攻撃は日中に行うと決定した。敵の状況をこの目で確かめる必要がある。


 そろそろ出雲の応援要請が邪馬台に届いている頃だ。邪馬台でも臨戦態勢に入るだろう。

 ナガは初日の攻撃開始時に宇佐の前線基地に送った連絡員のことを考える。連絡は無事に宇佐に着き、邪馬台への先行攻撃隊は出撃しているだろうか。

 夜明けと共に始まった五日目の攻撃に出陣する兵たちを見守りながら、ナガも斐伊川の基地を出る。

 出雲の環濠は奪取すると同時に埋め立てられ、おそらくすでに出雲平野の半分近くは制圧しているだろう。

 出雲の異形たちは、その最深部である八雲山の王宮付近に集合しているはずだ。追いたて、追いつめて、最後にはすべてを駆逐するのだ。

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