第48話 『居場所』上

「委員長がいないよ……?」

 約束の場所に来ても、彼女の姿はなかった。

「どこかに隠れたならいいが。救出されて憲兵隊に事情聴取されていたら、まずい」

「でももう、この騒ぎじゃ仕方がないぜ。俺達だけで、先へ進むしか……」

 計画が失敗したらそれこそ顔向けできない……。勝てば官軍だ。

「わかった。必ず勝とう」

 言いながら妙な予感が、一琉の胸中を食い荒らしていた。ここに、委員長がいてくれたら消えたはずの嫌な感覚。それが、残ってしまった。委員長は作戦通り、立てこもり事件をでっち上げてくれた。憲兵の数が多いのはそのためで、織り込み済みだ。でも、立てこもりビルから離れるほど――研究所に近づくほど、その数が増してきていたのは――なぜなんだ、委員長。

 見えてきた。白くそびえ立つ、病院のような研究施設。普段まったく人気のなかった、どこか浮世離れして見えるそれが――近づいてきて、一琉はぎりっと奥歯を噛みしめた。

 研究所を等間隔にぐるっと囲う柵のように見えるもの。

「なんて数だ……! 研究所は警備されて……憲兵隊に守られている!」

「うそだろおい! あれじゃ、オレたちがいくら武装してたところでたかが知れてるぜ! やられる」

 加賀谷も目を皿のようにして声を上げる。佐伯たちが抑えてくれているのも、時間の問題だ。

「どうするのー! ? ちるちる、これ、停車したらまた囲まれるよ! !」

 運転席からの有河の気が動転したような声。

 あんな人数の憲兵隊が守っているところを、突破するのは不可能に近い。

 一琉と加賀谷と有河の三人で、ざっと二十はいるこの軍隊とやりあう? ばかげている。無謀だ。それか、このままトラックでつっこんでみるか。ガラスが何枚か割れて、明日の新聞のどこかには載るだろう。まあ、昼の悪事を晒し挙げるための話題性という意味ではまったくの無駄ではないかもしれん。

 だが、目立つことを嫌うはずの研究所がそんな警備を据えた理由。今日に限って。

「……どうしてだ……」

 一琉の心を、最悪の予感がついに覆い尽くした。

「ごめんなさい。投降して頂戴。危害は加えないわ」

 昼に属する軍隊である憲兵隊と、その助っ人として臨時招集されたであろう夜勤軍の中央。

 清廉の象徴のような長い髪。正しさと優しさを貫こうとする意志の目。

「どうしてだ……」

 彼女を視界の中心に捕えた時、一琉の微かな声は、哀しみを携えた怒声に変わる。

「どうしてだ! 委員長!!!」

「あなたたちのことはもうすべて伝わっているわ。あなたたちが今まで考えてきたこと、これからしようとしていること。だからもうやめるの。お願い」

 いつもと同じ制服を着た仲間が、そこにいた。

 いつもと同じ刀を、こちらに向けて。

「よくやった和美」

 ぱち、ぱち、ぱち、と、ゆっくり手を叩きながらその後ろから現れたのは、委員長の父親代わり――隙なく佐官軍服を着込んだ、寺本丈人大佐。

「君たち、あとは我々に任せなさいと言っただろう。まさか私の家に0088号が匿われていたとは、私も表沙汰にはできず困ったよ」

 一琉は反射的に叫んだ。

「聞いてください! まひるのいた研究所が、死獣を生み出していました! 私が今やろうとしているのは、それを止めることなんです! ここを通していただけませんか!」

「ああ、そうだね。同情するよ。でも、死獣によって悲しむ人間がいるということは、その逆で喜ぶ人間だってたくさんいるということを、君たちはわかっていないね」

「逆……?」

 何かが、脳裏によぎる。

「ここを壊すわけにはいかないのだよ」

「でもそこはっ、俺たち夜勤を苦しめている、諸悪の根源で――っ」

「あの研究所が死獣を生み出していることは、わかっている。だが、見過ごさねばならないのだ」

 わかっている! ? わかっているのに見過ごすだと! ?

「なぜです! 夜勤に人生捧げてきた大佐なら、死獣を生み出す行為なんて、絶対に許せないはずでしょう! !」

 丈人は醜悪な笑みで吐き捨てた。

「くだらないなそんなもの」

「なんだって……! ?」

 激しく詰め寄る一琉を、丈人は一蹴する。

「……消えていった仲間の数は、俺たちの方が多いのだ。悪く思うな」

 なんだと……?

「特定の誰かを生き返らせるには、特殊なやり方があるのよ……。その人を良く知っていることが条件だけど」

 委員長が、自棄になったようにそう説明した。

「あたしがこれを知ったのも……まひるちゃんが来てからよ」

 そして、言う。

「丈人さんを含め上層部は、死んでいった仲間を順番に生き返らせてもらう権利を持っているの」

 声を無くす一琉たちに、さらに付け加える。「……あたしもね」

 委員長の一琉たちに対する裏切りに満足したように、「あとは頼むぞ、和美」と、踵を返して研究所の中に入っていく。

「そ……んな……」

「いいんちょ……」

 ブレーキを踏んでいた有河が愕然としたように力を無くし、トラックがふらふらと力無く彷徨うように動く。

「それって、どういうことだよ……委員長、オレたちを裏切るってことか……? いや、もうずっと、そのつもりでここにいたのか……?」

 加賀谷は蒼白な顔で手を額に置いた。

「そうよ」

 委員長は、身じろぎもせず、頷いた。「悪い……?」

「どうして……」

「天涯孤独の加賀谷くんには、わからないでしょうね。滝本くんも」

 委員長は冷酷な声で言うと、加賀谷、一琉を越えて、有河の方に視線を向ける。

「アーリー、あなたには、家族がいたわね」

「……うん」

「有河一家は、戦闘能力も優秀。お父様もお母様も、現場で高く評価されているわ。どうしてあなたがここにいるの? 研究所を壊しに? 死獣がいた方がいいんじゃない?」

 突き刺すような言葉。有河は「そんなこと……ないよ……」と、声をくぐもらせた。

「滝本くんは、ずっと気にしていたわよね。あたしが、取り繕った善人じゃないかってこと」

 委員長はようやく仮面を外せたことを喜ぶような薄ら暗い微笑みを浮かべると、

「ええそうよ。あたしは善人なんかじゃない。結局、自分のことしか考えていない」

 一琉に向かって言った。

「これで満足?」

 叩きつけるような悪意。

 一琉は、満足? と聞かれて、そうは思わない自分に気付く。

 夜勤に誇りを持てる気高さに、弱き者を絶対に見捨てない優しさ。口では、心の中でも、忌々しく罵りながら、本当は委員長にはきれいでいてほしかった。こんなクソみたいな夜に生きたい変わり者の昼生まれでいてほしかった。そうしてくれている限り、こんな夜にもちょっとはいいことあるのかな、なんて、ぼんやり考えることができたから。

 本当に……それが委員長の素顔なのか。せいせいした、と心底涼しげな、悪びれる様子のないその顔が? ……誰だ。そこに笑って立っているのは。

 委員長は、そんな顔はしない。

 たとえ、元いた家族を取り戻すために、俺たちを裏切ったとしても、委員長はそんな風に、笑うようなやつじゃない。それじゃまるで、ただの狂人だ。ロボットだ。何だこれは? 俺の感じた、委員長の人臭さってのは、もっと――ちがう!

「それか……あなたたちが、あたしを殺して……」

 委員長の目元に光るものが見えた。

「あたしを、殺しなさい……それで、突入して、壊しに行けばいい……」

 委員長は腰に下げている鞘に日本刀を収めると、かけがえのない大切な物のように胸に抱いて、

「ほら、裏切者を殺しなさい!」

 胸を張る。

 ああ、やっぱり仮面がまだあった。

 ほら、その表情はもう不自然なほど無表情だ。大きすぎる感情を、無理やり押し殺したような。どんな感情? 恐怖? 罪悪感? 哀しみか?

 ちがう。ちがう。委員長は、今まで考えなしに特攻していたわけじゃなくて。

 一つのことしか考えていなかった。

 ――死にたがっていたんだ。

 うっかり死んでしまえば、自己矛盾だって綺麗に解決する。死んで、向こうにいけば、家族にも会える。いつだって委員長は、死ぬチャンスを窺っていたんだ。

 ようやく、寺本和美という一人の像が結ばれたのを感じた。

 委員長は、寂しいのだ。

「委員長」

「なに」

 形のいい眉が、ぴくりと動いた。

「裏切りのために、一緒にいたのか」

「そうよ!」

「大佐のために?」

「違うわ」

「じゃあなんのためにだ」

「だから、家族を生き返らせてもらうためよ! あたしの、たった一つの居場所だった家族を、もう一度、戻してもらうためなのよ……!」

 これが……佐伯の言っていた「死者を蘇らせたいと思っているのは、昼の人間だけじゃない」という意味……家族のいない一琉には、わからなかった。

「委員長の居場所は、ここにはないのかよ」

 委員長が、思わぬことを言われたように口を閉じる。一琉は続けた。

「血の繋がった家族と過ごした日々が、どんなものだったのか俺は知らない。俺には家族と呼べるものがないからな。でも、じゃあ、野並が死獣に襲われたとき、助けに行ったのはどうしてだ? そんなにあの世に行きたかったのか?」

「それ……は……」

 委員長は、戸惑うように視線を彷徨わせながら、小さく言う。

「だって……もう、大切な人たちが、一人でも、いなくなるのは……もう嫌なのよ……!」

 そしてまた自分がきれいごとを言いかねないと気が付いたように、きっとにらむ。

「どうして奪われなくちゃいけないのよ! これ以上!」

「過去は、振り返るだけで十分だろ。取りに戻るものじゃない」

 返す一琉の言葉に、委員長の顔が歪む。

「知ったようなこと言わないで……! あたしの気持ちなんて、誰にもわからない」

 そしてその身を引くと、大声で叫んだ。

「家族が生き返るなら、もうなにもかも意味ないの! ぜんぶぜんぶ差し出すわ!」

 委員長と丈人の間に今までどんな関係が築かれてきて、どんなやり取りがあったのかは知らない。委員長の元あった家庭がどんなに温かなものだったのかも。でも、少なくとも、これだけはいえる。

「俺たちまでか?」

 共に死線を乗り越えてきた一班の存在だけは、ここにあるだろ。

「それは……でも……」

 気丈に振舞っていても、委員長の口からは言葉が出てこない。心の迷いが、伝わってくる。一琉は自信を持って、問いかけた。

「俺たちが委員長に対しても、そう思っていないとでも思うのか」

 運転席の有河が頷いた。

「そうだよ」

 微笑みを携えて。

「あーりぃ、いいんちょのこと大好きだよ。ずっとこのメンバーで一緒にいたいって思ってる。そのためなら強くなるし、なんだってするんだよ」

「そうだ。何を言ってんだよ委員長。委員長が考えているほど、オレも、おまえも、孤独じゃないぜ」

 加賀谷も、それに続く。

 天国でもなければ、蘇生される死人たちの間にではなく。

「ここに、居場所があるってことだろ」

 今、まさにここにも。

「俺と生きてほしい。一緒に」

 一琉は、立ち尽くす委員長に手を差し伸べる。まるで愛の告白をするかのような優しい声が出た。暗い帳が下りてきて、俺たちの夜が広がっていく。

「でも……あたし……」

 仮面がぱりんと割れるように、涙が飛び散る。

 その顔は、いつもの彼女の優しい泣き顔だった。

「もう、遅い……わ……あたしは裏切ってしまった……」

 その時。

「委員長」

 この声は……?

 ここにいるはずのない、聞き慣れた声にはっと背後を振り返る。

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