第02話 造形屋の部屋(2)

 飲み終わったコーヒーの缶を机の端に置くと、健吾は段ボール箱を膝に抱えた。梱包材に包まれた細かなパーツをひとつひとつ丁寧に取り出していく。

 この全三十五パーツを組み上げるとどんなカタチになるのかを健吾はまだ知らないが、おそらくは六分の一スケールクラスのフィギュアだろうとは想像がつく。

 健吾が磨くパーツはやがて金型やシリコーン樹脂により複製され、レジンやポリストーン、PVCやABSなどの様々な素材で複製される。複製数は数百個から、場合によっては数十万個になることもある。

 今回のこのパーツがこれらのどのパターンになるのかはわからないが、いずれにしても自分の手がかかった部品が複製されて製品として世に出回るということだ。健吾も悪い気はしない。

 そして、健吾が磨くパーツとそれらを組み合わせて出来上がる造形物、基本的にはフィギュアが多いのだが、フィギュアだけではなく様々なモノのカタチを造り出すこと、それが平城の仕事だ。


 造形師、原型師などと呼ばれている。

 ただ平城はどういう感覚からか、師という言葉が気に入らないらしく、自分は造形屋だと公言している。師と呼ばれるほど偉くはなく、自分から師と名乗ることは恥ずかしい、のだそうだ。

 原型師でも原型屋でもどちらでも健吾にはかまわないのだが、ただ、こんなカタチを粘土やパソコンで造ってしまう平城はすごいと思う。

 父親と平城の勧めでこのアルバイトを始めるまで、健吾は子どもの頃に粘土やプラモデルが好きだったことを忘れていた。

 生まれつき手先の器用さは備わっていたようだが、しかし粘土に夢中になっていたのも小学生までで、その後は本を読んだり調べ物をしたりする方が楽しくなってきたからだ。

 その頃から歴史の本を読むことが趣味になった。その時代の場面を想像しながら、どんなことがあったのだろうと考えるのが楽しくて仕方がなかった。

 大学に進むときも、美術や造形ははじめから選択肢には入っておらず、その頃一番興味のあった文献史学を学びたくて歴史学科を選択した。両親と平城にはいつも歴史オタクなどといわれるが、自分の知っている歴史なんてまだほんのわずかだとも思う。

 まだまだ知識が足りない。まだ歴史を考えるなんてレベルじゃない。健吾は常にそう自分に言い聞かせていた。歴史を自分なりに考えるのは、もっとしっかりとした基礎が必要だ。


 その考え方が間違っているとは、健吾は思わなかった。

 しかし、このところただ知識を覚えるだけの歴史に、文献を調べるだけの歴史のやり方に、自分が飽きてきていることを感じ始めているのもまた本当だった。

 方向を少し変えてみようと思い考古学をかじり始めたが、やはり昔のようにのめり込むことができなくなっている自分に気がついた。

 僕は、もしかしたら歴史が楽しくなくなってきているのか。そんなわけはないと思う。あれほどのめり込んだ歴史を、僕が飽きるはずがない。あれほど夢中になった歴史が、僕を見捨てるはずがないじゃないか。

 そんなときに平城の仕事場に訪れるようになり、平城の仕事を手伝うようになって、自分はけっこう器用だったんだなと改めて子どもの頃を思い出したのだ。

 小学生の頃、近所の友だちとプラモデルを持ち寄ってみんなでいっしょに作ったことを、そのときの空気感と共にふと思い出した。どうしてあんなに楽しかったんだろう。

 あの楽しさを、わくわく感をもう一度思い出せるなら、またなにかを手で作ってみようかなと、平城の作業を眺めながらときおり思うこともある。

 しかし平城の手の動きを見るたびに、これはそう簡単にできるレベルではないと思い直す。

 平城の作り出すカタチを見てすごいなあとは思うものの、どこがどうすごいのか、健吾にはわからなかった。

 歴史と同じで、基礎が出来ていなければ自由なカタチなど出せるはずがない。

 歴史でさえまだ基礎の出来ていない僕に、平城さんの真似ができるはずがないと思い、いつもそこで考えが止まるのだった。

 そのためか平城の仕事は手伝うものの、平城から造形の方法を教えてもらおうと考えたことはなかった。

 ときおり後ろから眺める平城の作業を見て、なるほど、そうやって造ってるんだと感心はするものの、本気で自分も同じことをしようとまでは思わなかった。

 健吾の手のひらに乗った小さな樹脂製パーツ。梱包材の中から取りだした男性の頭部パーツを眺めながら、やっぱりすごいなと思う。

 そしてやはりどこがどうすごいのかがわからないまま、健吾は目の前の平城をちらりと見た。

 アイコスを一本吸い終わった平城は再び健吾に背を向けて、タブレットペンを握っている。作業の続きに戻ったのだろう。


 平城さんはきっと、楽しいんだろうな。

 健吾はパソコンのモニターに向かう平城をうしろから眺めて、なんとなくうらやましくなる。

 健吾は頭を振り、手元の樹脂パーツに意識を戻した。

 話し相手はもう少しあとなのかな。

 今の作業が一段落してからなのかな、と健吾は自分も机に向かう。目の前には梱包を解かれた三十五個のパーツが置かれている。

 よし、ではやるかな。健吾は机の横に置かれた道具箱から紙ヤスリの束を取りだした。自分が使う道具がどこに置かれているのかは把握している。

 磨き作業もコツを掴むまでは大変だったが、今ではもう慣れた作業だ。

 平城も健吾を信用してくれて、すべての作業を任せてくれている。どうすればいいのかわからないときは、その時々で聞けばいい。

 健吾は手にした紙ヤスリの番手を確認したあと、ハサミで適度な大きさに切り分けてから、はじめに磨くパーツを取り上げた。

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