第26話 血の粛清(2)
沙良が芝生の上で両脚を伸ばし、腕を膝に置いて大きくため息をついた。
「吉備の神さまもややこしすぎ! オオモノヌシもややこしかったけど、匹敵しますね」
「そこまでしなければならないほど、怨霊は恐ろしいものだったのだ」
健吾がうしろを振り向いて、大極殿を見る。
「日本神話がまとまったのが飛鳥なのか藤原京なのか、あるいはここ平城宮だったのかわからないけど、少なくとも記紀の完成はこの大極殿で行われているんでしょうね」
平城と沙良も振り返る。
「正式な国史だからな。ここでなんらかの儀式があったことは間違いないだろう」
「そうかあ、ほんとにここだったんだ。なんだか不思議な感じ」
平城が向き直る。
「おまけにこの怨霊の古社、日本神話成立前の神社への祭神割り当て作業は絶対にミスの許されない作業だ。ミスは怨霊の復活を意味し、それはすなわち国の存亡に関わることなのだから」
沙良が体をねじったまま、両手を胸に当ててぶるるとわざとらしく震える。
「あたし、その担当者じゃなくて良かったです」
「僕もこの時代に生まれてよかったかも」
平城が笑った。
「いつの時代も国策の根幹に関わる作業の大変さは、想像を絶するものだ。
奈良時代、まさにこの芝生あたりを睡眠不足と重圧でふらふらになった人たちが歩いていたかと思うと、身が引き締まる思いだ」
健吾が体を戻して平城を向く。
「だからこの時代に大仏ができたんでしょうか。あれだけ大きければ祈りも聞き届けられるかもしれないから」
沙良が首を傾げる。
「どうかミスをしませんようにって?」
平城と健吾が同時に笑う。
「そういう祈りが通じるなら、現代こそ大仏をまた作るべきですよ」
「霞が関のど真ん中にどかんと設置するのが正解だ。毎日祈ってもらおう」
三人が笑いあう。
笑い声のあと、ふと会話が途切れたときに平城が立ち上がった。
「少し歩こう。あそこに見える南門まで行ってみよう」
健吾と沙良が立ち上がる。沙良はハンカチを拾い上げて芝を払いきれいに折りたたんでいる。
三人は東側の塀の脇に作られた小道へまわり、塀沿いに南に歩き始めた。
平城が両手をジーンズの前ポケットに入れ、少し前かがみに歩きながら話す。
「弥生後期、おそらく吉備はいろいろなことをやらかしていたと私は思う。吉備国はまさしくヤマトの頭痛の種だったのだ。
ヤマトは縄文文化駆逐のために出雲へ向かう前に、まず吉備問題を解決しなければいけなかった」
「それは平城さんの想像ですか?」
「そうだ。根拠がほとんどない。ただこう考えればいろいろとつじつまが合う、という話だ。聞いてくれるか」
弥生時代の話だ。根拠よりも説得力があればいい。健吾はそう思うようになっていた。平城は可能性の話をしているのだから。
「聞きましょう」
「もちろん聞きたいです!」
平城が話しはじめた。
「日向から弥生文化人たちを乗せて船出した船団は、倉敷、岡山あたりに到着し、そこを定住の場所と定めた。吉備弥生文化のはじまりだ。
ほぼ同時期に、ヤマトでも纒向で弥生文化がはじまったと見ていいだろう。
岡山には、やはり先住の縄文文化人たちが暮らしていた。おそらく畿内よりも多く。
それはそうだろう。地図を見てみれば一目でわかる。吉備から中国山地を越えれば、そこは出雲なのだから。山を挟んだお隣さんだ。
日向から逃げ出してきた吉備弥生文化人たちは、そこでもまた縄文文化からの圧迫を受けることになる」
わずかに右前を歩く平城の肩を見ながら健吾が聞く。
「縄文文化を恐れて日向から逃げ出してきたのに、今度は逃げなかったんですか」
「そこにどんな経緯があったのかはわからない。ただ、結果的に彼らは逃げなかったのだ。
おそらく、そうそう逃げ回ってばかりはいられないことに気がついたのだろう。とにかく吉備弥生文化人たちは、小さな集落を作って細々と生き延びていた。
これは彼らの故郷、日向でも同じだ。
それに、縄文文化人は異質で異形だが、同じ人間だと吉備弥生文化人は気がついたのかもしれない。
日向から大和へ向かった人々を、唐古・鍵の縄文文化人が助けたのかもしれないと話したが、それと同じことが吉備でも起きていたのではないか」
「でもヤマトではケンカになりましたよね」
沙良は平城の左真横で、平城の歩幅に遅れないようにとわずかに早足だ。
「ヤマトではそうなった。しかし、ここからヤマトと吉備に違いが生じはじめる。
ヤマトは最終的に唐古・鍵を攻め滅ぼすが、吉備ではそこまでは行かなかったようなのだ。そう考えなければつじつまが合わなくなってくる」
健吾は平城が大極殿前で少しもらした、吉備弥生文化人は保留に、という言葉を思い出した。
「それは、どういうことですか。吉備の縄文文化は滅ぼされていないということですか」
「いや、結果的には滅びているが、滅ぼした主体が吉備ではなくヤマトだったのではないかと思うのだ」
「吉備国で、ヤマトが?」
「そう考えていいような気がしている」
平城も考えながら話しているようだ。塀の東南角が近づき、南門がななめ右前で開いている。
健吾は少しいじわるかなと思ったが、平城に質問した。
「根拠はないと話してましたけど、あえて聞きます。根拠は?」
平城が小道に沿って角を曲がる。そこで立ち止まり、健吾に顔を向けた。
「特殊器台と特殊壺だ」
その言葉には覚えがあるが、頭に画像が浮かばない。
「特殊器台と特殊壺? ええとちょっと待ってください。思い出します」
平城の横で立ち止まっていた沙良に、平城が聞く。
「沙良君、君のスマホで画像検索できるか。やってみてくれないか」
「はい! わかりました!」
沙良はポーチからスマートフォンを取り出して操作を始めた。
しばらくして、沙良が平城にスマホの画面を差し出した。健吾も覗きこむ。
「これが出てきました」
平城が満足そうにうなずく。
「うん、この土器群だ」
スマホに表示されているいくつかの画像を見て、健吾も思い出す。
「思い出しました。吉備地方で独自に発達した、確か弥生後期の土器ですよね」
特殊器台、特殊壺は弥生中期以降に吉備地方で生まれた筒形、壺型の土器群だ。大きめの土器で赤く塗られているなど装飾性が強い。出現時期が限られているため、考古学では時代特定の有力な手がかりとなっている。
平城が画面を指さした。
「この土器を見てみたまえ。
明らかに雰囲気は弥生式でありながら、私の美的感覚にはまったくそぐわない。
君たちはどう思う?」
沙良が画像をじっくりと眺める。
「あー、確かに。なんかバランスおかしいし、変な穴がいっぱい空いてるし。模様もヘン」
健吾も画像を眺める。そういわれると確かに、弥生式土器を見るときのようにスムーズに受け入れられない感覚を覚える。
平城が立ったまま腕組みをする。
「そうだ。ヘンなんだ、この土器群は。
私はこの土器から、縄文文化の匂いがぷんぷんと立ち上っているように思える」
縄文式土器と比べれば確かにおとなしいが、弥生式と言い切るには抵抗があるなと健吾も思う。
「言われてみると確かに純粋な弥生式とは雰囲気が違ってますね。なんとなく見過ごしていました。時代特定に使える土器なので、あまりそういう見方はしなかったのかもです」
そう言いながらも、健吾の頭にはひとつの考え方が浮かんでいた。
平城が腕組みしながら頭だけを動かして健吾を見る。
「若者、この土器に対する君の考えを聞かせてくれ」
「ええと、はい。この土器はおそらく、縄文式から弥生式に移行する途中の、いわゆるミッシングリングみたいなものではないかと」
健吾は今思いついた考えを話す。
しかし平城は健吾の答えを予想していたのか、即座に反論する。
「しかし、時代は弥生後期だぞ。
ミッシングリングなら、縄文後期から弥生初期に収まらなければいけないのではないか。君が昨日教えてくれたように、時代区分は出土した土器などから作られた区分なのだから」
「そういうことになりますね……」
そのとおりだ。この土器は弥生後期なのだ。
「弥生式土器がすでに普及しているこの時代に、なぜ縄文文化の香りが漂うこんな土器があるのだ? それも吉備地方だけに」
そういうことか。健吾は平城がしようとしている論理展開に気がついた。
「平城さんの考えがだいたいわかってきました」
平城が腕組みを解き、再び壁沿いの小道を歩き出す。沙良がスマホを持ったまま急いで平城の横に並ぶ。健吾もすぐに平城に並んだ。
「では、私の考えを話そう。
吉備に定住した弥生文化人たちは、その地方にいた縄文文化と融合しかけていたのだ。
つまり、弥生後期に日向からやってた吉備弥生文化人は、その地の縄文文化を滅ぼすようなことはせず、仲良くなってうまくやっていたということだ」
この特殊土器群は、縄文文化と弥生文化が混ざった結果だということか。確かにそういう見方をすればそう見える、と健吾は思う。
「吉備弥生文化人はヤマトとは違って、恩を仇で返すようなことはしなかったと」
「そういうことだ」
「またちょっとわからなくなってきました」
三人は南門の前を通り過ぎ、南西角へと向かっていく。
「吉備では弥生文化と縄文文化が共存し、融合をはじめていた。
その証拠がこの特殊器台、特殊壺だ。
しかし、そこにヤマトの介入がはじまる。
ヤマトにとって吉備は同胞だ。その吉備が、ヤマトの宿敵である縄文文化と仲良くしていることは許せなかったに違いない」
本当にこの土器が文化融合の証拠なのかどうかはわからないが、筋は通っていると健吾は思う。
「なんとかして吉備の縄文文化傾斜を止め、純粋な弥生文化、日向から受け継いできた文化に引き戻さなければならないと、ヤマトは考えたのだ。
結果的に、それは成功している。
なぜなら、特殊器台、特殊壺は古墳時代に入ったあと、姿を消しているからだ」
そこで健吾は思い出した。さっき通ってきた纏向の風景が映像となって頭に再生された。
「そういえば平城さん、特殊器台土器は確か箸墓古墳から出てますよ。それはどう考えたら」
歩きながら平城が答える。
「確かにそうだ。特殊器台土器が大和地方で出土しているのは箸墓だけではない。全部で四例ある。しかし、大和地方の古墳約一万基のうち、たった四例だ。
そしてその後すぐに、この土器が歴史から消えていることも確かだ。
つまり箸墓の場合は特殊例になる。おそらく古墳の被葬者に関係した特別な理由だろう。
箸墓の被葬者だといわれる倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)は巫女的な人だったともいわれている。また午前に君たちが話していたように卑弥呼の墓に比定する説もある。
仮にそういう被葬者なら、ヤマトの古墳に特殊器台土器が置かれる理由になることもあり得るわけだ。特殊器台土器は、あくまでも弥生式土器なのだから。
それに、もしかしたら縄鳥居と同じ意味を持つシンボルとして、古墳に使った可能性も、まったくないとは言えないだろう」
「ヤマトが吉備から持ち帰って、古墳に使ったということですか」
三人は塀の西南角でまた立ち止まった。小道はここから大極殿方向へ戻る形になる。
「例えば、ヤマトは交流のあった吉備の重要人物を何らかの理由で大和地方に葬る場合、古墳を造ると同時にその霊を慰めるため、吉備地方から運んだこの特殊器台土器を被葬者の墓に置く、ということも考えられるわけだ」
健吾立ち止まったまま腕を組む。
「箸墓はそういう墓だと?」
「それはわからない。しかし特殊器台土器が吉備から運ばれたのは間違いないだろう。特殊器台土器を見ればわかるように、ヤマトがこれを造るとは思えない。
その特殊器台土器が箸墓にあるということはつまり、当時纏向と吉備の間で行き来が行われていた証拠でもある」
「なるほど」
平城が話を続ける。
「ヤマトがこの土器を古墳に置いたのは、縄文式よりは拒否反応が少なかったからだとも思える。特殊器台土器は縄文の匂いがするが、ベースは弥生式だ。
ヤマトが特殊器台土器を許容したのは、それがあくまでも土器であり基本的な部分で弥生式であったからだ。
しかしヤマトが吉備で、実際に生の縄文文化と弥生文化の融合を見ていたとしたなら、それは土器のデザインとは比べ物にならない衝撃だっただろう。
やはりヤマトは、絶対に吉備を許せなかったに違いない」
平城は健吾と沙良に無言で合図し、大極殿方向へ歩き始めた。平城宮中枢部、大極殿を取り囲む西側の塀沿いの小道だ。
健吾が質問する。
「ヤマトが吉備に介入して縄文への文化的傾斜を止めようとしたとして、そんな簡単にいくものでしょうか。土器まで作り始めてるのに。
平城さんがはじめから話してるように、文化はそう簡単には変えられないのではないでしょうか」
平城がうなずきながら答えた。
「そうだ。しかしヤマトは無理矢理に吉備の文化的傾斜を止めたんだ。ヤマトのこの政策は、吉備の人々の心を踏みにじったものだ」
歩きながら平城は健吾に顔を向け、その目を見つめた。
「だからこそヤマトと吉備の間に、その後数百年間続く確執が生まれたのではないか。
弥生後期から飛鳥に至るまでの、日本書紀にも書かれている確執が」
平城は再び顔を正面に戻し頭を上げる。その先には大極殿がある。
「吉備の弥生文化人は縄文文化との対立よりも、融合を選んだ。
おそらくは吉備内部にも相当な心理的、物理的抵抗があったはずだ。
ヤマトではその抵抗力が勝り、縄文との対立となった。
しかし吉備では、日向から続く抵抗感、忌避感、嫌悪感を乗り越えて、縄文文化を受け入れようとしたのだ。
縄文文化側も吉備の弥生文化人を受け入れた。その結果生まれたものが両文化の融合である特殊器台と特殊壺だ。
吉備の人々のこの選択は、地理的要因も大きかったに違いない。中国山地のその向こうは縄文文化の大国、出雲があるのだから。
吉備の人々に他の選択肢があったのかどうかはわからない。しかし、その時点で彼らに考えられる最良の選択をしたのだろう。
縄文文化を受け入れる限り、出雲からの侵略は抑えられる可能性が高い。文化的同一圏として属国の立場ではあるが、生存権は得られるわけだ」
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