第22話 桃太郎伝説

 健吾は頭を振った。あまりナガスネヒコに捕らわれすぎると他のことが考えられなくなる。どうも平城はナガスネヒコに深入りするつもりはなさそうだ。あとで自分なりにじっくりと考えてみよう。

 そう思い、健吾は頭を切り替えて日向から出航する船団を思い浮かべた。船で大和へやって来る日向弥生文化人。いや待てよ、いきなり大和?

 健吾は振り向いた。

「平城さん、日向から船で出発して、大和以外に定着した人たちはどうなったと考えてます?

 神武東征でもいろいろな場所に立ち寄ってますけど、それが意味するところはやっぱり大和以外の場所への弥生文化人の定着だと思うんです。

 たとえば吉備とか」

 平城が思わず「お」と声を上げた。

「若者、君の洞察力は素晴らしい」

「若者くん、すっかり平城説に乗り気になっちゃったね!」

「いえ、僕はあくまでも批判的立場を」

 と言いながらも、自分でもこの感覚は否定しようがない。冷静にならなきゃ、と健吾は思う。

 嬉しそうにしながら平城が質問に答える。

「まったくそのとおりだと考えている。

 ヤマトに次ぐ弥生文化人の第二勢力、吉備国もまた日向弥生文化人の末裔だ。

 若者のいうとおり、やはり吉備に触れておかないわけにはいかないだろう」

「やはりそうなりますよね」

 吉備国は、現在の岡山から広島あたりに存在した古代国家だ。ヤマトと同じく巨大古墳文化を有し、ヤマト王権と同時代だと考えられている。

 平城がゆっくりと話し始める

「吉備国の日向弥生文化人は、現在の岡山あたりに上陸したのだろう。

 そしてヤマトと時を同じくして発展を始める。

 おそらくヤマト弥生文化人と同じ道を歩んだに違いない。すなわち、周辺の縄文文化との戦いだ」

 ヤマトと同じように、吉備でも血が流れている。

「ですよね。やはりそういうことになりますよね。岡山周辺では銅鐸も出ているし、弥生時代の遺跡もあるわけですから」

 平城は小さな深呼吸をする。

「まあ遺跡の細かな話はやめておこう。唐古・鍵でさんざん話したからな。それらしい遺跡はいくつか発掘されているから、それで充分だ。

 それよりも私が一番興味を惹かれるのは、やはり吉備の桃太郎伝説だ」

 沙良が即座に反応した。

「桃太郎! 鬼退治ですね!」

 健吾の頭にすぐに連想が走る。

「鬼って、まさか」

「そのまさかしか考えられないだろう」

 平城がにやりとした。

「桃太郎の退治する鬼は、縄文文化の象徴だ」

「おー!」

 沙良が口をとがらせて感嘆した。


 国道24号線は、国道25号線との交差点である横田町までは渋滞気味だった。しかし横田町を過ぎるとそれなりに流れ始める。

 二車線道路だが、沙良は滅多なことでは追い越し車線には入らなかった。かといってゆっくり走りすぎるわけでもなく、同乗者を不安にさせることが少ない運転だ。

 健吾はもうすっかり、沙良の運転に慣れていた。

「そうきましたか。昔話から根拠をもってくるとは」

「昔話といっても、吉備の桃太郎伝説はただの昔話ではない。

 記紀に登場する人物を主人公にした、吉備津神社に伝わる由緒正しい説話だ」

「吉備津神社! 行きました!」

 沙良がぴしっと右手を上げる。

「沙良君、君はいったいどれくらい出歩いているんだ」

「だって、吉備津神社の本殿、拝殿は国宝ですよ!」

 沙良が嬉しそうに応える。

 吉備津神社は岡山市にある神社だ。吉備津造りと呼ばれる屋根がふたつ並ぶ本殿と、そこに接続された拝殿が合わせて国宝に指定されている。創建不詳の古い神社だ。

「沙良さん、すごすぎ」

 健吾は本気ですごいと思う。

 沙良が右手をハンドルに戻したとき、平城がゆっくりと聞く。

「では沙良君、鳥居は見てきただろうね?」

 一瞬の間があり、沙良が平城を振り向き、すぐに正面に向き直る。

「え? え!? え? まさか」

「そうだ、吉備津神社の入り口にも、縄鳥居がある」

 運転席に座ったまま、沙良は背筋を伸ばした。驚いてそういう反応になったのだろう。

「えー! そんな、気がつきませんでした!」

 健吾もやはり驚いていた。

「つまり吉備津神社も、大神神社、出雲大社と同じ由来を持ってるということですか」

 平城はアイコスのグレーのケースを手に持っていた。

「そう考えるのが妥当だろう。

 主祭神は、吉備津彦命(キビツヒコノミコト)だ。

 そしてこの神こそ、吉備の桃太郎伝説の主人公だ」

「あまりにうまく出来すぎてませんか」

 ホルダーをケースから取り出す。

「しかたないだろう、事実なのだから」

「それはそうですけど」

 本当にいろいろと話が出来すぎていると、健吾は思う。

 平城がアイコスを持っていることに気づいた沙良も、左手でアイコスケースを探す。助手席の健吾が「やりましょう」と言いながら、アイコスをセットする。

「ありがとうございます!」と沙良が礼を言う。

 平城は水蒸気を吸い込みながら話を始めた。

「吉備津神社に残る説話を簡単に説明すると、こうだ。

 吉備には、鬼ノ城に棲む温羅(ウラ)という鬼がいて、その地域を荒らしまわっていた。

 大和朝廷によって吉備平定のために派遣された吉備津彦命がこの鬼を、三人の家来と共に退治する。

 温羅の首は切り落とされたあとも唸り続けた。そこで温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じた。すると首は静かになったという。

 この説話が、後世に桃太郎説話に変化して現代にまで残る昔話になったというのが、一番メジャーな説だ」

 沙良がうれしそうに声を上げる。

「あー、鬼の首のところは、吉備津神社の鳴釜神事ですね。唸る釜!」

「そうだ。鳴釜神事の起源説話でもある」

 鳴釜神事とは、米を入れたせいろを釜に乗せてお湯を沸かし、そのときに鳴る音で吉凶などを占う行事だ。いつの頃からはじまったのか、これもまた不明である。

 健吾は、鬼の首を吉備津神社に持ち込んだという部分にひかれる。

「鬼の首が吉備津神社に埋葬されたというのは、意味深ですね」

 平城はアイコスをくわえて、ゆったりと座席にもたれている。

「温羅の正体は渡来人ではないかともいわれる。仮に渡来人だったとしても、温羅はひとりの人間ではなく集団の象徴だろう。

 しかし、もし渡来人であったとしたらどれほどの人数になるのだろうか。船の難破か? 計画的な渡航か? その土地に定着した渡来人の末裔?」

 健吾は、これは質問ではないなと判断して答えることはしない。

 平城が続ける。

「その程度の渡来人の記録であるなら、私はもっとたくさん同じような説話が残っていてもいいと思う。

 桃太郎という、日本人の誰もが知っている説話になって残るほど珍しい出来事ではないと思うのだ。

 私はやはり、温羅はもっと巨大ななにかだったと思う。巨大ななにかだったからこそ、現代にまで残る説話になったのだ。

 そう考えればやはり温羅は、弥生文化人たちが滅ぼした縄文文化人の記憶だとするのが、最も合理的なのではないか」

 鬼の正体はなにか? という説は昔から数多くある。

 健吾は、平城が鬼を縄文文化人だったとしたことはもちろん予想の範囲だったが、よく考えてみれば鬼イコール縄文文化人説などというものは今までに聞いたことがない。

 昨日と今日の平城の話で、健吾にはかなり縄文文化人という考え方が染み込んできていた。

「だとしても、これは確かめようがないですね」

 健吾はあえて控えめに応える。

 平城は特に気にする様子もなく話を続けた。

「温羅が棲んでいた鬼ノ城だが、これは山の上に建つ城だ。現在は復元された城門などが見られるが、元々は大和朝廷が七世紀後半に築いた山城のようだ。

 大和朝廷は七世紀後半、白村江の戦いで大敗したあと、唐・新羅の侵攻を恐れて各地に城を作りまくっている。おそらくそのひとつではないかということだ」

 平城はかなりの勉強をしている、と健吾は思う。

 いったいいつ勉強しているのだろう。自分がバイトに出向くときはほとんどずっと作業しているのに。

「私は、この大和朝廷の城の下にはきっとなんらかの縄文文化の痕跡が埋没しているのではないかと思っている。

 温羅がそこに棲んでいたという伝承が残っているからだ。

 大和朝廷はおそらく、鬼ノ城の縄文文化の痕跡を消し去ったあとで、その上に城を作ったのだろうが、かならずどこかに見落としがあるはずだ。探せばかならず、鬼ノ城からは縄文文化的な遺物が出てくるはずだ」

 平城には珍しい口調だ。まるで、今すぐ探せと言っているようだ。

「それもまた、なかなか確かめようがないですね」

 健吾はまた、あえて控えめに応えることにした。

 平城が、ふうっとため息をついた。

「しかたがない。いつか出て来て、わくわくさせてもらうことを楽しみにしていよう」

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