第52話 『生存者』

「そん……な……。俺は、何のために……」

 丈人は、愕然としたまま生気を吐き出すようにそう漏らし、立ち尽くした。

 一琉は、横でもぞもぞと身じろぎする有河に気付く。

「うんうん。じゃあ……おねーちゃんにっ、まかせて!」

 小さい少女を二人持ち上げながら、立ち上がる巨人。桁外れの怪力。見た目は女だが、騙されてはいけない。体は少女そのものの彼らと違って有河の力は――男を圧倒的に凌駕する本物だ。

「てーい!」

 少女の拘束を力づくで振り払った有河が、気の抜ける掛け声とともに振りかぶったのは加賀谷特製の手榴弾。火力が上がっているやつだ。が、そっちじゃない!

「操作パネルの奥が本体だ!」

 液晶に向かって投げようとしたのを方向転換、一琉に言われた通りいろいろなスイッチのある機械の方へ。昼世界の一部の人たちが使うパソコンの本体は、画面じゃなくて傍らにある四角い箱の方なんだ、ってのはよく言われる話――爆発、そして轟音。蘇生装置の明かりは消え、衝撃波で割れた水槽から液体が流れ出した。悪臭。だがそれよりも、なにかはわからないが、ぞっとするような悪寒にうっと、胃の中のものがせりあがってくる。見れば、少女たちも口元を抑えてうずくまっている。今の……うちに……っ!

「あ……ああ……なんてことを……。おまえたち……この世界を崩壊させるつもりなのか」

 床に伏して血の混じった涎を垂らしていた研究員が、かすれさせながら声を上げた。一琉は渾身の力を振り絞って立ち上がる。

「どういう、ことだ……っ」

 吐き気をこらえ、問いただす。

「こ、こ、古今東西の魂を、こんなにいっぺんに……!! いいわけがない、大暴走だ……、し、知らんぞ……!」

 嗚咽が引いてきたと思ったら、熱風のような、空気まで揺れているようなエネルギー爆発を肌に感じ、今度はぐらっと立っていられない感覚に襲われた。尻もちをつきそうになるのをバランスを取って耐える。地響きがする。下から突き上げてくるような揺れ。ここから出ないと――ドアの方を振り返ろうとした時だった。

 俊敏な黒い影が向かってくる。一琉は身を翻し、とっさに躱した。

 コウモリ……?

 しかし、その影の顔と思しき中央には赤く怪しく光るものがある。自然に生息する生き物ではない。これは……死獣だ! 棟方が床に転がるようにして捨てさせられていた小銃を拾い上げ、銃口を死獣へと向ける。だが、その死獣は素早く回避。

「そんなっ! ! 室内に死獣が出るなんて!」

「ああ――まったくだ……って、えっ! ?」

 有河の声に一琉が振り向くと、その先にも、新しい死獣が生まれていた。ほとんど無機物に近い、白一色の真四角の豆腐のような不気味なシルエット。背後からも物音がして、振り返れば――ぴくぴくとのた打ち回る肉の塊のような何かがあった。そこらじゅうに魂が吹き込まれていくのを肌で感じる。

 尋常じゃないぞこれは……。

「外に逃げるしかない!」

 もう戦うなんて無理だ。逃げるしかない。

 一琉たちは視線を交わし合うと、ドアに向かって駆けた。

 ふと、不自然な静寂を感じて背後を振り返った。

 丈人が、狂乱の部屋の中央で、佇んでいた。

 すべての希望、生きる理由、意味を失ったように崩れ落ちた彼は、そこから動かない。

(ここで死ぬ気か……?)

「ちるちる! 何してるの早く!」

「あっ、ああ――」

 あとのことは元隊員たちに任せ、一琉は外に出た。


「大尉、大尉……しっかりしてください! ! 寺本大尉! !」

 放心状態だった丈人は、少女の姿をした部下たちに体を揺らされて我に返った。だが、我に返ったところで、足元が抜け落ちた感覚は消えず、いっそう暗闇に落ちていく気分が強まっただけだった。

 今までずっと、部下をもう一度生き返らせることだけを支えに、自分は生きてきた。

 死者を蘇生させられるというロストテクノロジーの噂を聞いたとき、なんとしてでもその技術を使いたいと思った。大佐の立場をもってしても、そこに介入するには相応の代償が必要だった。最後は憎々しい昼の連中にも頭を下げて頼み込んだ。部下を殺した死獣を生み出し自分たちは安全なところで儲けているという相手であることはもちろんわかっていた。それでも、死んだ部下を生き返らせるという不可能を可能にしてくれる相手は彼ら以外にいない。昼に対して理不尽だと思いながらも、夜に対して後ろ暗い感情を殺しながらも、過去に縋ることにしか、希望がなかった。

 そしてようやく再会したその部下たちにまで――

 その場にくずおれた丈人の口から、一つの結論がすんなりと出た。

「いいんだ……もう、俺は、ここで」

 ここで、終わろう。

 思えば……生きていくことは、苦しくて仕方がなかった。

 こうして、もう、自分の居場所が、どこにもなくなったのだから。

 ちょうどここに、死獣が暴れている。これに、殺されよう。自分も。

「な、な、何言ってるんですかッ! 大尉!」

 しかし、少女たちは、丈人を覆い隠すようにぐるっと一周囲む。

「おまえたち……私は……私はもういいんだ」

「だめです大尉! !」

 死獣は少女たちを襲わない。だが死獣は、この場にただ一人普通の夜勤である丈人を、逃がす気はないようだ。ぐるぐると、隙を窺うようにうろつきまわる。

 死臭を放ち理性をなくした死獣。

 黄泉の国から呼び戻された魂たち。

 囲われた丈人は、その中に融けていきたいと願う。

 死獣は逡巡する素振りを見せながらも、丈人を捕えようと牙をむく。少女たちは抗うように太陽光線銃を、死獣に向けて放つ。だが、すぐにとはいかない。少女は十数人いたが、死獣の数も多い上、丈人を守る為に囲っている少女の周りをさらに死獣が囲っているため、集中砲火ができない。光を突破した死獣は、丈人めがけて大蛇のバケモノのように足元から這い上がり、締め付けようとする。だが、割って入った少女が身代わりになる。

「ぐっ――がっ……」

 噛みつかれた少女は口から大量の血を吐く。その鮮血から、「――福田一等兵……っ!」丈人は目が離せない。少女は苦しみながらも、だが丈人に笑顔を差し出して言う。

「……でも、本当は嬉しかったです。そこまで私たちのことを考えてくださって」

 そしてまた、死獣が光をかき分け突進する。謎の真っ白の立方体。狙いはもちろん丈人だが――

「させるか!」

 少女が身を挺して盾となり、守る。「……――わあっ! ?」少女は、呑みこまれるようにしてその豆腐のような不思議な素材の中に消えていった。

「櫛本伍長――っ! !」

 すぐさま、両脇の少女が空いた空間に回り込み、補填する。

「もう、もういやだ、俺はもう……やめてくれ! やめろ! 俺を守るな」

 だが、軍曹が首を横に振って言う。

「寺本大尉、いえ、失礼いたしました――寺本丈人大佐。大佐の仕事はまだ、ここにたくさんあるはずです」

 この軍曹は生前にはもちろんこんな出過ぎた真似などしなかった。だが、一度は天に昇った身からこうして今、寺本丈人を見て、あの恐ろしい大尉も、きっと最初から、こんなに弱い人間だったのだろうと、穏やかな気分で理解できるのだった。

「長い眠りから目覚めたと思ったら……二回もこんなこと、させないでくださいよ」

 そう言って軍曹は部下に命じる。

「たとえその身が朽ち果てようとも、決して銃を離すな! 大佐をお守りするんだ!」

 そうして少女たちは盾になり、内臓が破裂して口から血を流しても、指を光線銃から離すことなく撃ち続けた。光に焼かれながらも死獣は、敵の邪魔な鎧を剥がそうとするように、噛み付いて――

 ようやく、何匹もの死獣が倒れ、そして何人もの少女もまた、再び息絶えた。

 自らも重傷を負った軍曹は、薄れゆく意識の中、上官へ最後の報告をする。

「た……た、大佐、し、し、死獣が……途切れ、ました……い……今です……! 外に、お逃げ、ください……」

 丈人は、倒れる軍曹を抱きとめる。

「こ……この次は……、光の中で……、あなたに……お会いしたい」

 軍曹の眦から涙が、こぼれた。同時に、丈人も。

「また……昔みたいに」

「……――っ! また、また、俺を置いて……いくのか……」

 軍曹の少女の体は、冷たく動かなくなっていく。

 そうして、今までの狂騒が嘘のように、無音。

 静寂。

 爆破された死者蘇生装置。

 焼き殺されて動かぬ死獣の死体。

 戦い終えた少女の死体。

 丈人は震える足で、そこに立っていた――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る