第13話 神社発祥(2)

  三人は平城がピースを吸い終わったところで、ヴィッツに戻った。

 相変わらず運転は沙良だ。平城と健吾も同じ席に着く。

 沙良が合流車線から右うしろをのぞきながら、平城に尋ねた。

「ヒサヒデさん、文化の違いって実際はどんな感じなんでしょうか。自分たちとは違うからやっつけてしまおうってことなんですか」

 東名阪道の交通量は増えてきているが、沙良は特に問題もなく本線へと合流する。

 平城が後部座席から答える。

「違うからやっつけてしまおうとはっきり意識しているのなら、まだ話はわかりやすいし、互いに話し合う余地すらあるかもしれない。

 しかし私は、もっとどろどろしたものを感じる。

 自分でも理由がわからない、なんとなく嫌だ、見たくない、消えてほしいというような、いわば生理的嫌悪感がそこにあったのではないかと思う」

 沙良が眉をひそめる。

「現代のイジメみたいですね」

 生理的嫌悪感。健吾は声に出さずにつぶやいた。

 平城は沙良から返してもらったチョコボールの箱を開き、中からひとつをつまみ出しながら続けた。

「そのとおりだ。いじめる側の心理そのままだ。特にはっきりとした理由はないのだ。

 これは人間がずっと持ち続けている変えようのない根源的な心理だと、私は思う」

 健吾はもう一度口の中だけで生理的嫌悪感とつぶやき、その言葉の意味を考える。

「縄文的なデザインを僕たちは“禍々しい”と、理由さえわからずに思ってしまう。そういう気持ちを、纒向の弥生文化人たちも持っていたということですか」

 運転席と助手席の間に身を乗り出して、平城が健吾に聞く。

「そうだ。だからおそらくふたつのムラは、はじめは共存していたんだ。遺跡の発掘状況も、それを確認しているな?」

 健吾はうつむいたままで、頭の中に年表を呼び出す。

「はい。さっきも話しましたけど、纒向と唐古・鍵は同時代に並立していたと考えられています」

 東名阪道は亀山サービスエリアを過ぎたあと、伊勢自動車道と国道25号線、名阪国道とに分離する。名阪国道に入るには高速道路からいったん降りる形になるが、名阪国道は自動車専用道路で実質は高速道路と変わりがない。速度制限が低く設定されているだけだ。

 沙良はこの分岐もスムーズに通り抜け、ヴィッツを名阪国道へと乗せたあとで速度を抑えた。

「同時代に並立していたことで、唐古・鍵遺跡から弥生式土器が出土する理由も説明できる。纏向と唐古・鍵は、お隣さんとして交流があったのだ」

 平城が後部座席で腕を組み、話を続けた。

「しかしやがて、少しづつ纏向と唐古・鍵の対立が大きくなっていく。

 纒向側が縄文デザインを“禍々しい”と思うのなら、当然のことながら唐古・鍵側も、弥生デザインを快く思っていなかったのではないか。

 徐々に対立が深くなり、やがて争いに発展していく」

 健吾の頭の中で再び、ムラ同士の殺し合いのシーンが思い浮かんでくる。

「お互いが快く思わない文化間の争いだ。話し合いでの妥協ができるようなものではない。理性で解決できる問題ではなかったのだ。

 だからこの争いは、相手が降伏するまでではない。

 根絶やしの戦いだ。“見たくないもの”が消えてなくなるまでの、究極の戦争なんだ」

 沙良がつぶやく。

「全然変わってないのかもしれない。あたしたちは昔からずっと同じことを繰り返してるんじゃないのかな」

 唐古・鍵の縄文楼閣。健吾はそれを写真でしか見たことがなかったが、楼閣が血にまみれ、死体がぶら下げられている場面が目の前に見える気がする。

「その戦いのあと、唐古・鍵の縄文文化は、この世から消えた……」

 チョコボールの箱を閉じ、平城はアイコスを手に取ってから言った。

「そうだ。すぐ隣の纒向に日向からやってきた異文化人、ヤマト弥生文化人によって唐古・鍵は滅ぼされた。

 彼らヤマト弥生文化人は、縄文文化とはまったく異質の文化を持っていた。

 すなわち、弥生式土器と前方後円墳と、そして怨霊信仰だ」


 血にまみれた楼閣を想像して言葉が出なかった健吾は、いきなり現実に引き戻された気がした。

 振り向いて平城に向けた言葉が思わず抗議口調になってしまう。

「ええと、平城さん。弥生文化が日向に突然現れたことについては、そういうことにしましょうと言いましたが、怨霊については初耳ですよ。土器と古墳はいいとして」

 アイコスをくわえる平城は健吾の口調にも平然としたままだ。

「それはそうだ。今はじめて話したのだからな」

 平然とした平城の態度に、健吾は勢いを削がれる。

「一応、文献史学では怨霊思想は平安以降って記憶してるんですけど」

 口調も少し抑え気味になる。

「そうかもしれない」

 平城が水蒸気をはき出しながら、ぼそっとつぶやく。

「そうかもしれないって。それなりの根拠があると見ました。聞かせてください」

 平城が身を乗り出す。

「だって、そうだろう。弥生文化は巨大な古墳を造る文化じゃないか。

 死者を崇めてるわけだから古墳を造るんだ。その人々が死者の霊を畏れないわけがないだろう。

 巨大古墳を造った時点で、というよりも墓を作る時点で、死者を畏れる文化があったと考えるべきではないのか。たとえ文献には残っていないとしても」

 それはそうだが、証拠がない。健吾はそう言いかけて、自分がそこまで文献にこだわっていることに少し驚く。明文化されていないというだけで、今この場での証拠は墓や古墳で充分なのかもしれない。

「それなら吉野ヶ里なんかの墳丘墓や甕棺も?」

 吉野ヶ里の発掘調査報告書で見た写真を思い出す。

「そうだ。死者を畏れるからこそ、きちんと埋葬したのだろう」

 至極当たり前のことを平城は話しているとは思うが、当たり前では済まされないのが文献史学であり、その証拠がどこかにないかと文献をつぶさに検討するのが手法だ。健吾はその手法に慣れきっており、平安以降はその手法を採ることができる。

 しかし弥生時代のことを話している今は、やはり平城のいうことを受け入れるしかなかった。もちろん極端な飛躍がない範囲で、と健吾は思い直す。

「そうすると、縄文時代を含めてずっとそういう信仰というか思想があったということですか」

「私はそう考えている。ただ、ヤマト弥生文化人はそれまでとはレベルが違った、ということだ。巨大な前方後円墳を造ってしまうほど、死者への畏れは大きかったということだ」

 論理的には間違っていない。普通に考えれば、確かにそういうことだろう。健吾はとりあえずその考え方を受け入れることにした。

「確かに文献には残っていないけど、そう言われるとそんな気がします」

「無茶な発想の飛躍はしていないつもりだが、確かに証拠はない。しかし、証拠を見つけてからでは話はまったく先に進まないことになる」

 沙良は黙っているが、明らかに集中してふたりの話に聞き入っている。

 関インターを過ぎ、ヴィッツは加太峠に差し掛かる。

 本能寺の変のあと、家康が必死の思いで超えた峠だ。それが今やわずか数分で超えることができる。

 健吾はふと、加太峠で家康はどんな気持ちだったのだろうと想像した高校生のときを思い出した。健吾にとって、歴史が一番楽しかったころだ。

「わかりました。妥協しましょう。纏向のヤマト弥生文化には怨霊信仰があったということで進めましょう。

 でもわからないんですが、弥生文化人に怨霊信仰があったとすれば、それがどうお話に関わってくるんですか」

 平城は吸い終わった煙草カートリッジを携帯灰皿に入れてチョコボールをつまむ。

「かなり大きく関わってくる。

 まずは手始めとして、神社の起源だ」

「神社? 今の神社全部の起源ってことですか?」

 山中を走る車の前方から目を離さずに、沙良が驚いたような声を出す。

 後部座席から平城がチョコボールを沙良の肩越しに差し出す。沙良は肩の感覚で気がつき、チョコボールを受け取る。

「そうだ。神社すべての起源だ」

「またぶっ飛んできましたね」

 平城はチョコボールを健吾にも差し出すが、健吾はチョコがあまり好きではない。軽く手を前に出して、あ、いいですのサインを送る。

「特にぶっ飛んでいるつもりはない。死者がいたから、畏れて祀った。それが神社になった。当たり前の話だと思わないか」

 健吾に断られたチョコボールをそのまま口に放り込み、平城が答える。

「でも、死者をいちいち神社に祀ってたら、キリがないですよね」

 平城はチョコボールの箱を持ったまま座席の背にもたれて、脚を組む。けっこうきつそうだ。

「だから特に重要視していた死者を祀ったのだ。重要人物は巨大古墳に。それ以外の人物は神社に」

「それ以外の人って、どういう人ですか。重要視してて、でも古墳に埋葬されなかった人って」

「若者、それは君の方がよく知っているはずだ」

 ハンドルを握ったまま沙良が声を上げる。

「あー、わかった! 崇徳天皇や菅原道真!」

「そうだ。平将門や、後醍醐天皇もそのひとりじゃないか」

 健吾が少し考えてから、口をすぼめるようにして平城を振り返る。

「怨霊の人たちじゃないですか」

 平城が笑う。

「だから言ってるじゃないか。怨霊信仰だと。

 若者、この怨霊たちに共通していることはなんだ?」

 健吾はまた少し考える。

「怨霊に共通していることは、その、みなさん恨みを抱いているということでは」

 自分でも当たり前すぎることを口にしていると思う。それでも平城はその答えで満足したようだ。

「そのとおりだ。恨みを抱いて死んだ人が怨霊となって、生きている者を苦しめる。それが怨霊思想だ。そしてその怨霊を祀り、敬い、どうか我々に害をなさないでくださいと祈るのが、怨霊信仰だ」

 そのとおりだと健吾は思うが、やはりまだそれがどう話に繋がるのかがわからない。

 一呼吸してから平城が話を続ける。

「話を少し整理してみよう。

 纒向のヤマト弥生文化人は、文化の違いから“禍々しい”と感じていた唐古・鍵の人々と縄文文化そのものを滅ぼした。

 滅ぼされた側の唐古・鍵からすれば、これはもう恨みどころの話ではない。根絶やしだからな。恨んでも恨み切れない。悪いことはなにもしていないのに、ただ弥生文化側からの嫌悪感だけで殺されているのだから。

 そしてここに注意してほしいのだが、滅ぼした側の纒向ヤマト弥生文化側も、唐古・鍵側が悪いことをしたわけではないと知っていたのだ。

 沙良君がさっき言ったように、現代のイジメを考えてみるといい。

 相手はなにも悪いことをしていないのは知っている。でも生理的嫌悪からくるイジメはやめられない。

 こういう理由のない嫌悪感からくる行為は、いじめた側に罪悪感をもたらす。今でもきっと、昔やってしまったイジメに罪悪感を持って生きている人はたくさんいるはずだ。

 唐古・鍵を滅ぼした纏向ヤマト弥生文化人も、その行為に対して大きな罪悪感を抱いたに違いない。

 自分たちの行為を悪いことだから事前に止めておこうとは考えない。しかし行為後に罪悪感は抱く。人間の心理の複雑なところだ。

 その事後に抱く罪悪感が、相手を畏れる、敬う、という気持ちに直接繋がるとは思わないか。

 巨大古墳を造って死者を敬う纏向ヤマト弥生文化人のことだ。彼らはきっと、そう考えたはずだ。

 そして自らが滅ぼした唐古・鍵を、祀って敬いはじめたのだ。

 唐古・鍵の人々と、縄文文化そのものを祀る祭祀施設を作ったのだ。

 これが私の考える、日本における最初の祭祀施設だ。

 つまり、神社の起源だ」


 神社の起源。そんなことを深く考えたことはなかった。

 神社は昔から当然のように存在し、あまりに当たり前に目の前にあった。山や川、岩や樹々の自然を崇めた昔の人々が作ったのだろうと信じて疑わなかった。

 平城に神社の起源だと聞かされたときも、まさか平城が本気で神社の起源を考えているとは思っていなかった。そういう具体性とは無関係に神社は昔からあると思い込んでいたのだ。

 それがこれまでの話の流れと合わせて聞くと、不思議にありそうに思えてくるから不思議だ。決して証明できる説ではないが、その説は平城の話の中で説得力を持っていた。

 健吾は大きく深呼吸をして、もう一度平城の話を頭の中で反芻した。

 ヴィッツは伊賀上野を通過し、山添村に近づいている。まもなく奈良県に入るだろう。

 沙良がなにかに気がついたように、後ろの平城をちらりと見てまた正面に視線を戻す。そして恐る々々というようにゆっくりと小さく言葉を紡ぐ。

「あの、ヒサヒデさん、今の話ですけど。纏向と唐古・鍵が神社の起源になったということなら、当然場所は今の纏向遺跡の近くってことになりますよね? 弥生時代だから、歩いて行けるくらいの距離になりますよね?

 あの、もしかしてその最初の神社って纒向のすぐ近くの、これから行こうとしている大神神社のこと、ですか?」

 平城の声が嬉しそうに大きくなった。

「そうだ沙良君。今から行く場所だ。三輪山の麓、大神神社だ」

 沙良が右手をハンドルから離し、ぎゅっと握って小さくガッツポーズをする。わずかに速度が上がる。

「わあ! やった!

 日本最古っていわれてる神社ですごいパワースポットだと聞いたので前にお参りに行ったんですけど、そんな秘密があるなんて知らなかった!」

 喜ぶ沙良を横目で眺めながら、健吾も高揚していた。わくわくしてはいたが、どこか不思議な敗北感があるのも事実だった。

 昨日の邪馬台国の場所特定のときもそうだったが、これまでに健吾が考えたことのない平城の論理展開と、健吾が頭の中で訓練してきた考え方との違いが壁となり、気持ちが追いついていないのだった。

 このわくわく感はいったい、どこから来ているのだろう。


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