3 葦原中国

第20話 未知との遭遇(1)

 大神神社から平城宮までのルートをナビはいくつか表示したが、天理まで戻り名阪国道、西名阪自動車道を通り、郡山から国道24号線を北上するルートが一番早そうだとということになった。

「ほんの少しだけど西名阪通っちゃうことになりますけど」

 沙良が心配するように平城に聞く。運転のことではなく、高速料金のことを聞いているのだろう。ヴィッツには平城のETCカードがセットされている。

「心配しなくていい。早い道で行ってくれ」

 今日の奈良旅行では一応、健吾と沙良は平城にバイトで雇われているということになっている。交通費や食事、その他すべて平城持ちなのだ。

 日当が出るのかどうかまでは、健吾も沙良も聞いていない。平城はおそらくいつものバイト代を出すつもりだろうと健吾は思っていたが、さすがにそれはその場で断ろうと思っていた。

 ヴィッツは来た道を引き返すコースを取り、箸墓古墳を通り過ぎる。

 纏向の遺跡発掘現場あたりを過ぎようとしたとき、平城が後部座席から話しかけた。

「若者、ひとつ聞きたいのだが、邪馬台国から数百年遡るとどうなる?」

 え、と思い健吾は振り返る。

「意味がよくわかりませんが」

「例えばそうだな、紀元前二世紀あたりの九州はどんな状況だったか、わかるのか?」

「簡単にいいますね。それがわかるなら考古学はいらないじゃないですか」

 平城がチョコボールを舐めながら笑った。

「それはそうだ。では君の想像でいい。聞かせてくれないか」

「紀元前二世紀の九州ですか……。どうして? って聞いてもいいですか」

 沙良が運転しながら聞き耳を立てているのがわかる。本気で聞いているときの彼女は、ひと言も話さなくなる。

「もちろん邪馬台国だ。紀元前二世紀あたりの邪馬台国について、少し考えたい。

 そのあたりの邪馬台国を、若者はどう考える?」

 健吾は正面を向き直って考えた。右手には山辺の道が通る山々が連なっている。見とれてしまいそうな美しい景色だ。

「紀元前二世紀ですか。卑弥呼の時代から四百年ほど前のことですね。

 うーん、これは難しいな。

 おそらく、のちの邪馬台国の元になるクニはすでにあったような気がします。それから四百年かけて少しずつ大きくなっていったとすれば、ちょうどいいような気がしますね。人口や文化など、現在よりは進行が遅かったでしょうから。

 それと、銅鐸が作られ始める時期でもあります。銅鐸が仮に縄文文化人の制作物であるなら縄文文化の発展時期ということになって、やはり邪馬台国の発展途上期というあたりではないでしょうか」

 平城はチョコボールを沙良の肩越しに手渡す。

「銅鐸は形状や文様から受けるイメージが、やはり縄文的だと思う。私も銅鐸は、縄文文化人の制作物だと考えている」

「そう言うと思ってました」

 予想どおりの平城の応えに健吾は安心する。

「では君を信じて、紀元前二世紀あたりに時代を設定してみよう。

 この時代、魏志倭人伝に書かれている邪馬台国以外の多くの国は、どうだったと思う?」

 平城がなにについての話をはじめたのか、まだ健吾にはわからない。

「奴(な)国とか不弥(ふみ)国という国々ですか? やはり邪馬台国と同じく発展途中だったんじゃないですか」

 魏志倭人伝には邪馬台国周辺の国々として、二十数か国が列挙されている。奴国、不弥国はそこに書かれている国の名だ。

「では狗奴(くな)国は?」

 健吾は平城に問われるままに頭を働かせる

「狗奴国? それって魏志倭人伝で、邪馬台国と対立していたとされる国のことですか?」

 健吾は振り向いて聞く。

「そうだ」

 チョコボールを舐める平城を見て、急に健吾も甘いものが食べたくなる。朝からずっと、平城の話を聞きながら頭を使い続けてきたからかもしれない。

「平城さん、僕にもチョコボールいただけます?」

 平城が一瞬動きを止めて、眼を大きくする。

「君はチョコを食べないんじゃなかったのか」

「僕だってたまには食べたくなりますよ」

「若者くん、チョコボール食べるんだ!」

 沙良が前を向いたまま声を上げる。

「ヒサヒデさん、今度は二箱買わなくちゃ!」

 平城が大きくしたままの眼で健吾を見つめながらチョコボールの箱を手探りし、一粒取り出した。

「すまない、これで最後だ。どこかで仕入れなきゃいけない」

「とりあえず一個あれば充分です」

 健吾は平城から最後の一粒を受け取ると口に放り込んだ。

「それで狗奴国でしたね。ええと、やはり同じで、発展途中で勢力拡大中ってところじゃないですか」

 ようやく平城の眼は元に戻り、背を座席にあずける。

「わかった。ありがとう。びっくりしたぞ、若者。

 それでだ、私は魏志倭人伝の距離と時間、方向のあたりを細かく解釈するつもりはない。それは君が目指している文献史学に任せることにする。

 だから今この段階では、私は魏志倭人伝の『此れ女王の境界の尽きる所なり。其の南に狗奴国あり』をそのまま読んで、狗奴国は邪馬台国の南にあったことにしようと思うが、どうだ」

 健吾はチョコボールを舐めながら、よく覚えてるなと感心してしまう。健吾もそこまで正確な文章は記憶していない。

「もともと解釈が入り乱れている魏志倭人伝ですから、平城さんがそう考えるならそれでかまわないかと」

「では邪馬台国の宿敵、狗奴国はざっと考えて南部九州ということで行きたい」

 どうもこれは話の前提を作る作業のようだと感じた健吾は、少し考える。抜けがあるとあとで困るかもしれない。

「ええと、狗奴国を熊本あたりに比定する説もありますから。大丈夫だと思います」

 平城は健吾の慎重さとは逆に、ぽんぽんと話を進めていく。

「それではいっそのこと、狗奴国は熊本あたりと設定してしまおう。

 すると阿蘇山があるわけだが、阿蘇山の北は勢力拡大中の邪馬台国圏内と考えられるので、阿蘇山を越えられない狗奴国は、阿蘇の南側をその勢力範囲としていたと考えよう」

「なるほど」

「すると、困ったことになる人々がいることになる」

 健吾が数瞬考える。しかし答えは思い浮かばない。

「誰ですか」

 平城が身を乗り出した。

「天孫降臨してきた、弥生文化人だ。

 彼らは宮崎の日向にいるわけだ。狗奴国に阿蘇南側から東進されたら、そこは日向だ。これは大変なことになる」

「あれ、朝の天孫降臨の話は本気だったんですね」

 平城は前部座席の間に乗り出して、にやりとした。

「あたりまえだろう。

 あるとき突然に日向に現れた弥生文化人は、狗奴国の侵略に怯えていたのだ。

 まだ狗奴国や縄文文化に対抗できるような勢力を持たなかった彼らは、高千穂の峰の向こう側からやって来る、異形の文化に恐怖していた」

 なるほど、と健吾は思う。ヤマト弥生文化人の出自に話は向かうようだ。

「弥生文化人の、縄文文化に対する嫌悪感はその頃に形作られたと?」

「そう考えてもいいだろう。

 ただでさえ自分たちとはまったく違う異質文化だ。加えて今は侵略の危機さえ迫っている。弥生文化人が恐怖するのも無理はない。

 弥生文化人の中に縄文文化への恐怖が根づき、もはや後戻りのできないところまでの根源的な生理的嫌悪感となって染み込こんだのが、この時期だ」

 そうきたか。狗奴国に怯えていたのなら、纏向のヤマト弥生文化人が縄文文化を毛嫌いするのも無理はない。

「それで日向の弥生文化人は、畿内に逃げ出すということになるわけですね」

「そうだ。日向に留まれば滅亡の可能性さえある。文化の違いは徹底した絶滅戦争になりかねないことは、唐古・鍵のところで話したとおりだ」

「日向から大和へ。記紀の神武東征はこの逃亡劇を神話化したものだということですね」

 平城が健吾を見て口を尖らす。

「若者、それは私がこれから言おうとしていたことだ」

 健吾は思わずにやける。

「だって、話の流れからわかるじゃないですか」

 運転席で沙良がくすっとしている。

「まあいい。とにかくそう考えるのが筋だろう。

 ただ私には、すべての日向弥生文化人が大和へ避難したとも思えない。

 一部は日向に残ったはずだ。日向で滅亡を免れて、細々と生き延びていたと考えている」

「それはどうしてですか」

 平城は前のめりに前席の背に腕をかけたままだ。

「弥生時代だぞ。全員が移動するのは難しいだろう。

 陸路が使えないのだ。陸路はどうしても邪馬台国勢力圏を通らなくてはならない。

 すると船に頼るしかなくなる。いくら弥生時代で人口もそれほど多くないとはいっても、さすがにムラすべてを船で移動させるのは困難だろう」

 この時代のムラの人口はどれくらいだったのだろう。健吾はざっと数千人くらいかなと見積もって応える。

「確かに」

 平城が一呼吸置いて軽くうなずく。

「日向の弥生文化人は、おそらく段階的に徐々に船出した。

 目の前に広がる海の向こうにどんな土地があるのか。斥候を出しもしただろう。

 太平洋航路、瀬戸内海航路と、可能な限り調べたはずだ。

 だからこの移動はいきなりすぐに、というわけでない。かなりの時間をかけて徐々に行われた民族移動だ。

 その過程で、大和ではなく他の地に定着した人々もいたことだろう。逃避劇ではあったが、結果的に弥生文化を各地に拡散する効果があったわけだ。

 もちろん九州に残った人々も、生き残りの方法を模索していたはずだ」

 日向と聞いてすぐに思いつく遺跡があった。平城も一度口にしている。

「西都原古墳群ですか、根拠は」

 古墳時代の遺跡だ。日向からすべての弥生文化人が移動したなら、この古墳群が造られるはずがない。

「私は西都原古墳群についてはもう少し違う考えを持っているが、しかし結果的に弥生文化人が南部九州で生き残っていることには間違いはない。

 とにかくこうして日向弥生文化人は、縄文文化の侵攻圧力によって各地に拡がっていった。

 その中の最大勢力が、ヤマトというわけだ」

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