第07話 邪馬台国(1)
蕎麦を平らげ、天ぷらとそばがきもなくなったところで、三人は店を出た。平城は遠慮する沙良の分も勘定を支払った。
「気にするな。君も協力してくれるのだろう?」
「そうですけど、なんだかいきなり押しかけて、ごはんまで食べさせてもらうのは悪いなって」
店の前で沙良は申し訳なさそうにしている。細身のジーンズと大きめのシャツの沙良は、立ち上がるとその小柄さがはっきりする。健吾のあごのあたりくらいの身長だった。
「コーヒーを飲みに行こう」と平城が提案した。
コーヒーなんか作業部屋で飲めばいいのにと健吾は思うが、これは健吾がバイトに来たときの平城のいつもの行動だった。平城は普段も喫茶店で一時間ほど過ごすことを、日課にしている。アイディアをまとめるために場所を変えることは、平城にとっては必要なことらしい。
「沙良君、時間はあるのか」
平城が尋ねると、沙良はぴょんとその場で飛び上がった。
「あたしもついて行っていいんですか!? 時間はもちろんあります!」
健吾も特に断る理由がない。沙良ともう少し話したいという気持ちもあった。
話がまとまると、三人は蕎麦屋から五分ほど歩いたところにある喫茶店へ入った。
平城の行きつけの店だ。健吾も他所で何度か入ったことがあるチェーン展開をしている喫茶店であり、シロノワールと名付けられたソフトクリームの乗ったパンケーキが名物だ。
健吾はホットコーヒー、健吾の隣に座った沙良はココア。
二人の向かいの席で平城は、「コーヒーを飲みに行こう」と言ったくせにアイスミルクティーを注文していた。おまけにガムシロップの追加まで頼んでいる。平城はかなり甘党なのだ。
飲み物が揃ったところで、健吾はふと思ったことを口にした。
「平城さん、スサノオですが、自主制作なんですよね」
平城は届いたガムシロップ入りのアイスミルクティーに、さらに追加のガムシロップを投入している。
「そうだ。自主制作だ。いわば趣味だ」
「スカルピーで造るんですか。それともデジタルで?」
「まだ決めてないが、たまには粘土を触りたいと思っていたところだ。おそらくスカルピーを使うことになるだろう」
「ヒサヒデさんが本気でスカルピー使ってるところ、見たいなあ。あ、デジタルでもいいです! どんなふうに造ってるのか見たいです!」
ココアが熱すぎるのか、沙良はカップを持ったまま口をつけずにじっとしている。
健吾は平城がスカルピーを使うところを何度か見たことがある。
スカルピーを使っているときの平城の作業をうしろから眺めていると、本当に魔法のように思えてくる。ぐにぐにした粘土の塊が、スパチュラの細かな動きと共にどんどんとしっかりとした形に変化するところは、すごいとしか健吾には表現できなかった。
同じ作業でも、パソコンを使う作業では不思議と、なるほど、という感想が出てきてしまう。
実際に目の前に存在するモノとしてのカタチは、画面上からは得られない特別な魅力があるのだ。
「原型にするかどうかも決めていない。アイディアがまとまった段階でどう作るかを決めなくてはいけない」
「ヒサヒデさん、スサノオは複製しましょう! ワンフェスに持って行きましょう!」
平城は沙良に向かい口角を上げる。
「沙良君だって、ワンフェスでオリジナルを出してるだろう。オリジナルが売れないのは君自身が一番よく知ってるはずだ」
沙良は身を小さくして口をすぼめる。
「それはそうだけど……。でも、あたしの造るものとヒサヒデさんの造るものは全然違うから」
「趣味の作品でそんな考え方をするものではないな。すまなかった」
造形物を制作する場合、完成後に複製を行うかどうかは大きな要素だ。
複製を前提とした造形物は、すなわち原型となる。複製を行わない場合は、ワンオフ(一品物)の単独造形作品だ。この違いによって造形物の素材も検討しなければならない。
これらに加えて、造形手法をデジタルにするかアナログ(粘土)にするかという選択肢も考える必要がある。
スカルピーを使う場合には、粘土から手で作り出したカタチがそのまま複製品の元、原型となる。
しかしパソコンでのデジタル造形は画面上だけのものであり、その時点で出来上がるものはデジタルデータだ。手に取れる本物の立体物とするためには、データ完成後に機械を使用して出力しなければならない。
健吾がアルバイトで行っている作業が、この機械出力されたパーツの研磨だった。
しばらくワンフェスで売れるもの売れないものという話が続き、ふと会話が途切れたときに健吾が聞いた。
「それで平城さん。話の続きは?」
平城はおそらくはかなり甘ったるいアイスミルクティーを飲みながら、健吾を上目づかいにちらりと見る。少しためらっているのかなと、健吾には思えた。
「あそこまで話しておいて、まさか終わりじゃないでしょうね」
健吾も平城のスサノオに、少なからず興味が沸いてきたのだ
「終わりではない。ただこの先は、君のようにきちんと歴史をやってる人間からしたら、ちょっと受け入れがたい話になるかもしれないな、と思っていたところだ」
「弥生末期の邪馬台国を縄文文化のクニだと話しておきながら、今さらなにを言ってるんですか。かまいませんから、話してください」
平城がくつろいでいた姿勢から体をずらして、健吾と沙良の正面に向き直る。
「それなら、遠慮なく話させてもらおう」
平城は胸ポケットからピースを取り出した。喫茶店ではアイコスではないようだ。
「沙良君すまない。煙草、いいか?」
「はい! どうぞ、お気になさらずに」
ジッポーライターの心地良い音が響く。平城愛用のアーマータイプのスターリングシルバーだ。平城は気持ちよさそうに煙をはき出した。
「君たち、縄文文化と聞いて、どんなイメージが沸く?」
健吾の頭の中で、ぱっと画像が表示された。
「そうですね。やはり縄文式土器かな」
「縄文時代って、あまり想像したことがなかったなあ。原始時代っていう感じがするけど、原始時代とは違うんですよね」
健吾はコーヒーカップに口をつける。
「うん。原始は厳密には人の一番初期の頃のことをいうんです。縄文よりもずっと昔のこと。でもたぶん、普通の人は沙良さんの言うとおりに縄文時代も原始時代もあまり区別していないんじゃないかな」
「でも縄文式土器は知ってますよ! ぐねぐねとうねってますよね!」
平城は二人を気にしてか、灰皿を自分の横の空いた椅子の上に置いた。
「縄文式土器に代表される、ぐねぐねとうねった感じ。そして縄目や格子状の模様。毒々しい色使い。なんとなく原始的な雰囲気。
現代の私たちからすれば、言葉は悪いが
「ですね。同感です」
ピースの甘い香りが漂ってくる。
「おそらくだが、縄文のそういうイメージは沙良君の言うように原始的だからという思い込みから来ているように思う。
原始的な時代だからこういう模様やカタチだったのだろうと一般的には考えるのではないか。こういう模様しか作れなかったと」
健吾は少し首をひねった。縄文式土器のイメージが原始を感じさせるのか、原始のイメージが先にあって、それが縄文式土器に感じられるのか。
「そういうことなのでしょうか。土器が先かイメージが先かとなると、これはもうわかりませんけど」
このところは史料の読み込みばかりやっていて、概念的なことをあまり考えていない。
健吾は適度に冷めたコーヒーを少しづつすすった。
「しかしだ、私は縄文のデザインを原始的とはまったく思わない。粘土造形をしたことがある人間からすれば、どう見ても明らかに弥生式土器よりも手間がかかっている」
「あのぐねぐねをスカルピーで造ろうと思うと、かなりの技術がいります!」
「それは確かにそうですね。見ればわかります。縄文式土器の手間は、ただごとではないですからね」
健吾は縄文式土器を思い描く。
炎が燃え上がる様を感じさせるために火炎型土器とも呼ばれる複雑な形。まるで隙間を恐れるかのようにびっちりと詰め込まれたディティール。
「つまりだ、縄文式土器は原始的だからあのようなデザインになったのではなく、あのカタチになるように造られたのだ」
ん? と健吾と沙良が同時に首を傾げた。
「ええと、ちょっとよくわからないですけど」
健吾はカップを持ったまま平城に尋ねた。
沙良も不思議そうに平城を見つめている。
ピースの煙を大きくはき出したあと、平城は身を乗り出してテーブルに肘をついた。
「たとえば明日、若者は陶芸教室へ行くことになったとする。そこで若者はどんな器を作ろうと考える?」
「ええと、お茶碗かな。湯呑とか」
「沙良君はなにを造ろうと思う?」
「あたしは、陶芸教室ならお皿かな。サンマが乗るような平べったいお皿!」
「そうだろう? ぐにぐにした縄文式を造ろうとは思わないはずだ。
しかし縄文人はきっと、明日突然に陶芸教室に行ったとしてもやはり縄文式の器を造るはずだ」
なんとなくだが、健吾には平城の言おうとしていることがわかりかけてきたように思う。
「おそらくそれが、文化というものではないか?
身に沁みついた感性、共通するデザイン感覚、価値観や伝統などだ。
当たり前の話なのだが、縄文式は縄文人の文化だった。決してその場限りのいい加減なものではない。
長い時間の流れの中で、縄文人にはあのデザイン感覚が染みついていたのだ」
「なんとなくわかります。当たり前のことをものすごく難しく話してるようにも聞こえますけど」
テーブルから肘を離して背もたれによりかかりながら、平城はにやりと口角を上げた。
「当たり前のことだからこそ、もう一度見直してみなくてはいけないのだ。
邪馬台国の問題にしてもこの当たり前のことが見過ごされているのではないかと、思わないこともない」
挑戦的な発言だ、と健吾は思う。
「縄文デザインは縄文人の文化だった。いいでしょう。それで、どうなるんですか」
沙良は冷えてきたココアをすすりながら二人の話を黙って聞いている。
「この当たり前のことを認めると、いろいろなことが見えてくる」
「たとえば?」
「邪馬台国の所在地だ」
驚いて健吾は顔を上げた。沙良も驚いて動きを止めている。
「いきなりぶっ飛びましたね。というか、さっき位置論争はしたくないって言ってたじゃないですか」
「今の話の本質ではないからな」
邪馬台国の所在地と聞かされては、さすがに健吾も黙ってはいられない。
「参考までに聞かせてください。平城さんは邪馬台国をどこだと考えてるんですか」
健吾自身は邪馬台国の所在地に、ここだという持論は持っていない。
考えるのなら本気で取り組みたいと思ってはいるが、まだそこまでの知識を持ってはいないと自覚していた。いつになるかはわからないけど、いつか本気で考えたい。健吾にとって邪馬台国は、そういう存在だったのだ。
「まあ待て。それよりも若者は午前中に確か、縄文や弥生というデザインは長い時間の中で少しづつ変化しながら出来上がってきたものだ、と話していたな」
「ええと、はい、確かにそんなことを言いましたけど、それがなにか」
邪馬台国から話をはぐらかされたようで、勢い込んでいた健吾は少しむっとした。
沙良が健吾の口調から感情を読み取ったのか、健吾の肩を軽くぽんぽんと叩く。叩きながら独り言のよう「邪馬台国かあ。こんなお話、毎日できたら楽しいだろうなあ」とつぶやいている。
「長い時間はそのとおりだと思ったので反論はしなかったが、おそらく私と若者とでは、全体像の掴み方が違うのではないかと考えている」
「というと?」
「縄文も弥生も、長い時間をかけてあのデザインになった。それは認めよう。
しかしおそらく若者のニュアンスでは、長い時間をかけて縄文デザインが弥生デザインに変化していった、というのではないか」
「そのとおりです。そう思ってますけど」
それ以外になにがあるというのだろうか。
「私はそうは考えていない。縄文デザインははじめから終わりまでずっとあのままで、弥生デザインもはじめからずっとあのままだ」
また健吾は首をひねる。平城の言葉は簡潔ではあるが、その奥にある意味を掴みにくい。
「またちょっとわからなくなってきました」
「さっきの文化の話だ。一度根づいて染みついた文化は、そう簡単には変化しない。
縄文文化も弥生文化も、そう簡単には変化しなかっただろうということだ」
「でも数千年の時間単位ですよ」
平城が身を乗りだした。
「そんなことはないだろう。
私はさっき“黥面文身”という言葉から、邪馬台国は縄文文化だったと言ったはずだ。
邪馬台国は三世紀、弥生末期だ。
そこから飛鳥が始まるまで約三百年。邪馬台国から飛鳥まで三百年しかない。数千年なんていう長い時間ではない。
三百年なら、私たちが充分に把握できる時間だ。今から三百年前を考えてみればいい。ざっと十八世紀だ。つまりすでに江戸時代だ。
それから今までの間に、日本の基本的な文化はどれほど変化している?
文化的な感性や伝統、社会規範などはほとんど変化がないと言ってもいいじゃないか。
もっと言えば、飛鳥から今日までの千四百年間、日本人の基本的な文化は変化していない。
なぜなら、現代の私たちは飛鳥の人々のことを理解できるからだ。
彼らが造った建築を、私たちは美しいと思う。彼らが彫刻した仏像を、私たちは見事だと思う。そう思えるのは、文化の基盤が同じところにあるからだ。
千四百年以上、私たちの文化は大きくは変化していない。
途中、明治の文明開化や第二次大戦後のアメリカ文化の大量流入を経てもなお、私たちは飛鳥の昔から変化していない同一文化上を歩んでいるのだ
それなのに、邪馬台国から飛鳥までのたかだか三百年間で、異様な“黥面文身”文化が現在の私たちに繋がる文化へ変化したと考えるのは、あまりに無理があると思わないか」
どう反論すればいいのか健吾にはわからなかった。反論ができるのかどうかさえわからない。平城の言葉の勢いに押されているのかもしれない、とも思う。
「……つまり、どういうことになるんですか」
「縄文文化が、現在の私たちの文化基盤になっている弥生文化に変化したはずがない、ということだ。
それぞれが、独自の文化を歩んだのだ。
仮に、縄文文化が弥生文化に変化したとしよう。そうであるなら、弥生文化が基盤になっている私たちの現在の文化にも、その痕跡がどこかに残るはずだ。螺旋模様とかぐにぐにしたデザインが。
魏志倭人伝に象徴的に書かれている“黥面文身”だって、もっと文化的に残っていてもいいはずだ。
しかし、そんなことはまったくないだろう?
それだけではない。私たちが縄文デザインを見て、異様だとか禍々しいと感じるのは、それがまったくの異質文化だからだ。
縄文文化は、完全に独立した文化だったのだ」
今までなにげなく使っていた文化という言葉。
健吾は文化の意味をあまり深く考えたことはなかったが、平城の話を聞いているとそれはそうだなと思えてくるから不思議だ。
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