第15話 三輪山(2)

 大神神社。

 最古の神社と伝えられ、創建は不明だ。縄文時代とも弥生時代ともいわれている。

 祭神は大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)。配神として、大己貴神(オオナムチノカミ)、少彦名神(スクナヒコナノカミ)が配されている。

 健吾が二の鳥居に向かう途中で、簡単な説明をする。昨日、平城に言われたとおりに予習してきたのだ。

「つまり、大神神社には本殿がないんです。三輪山自体がご神体なんです。あるのは拝殿だけ。だからお客さんというか、参拝者は拝殿で三輪山に向かって参拝するということなんです」

 歩きながら沙良がうんうんと頷き、健吾の話を真剣に聞いている。

「あー、やっぱりちゃんと知ってる人と来なきゃだめなんだ。あたしなんてただ有名だからってだけで前に来たから、なんにも知らずにすごい! ってだけで終わっちゃった」

 平城が、はははと笑う。

「それでいいと思う。ちゃんと知ってから来なくちゃいけない、なんてことに決めたらどこにも行けなくなる。どんな理由にしろ、まずは出かけることが大事だ」

「平城さん、引きこもりだって自称してますよね」

 また平城が笑う。

「そうだった。私にそういうことをいう資格はない」

「僕もですけど」

 沙良も笑顔を見せる。

「若者くん、今の説明の創建のところだけど、縄文時代とか弥生時代っていわれてるってとこ」

「うん。そんなこといわれてるんです。正直、よくわからないというのが本当のところみたいです」

「でも、だとすればヒサヒデさんのお話の、唐古・鍵と纏向時代の弥生後期創建でもおかしくはないってことですよね!」

 そのとおりなのだ。平城の話でここまで、自分が知っている範囲で明らかにつじつまが合わないという個所を、健吾は見つけることができていない。

「そういうことになります。平城さんのお話でも、間違ってるとはいえないってことです」

 だからこそ、わくわく感があるのかもしれない。このわくわく感が、平城の話の最後まで続いてくれることを健吾は願う気持ちになっていた。平城さんが明らかなミスをしませんようにと、大神神社でお願いしようかとちょっと健吾は考えた。

 平城はなにも言わずに、笑顔でふたりの話を聞いている。

 やがて二の鳥居前の駐車場が見えてきた。やはり沙良の話したように満車だ。そこに入ろうとする車が十数台、列を作っている。この車列に連なれば、引き返してうしろの駐車場に戻ることさえ難しくなるかもしれない。

「沙良君、やはり正解だった。いい判断だ」

「ですよね! 前もここに入ることできなかったんだもの」

 駐車場を通り抜け、二の鳥居前でお辞儀をした平城を見て、健吾と沙良も立ち止まりお辞儀をする。

 平城は鳥居をくぐりながら「宝探しだ」と健吾を向き、つぶやいた。

「でも平城さんは宝の在りかというか、宝がなにか知ってるんですよね」

「まあな。ただ、この考えを持ってから見るのははじめてだ。やはり楽しみだ」

 沙良はふたりの前で軽くスキップをしている。

「今回はきちんと見て周るんだから!」

 まるで体の重みを感じていないかのような軽やかさだ。

 緩やかに上る参道を、沙良はスキップしながらきょろきょろとしている。なにも見逃さないぞと自分に言い聞かせているのだろう。

 健吾もそれなりにあたりを見回しながら歩くが、それらしいものは見つけられない。

 平城は参道に覆いかぶさるように茂る樹々を眺めながら、のんびりと歩いている。

 やがて拝殿へと向かう階段が見えてきた。けっこうな参拝客が階段とその向こうにいるようだ。

 三人は階段前の手水舎で手と口を清め、拝殿に向かう。

 沙良は階段を駆け上がり、拝殿前境内に入ったところで周囲をぐるっと見渡している。

 階段を上りながら、平城が声をかけた。

「沙良君、まずはお参りしようじゃないか」

「あ、そうか、そうですね!」

 平城と健吾は境内へ上がり、その横に沙良がおとなしく並んだ。拝殿前には数組の列が出来ていた。

 参拝の順番を待ちながら、健吾はふと思い出した。

 もし平城の話が正しいとしたら、この拝殿の向こう、神体である三輪山には唐古・鍵の縄文文化人と縄文文化が祀られている。

 文化の違いという理由で殺され、文化そのものを抹殺されて根絶やしにされた縄文文化人の霊が、ここには眠っている。

 今この場所に来ている参拝客は誰も知らない血塗られた歴史が、この神社には葬られているのかもしれない。

 そう思うと拝殿の彼方に広がる青空が、健吾にはひどく場違いに感じられた。

 参拝の列はそれほど待つこともなく進み、三人は拝殿の前に横並びに立った。三人はそれぞれ賽銭を入れ、お辞儀をする。

 神社そのものについてはそれなりの知識がある健吾も、実は実際に参拝したことはあまりなく参拝方法に自信がなくなる。隣の平城をのぞき見ながら、平城に合わせて健吾も二度頭を下げ拍手した。二拝二拍手一拝。

 沙良は慣れているようで、大きな音を出してぱんぱんと手を合わせている。

 拝殿前を離れると平城が沙良に聞いた。

「なにをお願いしたんだ?」

「そりゃあもう、ヒサヒデさんのスサノオが早く見られますように! ってことですよ!」

 沙良が弾むように歩きながら平城に笑顔を向ける。

「それはありがたい。そうか、スサノオの話だったな元々は」

 健吾が平城をにらむ。

「頼みますよ、平城さん」

「若者、スサノオで思い出したが、今私たちが入れた賽銭の起源を知っているか」

 三人は境内に立つ神木“巳の神杉”の横に立ち止まる。

「お賽銭の起源? それはええと、知りません」

 沙良は神木の根元に置かれた数個の卵を興味深そうに眺めている。

「古事記によれば、スサノオが高天原でさんざん暴虐を働き、そのせいでアマテラスが岩戸に隠れてしまう。神々はアマテラスをなんとか岩戸から引っ張り出したあとで会議をして相談するわけだ。スサノオの処分をどうするか、と。

 そこで決定したのが、罪を贖う品々を差し出させた上で、高天原から追放するという処分だ。

 このときスサノオに差し出させた品々が、賽銭の起源だという説がある。本当かどうかはわからないが」

「その話自体は知ってますが、それがお賽銭の起源だとは知りませんでした。面白いです。覚えておきます」

 沙良も首を傾げて感心する。

「そうなんだ。知らなかったなあ」

 平城が続けた。

「もしそれが本当だとすると、賽銭は願い事のために差し出すものではないということになる。罪の贖いなのだから」

 沙良が両手を胸の前で叩いた。

「あ、そうか。お願い事じゃなくて、これまでの罪をお許しくださいっていう意味なんだ!」

 沙良がしまったという顔をして、健吾を見る。

「若者くん、お願いじゃなくて謝罪なんだって。ちゃんと謝った?」

「いえ、お願いしてしまいました。はやく平城さんの話がスサノオに繋がりますようにって」

 平城が笑う。

「すまん。奈良にいるうちになんとかする」

「それよりも平城さん。まずは懸案の痕跡ですよ。縄文文化の痕跡」

 沙良がぴょんと跳ねる。

「そうですよ! でも、見回してもわからないんですよね。この卵くらいかなあ」

 沙良は神木の根元を見下ろす。

「どうして卵が置いてあるんだろ」

 健吾も卵を見下ろしながら話す。

「それは、大神神社の神様が蛇だからですよ。オオモノヌシは蛇に姿を変えるんです。そこからの連想で蛇の好物の卵が供えられてるってことらしいですよ」

 沙良が両手を口にあて、眼を大きく開く。

「オオモノヌシって、蛇だったんですか」

「そうだ。日本書紀にそう書かれている。

 若者のおかげでちょうどいいきっかけができた。さあ、例の宝物を見に行こう」

 平城はにこりとすると、ふたりを誘って前を歩きだした。

「やった!」と沙良は小走りに平城を追ったがすぐに平城が立ち止まる。その背中に沙良がぶつかった。

 健吾が追いついてきた。

「ヒサヒデさん、どうしたんですか」

 平城が、うしろに立っているふたりを振り返り、にやりとする。向き直り、上を見上げた。

「これだ」

 健吾と沙良は、平城の視線の先を追う。

 そこには、鳥居があった。

 拝殿前の境内から手水舎前広場へ降りる階段の手前に、その鳥居は立っていた。

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