第11話 纒向
沙良が右手をハンドルから離して、頬に寄せる。
「あの、西都原古墳群で思い出したんですけど、畿内に、というか奈良にも遺跡はありますよね。纒向(まきむく)とか唐古・鍵(からこ・かぎ)とか。あたし、見てきましたけど」
平城が後席から沙良を感心したように見つめた。
「沙良君、唐古・鍵遺跡を見てきたのか。
纒向はこのところの発掘調査で話題だからわかるが、唐古・鍵に行っているのは、たいしたものだ。纏向のせいかどうかはわからないが、唐古・鍵はあまり話題になっていないからな」
纒向遺跡は奈良県桜井市にある巨大な遺跡であり、三輪山の北西に広がっている。遺跡の中の箸墓古墳を卑弥呼の墓だとする説もあり、邪馬台国畿内説の中心遺跡だ。
邪馬台国畿内説では現在、纏向が発展を続けて大和朝廷に連続していくという考え方が主流である。
唐古・鍵遺跡も奈良県だ。奈良盆地のほぼ中央に位置しており、かなり大きな遺跡ではあるが纒向遺跡には規模で劣る。
ふたつの遺跡は直線距離で五キロほどしか離れておらず、歩いても一時間くらいしかかからない。
そして、唐古・鍵遺跡はその終末期において、纒向遺跡と時代が重なっている。
あまり出かけない健吾はどちらの遺跡も現地では見ていない。しかし、沙良がそのふたつの遺跡を指摘したことにはやはり感心した。
この人、いろんなことを知ってるみたいだ。昨日の「知ってるんだ持統天皇」という沙良のセリフを健吾は思い出す。
それにしても、遺跡の話を持ち出してしまって平城さんは大丈夫なのかな。あまり考古学的な深入りをすると、話が進まなくなるんじゃないかな。
健吾は学問的な厳密さよりも今は、平城がどのような考察をしているかを聞きたかった。
「沙良さん、纒向遺跡は弥生の終わりごろから古墳時代にかけての遺跡なんです。つまり邪馬台国とほとんど時代が重なってて、畿内説の大きな根拠になってるわけです。
邪馬台国と同時期の遺跡ということは、ヤマト以前の弥生人がどこから来たのか、という問題の直接証拠にはならないんじゃないかと思って、日向の話のときに纏向の話は出しませんでした。
唐古・鍵遺跡は、これは確かにもっと古い時代の遺跡です。おそらく弥生中期ごろからだと思います。ただ……」
健吾はそこで言葉を止めて、少し考える。
平城がリュックの中をごそごそとしながら聞く。
「ただ、なんだ?」
沙良が前を向いたまま健吾に話しかける。
「ただ、なんですか?」
健吾は困ったように少しだけうつむく。
「ただですね、もしかしたら平城さんはわかってるのかもしれませんし、僕は昨日の夜に平城さんの話を考えていて思いついたんですけど」
頭の中を整理するために健吾はもう一度言葉を切った。
「えー、なんのお話ですか、教えてください」
運転席の沙良に健吾が尋ねた。
「沙良さん、唐古・鍵遺跡って、復元された楼閣がなかった?」
「ありました! 広い原っぱの池のほとりに、ぽつんと!」
「それを思い出してみて。なにか昨日の平城さんの話と繋がるところを思いつかない?」
前を見つめながら沙良が首を傾げる。名阪国道の流れは順調だ。
ふと思いついたように、沙良が健吾を振り向いた。
「そうか、そういうことですか!
縄文っぽいんだ! 楼閣にくるっと丸まった飾りがいっぱいついてて」
やはりこの人は切れる、と健吾は感心する。
唐古・鍵遺跡に復元された楼閣は、唐古池の西南角にまさしくぽつんと復元されている。周囲は広大な公園として整備されかけているが、現在はまだ空き地と呼んだ方がぴったりだろう。唐古池周囲は遊歩道化されている。
楼閣自体は三層の物見台で、二層目三層目に作られた屋根部、三層目の物見台、それぞれの四隅にくるりと丸まった棒状の装飾が取りつけられている。
唐古・鍵遺跡を知らなくても、国道24号線で付近を走れば必ず目に入る、極めて特徴的な装飾だ。
「そうなんです。唐古・鍵って弥生時代の遺跡なのに見た感じ縄文文化ですよね、平城さん。
楼閣だけなんだけど、それがあるってことはおそらく、全体の文化的にもあの楼閣と共通するデザイン感覚があったってことじゃないかと。
昨日平城さんが話してくれた“黥面文身”と同じ論理で」
「若者、なかなかやるな。
そのとおりだ。私は唐古・鍵を、邪馬台国が縄文文化だったというひとつの傍証にできるかと考えていた」
「沙良さん、あの復元楼閣の元になったのは、唐古・鍵遺跡で発掘された土器に描かれていた絵なんです」
健吾が沙良に説明する。
「土器は弥生式だったんですけど描かれている絵は、平城さんの言葉を借りれば明らかに縄文の建物。
これはつまり、土器のような効率を重視する物は、すぐ近くにあった弥生文化集落纒向の弥生式を取り入れてたりするけど、でもベースになっている文化は縄文のままだったということかなと思って
そう考えれば、平城さんの縄文文化独立説でもいけるかなって思ったんです」
沙良は興奮してきたのか、わずかにヴィッツの速度が上がった。
「そうだったんだ! 見に行ったときは、なんだこりゃ? としか思わなかったですけど、そんな秘密があったなんて!」
速度に気がついたのか、沙良は少しアクセルを緩め、また右手で頬を押さえた。
「やっぱり勉強って大事だなあ。勉強してると、見るものが全部面白く見えてきそう」
沙良の言うことは核心をついていると健吾は思う。しかし勉強の仕方にもいろいろとあるとも思う。勉強して知識が増えることで、楽しくなくなることもあるのかもしれない。
健吾は頭を振って先を続けた。
「それでですね、平城さん。唐古・鍵は縄文文化の遺跡だったとしましょう。
そして纏向が大和朝廷の元になった弥生文化だったとしましょう。
そうするとこの唐古・鍵遺跡は、纏向の弥生文化がどこから来たのかを考える遺跡とはならないんですよね。
平城さんの話では、縄文文化と弥生文化はそれぞれ独立していて、連続していないんだから。
そうすると、また別の問題が出てくるんです。
つまり、唐古・鍵の縄文文化はどうなってしまったのか。邪馬台国との関わりはどうだったのか、という。
これほど近くにあるふたつの遺跡ですし時代も重なってるわけですから、どうしてもその関係を考えなくちゃいけないような気がして。
ただこの問題が、平城さんが最終的に話そうとしているスサノオに関係しているのかどうかがわからなくて、ちょっと唐古・鍵というか遺跡自体の話を持ち出していいのかどうかためらってました。
あまりややこしくしてもいけないかなって思って」
平城の目的は、スサノオの考察だ。それがいつの間にか邪馬台国と縄文文化、弥生文化の話になっていることに、健吾は少しだけ不安を覚えている。個別の遺跡などへの深入りは、平城を困らせることになるかもしれない。
しかし平城は特に困った様子も見せずに応えた。
「若者。そこまで考えてくれていたのか」
平城は後部座席に背をもたれさせて腕を組み、のんびりとしている。
「ということは、平城さん、纏向と唐古・鍵の話はこのまま続けるってことですか? 大丈夫ですか?」
「大丈夫もなにも、続けなければマズイだろう。大和朝廷のお膝元にある遺跡なんだから」
そうなんだと、健吾は驚いた。
昨日からの話を聞いていると、平城は健吾が思っていたような歴史オンチではない。それなりの知識の上で考察を行っていることが少しづつわかってきた。
最終目的地はわかっている。スサノオだ。しかし、この話はいったいどこを経由して目的地に向かうのだろう。
「ヒサヒデさん、スサノオ造るためにそこまで考えるんだ」
沙良がため息をつきながら小さくつぶやいた。「あたしも、テーマが見つからないなんて言ってられないなあ……」
「平城さん、続きを聞かせてもらっていいですか」
健吾は振り向いて、平城をうながす。平城は腕を組んだまま少し大きめの声で話し始めた。
「唐古・鍵の縄文文化だが、これはやはり滅びたと考えるのが妥当だ。
昨日の邪馬台国と同じ論理だ。現在の私たちの文化に縄文的な痕跡が残っていないからだ」
「やはり、そうなりますよね」
「ただ、私の考えではこの先が少しややこしくなる。ここからは時系列が重要になってくる。
つまり、なにが最初に起きたのか、だ」
ヴィッツは新名神との分岐を過ぎ、亀山に向かっている。
「それは、時系列を確定できる証拠を元に、ということですか」
平城は腕を組んだまま身を乗り出す。
「若者、弥生から古墳時代に起きた事件の時系列を確定できるなんてことはほとんどない、ということは君も知っていることじゃないか。
私は、こう考えれば私は納得できる、という時系列のことを話そうとしている」
確かにそれはそうだ。文献に残っていない限り、正確な時系列決定は簡単ではない。それでも健吾はあえて聞いてみる。
「事件? そんな細かなことを時系列化するってことですか」
平城は再び背を座席に預ける。
「事件といっても、戦争のことだ。戦争は細かなこととは言えないだろう?」
「戦争ですか。それはやっぱり、記録には残っていない戦争なんですよね」
「それはそうだ。弥生時代だからな。しかし、ひとつの文化が消え去るような戦いは、記録には残っていなくても大きな戦争だ。
縄文文化が消え去る戦いだったのだから」
戦争。弥生時代の戦争。しかし健吾は戦争という言葉にまだリアルさを感じられない。これまで古代の戦争をリアルに想像したことはなかった。
「縄文文化が滅びた戦争……?」
「そうだ。縄文文化は滅びたのではなく、滅ぼされたのだ」
亀山と書かれた緑色の表示板の下を、ヴィッツは通り過ぎる。やがて亀山サービスエリアだ。
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