第16話 蛇(1)

「この鳥居をよく見たまえ」

 平城はふたりを促した。

 確かに、変わった鳥居だった。

 鳥居を支える二本の柱の上、普通は笠木、島木と呼ばれる横向きの柱が渡されているが、この鳥居ではそれが縄になっている。かなり太い縄だ。

 両側の柱に渡された太い縄。鳥居といわれれば確かに鳥居だが、一般的な感覚からは鳥居には見えないかもしれない。

「鳥居ですよね、これ」

 沙良がその変わった鳥居を見上げながらつぶやく。

「前に来たときも確かにくぐった覚えはありますけど、あまり気にしなかったなあ」

「この変わった鳥居が、縄文文化の痕跡ということですか」

 健吾もその鳥居を見上げたままだ。

「不思議な鳥居だろう」

 平城も鳥居を見上げたまま、その場で腕を組む。

「私はこの鳥居こそ、ここ大神神社に残された縄文文化の痕跡だと考えている」

 健吾は平城を向く。

「聞かせてください」

 沙良がスマホを取り出して、その鳥居の写真を撮り始めた。

「その前に階段を降りよう。ここでは他の参拝客の邪魔になる」

 そう言うと平城は階段を降り始めた。健吾も続く。数枚写真を撮ってから、沙良がスマホを持ったまま階段を駆け下りた。

 手水舎前の広場に降りた三人は、参拝客の邪魔にならない広場脇からもう一度階段上の鳥居を見上げた。

 沙良がもう一度スマホを構えて階段下から写真を撮る。

「この鳥居は、縄鳥居と呼ばれている」

 平城が話し始めた。

「鳥居の起源ははっきりとしていないが、この大神神社の縄鳥居形式が鳥居の原形ではないかといわれている。

 つまり一番古い形式の鳥居が、この縄鳥居なのだ」

 健吾が鳥居から平城に目を移して尋ねた。

「この縄鳥居の形式が古いということはいいんですけど、どうしてこれが縄文文化の痕跡になるんですか。弥生にまで遡るような古い形式と考えていいんですか」

 沙良が写真を撮り終わり、ふたりの横に戻ってきた。。

「本当にこれが弥生にまで遡る起源を持っているのかどうか、私には確認のしようがない。

 しかし、この鳥居から受ける印象をもっとよく考えてみるといい。

 この鳥居から、君たちはなにを連想する?」

 健吾と沙良はまた鳥居を見上げた。

注連縄しめなわ、ですよね」

 健吾が腕組みをして、つぶやく。

 沙良が鳥居を見上げながら、右手を口元にあてる。

「あたし、わかっちゃったかも……。というか、もうそれにしか見えない」

「話してくれ、沙良君」

「あの、蛇なんです。蛇みたいに見えてしまって」

 沙良は口元に手をあてたまま平城を向くが、またすぐに鳥居に目を戻す。

「なるほど。そうか、蛇なんだこれは」

 健吾もまだ鳥居を見上げたままだ。

「そのとおりだ。そう思って見直してみると、この注連縄は蛇にしか見えない。つまりこの鳥居は、二本の柱の上を大蛇がのたうっているように見えるのだ」

「というとこの注連縄が、というか蛇が縄文の痕跡?」

 平城は健吾と沙良を交互に見る。沙良も平城に視線を戻した。

「昨日と今日で、私たちが話した中に出てきた縄文文化のキーワードを並べてみよう。

 うねる、ぐにぐに、格子模様、くるっとした、禍々しい、生理的嫌悪などだ。私たちの話の中に出てきた言葉だけでも、これはすべて蛇を連想させる言葉になると思わないか?」

 健吾はまた鳥居を見上げて、うなずく。

「なるほど。縄文文化から受ける印象はすべて、蛇に通じるところがあるということなんですね。だから唐古・鍵を滅ぼした弥生文化人も、蛇を縄文文化のシンボルと見なした」

 平城がうなずいた。

「縄文文化人が自ら蛇をシンボルとして使っていたのか、あるいは弥生文化人が縄文の印象から蛇を関連づけたのかは、これはもうわからない。

 しかし蛇が明らかに縄文文化を感じさせることは間違いない。

 そして、縄文文化を感じさせる蛇をさらにシンボル化して縄で表現したものを、大神神社の入り口に置いた。ここから先は縄文文化が眠っている場所ですよ、という無言の印として。またそこに眠る縄文文化人への慰めとして。

 そう考えれば、大神神社が最古の神社といわれていることも、縄鳥居の意味も、私には納得できる」


「ヒサヒデさん、あの、ちょっと」

 沙良が平城と鳥居を交互に見ながら、おずおずと口を開く。

「縄鳥居、見ていて思ったんですけど、これってやっぱりさっき若者くんがつぶやいたように、注連縄ですよね?

 蛇をモチーフにしてることはわかるんですけど、だったら今ある注連縄って、全部が蛇ってことですか?」

 平城が腕組みを解き、髪に片手をあてて撫でつける。

「面白いところに気がつくな」

 健吾もなにかに気がついたように、腕組みを解いて平城に顔を向けた。

「そうか……。沙良さん、注連縄が蛇だとすれば、これはちょっとやっかいな問題になりますよ。平城さん、そうですよね」

「痛いところに気がつくな、君たちは」

 髪に右手をあてたまま、平城はうつむいて少し顔をしかめる。

「え? え? どういうこと? 若者くん」

「だって注連縄は現在、僕たちの文化に定着してるじゃないですか。

 その注連縄が縄文文化の痕跡なら、平城さんの縄文文化独立説が根底から揺らいでしまうことになるんですよ。

 縄文文化から弥生文化へ徐々に変化していったその過程で、蛇のシンボルが注連縄として残った、ということもいえるってことになりますよね。

 平城さんの話は、現在の文化に縄文の痕跡が見当たらない、というのが前提なんですから」

 一気にまくし立てながら、健吾は平城を見つめた。

 平城さんはミスをしたのか?

 髪から手を離し、平城はジーンズのポケットに両手を差し込む。

「痛いところをついてくるな、若者。

 確かに注連縄は蛇がモチーフだと思う。ついでにいえば、正月に飾る鏡餅も、あれは蛇がとぐろを巻いたところをシンボル化したものだという説もある。

 さらに日本だけでなく、世界中に蛇をモチーフにしたシンボルが数え切れないくらいある」

 健吾の頭の中に蛇をシンボルにしたマークがいくつか思い浮かんだ。

「そういえば、WHO(世界保健機関)のマークも、蛇だったような」

 平城がうなずいた。

「蛇は、そのものが信仰の対象だったのだ。脱皮をする姿、交尾のときの様子などから、生命、医学、薬学などの象徴として、蛇は世界中で信仰されシンボル化されている」

「そうなってくると、この大神神社の縄鳥居がどこから来たのかということを考えるのは、かなり難しい話ってことになりませんか」

 ジーンズのポケットに手を差し込んだまま、平城は空を見上げた。

「そういうことになるが、今私たちが検討しなければいけないのは、二つの可能性だ。それ以外の可能性については矛盾が出てきたときに再検討するということで単純化したいが、どうだろう。

 ひとつ目は今の話、弥生文化人が縄文文化の象徴として蛇をシンボル化した可能性。

 ふたつ目は、縄文文化が弥生文化に変化していく過程で、蛇が現代にまで残った縄文文化の痕跡だとする可能性だ」

 健吾は地面に視線を落として数瞬の間考えたあと、顔を上げる

「そうですね。そうしたほうがいいのかな。僕たちはこういうことがあったかもしれないという、可能性の話をしているわけですから。

 世界の蛇信仰を検討するよりも、弥生時代に起り得た出来事の可能性を考えるのが今は正しいと思います」

 平城がうなずきながら微笑む。

「では話を戻そう。私はこの大神神社の縄鳥居を、そこに祀られた縄文文化人を慰めるために弥生文化人が設けた、縄文文化のシンボルではないかと考えている。

 縄文文化のシンボルとして蛇が使われ、蛇をさらにシンボル化した注連縄が張られたこの鳥居が、今日の鳥居の原形となり注連縄もそのまま今日まで受け継がれた、というのが私の考えだ」

 健吾は平城の言葉を聞き漏らさないように注意しながら、慎重に答える。

「注連縄は、弥生文化人が造った大神神社のこの縄鳥居が原点であり、縄文文化そのものから現代にまで受け継がれてきたものではない、ということですね」

「そうだ」

 健吾はさらに言葉を慎重に選ぶ。

「しかし、縄文文化を象徴する蛇からきた注連縄が、現在僕たちの文化に定着してることも事実ですよね」

 平城が微笑み、少し肩をすくめるような動きを見せた。

「そのとおりだが、注連縄は神社と神道の中だけに留まっているのではないか?

 仮に縄文文化が弥生文化に変化してきたのなら、注連縄だけでなく、現代のもっとメジャーな部分に縄文文化の痕跡が残っていてもいいはずだ」

 平城のちょっとした動作のニュアンスが気に入らず、健吾はわずかに言葉に力を込める。

「それはそうですけど、ゼロか一なら、これは一になります。一なら、あとは程度の問題で、残っていたということに間違いはないかと」

 平城が微笑みを消し、真顔で健吾に聞いた。

「注連縄は、現在どういう目的で使われているか知っているか、若者」

 一瞬、健吾は考える。

「ええと注連縄は、なんていうんだろ? 聖域の区切り、かな」

「そのとおりだ。いわば結界を示すために使われる。神聖と不浄の境目を区切る役割だ」

 瞬間的に正しい答えを思いついたことに、健吾は勢いを得る。

「ですよね。だから僕たちも注連縄や鏡餅や門松なんかは、丁寧に扱います。神聖なものや場所を区切って守るわけだから。

 つまりそれって、注連縄イコール蛇は、神聖なものと考えられているってことじゃないですか。

 仮に縄文文化人がこの大神神社に祀られて、ええと、神になったとしてもですよ、禍々しいと思って滅ぼしたものを注連縄で区切って神聖として扱うでしょうか。

 でも、もし縄文文化がそのまま現在まで受け継がれて来ているなら、縄文文化自体を神聖として扱っていてもおかしくないと思います。注連縄も同じく神聖なものとして扱われることに不思議はないかと」

 平城がまた腕組みをして、大きく息を吐いた。

「素晴らしい論理だ、若者」

 沙良が心配そうにしてふたりを交互に見つめている。

 少し間を置いてから、平城が健吾を見つめた。

「もうひとつ聞きたい。君は注連縄の起源を知っているか?

 今私が話したこの縄鳥居のことではなくて、一般的にいわれている起源、という意味でだ」

 健吾は一瞬考えたあとで言葉を濁す。

「そこまではちょっと」

「あたし知ってます!」

 沙良がつま先立ちになって手を上げた。

「ほう」

 ふたりが同時に沙良に目をやった。

「古事記ですよね! 古事記でアマテラスが岩戸隠れする場面」

「沙良君、話してくれないか」

 沙良が身振りを交えて話し始めた。

「アマテラスが岩戸隠れしたあとで、神さまたちはみんなでその岩戸の前で宴をしたんですよね。

 そしたらアマテラスは、私が居ないのになぜみんな楽しそうにしてるんだろうって思って、岩戸から外を覗き見したんですよ。

 そこで、ええと確か天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)がアマテラスを引っ張り出して、その隙に布刀玉命(フトタマノミコト)が岩戸に注連縄をしたんですよね。

 アマテラスがもう岩戸に入れないようにって」

 沙良の話を聞いた平城と健吾は、数瞬の間言葉を失っていた。

「沙良さん、すごい」

「驚いた。君は古事記にも詳しいのか」

 沙良が照れてうつむく。

「いえ、そこまで詳しいってわけじゃなくて、奈良巡りをするならやっぱり古事記くらいは読んでおかなくちゃってくらいで」

「沙良君、君が話してくれた今の話はそのとおりなのだが、なにかおかしなところに気がつかないか?」

 沙良がびっくりして眼を大きくする。

「え? あたし、間違ってましたか?」

「いや、話自体は正確だ。驚いたくらいだ。

 君の記憶ではなくて、話自体におかしなところがあると私は思う」

 健吾が平城を見てつぶやいた。

「平城さん、古事記ですよ?」

「そうだ。だから誰もおかしなところを指摘しないのだ」

「神話ですよ?」

「神話だろうと、おかしなものはおかしい」

 健吾が平城をにらむように見つめる。

「聞かせてください」

 平城を見つめる健吾と沙良を交互に見ながら、平城が話し始めた。

「アマテラスが岩戸から外に出た。そこでフトタマノミコトが岩戸に注連縄をかけた。

 これは普通に考えればおかしいだろう。

 若者、さっき君は、注連縄は神聖なものや場所を区切って守る、と言ったはずだぞ。

 この場合の神聖なものや場所とはなんだ?」

「それはもちろんアマテラスだと……、あれ?」

「そうだろう。現代の感覚なら、アマテラスが注連縄をかけられる本体だ。しかし古事記では岩戸にかけている。

 神聖なものが出たあとの、いわば不浄の場所に注連縄をかけているのだ。

 注連縄の起源とされる古事記の中で、注連縄は君の認識とは違う使い方をされている」

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