第19話 神々の派遣(2)
はじめて聞いた考え方だった。
なんとか検証できないだろうか、と健吾は考える。この考え方が証明できる文献がどこかに残っていればいいのに、発見されればいいのに。
それほどに健吾は、監視のために配置された神という考えに魅力を感じた。
平城は拝殿の脇まで行くと振り返ってふたりに向かって話す。
「こうしてオオモノヌシは、縄文文化人の怨霊監視のために大神神社に派遣、配置された。
オオクニヌシの分身、オオモノヌシが大神神社に配置されたあと、神話に記載した蛇にまつわる説話と民間に根強く残る蛇のイメージが、やがて表面的な主祭神オオモノヌシに蛇神の性格を与えていくことになる。
時を経るごとに豊穣の神、疫病除け、酒造りなどの性格が加えられていき、強力な祟りをなす神としても崇められることになる。いうまでもなく、祟りのイメージは縄文文化人を滅ぼして祀った場所、というところから来ているのだろう。
それが現在まで続き、大神神社から蛇のイメージが抜けないまま今日に至っている、ということではないだろうか」
平城の話を頭の中で咀嚼しながら健吾は口を開く。
「ということは、大和朝廷は大神神社から蛇のイメージを抜き去ることができなかったということになりますよね」
平城は拝殿の屋根を見上げ、少し考えてから話し始める。
「ヤマト弥生文化人が大神神社に縄文文化の痕跡を残したのは、怨霊を畏れてのことだ。
大神神社に眠る縄文文化人の霊を慰めるために残した蛇のイメージを払拭するということは、それはもしかしたら怨霊の復活を意味することになるのかもしれない。
弥生文化を引き継ぐ大和朝廷としては、完全に蛇のイメージを払拭することをためらったのではないか。
だからこそ、監視神オオモノヌシを配置しただけで本物の主祭神には手をつけなかった。結果として現代にまで蛇のイメージが引き継がれてきたというわけだ。
それに、おそらくその頃にはすでに縄文文化殲滅の記憶も薄れ、縄文と蛇を結びつけて考えることもあまりなくなっていたのではないだろうか。
現に私たちは、大神神社に蛇のイメージを感じてはいても、それを縄文文化に結びつけて考えることは、ほとんどないのだから。
つまり大和朝廷の工作は、結果的に成功していることになるわけだ」
なるほど、と健吾は思い素直に口に出す。
「なるほど」
平城がまたゆっくりと歩き始めた。境内の周囲を反時計回りにぐるっと回るような方向だ。健吾と沙良も平城に従う。
「この考え方が正しいのかどうかは、おそらくいつまでもわからないだろう。
ただ、記紀でオオクニヌシに与えられた名前の多さは、この大和朝廷の工作を裏づけるものだとも考えられる。
名前をたくさん与え、同じような目的で他の神社にオオクニヌシを配置したかったのか、あるいは大神神社への配置をごまかすための、葉は森に隠せタイプの隠蔽手段だったのか、それはわからない。
いずれにしても大和朝廷にとって、大神神社は特別でありどんなややこしい手段を採ってもオオクニヌシを配置しなければいけない場所だった、ということだけはいえると思う」
沙良が平城のすぐうしろでつぶやく。
「うーん、そうだったんだあ。大神神社、秘密多すぎ!」
境内をぐるりとして、三人は再び縄鳥居が見える場所まで戻ってきた。
沙良が小さな声で健吾にささやく。
「若者くん、ついに出雲が出てきましたね! スサノオに近づきましたよ!」
健吾も小さな声で返す。
「出てきましたね、出雲」
少し前を歩いていた平城が振り向いた。ふたりの声が聞こえたようだ。
「ヤマト弥生文化人が唐古・鍵を滅ぼしたからといって、縄文文化がこの国からなくなったわけではない。
ヤマト弥生文化人の前には最強の縄文文化国家、出雲、そして邪馬台国が待っているのだ。縄文文化と弥生文化の戦いは、これから本格化していくのだ」
縄鳥居まで戻ると、平城はその下で振り向き三輪山に対して一礼した。健吾と沙良も平城にならう。
三人は縄鳥居をくぐり、階段を降り始めた。
階段を下りて手水舎の前まで戻ったとき、平城がふたりを向いた。
「そろそろ昼だと思うが、ごはん食べに行くか?」
沙良が手に持ったままのスマホで時刻を確認する。十二時になったところだ。
「実はまだ朝のおにぎりがおなかに残ってて、できればもう少しあとならいいかなって」
健吾がおなかをさする。
「あたしもです! ヒサヒデさん特性おにぎり、四つも食べたから」
平城がうなずいた。
「確かにそうだな。では三輪そうめんはスルーして、とりあえず移動することにしよう」
三人は縄鳥居をもう一度見上げたあと、参道を引き返し始めた。
「あー、面白かった! ヒサヒデさん、注連縄の話では若者くんとケンカするんじゃないかとちょっとひやひやしましたけど」
沙良は緩く下る参道をスキップしながらふたりの前を歩く。
「まさか。若者とは作業のときにはもっとキツいやりとりをしている。なあ」
平城は隣を歩く健吾を横目で見る。
「ですね。僕も実は、作業場ではもっとキツいことを言ってたりします」
「そうなんだ。よかった! でも、縄鳥居と注連縄、神さまの配置の話、ほんとに面白かった! なんだかいろいろと世の中の見方が変わっちゃいそう」
健吾もそれを考えていた。思い込みが、見えるものも見えなくさせているのかもしれない。僕はもっと頭を柔らかくしなくちゃいけないのかもしれない。
「ところで平城さん、このあとのこと決めてるんですか。大神神社のあとどうするか、僕たちまだなにも聞いてないんですけど」
前を歩いていた沙良が立ち止まり、振り向いて平城を見つめる。
「さっき決めた」
沙良が二人を待ち、三人並んで歩く。
「どこに行きます?」
運転担当の沙良が、少し心配そうに平城を見る。
平城は沙良を見返して微笑んだ。
「平城宮跡だ。奈良の中枢に行ってみよう」
三人は大神神社の参道を抜け、駐車場へ戻った。
昼近くになり参拝客も増えてきたようだ。二の鳥居前の駐車場は混雑し、車の列も長くなっている。沙良が少し離れた駐車場を選んだのは、やはり正解だったようだ。
ヴィッツに戻ると、乗り込む前に平城はピースを取り出した。
「あ、あたしも!」と言いながら、沙良も車内からアイコスの白いケースを持ち出す。
健吾もつき合い、平城の横でヴィッツにもたれかかった。
「平城さん、平城宮はいいんですけど、やはりなにか理由が?」
カチンと音を立ててピースに火を点けた平城が健吾を見る。
「これからどういう話になるかと考えていたら、平城宮を思い出した。
平城宮は、古事記、日本書紀が完成した場所だからな」
沙良もアイコスの充電がおわり、煙草カートリッジ部分をくわえている。
「平城宮、あたし実はまだ行ったことないんです。だから楽しみだな」
「沙良さんはどこにでも行ってるのかと思ってました」
沙良が目立たないようにゆっくりと水蒸気をはき出した。
「なんていうかな。やっぱり優先順位の問題で、国宝なんかを優先しちゃうんです。行けるところは限られてるから」
平城がうまそうにピースを深く吸い込む。
「平城宮は確かに古い場所ではあるが、今建っている建物は最近の復元だからな」
沙良がアイコスホルダーを持ったままぴょんと飛び跳ねる。
「そうなんですよ! 優劣をつけるわけじゃないんですけど、最近できた建物だからなんとなく後回しになっちゃって」
なるほどと、健吾は感心する。そういう見方もあるんだ。自分ならきっと手あたり次第ってことになるのかもしれない。でもそれでは確かに、範囲が広すぎる。時間は限られているのだから。
「君はどうなんだ、若者。平城宮には行ったことはあるのか?」
「いえ、僕もありません。でもいつか行ってみたいと思ってました」
平城が話したように、そこは記紀が編纂され完成したところだ。日本の基本的な文献が産まれた場所なのだ。そして、多くの歴史的事実の舞台でもある。
健吾の胸がとくんと鳴る。その場所をこの足で踏みしめてみたい。その場所で奈良の昔に思いを馳せたい。
平城が携帯灰皿にピースを押し込んだ。
「よし、でかけよう」
沙良が運転席に乗り込み、ナビのセットをする。助手席は今までとおりに健吾が座った。平城は後部座席に乗り込むなり、チョコボールの箱を手に取っている。
三人を乗せたヴィッツは大神神社の駐車場を出発して、北に向かった。
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