第04話 ラフスケッチ(2)

 え? と健吾は頭を上げた。

 邪馬台国? 平城さん、邪馬台国とスサノオを関連づけるつもりなのかな。

 邪馬台国は、言わずと知れた日本史の一大トピックであり、日本中を巻き込む大きな謎である。

 二世紀から三世紀に存在した邪馬台国は、その場所を巡ってさまざまな論争が繰り広げられている。現在は九州説と畿内説が有力だが、他にも日本全国各地に場所を比定する説が乱立している状況だ。

 また、邪馬台国と大和朝廷の関係についても、畿内邪馬台国がそのまま大和朝廷となったとする説、九州邪馬台国が畿内に移動して大和朝廷になったとする東遷説、邪馬台国と大和朝廷は別のものだとする二朝並立説、あるいは多元王朝説などが仮説としてあり、やはり解決していない。

「邪馬台国を、文献史学の立場からですか。うーん、これも困ったな」

「なぜ困るんだ」

「だって、困りますよ。文献史学は文献を基礎にして歴史を解釈していくものです。文献史料批判が作業の基本になってるんです。

 邪馬台国については、その基礎になる文献がほとんどないじゃないですか。

 それは知ってますよね」

「魏志倭人伝に邪馬台国のことが書かれていることは知っている」

「魏志倭人伝に書かれているというよりも、ほとんど魏志倭人伝にしか書かれていないんです」

 魏志倭人伝は略称であり、正式には『三国志魏書東夷伝倭人条』という。

 『三国志』は中国の歴史書だ。その中に一部、当時の日本のことが書かれた項目があり、それが『東夷伝倭人条』、いわゆる『魏志倭人伝』ということになる。

 わずか二千字あまりの記述だが、当時の日本を知る上での一級史料だ。

 三世紀末頃に書かれ、著者は陳寿という人だ。

 魏志倭人伝には邪馬台国への道順、風俗や周辺の国々の名前などが書かれているが、それら記述の正確性が確かめられないために、様々な議論を呼んでいる。

 特に邪馬台国への道順に関しては正確ではないとする論が一般的で、そこから記述をどう解釈して邪馬台国をどこに比定するか、という激しい議論が現在も続いている。

 健吾も歴史を学ぶ人間として、歴史オタクとして、ミステリー好きとして、邪馬台国への興味は人並み以上だった。

 しかし専門の文献史学からは、邪馬台国にアプローチする手段は行き詰まっているといっていい。

 基礎史料である魏志倭人伝の解釈を確定できる新たな史料が発見されない限り、邪馬台国は文献史学上、行方不明のままだ。邪馬台国の主戦場は文献史学から、考古学に移行しているのだ。

「邪馬台国については存在していたのは間違いないでしょうけど、それがどこにあったのかについては、わかりませんと答えるしかないです。僕の立場では」

 健吾は不思議な屈辱感を覚えていた。自分がいる世界の限界を無理やりに白状させられたような感じだ。

 どうして文献史学の立場でという前置きをつけるのだろう。うつむいてコーヒーをすすりながら、なぜ僕が屈辱感を抱かなくてはいけないんだと思いなおす。

 健吾は顔を上げた。そんなことよりも、なぜ邪馬台国かだ。


「それで平城さん、どうして邪馬台国なんですか。スサノオと関係あるんですか」

「スサノオをデザインしようとすれば、古事記の神代のことを考えねばならない。神代のことを考えようとすれば、時代的には邪馬台国あたりのことを考えなければいけない。

 そういうことにならないか?」

「それはまあ、そうですけど」

 それがわかっていながら、なぜスサノオが女装して縄文の衣装を身に着けているのか。この人はわかっているのかわかっていないのか、どちらなのだろう。

 平城は足を組み直して、にやりとする。

「それに、スサノオについて私の考えを君に話す前に、前提として君の邪馬台国についての立場を確認しておきたかった。

 話の途中で邪馬台国の位置論争なんてややこしいことを、やりたくないからな」

 まったくわかっていない、ということでもなさそうだ。

「平城さん、僕がわからないって答えるのを予想してたんでしょう。文献史学からは邪馬台国の位置はわからないっていうしかないと知ってたんじゃないですか」

「私はそこまで詳しくない。オリジナル造形のためになにか面白いことはないかと考えているだけだ。

 とりあえず邪馬台国の位置はわからない、と答えてもらってよかった。わからないということは、どこに比定地を持ってきてもいいということだからな」

 そういう簡単な話ではありませんと健吾は抗議しようかと考えたが、平城がどんな話を始めるのかがまだわからない今は、少し様子を見た方がいいかなと思い直して口を閉じた。

 ラングドン教授とソフィー、そしてティービングが飛行機に乗りクリプテックスをいじくりまわしているところで平城は映画を止め、パソコンをスリープモードに移行した。

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