第18話 神々の派遣(1)

 健吾が少し首をひねりながら尋ねた。

「蛇神でもあるオオモノヌシ。

 昨日少しだけど大神神社の予習をしていて一番疑問に思ったのが、オオモノヌシという神さまのややこしさなんです。

 そのあたりのことは、平城さんなにか考えてます?」

 また話が始まったと思ったのか、沙良が急いでふたりの近くに寄ってくる。

 立ち話になるのを避けようと思ったのか、平城はふたりに頭を動かして合図し、神木の方へ歩きながら話す。

「オオモノヌシの正体、という話だな。

 オオモノヌシについて話すには、まず大国主(オオクニヌシ)について触れなくてはいけない」

 大国主は、アマテラス、スサノオと並ぶ、日本神話の神だ。

 記紀の間で記述が揺れているが、日本書紀本文ではスサノオの息子となっている。スサノオのあとを継いでスクナヒコナと共に葦原の中つ国、すなわち日本を治めることになるが、やがて高天原から降臨してきた天孫に国を明け渡すことになる。

 この国譲り神話、あるいは因幡の白兎説話など、知らない人はいないといっても過言ではないほどの超有名神だ。

「オオクニヌシは出雲大社に祀られている。もちろんそれは知ってるだろう?」

 健吾がうなずく。

「歴史やっててオオクニヌシ知らなかったらヤバいじゃないですか」

 沙良が背伸びして右手を上げる。

「あたしも知ってます! 出雲大社、見てきました! 本殿は国宝です!」

「出雲にも行ってるのか、沙良君」

「ヒサヒデさんが、いろんなもの見ろって言ったんじゃないですか」

 健吾が感心して沙良を見つめる。

「沙良さん、すごい」

「では沙良君、注連縄は見て来たな?」

「はい! さすがに出雲大社の注連縄は目をつぶらない限り、どうしても見えちゃいます」

 出雲大社拝殿、神楽殿には、巨大な注連縄がかけられている。神楽殿の注連縄は長さ約十三メートル、太さ八メートル、重量五トンの日本一大きな注連縄だ。拝殿の注連縄は神楽殿よりは小さいが、それでも長さ六メートルになる。

「出雲大社の注連縄。それがなにを意味しているのか。おそらく君たちにはもうわかっているだろう?」

 平城が両隣を歩く健吾と沙良に交互に顔を向けた。

 健吾がうなずいて話す。

「注連縄は蛇であり、縄文文化のシンボルだった。その注連縄の中でも日本最大のものが出雲大社にかけられている、ということはつまり、出雲大社もまた縄文の怨霊を祀った神社、それもかなり強力な怨霊、ってことですよね」

「あたしも注連縄の話を聞いたときから思ってました。出雲は古いクニだし邪馬台国の近くだから、同じ縄文文化のクニだったんだろうなって」

 平城がゆっくりと神木に近づきながら話した。

「そのとおりだ。出雲は間違いなく縄文文化のクニだった。

 そして、やがて弥生文化人に滅ぼされることになる。

 私は日本神話の国譲りを、弥生文化が縄文文化を攻め滅ぼした絶滅戦争だと考えている」

「平城さんの話の流れからは、当然の帰結ですよね。予想はできてました」

 平城がにやりとする。

「邪馬台国と出雲は距離も近い。出雲を魏志倭人伝の投馬国に比定する説もある。

 おそらく邪馬台国と出雲は、同じ縄文文化のクニ同士として深い繋がりがあったはずだ。距離と位置を考えると、そうならないことの方がおかしい。

 そして、当時最大の縄文文化国家は出雲だった」

「邪馬台国よりも?」

「おそらく」

「何か根拠はあるんですか?」

 平城は神木の根元に目をやりながらゆっくりと歩く。

「根拠があるなら、論文でも書く。

 ただ、やはり出雲大社の巨大さは特筆すべきものがある。

 記紀に記されたその巨大さは、一説には高さが九十六メートルだ。神代の建築物としては異常な大きさだ。

 つまりこれは、背景に巨大ななにかがあったということだ。

 単純に考えれば、出雲という国の大きさだ。九十六メートルもの社を建てなければいけないほど、出雲は巨大国家だったということだ。

 それと考古学的にも荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡から発掘された銅剣、銅鐸の量はただ事ではない。この遺物は、出雲の巨大さを物語っている」

「見てきました! 出雲大社の隣の“古代出雲歴史博物館”で! いっぱい国宝見れて、幸せだったなあ」

「沙良さん、国宝を観たりするんだ」

 健吾がまた驚いて沙良を見つめた。

「あたし国宝マニアなんです! 自称ですけど! 死ぬまでに国宝を全部この目で見てやろうって思ってるんです。

 あ、これもヒサヒデさんにいわれて始めたことなんですけど」

 平城がうなずく。

「素晴らしい趣味だ」

 沙良が、えへへと頭をかいた。

 誰に勧められたことにしろ、実行に移してしまう沙良を健吾はすごいと思う。

 平城が話を再開した。

「出雲が縄文文化の巨大国家だという前提で、オオモノヌシに話を戻そう」

 健吾が平城に顔を向けてうなずいた。


「オオモノヌシ。

 確かにややこしい神だ。なかなか理解するのが大変な神さまだ。

 古事記によると、大国主(オオクニヌシ)はいっしょに国造りをしていた少彦名(スクナヒコナ)に去られ、どうすればいいんだと悩んでいた。

 すると海から光り輝く神が現れて、私はあなたの幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)だ、と言うのだ。

 そのオオクニヌシの幸魂奇魂が、オオモノヌシだと古事記は書いている」

 平城が一呼吸置いて続ける。

「私はあなたの幸魂奇魂だ、なんていうのはどう考えてみてもおかしな話だろう?

 オオクニヌシはこのとき、自分の心に話しかけられているわけだ。

 そしてその幸魂奇魂のオオモノヌシは言うわけだ。私を三輪山に祀れば国造りに協力すると。ここで出てくる三輪山を神体とする神社が、この大神神社だ。

 つまり、ややこしく書いてはいるが、よく考えてみればこれはオオクニヌシの独り言だと読める。ということはすなわち、オオクニヌシとオオモノヌシは同一だと考えていいわけだ」

 三人は巳の神杉の周囲をゆっくりと歩く。

 沙良が神木の根元に視線を置いたままで話す。

「古事記の中のその話、なんとなく覚えてはいるんですけど、あたしもなんだかややこしくてあまり覚えてないなあ。スクナヒコナはちっちゃくて肩に乗るペット感があって好きなんですけど」

 神社で神さまをペット扱いはまずいだろうと健吾は思ったが、自分もスクナヒコナには少なからず同じようなイメージを持っていたので沙良の言葉は聞き流すことにする。

 考えをオオモノヌシに戻し、健吾は首を傾げる。

「それにしても、どうしてそんなややこしいことになってるんでしょうか。単純にオオクニヌシではいけなかったのかな」

 神木を半周したところで、平城は沙良に声をかけた。

「沙良君、私は拝殿を眺めに行くがどうする? ここで蛇を待ってるか」

「いえ! 蛇は遠慮したいです。いっしょに行きます!」

 平城はにこりとして、拝殿に向かって歩き出す。

「なぜオオクニヌシではいけなかったのか。

 普通に考えれば、大神神社にはオオクニヌシを持ってきたかったが、それが簡単にはできなかったのでちょっとひねってみました、ということなのではないだろうか」

 健吾は歩きながら首を傾げる。

「でも確か、分霊ってけっこうあると思うんですけど。お稲荷さんとか。

 どうしてオオクニヌシは単純な分霊ではいけなかったんでしょう?」

「若者、君はやはり面白いところに目をつけるな」

「なんかアラ探しみたいな変なところばかり目をつけてすみません」

 拝殿には参拝客の列が出来ている。平城は方向を変えて、列の後ろ側から拝殿左手に回ることにしたようだ。


「実は私もそれについては悩んだ。

 オオモノヌシについてはどう考えればいいのか。

 ひいては神社に祀られている神について、どう考えればいいのか。現在、神社に祀られている神とは、いったいなんなのか。

 そこから考えなければ、日本神話に出てくる神々を考えることはできないと思ったのだ。

 そうしているうちに、やがてひとつの考えに辿り着いた。

 日本神話成立以前から存在する神社と、日本神話成立後にできた神社は分けて考えなければいけないのではないか。

 この二種類の神社を混同することが、思考の混乱をまねく原因なのではないかと思ったのだ。

 便宜上、それぞれを古社と新社と呼ぶことにする。

 現実的には現在存在している神社を古社と新社に分けるのはかなり難しいだろうし、そもそも日本神話がいつ成立したのかがはっきりとしていない。

 一応、仮の区分として記紀に記載のある神社を古社としておこう。

 古社は日本神話成立以前からあるわけだから、当然のことながら神話と関係なく存在していた。古社の信仰はおそらく、山や川、自然現象、そういった自然の物事に対する畏れからはじまっている。

 大神神社も元々は日本神話とは関係がなく、大きく考えればこの範囲に入るわけだ。

 それに対し新社は、日本神話成立後だ。神々はすでに完成され、後に記紀に記載される。この記紀に記載される八百万といわれる様々な神を、新社はそれぞれの事情に合わせて選択して祀ったのだ。

 単純化しすぎているとは思うが、そう考えれば新社はわかりやすい。神話の神をどう解釈するかという問題は残るが、祀られている神それ自体は記紀から持ってきた神だからだ」

 参拝客が作る列をうしろから回り込み、三人は拝殿を左手から眺めることのできる場所にきたところで立ち止まる。立ち止まっていても他の客の迷惑になることはない位置だ。

 目の前に建つ拝殿は江戸中期の建築であり、国の重要文化財だ。江戸期らしい豪壮な建築である。

 健吾は、この拝殿のうしろに三ツ鳥居という謎めいた鳥居があることを思い出したが、今は口に出すことはやめておく。

 平城が続ける。

「問題は、古社だ。日本神話がほぼ固まってきたときに大和朝廷は古社をどう扱ったのか。

 大神神社が私の考えるとおりに縄文文化の怨霊を祀っているのだとすれば、おそらく同時期に同時発生的に、自然現象を祀ったいくつかの神社の原形が出来はじめていただろう。

 怨霊を畏れることと、自然現象を畏れることはほぼ同義だからだ。

 ただし、大神神社の場合はそこに人の罪悪感が加味されている。だからこそより手厚く祀られ、祭祀施設的なものが国家事業として造られた。これが、私が大神神社を神社の起源だと考える所以だ。

 だから大神神社とほぼ同時期に他の、怨霊ではない古社も出来上がりつつあったはずだ。

 これらの怨霊を恐れる必要がない古社、言葉はおかしいが特に問題のない古社については、大和朝廷は日本神話の中にそのまま取り込んだ。

 古社にまつわる伝承を吸い上げ、祀られている神を神話に登場させる。新たに名前をつけることもあっただろう。問題のない古社はそうして処理していったのだ」

 平城はうでを組んで拝殿を眺めながら話している。沙良は見慣れているのか拝殿を眺めることはせず、平城と健吾の話が良く聞こえるようにだろうか、ふたりの間のすぐうしろに立っていた。

「しかし、問題のある古社はどうしたか。

 私は、大神神社や出雲大社、諏訪大社などの他いくつかの神社を想定しているが、こうした問題のある古社には対策が必要だった。これらの古社は、そのままでは神話に使えなかったからだ。

 古社に祀られているものは怨霊なのだ。それも極めて強力な怨霊だ。

 自分たちが罪悪感を持っている怨霊を、神話にそのまま登場させるわけにはいかない。しかし神社はすでにそこにある。

 つまり、これら問題のある神社にはなんらかの神を代わりに立てなければならないのだ。

 しかし表面的に祀る神を変えるだけでは到底済むはずもなく、また怨霊の復活を促す可能性さえあるわけだ。

 そこで大和朝廷は、慎重な対策手段を講じた。

 これら問題のある古社に祀られている怨霊はそのままにして、新たに怨霊を監視する神を作り出したのだ。

 作り出された神々は日本神話内に記され、その役目を与えられる。そして、怨霊が眠る古社へと派遣されたのだ。

 つまり、日本神話成立前から存在する古社に現在祀られている神は、実は祀られるためにそこに居るわけではなく、元々そこに居た別の神を監視するために派遣され、配置された神なのだ」

 平城はもう少し近づこうと思ったのか、拝殿に向かってゆっくりと歩きだす。

 健吾と沙良も平城について歩き出す。

「古社の神は、元々の神を監視するために配置された。そう考えてはじめて、見えてくるものがある。

 オオクニヌシを祀る神社は現在相当数存在している。しかしなぜ大神神社は、オオモノヌシなのか。

 考えられる理由はやはり、大神神社が大和朝廷にとって特別だったからということだ。

 大和朝廷が大神神社の主祭神としてオオモノヌシを祀ったのは、記紀成立以前だ。神道と日本神話の成立過程での話だろう。記紀に大神神社のオオモノヌシ説話が記述されているところからもそれはわかる。

 その頃はまだ神道も確立はしておらず、現在よく見られる分霊という考え方はなかったのだ。分霊は、後世に神社が増えてきたときに始まった制度なのではないだろうか。

 大神神社に神を配置するとき、大和朝廷はできればオオクニヌシをその主祭神としたかったはずだ。

 日本神話の概要がほぼ固まり、その中で怨霊制御の力を与えられた神が、オオクニヌシだったからだ。

 大神神社はオオクニヌシにしか制御できない神社だった。それほど強力な怨霊が、大神神社には祀られていたのだ。

 しかし当時、大神神社を上回る怨霊が存在したのだ。国譲り神話として残る最強の怨霊、出雲だ。

 その最も恐れなければならなかった怨霊を祀る出雲大社に、オオクニヌシは割り当てられ配置された。

 そのあとで、では次に強力な怨霊、大神神社に対してはどうするか? と大和朝廷は考えたのだ。

 分霊制度がまだなかったその時代、すでに出雲大社に配置したオオクニヌシをいかにして大神神社にも配置するか。

 大和朝廷は考えた末に、オオモノヌシの方法を採ったのではないだろうか。

 名前を変えて、逸話を添えて、オオクニヌシの分身であるオオモノヌシを神話の中に創り出したのだ」

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