第21話 未知との遭遇(2)

 ヴィッツは天理市街を通り抜け、天理インター入り口から名阪国道を大阪方面へと乗り入れた。

 沙良の運転は相変わらず慎重だ。渋滞とまではいかないものの、名阪国道の先の西名阪自動車道には車の列が出来ている。

 沙良はスムーズにヴィッツを流れに乗せ、郡山インターを目指す。

 健吾はナビの画面を見ながら、ふと思いついたことを平城に聞いた。

「そのヤマトですが平城さん、ひとつ忘れてませんか」

「なにをだ」

 前席に腕をかけて身を乗り出したままの平城が聞く。

 健吾が頭の中に奈良の地図を思い起こしながら話した。

「日向から船で出発して、おそらく太平洋は相当な波があっただろうから、仮に瀬戸内海を通って奈良に入ったとしましょう。

 大阪のあたりで上陸して生駒山地と葛城山地の間を徒歩で抜けて奈良盆地に入ると、すると目の前に唐古・鍵があるんですよ。纒向はその向こうになるわけです。

 日向の人たちは縄文文化から逃げてきたわけだから、そこでどうしたんでしょう?」

 平城は斜めうしろから健吾を見つめる。健吾もそれに気がついて顔を横に向けた。平城はなにかを考えているようだ。

「どうかしましたか」

「これは話そうかどうしようか迷っていたことだが、まあいい。この際だ」

「どんな話ですか」

 一呼吸置いて、平城は口を開く。

「君が話したとおりに、日向弥生文化人が大阪に上陸し、現在の国道25号線を通り斑鳩を経て奈良に入ったとしよう。すると、確かに目の前に唐古・鍵がある。

 この地理的状況に、君はなにか気がつかないか?」

「え、っと、待ってください」

 健吾はもう一度奈良の地図を思い浮かべる。

「あ!」

 沙良が声を上げた。

「もしかして」

「沙良君、気がついたのか」

「はい、たぶん……」

 平城が健吾を待つ。

「どうする若者。沙良君に聞いてみるか」

 少し健吾のプライドが刺激された。

「ええと、待ってください。沙良さん、ヒントをください」

 沙良が左手をハンドルから離して、人差し指を口元にあてる。

「ヒントですかあ。ええと、さっき若者くんが言った神武東征!」

「あ」

 瞬間的に健吾が気づく。

「そうか、長髄彦(ナガスネヒコ)か」

 平城がにこりとした。

「そうだ。君たち、やるな」

 ナガスネヒコは、神武天皇が日向から東征したときに大和地方で戦った強敵だ。神武はナガスネヒコを倒したあと、橿原に宮を築き初代天皇として即位することになる。

「証明する方法も根拠もないが、地理的状況を見れば、唐古・鍵をナガスネヒコとしてもおかしくはないと思わないか」

「平城さんは神武のナガスネヒコとの戦いを、唐古・鍵戦争の神話化だと」

「そう見ることもできるかもしれない、というだけだ」

 健吾は記紀に書かれたナガスネヒコのエピソードを可能な限り思い出してみる。

「確かナガスネヒコは、神武よりも先に大和に降臨していた饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と親戚関係になって、ニギハヤヒに仕えていたはずですよね。

 そうすると、それは纏向ヤマト弥生文化人と唐古・鍵縄文文化人の一時的な友好関係というか共存の神話化ということも」

 健吾は背筋がひやりとする感覚を味わった。

「あー! もうだめ! あたし、なんだかぞくぞくしてきちゃった!」

「沙良君、落ち着きなさい。しっかりと前を見て」

 健吾はまだ記紀の記述を思い出している。

「ナガスネヒコは本来は人の名前ではなく、ムラの名前でしたよね。すると僕たちが今、唐古・鍵と呼んでいる遺跡の本当の名前は、“長髄”?」

 平城が応える。

「わからない。そうかもしれないし違うかもしれない。

 ただ、私としてはどちらかといえば否定的だ。抹殺したムラの名前を神話に残すだろうか? という程度の論拠だが」

 健吾はうつむいて腕組みをする。うーんと唸ることしかできない。すべてがあり得る話に思えてくる。

「沙良君、郡山インター」

 平城が沙良に声をかけた。標識がインター出口を示している。

「あ、はい!」

 沙良も運転しながらいろいろと思考を巡らせているようだ。

「沙良君、頼むよ」

「了解です!」

 沙良がハンドルを切り、ヴィッツはインターを降りる。この先は右折して国道24号線だ。

 国道に入ったところで平城が再び話し始めた。

「神話の話ではなく、実際に大和へ上陸した日向弥生文化人のことを考えてみよう。

 若者が言ったように、彼らを迎えたのは縄文文化である唐古・鍵だ。

 そこでなにが起きたのか」

 健吾が顔を上げた。インター出口からずっと唐古・鍵のナガスネヒコへの比定を考えていたのだ。

「実際、なにが起きたんでしょうね」

 平城はずっと身を乗り出したままになっている。

「ここが文化対立の面白いところだと思うのだが、おそらく、海を渡り疲れ切っていた日向弥生文化人たちを、唐古・鍵の縄文文化人たちは、受け入れたのだ。

 かなりぼろぼろの状態で唐古・鍵に辿り着いた弥生文化人を、唐古・鍵の人々はもてなした。食料を与え休息できる場所を提供した。

 異文化の最初の接触は、だいたいこのように友好的に始まる。

 現在でもそうだろう。船で漂着した異国人を私たちはこれまでも助けてきたし、異国で助けられてもいる。

 そして唐古・鍵の人々の好意によって、日向弥生文化人たちは纒向に定住の地を得ることになる。

 SF映画の『第9地区』でも、これとまったく同じことが描かれている。相手は異星人だから、究極の異文化ということになる」

「なるほど」

 とはいうものの、健吾はその映画を観たことはなかった。

「だからこそ、纒向と唐古・鍵は、しばらくの間共存していたのだ。お互いに助け合っていたとさえ考えられる。

 しかし完全に異質の文化は結局、融合することはなかった。日向の人々の間にある、狗奴国への恐怖もまだ鮮明に残っている。

 その不信が時間を経るごとに大きくなり、やがて争いになっていった。

 現代のパレスチナ・イスラエル問題でも、似たようなことが起きているだろう?」

「唐古・鍵の人たちは恩を仇で返されたということですか。状況的にはほんとにナガスネヒコだ」

 平城が小さくため息をつく。

「しかたがない。文化の争いとは、そういうものだ。弥生時代も現在も、まったく変わっていない」

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