第08話 邪馬台国(2)
「あー、わかった! それでさっきお蕎麦屋さんで白木の話が出たんですね」
沙良がカップを置いて、身を乗りだした。
「弥生文化から発展してきたあたしたちは白木を、若者くんが見てきた伊勢神宮のようなものをきれいだと思う。
それはきっと、弥生式土器とも共通する平面的で簡素? なデザインの感覚を弥生時代から受け継いできたから、ということですよね、ヒサヒデさん」
健吾は驚いて沙良を見つめた。健吾が蕎麦屋で答えられないまま忘れていた平城の質問に、沙良が答えている。
「でも縄文のデザインには禍々しさを感じちゃう。
それってつまりあたしたちの文化に縄文文化が混じっていないから? あたしたちの今の文化は、縄文の文化とはまったく別の、弥生文化の発展形だからっていうことなんじゃないかな」
平城も眼を大きくして沙良を見つめていた。
「沙良君、やるじゃないか」
えへへとわざとらしく頭をかきながら、沙良はうつむいて頬を紅くしている。
なるほど。平城さんはそういうことを言おうとしていたのか。
照れて頭をかく沙良に、健吾は思わず本題とは関係のない質問をしてしまう。
「沙良さん、いくつなんですか?」
沙良が頭をかくのをやめて、健吾の方を向く。
「あたしの歳ですか? 二十二ですよ。若者くんと同じくらい?」
二十二なら、健吾よりもひとつ年上だ。
「僕は二十一です」
「あたしの方がいっこ上なんだ。じゃあ若者くんのままでいっか!」
やめてくださいともいえないが、少しだけ反論を試みる。
「一応僕にも、健吾という名前が」
「あれ、やっぱりケンゴくんの方がいい? でも、若者くんっていう呼び方もかっこいいよ」
本気で言っているのかどうか健吾にはわからないが、どうやら沙良は若者くんという呼び方を変える気はなさそうだ。
「じゃあそのままでいいですけど」
にやにやしながら二人の会話を聞いている平城が、二本目のピースに火を点けた。
健吾が少し首をひねりながら平城を向く。
「でも、ちょっとまだ理解が追いついてないですけど、そうすると今度は、じゃあ縄文文化はどうなったんだってことになりませんか」
背もたれに寄りかかり、平城は大きく煙をはき出している。
「現在、どこにも縄文文化の痕跡を感じられないのだから、滅びたと考えるしかない」
健吾は一瞬考える。
「邪馬台国と共に?」
「そういうことだ」
「なるほど」
やはりそういうことになるだろうなと健吾は額に手を置くが、まだそれがどういう意味を持つのかまでは考えが巡っていない。
健吾はこれまで一度も、縄文文化が滅びたと考えたことはなかった。そのまま弥生文化に連続していると、考えるまでもなく思い込んでいたのだ。
健吾がうつむいて平城の話を自分の中でまとめようとすると、平城が再び身を乗り出してテーブルに肘を突いた。
「そこで終わらせずにもう少しこのアイディアを掘り下げてみるんだ。そうすると面白いことが見えてくるぞ」
健吾は平城を見つめ、またうつむく。
沙良が首を傾げて小さくつぶやき始めた。
「……邪馬台国は縄文文化だったということですよね。でも縄文文化は、邪馬台国とともに滅びちゃった。邪馬台国が滅びちゃったということは」
健吾の頭の中で、ふいになにかが繋がった。
「沙良さん、ちょっと待って。
僕たちの文化に現在、縄文文化が感じられないということは、邪馬台国が僕たちの文化の元になったということではない、ってことですよね」
「あ、そうか」
沙良も、気がついたようにつぶやく。
健吾が続けた。
「三世紀に邪馬台国が畿内にあったとすれば、普通に考えればそのまま大和朝廷に連続するはずなのに、でも僕たちの文化には縄文が残っていない。
つまり邪馬台国は大和朝廷になってない?
ということは、邪馬台国は畿内ではない……?」
「畿内じゃないんだ!」
沙良が声を上げる。
健吾が続ける。
「邪馬台国畿内説は否定されるということになってしまう」
「いいぞ、若者」
「となると今の主流の説からいえば、必然的に邪馬台国は九州ということになるわけで。
それに邪馬台国が大和朝廷になっていないのならば、九州の邪馬台国が畿内に移動して大和朝廷になったという、邪馬台国東遷説もなくなる。
すると残るのは、九州邪馬台国・畿内大和朝廷並立説、ということに」
健吾が顔を上げた。
平城は健吾に笑いかけた。嬉しそうだ。
「若者。私の考えもそこに落ち着いた」
沙良は小さく拍手しながら健吾に感嘆の笑顔を向ける。
「すごい! そこまで考えが繋がっちゃうんだ!」
健吾は自分の中からするりとこの思考が出て来たことに驚いていた。こういうものの考え方をしたのは、はじめてだった。
この考えの流れにどれほどの根拠があるのかは健吾にはわからなかった。
しかし、魏志倭人伝に記述されている“黥面文身”というひとつの言葉だけから、ここまで考えが広げられたのだ。
飛躍し過ぎているのはわかっていた。それでも健吾は面白いと感じていた。
「なんだか、すっごく楽しい!」
沙良がはしゃぐ。
「あたしの周りには、こんなお話ができる人は全然いなくて、奈良に行ったりするときもほとんどひとりなんですよね。
邪馬台国とかのお話も謎がいっぱいあって好きなんですけど、いっしょに話してくれる友だちはいないんです。
だから、なんだか今日は素敵な日だ!」
健吾もわくわくする不思議な感覚を味わっていた。
歴史は楽しいと思っている。しかし、この不思議な高揚感を歴史の話から感じたのは久しぶりだった。
「しかしだ、まだ結論には程遠い。今のところスサノオのスの字も出てきてない」
健吾と沙良の眼を交互に見たあと、平城は話を続ける。
「若者はわかっているだろうが、ここまでの話は細かな部分をすべて端折っている。
たとえば私たちはこれまで大和朝廷という言葉を使ってきているが、それは畿内に発生した王権と同じものなのか、つまりヤマト王権と大和朝廷を同一視していいものなのかどうか。
だがそこまで細かくなると、私の手に負えなくなる。
だからこの先は一応、ヤマト王権と大和朝廷は同一だと仮定したい。
用語としても本来は使い分けるのが正しいのだろうが、私は専門家ではないので正式な使い分けにはあまりこだわらない。
ただ私のイメージとしては、弥生後期から邪馬台国時代、そして古墳時代あたりまでを“ヤマト”、飛鳥、藤原以降を“大和朝廷”とおおよそに考えている。
この先、私の話でこのふたつの言葉が出てきたら、だいたいそういうイメージで話しているなと思ってくれれば助かる。
それから遺跡からの遺物出土状況のような考古学的知見も、今のところ私たちは考えないで話を進めている。
しかしだ、私は論文を書こうとしているわけではない。
オリジナルなスサノオを造るために、自分が納得ができて面白いと思える考察がしたいだけだ。
若者、そこのところをもう一度改めて言っておく」
健吾もそれはわかっていた。それでも、ひとつの手がかりから考察を進めていくわくわく感が、健吾の背中を押していた。
「わかっています。あまりにめちゃくちゃなところは指摘させてもらいます。だからせっかくなので、このまま話を進めればいいのではないかと」
「若者、君が乗り気になってくれて嬉しいぞ」
「まさか今日、邪馬台国の場所がわかるとは思ってなかったなあ」
沙良が感慨深そうにため息をつく。
「沙良君、あまり本気で信じられても困るぞ」
「あたしはヒサヒデさんを信じます! それで、次はなんのお話になるんですか」
二本目のピースを灰皿に押しつけたあと、平城はふたりに向き直った。
「次の話に移る前に、君たちに相談がある。
そろそろ十五時だからな。明日の相談をしよう。
明日、君たちの都合が良ければだが、君たちふたりをバイトに雇いたい」
沙良がぴょんと背筋を伸ばす。
「わあ! 本当ですか! 磨きですか? 型取りですか? 複製ですか!? なんでもします!」
「平城さん、僕、今までそういう相談を受けたことがないですけど。いつもいきなりでいつも仕事が終わるまでじゃないですか。
僕ははじめからそのつもりで来てますけど今回は沙良さんがいるからですか、その相談は」
平城は新しいピースを取り出して指に挟んだ。
「若者にはこれまで相談をしたことがなかったか。それは気がつかなかった。
しかし今回は少し違う相談だ。
明日、ふたりに付き合ってもらいたい。久しぶりに私はお出かけしたくなった」
「え? え? お出かけ?」
「出かけるんですか? どこへ? 作業は?」
「作業はなんとかする」
「なんとかするって、僕がなんとかするんですか」
「沙良君が手伝ってくれるんじゃないか」
「もちろん手伝います!」
「それで、どこへ出かけるんですか」
「奈良だ。明日は三人で奈良に行ってみたいと思う。
スサノオは記紀の登場人物だ。その記紀が産まれた奈良の地を周りながら、スサノオの考察を進めようじゃないか」
ジッポーがカチンと音を立てて、三本目のピースに火がついた。
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