第17話 蛇(2)

 健吾はうつむいて頭の中の古事記のページを開いて思い出してみるが、平城の話に間違いは見つけられない。

「そうですね。確かにそのとおりです。気がつかなかった。これって、つまりどういうことなんでしょう」

 ゆっくりと平城が話す。

「注連縄は、境界でしかないことを表している。

 注連縄は見る方向によって、神聖にも不浄にもなるということだ。不浄から神聖を区切る。反対側から見れば、神聖から不浄を区切る。

 入るな、という意味と、出るなという意味を併せ持っていると考えられるのだ。

 現在はほとんどの場合、神聖なものを区切ることにしか使われていないから忘れがちだが、この古事記の起源説話からもわかるとおりに、不浄なものを隔離するという意味も注連縄は持っている。

 つまり古事記から今日まで、注連縄そのものは神聖でも不浄でもない。本当の意味での境界でしかないのだ」

 そうなのだろうか。でも、と健吾は考える。

「でも、今は注連縄は大事に扱いますよね」

「それは単に、神聖なものを区切ってるから、という現代人の思い込みから来ているに過ぎない。不浄側から見れば、注連縄も含めて神聖に見えるからだ」

 平城のいうことはわかるが、健吾は素直にはうなずけない。

「そう言われても、うーん、なかなか納得できないですが」

「それなら聞こう。若者、君は正月が過ぎたあと注連縄をどうする?」

 健吾の頭に境内で燃やされる焚火のイメージが浮かぶ。

「それは、神社に持って行って、ええと、どんと焼きというのかな、そこで燃やしてしまいますけど」

「君は仏像も燃やせるのか?」

「そんな、まさか。……あれ?」

 健吾の中でなにかが少し崩れかけていた。

「そうだ、注連縄は燃やしてしまうのだ。本当に神聖ならとても燃やすことなどできやしない」

「平城さん、ちょっとまたわからなくなってきました」

 沙良は両手を胸の前で握り、ふたりのやりとりをじっと聴いている。

「つまり、注連縄は神聖なものとして受け継がれてきたわけではない、ということだ。

 もし私たちの文化が縄文文化を直接受け継いでいるものならば、縄文文化のシンボルで神聖であるはずの蛇、つまり注連縄を燃やして処分するなんてことは絶対にありえない、ということだ」

 腕を組んでうつむき、健吾は考える。

「うーん……」

 平城が続ける。

「まだあるぞ。君は京都の祇園祭りを観に行ったことがあるか?」

「いえ、実物を現場で観たことはありませんけど、祇園祭自体は知ってます」

 腕を組んだまま平城が話し続ける。

「祇園祭のハイライト、山鉾巡行のときに四条麩屋町交差点で行われる行事がある。“注連縄切り”という行事だ。

 いいか、注連縄切り、だ。注連縄を切ってしまう行事なのだ、これは」

 平城がなにを言おうとしているのかがわかったが、健吾はしかたなく認める。

「知ってます。テレビで観たことがあります」

「祇園祭のそれは、結界を切り神域へ入る許可を得る、という意味で行われている。

 現在の意味はどうであれ、注連縄を切るという行為そのものは、注連縄それ自体は神聖でもなんでもないことを意味している」

 これはもう、認めざるをえない。

「そのとおりだと思います」

「まだまだあるぞ」

「えー、まだあるんですか! なんだか、若者くんがかわいそうになってきちゃいました」

 沙良が細い声を出したあと、健吾の肩をぽんぽんと叩いて慰めるようとする。

「そんなことは気にしなくていい」

「ヒサヒデさん……」

 平城は気にせずに続ける。

「さらに、三重県志摩市の安乗神社だ。ここでも“注連切り”という行事が行われている。やはり、注連縄を切る行事だ。

 しかしこの神社の注連縄切りはもっと変わっている。大きな注連縄を大蛇に見立てて、ざくざくと切り裂きばらばらにしていく。

 つまり注連縄ではなく、大蛇を切り裂いていく行事なのだ。

 注連縄どころか、蛇でさえ神聖視していない」

「そんな行事があるとは知りませんでした」

「それほど有名な行事ではないからな。

 しかし祇園祭りほど知られた祭りで、注連縄切りが行われている事実は大きい」

 平城は一度言葉を切り、大きく深呼吸をする。そして続けて話し始めた。

「こういった注連縄の扱い方から見えてくることがある。

 注連縄を切るという行為。蛇に見立てた注連縄を切り刻むという行為。また、一般に行われている注連縄を燃やすという行為。

 これらの行為は、蛇をシンボルとする縄文文化を消す、という意味に取れるように私には思えてならない。弥生文化人が忌み嫌った縄文文化の、その痕跡を消していく行為ではないかと思う。

 それが現代にまで受け継がれ、今の形に落ち着いているのではないか。

 古事記は、不浄な場所に注連縄をかけるという注連縄起源説話を記述している。

 これはすなわち、神社の起源である大神神社が神聖なものではなく、弥生文化人からすれば不浄であった縄文文化を祀った場所だからではないか。

 その入り口に作られた縄鳥居は、不浄な場所を隔離し“ここに入るな”という注意喚起と同時に、祀られている縄文文化人の霊と縄文文化に対する“ここから出るな”という意味も含まれていたのではないか。

 これらが古事記で注連縄起源説話として神話化され、現代に残ったと考えれば納得のいく話だとは思わないか。

 私の言いたいことがわかるか。注連縄はどう考えても、縄文文化直系の痕跡ではない。

 不浄な霊、不浄な文化を隔離して祀るために弥生文化人が作ったものであり、切られ、切り刻まれ、燃やして消されるものだ。

 だからこそ、そこには蛇のモチーフが必要だった。縄文文化をシンボル化して祀られている縄文文化人を慰めると同時に、不浄な場所を示す目印として」

 平城は一気に並べ立てた。健吾も沙良も返す言葉がなく、ただ茫然と聞いているだけだった。

「若者、沙良君、別に君たちを論破しようとしているわけではない。次に進む前に疑問を解消しておく必要があるだけだ」

「わかっています」

 健吾が弱々しくうなずく。沙良もうんうんとうなずいた。

 平城は腕組みを解き深呼吸すると、ふたりの顔を交互に見てから階段上の縄鳥居に目をやった。

「ここまでの話を簡単にまとめておこう。

 纒向のヤマト弥生文化人は忌み嫌っていた、唐古・鍵の縄文文化を滅ぼした。

 しかし古墳文化を持っていた弥生文化人は、唐古・鍵の縄文文化を滅ぼしたことによる罪悪感から、縄文文化人と縄文文化そのものを祀った。

 それがここ大神神社であり、すべての神社の起源だ。

 大神神社の入り口には、縄文文化人の霊を慰めるためと同時に、ここから出るなという結界のために蛇をモチーフにした注連縄を作り、縄鳥居を置いた。

 これが鳥居の起源であり、注連縄の起源だ。

 古事記の、不浄なものに注連縄をかけるという注連縄起源説話はこの神話化だと考えればいい。

 結論として、注連縄は弥生文化人が作ったものであり、縄文文化から私たちが受け継いだものではない。したがって、縄文、弥生のそれぞれの文化は独立しており、融合はしていない。

 ということでどうだ」

 沙良が小さな声でつぶやく。

「わかりました。わかりましたけど、なんだか圧倒されちゃって」

「僕もちょっと圧倒されてしまいましたが、納得しました」

 平城が笑う。

「私も少し興奮したみたいだ。縄鳥居の目の前だったからかもしれない。すまない。話に熱が入ってしまった」

 平城は、階段とその上に立つ縄鳥居を見上げてからふたりに向き直る。

「少し長く立ち話しすぎたようだ。せっかく来たのだからな、もう少し境内を歩いてみよう」

「ですね」と健吾も賛成する。少し脚が痛くなってきていた。

 三人は再び階段を上り始めた。

「沙良君、白蛇が見られるかもしれないぞ。注意して神木のあたりを見ておくといい」

 とんとんと跳ねるように階段を駆け上がりながら、沙良が振り向く。

「白蛇ですか! ほんとにいるんですか?」

 沙良のうしろから平城はゆっくりと階段を上る。

「さっき見ていた神木、巳の神杉(みのかみすぎ)に棲んでいるらしい。本当かどうかはわからないがね」

「蛇は、あたしちょっと遠慮したいかも」

 平城のうしろから階段を上っていた健吾が、ふと思い出したように平城を見上げて聞く。

「そういえば平城さん、さっきオオモノヌシが蛇だっていう話をしましたけど、縄鳥居と注連縄の話から考えると、祭神が蛇というのはやっぱり縄文文化のイメージからきているっていうことですよね」

 階段を上り切ったところで平城はうしろの健吾を待つ。沙良ははやく神木の方に行きたそうにしているが、少し離れたところで平城と健吾を待っている。蛇は遠慮したいはずなのに、見られるのなら見たいと思っているのだろう。

 健吾が階段を上り切ったところで、平城が口を開く。

「もちろんはじめから蛇を祀ってあったわけじゃない。はじめは唐古・鍵の縄文文化人だと私は思っている。

 しかしやがて縄文文化がシンボル化されて、時を経るうちにイメージ化され、ついには祭神が蛇と同一視されるに至って、大神神社は蛇を祀ることになったのだ」


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