第10話 天孫降臨(2)
リュックを持って現れた平城は黒いシャツに黒いジーンズと、普段とまったく変わらない姿だった。平城は黒い、と健吾の中でイメージが出来上がっている。
痩せているわけではないし健吾と同じくらいの身長だが、肩幅が広いせいか骨ばって見える。リュックといっしょに持っている黒い皮のジャケットだけは、健吾もまだ見たことがなかった。
「さあ、出かけよう」
平城の言葉を合図に健吾と沙良は空き缶を自販機横のくず箱に捨て、赤いヴィッツに乗り込んだ。
運転は沙良だ。助手席には平城の勧めで健吾が座り、平城はひとりで後部席に乗り込む。
「沙良君、頼むよ。あとで運転を代わってもいい」
「大丈夫です! あたしに任せて。飛ばしますよ!」
と言いながら、沙良はゆっくりと発進させた。
「沙良さん、お願いしますね」
「めっちゃ飛ばしますから時間かかるかもしれないけど、ガマンしてくださいね!」
沙良は国道一号線を東に向けて走り出した。
「ナビはいいのか?」
平城がうしろから聞く。
「奈良には何度も出かけてるので、基本的には大丈夫です。大神神社まで行ったら、そのあとは使いますね」
「若者、君はまだ免許を持ってなかったな。沙良君に教えてもらいたまえ」
「ありがたいことですけど、一応自動車学校に行って習おうかと思ってます」
「なるほど。そういう手もあるな」
ヴィッツは有松インターから名古屋第二環状道に入り、名古屋南ジャンクションを経て伊勢湾岸道に乗った。やたらとややこしい名古屋南ジャンクションをナビを使わずにスムーズに伊勢湾岸道へ入ったところを見ると、沙良はかなり慣れているようだ。
伊勢湾岸道の流れに乗り、落ち着いたところで平城が前のふたりに声をかけた。
「こんなに朝早くの出発だからな、君たちもおなかが空いただろう。朝めしにしよう」
いや平城さん、そこまで言うほど朝早いわけではありませんと応えようと健吾が振り向いたところに、ラップに包まれたおにぎりが差し出された。
「あれ、まさか平城さん、これ手作り?」
「そうだ」
「えー! ヒサヒデさんお手製のおにぎりですか!?」
「私の手製に問題があるのか」
健吾は平城からふたつ、おにぎりを受け取る。
「まさか平城さんがこういうことをする人だったなんて」
平城が健吾にお茶の入ったサーモスのボトルを手渡す。
「沙良さん、お茶まで出てきました」
「ヒサヒデさん、なんかちょっとイメージが」
「おにぎりはたくさんあるし、おかずもある。出汁巻と焼きシャケだ。遠慮なく食べてくれ。沙良君は食べにくいだろうが、辛抱してくれ」
健吾はボトルに続いておかずのパックを受け取る。平城はすでにおにぎりを頬張っている。
「では、あの、遠慮なくいただきます」
「いただきます!」
「おなかいっぱい食べるといい」
健吾がラップをむいて沙良におにぎりを手渡す。
「ヒサヒデさん、まさかさっき電話に出なかったのは、もしかして」
「ああ、すまん。おにぎりを握っていた」
「やっぱり」
かじったおにぎりが適度な固さと塩加減で、健吾は驚く。
「平城さん、うまいです、まじで」
「いつものように適当に握っただけだが、それはよかった」
「ヒサヒデさん、これ確かにおいしいです。っていうか、いつも握ってるんですか」
「私は夜食のプロだぞ。出かけるのが面倒だと、誰でもこうなる」
ヴィッツは名港トリトンを抜け、四日市ジャンクションに近づいていく。この先は東名阪自動車道だ。
三人は平城手製の朝食を食べ終え、他愛のない雑談を始めた。
沙良が塑像の課題でテーマがなかなか決まらないと愚痴をこぼす。テーマで悩んでいるときが、あとから思い出せば制作の一番楽しい時期だと平城が返す。
そうですけどお、と沙良は頬を膨らませながら何気なくダッシュボード下の物入れに手を伸ばした。
沙良が取り出した白いメガネケースのようなものを見て、健吾が「あれ?」っとつぶやく。
「それって、もしかして」
健吾の声に、平城も沙良が手に取った小ぶりなメガネケース状のものを覗きこむ。
「沙良君、君もアイコスを持っているのか」
「あ、ごめんなさい。つい癖で」
「いや、かまわない。それよりも君が煙草をやるとは知らなかった」
沙良が恥ずかしそうに隣の健吾にちらりと目をやり、少しだけ舌を出す。
「あー、ばれちゃった!」
「ばれるなんて、そんな。気にしないでください。僕なんていつも平城さんのピースの煙の中で作業してるんですよ。近いうちに僕も絶対に煙草はじめるつもりです」
「煙の中というほどでもない。常に塗装用の換気扇を回してるじゃないか。
私は自分の興味でアイコスを導入してみただけだ、若者。まあ吸う吸わないは君の自由だが」
「平城さん、昨日と言ってることが違いますよ」
沙良が一瞬だけうしろの平城を振り向く。
「ヒサヒデさんも、アイコスなんだ!」
「平城さんは作業場だけですよ。それも僕がいるときだけのようです。昨日もコメダでピース吸ってたでしょう?」
「ですよね。昨日はアイコスじゃなかったですもんね。
若者くん、あたしアイコス吸ってもいいですか? おにぎり食べたらがまんできなくなってきちゃった」
「あ、気にしないで。僕、やりましょうか? 平城さんもアイコス持ってますよね。どうぞ」
健吾が沙良の左手からアイコスをつまみ取り、中からホルダーを取り出す。昨日平城を見ていて覚えたのだ。
「すみません。なんか、やってもらっちゃって」
「カートリッジ? はどこ?」
「そのダッシュボードの中です」
健吾がダッシュボードの物入れから煙草カートリッジを取り出してホルダーにセットし、沙良に渡したときにはすでに平城もリュックからアイコスを取り出していた。
「これなら、クルマの中が煙だらけにならなくていい」
平城が大きく水蒸気をはき出し、沙良も控えめにアイコスを吸い始める。
ふたりがアイコスを持ち、落ち着いたところで健吾が振り向いて平城に呼びかけた。
「平城さん、そろそろ昨日の続き、はじめてもいいんじゃないですか」
後部座席でゆったりと体を伸ばしアイコスをくわえていた平城が、よいしょっと上半身を起こす。
「そうか。私は久しぶりのお出かけが楽しくて奈良まではこのままでいいかとも思っていたが」
「お願いします! あたし、きのうからわくわくしてたんです」
沙良の持つアイコスから動作ランプが消え、沙良は煙草カートリッジを差し込んだままのホルダーをメーターパネルの前に置く。
「せっかくの時間ですから、有効に使いましょう」
「そういうことなら、また聞いてもらうことにしよう」
平城は上半身を前席の間に乗り出し、ふたりによく聞こえるように話し始めた。
ヴィッツは快調に走り、やがて東名阪道に乗り入れた。
「前提として、昨日話したように邪馬台国は九州、一応メジャーな説に合わせて北部九州ということにしておこう。
そしてヤマト王権は大和朝廷と同一だとして、畿内に。というところまで話したな」
沙良がハンドルを握ったまま、うなずく。
「そうです。縄文文化と弥生文化がそれぞれ独立していて混じり合っていないという考え方から、そこまでお話を進めました」
健吾がサーモスのボトルからお茶をコップに注ぎ、沙良に手渡す。沙良は運転席の脇にお茶のペットボトルを用意していたが、健吾の差し出すコップをそのまま受け取る。
「平城さん、昨日のお話を聞いていてちょっと疑問に思ったんですけど、邪馬台国が大和朝廷になっていないとしたら、じゃあ畿内のヤマト王権はどこから来たとか、考えてます?」
健吾が首を回して平城に聞いた。
アイコスホルダーからカートリッジを抜き出し携帯灰皿に入れながら、平城はうつむいたまま答える。
「そりゃあ、宮崎県の日向だろう。古事記には天孫が『筑紫の日向にある、噴煙絶ゆることのない高千穂の峰に天降った』と書いてある。天孫降臨の場所は、日向だ」
健吾が振り向いたまま口を尖らせる。。
「神話の話じゃないですか。僕はもう少しきちんとした考察が聞けるかと」
「考察か。日向市ではないが、三十キロほど離れた場所に西都原古墳群がある。日本最大級だ。この古墳群が記紀を証明しているというつもりはないが、かなり強力な傍証ではあるだろう。
それよりも若者」
平城が前席の間に身を乗り出す。
「物事には限界がある。今現在、大和朝廷の元となったヤマトの弥生文化人がどこから来たのか? という質問にはどんな史料や遺跡を駆使しても答えは出ないはずだ。
ということは記紀に書いてある“日向”をとりあえずでも信じる、ということもできるはずだ。
それとも君は、他の場所を比定するアイディアがあるのか」
「ありません。でもそうすると今度は、日向にはどこから来たのかという問題が」
「キリがないじゃないか。人類の発生まで遡るつもりか君は」
「ですね。すみません」
これには健吾も諦めざるを得ない。
「弥生文化はここで発生したという証拠がどこかで発見されない限り、解決は難しい問題だ。
とすれば今のところは、弥生文化は日向に突然発生した、としておいても問題はないのではないかと思うが、どうだ」
「なんだか都合のいい方向に無理に持って行かれそうな気もしますが、仕方ありません」
「都合がいいのは確かだが、それよりも論理的に間違っていないということの方が重要だ。
弥生文化は日向で突然発生したことを肯定する証拠は見つかっていない。しかし、否定する証拠もないわけだ。
肯定する証拠がないということが、なかった、という証明にはならないということがわかってくれるなら、それでいい」
それはそうだと健吾は思う。日本には土器時代以前には人がいなかったという説を岩宿遺跡がひっくり返した。伝説とされていたトロイは、シュリーマンによって発見されている。
しかしだからといって、否定する証拠が見つかっていないからなんでもあり、というわけではないことも確かだ。否定する証拠を見つけるのは、肯定する証拠を見つけるよりもはるかに難しいのだ。
ここを間違えると、それはもうオカルトになってしまう。それを良しとしてしまえば、スサノオだってどんな姿をしていてもいいことになってしまう。
学問的な厳密さはこの話では重要ではないが、それでも一定の歯止めはかけるようにしないと。
「平城さん、それ悪魔の証明だとわかって話してますよね。
でも、いいでしょう。わかりました。ヤマトの弥生文化人は、日向で突然発生したと仮定しておきましょう」
横目に平城がにやりとしたような気もするが、健吾からはその表情ははっきりとは見えなかった。
「とりあえずは、その日向弥生文化人が畿内に移動してヤマトになっていったということでかまわないと思います」
「助かる。ここを君に否定されると、先に進めないからな」
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