第36話 『最深部 リスト』

「……どこまで行くんです」

 昼の街のチェーン店居酒屋を出てから、一琉は佐伯のバイクに乗せられて、どこかに運ばれていた。あたりはもう夕焼け空、日光的には問題はないのだが……こっちは基地内だ。というか、来た道を戻っている。

(夜生まれにとって、夕方過ぎはまだ寝起きの頃だぞ。こんな時間から開いている飲み屋なんてあるのか?)

 どこか秘密の隠れ家でもあるのかもしれない。

「ついた」

「え、ここ?」

 あまりにも見なれた場所で佐伯が停車するので、「降りろ」と言われるまで一琉はそのまま乗っていた。傾いたような古びた木造建築。見慣れた引き戸。

「鬼怒屋……?」

 いつもの飲み屋じゃないか。

「まだ準備中じゃないですか?」

 明け方まで飲んで、ここを寝床にした客が帰る時間でもある。出ることはできても、これから客として入るのは……。

「いーんだよ。たのもー」

 ガシャガシャと、鍵のかかった引き戸をノックする。明かりが付き、ぼやっと人影が動くのが見えた。

 薄く、戸が開かれる。

「おい。佐伯か……。こんな早い時間から、なんだ」

 強面の禿げ頭が、まだどこか眠そうな声で出迎えてくれた。

「おーう。時差ボケだ。泊めろー」

「……入れ」

 いいのか……?

 一琉もおそるおそる、あとに続く。ぶっきらぼうな禿頭の店主に、ちら、と意味有り気に一瞥されたのが気になった。

 いつもは人でにぎわっている、がらんどうの店内を横目に、不思議な気持ちで、二階に上がろうと階段に向かう。簡易な宿になっているのは知っていたが、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。

「そっちじゃねーぞ」

 ひそひそ声で佐伯に引っ張られる。

「え?」

「ていうか、一琉って鬼怒屋に泊まったことあったっけ?」

「ないですよ。陽が昇ってきたら、どんなに遅くても帰れる時間にはここ出ますし、俺。でも、たしか宿は二階だって聞いたような……」

「地下だ」

 ドスの利いた低音声に一琉が振り返ると、床から、たこ頭がにょっきり生えていた。地下へと続く隠し扉の階段らしい。佐伯に後ろから押されて促されるまま、一琉は店主に付いていく。

「せま……」

 暗く、急な階段だが、安全のために壁に両手をつくのに、小さく肘を曲げないとつかえてしまうほど狭い。まるで地下壕のような雰囲気だ。

「頭ぶつけるなよ」

「う……はい」

 店主の注意に、一琉は緊張した。なんなんだここは。ざらついたむき出しのコンクリートで、丈夫な黒衣を着ていなければ、擦れて服が破れていただろう。だが、黒衣をバイクに置いてきて薄着のままの佐伯は、慣れたように体をコンパクトに畳んで後ろからすいすい降りてくる。

 そのときふと、急に視界が開けた。

「ええっ! ?」

 店主に明かりを点けられたのだ。驚愕する。

「こんな……!」

 そこには洋風の手狭なバーカウンターが構えられていた。室間を意識したように壁にずらりと並べられたワインボトル。天井から吊られたグラスは、湿気った朽木のようなあの外観からはとても想像つかないほど、磨かれていてぴかぴか。昼の街に並んでいても違和感ないほど、質のいい空間がそこにあった。

「〝 BAR goblin 〟 ……?」

 カウンターの向こう壁に掲げられた輝くプレートの金字を読み取る。

「ああ、それは、俺がふざけて付けた店名だ。気にするな」

 着席してタバコをふかしながら佐伯に促されるままに、一琉も隣のカウンターに座る。夜の街では堂々と経営できないだろう。この質では、あまりにも目立ちすぎてしまう。これだけの高水準の店をここで普通に経営しようとしたら、立ち行かないはずだからだ。昼との不純な関係を疑われる。密輸業者か、とか。

「ここならなんでも話せる」

「あり……がとうございます」

 まだ、ちょっと落ちつかないが。

「それで。聞きたいことってのは?」

「あの……」

 そのとき背後から声がした。

「おい」

「あ。貝原」

 さっきの店主が警戒するような空気を纏いつつ入ってきて、無意識の癖のようにカウンターの向かい側に回る。黙ってこちらをじっと見ている。サングラスの奥、大きな二重の目。にらまれているんじゃないかと思うような目つきだ。元からの顔つきのような気もする。

 佐伯が彼の前に片手を伸ばすと、貝原と呼ばれた店主は歯ぎしりするように顔を歪ませて頷いて、持っていた品書きの板――から一枚の紙を取り出し、佐伯に渡した。

「……いいんだろうな?」

「ああ」

「一応、最新版だ」

「サーンキュ」

(なんだ……? 俺にわからないように、佐伯さんに何か渡すつもりだった?)

 一琉はとりあえず様子を窺うしかない。

「お。昨日の日付だね。ありがたい。トキちゃんの調子はどう?」

「変わらん。というか、俺に聞かれてもさっぱりわからん。」

 様子を窺うのしかないのは向こうも同じらしく、視線と意識はこちらに向けられたままだ。佐伯は、何かのリストが載った紙から顔を上げると、貝原に訊く。

「……気になる?」

「当たり前だ! !」

 貝原は噛みつかんばかりに、吠えた。けっこう短気な人かもしれない。

「オーケーオーケー。紹介しよう。彼は滝本一琉。血縁的には俺の姉の息子で、一応甥っ子に当たるんだけど、まあ、見ての通り夜生まれだから」

 甥と叔父というのは単なるきっかけだ。この世界では、血縁関係なんて、重要な意味をなさない。

「お邪魔……しています」

「……よく見る顔ではあるな。うちに来るやつの一人だ」

「その通~り。俺がよく連れてくるだろう?」

「ああ」

 続いて佐伯は一琉の方を向いて、

「一琉、この人は貝原かいばら。ここの店主ね。それから俺らの――」

「ただの店主だ。よろしく」

 佐伯が何か言いかけたのをぶった切るようにして被せ、貝原は雑に自己紹介を済ませる。

「はあ……よろしくお願いします」

 突如、貝原が身を乗り出して佐伯を羽交い絞めにして、

「のわっ。ちょっと、ちょっと。乱暴はよしこちゃんっ!」

「黙って来い……っ」

 引き摺りだすようにして扉の外へ引っ張っていった。腕っ節の良さでは、あの貝原にはたぶん佐伯も敵わないだろう。背も高くガタイもいいし、よく考えれば、軍にいないのが不思議なくらい筋肉隆々だ。どうしてこんな居酒屋を経営しているんだろう。

 いったいどういうつもりだ! とか、先に説明しろ! ! などと遠くうっすら聞こえたが、それは一琉も聞きたかった。

 いったい、ここはなんだ……?

 連れ去られた佐伯の放り投げた紙を拾い上げる。

(ID番号と名前の一覧……? ID番号だけの欄もあるが……)

 同じIDで、複数の名前を持つ者もいる。その場合は、一つを残して残りは二重線で消されていた。

(あ……! ?)

 目に飛びこんでくる文字列。

(ID0088、野々原まひるっ! !)

 一人だけ右端に、チェックがついていて目立っていた。だがそのマークの上から二重線が引かれている。

「こらぁ! !」

 怒声と共に、太い腕に突然リストを奪い取られた。いつの間にか貝原が戻ってきていた。

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