第37話 『最深部 情報交換』

「ったく、佐伯! ! 不用心だぞっ」

「いいんだって、いいんだって。一琉にはリスト見せる気でいたから」

 幾段よれたシャツを引っ張りながら、佐伯が戻ってくる。

 佐伯は貝原の手からすいっとリストを抜き取ると、一琉に改めて手渡した。

「ったく、ちょっとは俺にも相談しろ! !」

「佐伯さん! これって……!」

 一琉は貝原に構わず佐伯に尋ねる。

「もしかして……」

「お察しの通り、だよ。それは研究所に囚われている少女たちの最新リスト」

「……っ!」

 一琉は再度リストに目を通した。

「野々原まひるのエマージェンシーサインが消されている。――戻されたみたいだね」

 戻された……研究所に――! ?

「これ……一体どこで……」

「それは聞いちゃダメだ」

 出所が不明でも、信頼できないわけではなかった。その中には、まひるの名前だけでなく、大井千佳の名もあったからだ。まひるの話に出てきた活発な性格の少女の名前。大井千佳という名前の下に佐川光。大井千佳の方は二重線で消されていた。

(……少なくとも、まるきり偽物のデータというわけではない……)

 どうして、まひるが研究所に戻されているんだ。丈人や夜勤の上層部がなんとかしてくれる、きっと大丈夫なはずだと自分に言い聞かせていたことを、一琉は悔やんだ。まひるは無事なのか? まひるの話では、要注意人物とみなされた者は廃棄されると言っていた。または、麻酔もなしに手術されるとか。もしかしたら、もう……。最悪の想像が脳裏によぎる。いや、まひるはまだ生きているはずだ。そうであってくれ……。

「おっと、トキちゃんありがと」

 そこに、すすすと割って入ってきたのは時江だった。いつも鬼怒屋にいる二十代中ごろぐらいの女の人。首元で切りそろえられた栗色の髪を揺らし、茶を出してくれた。

「ウーロン茶ですよ」

「ありがと」

 佐伯は軽く笑って礼を言う。一琉も小さく頭を下げた。

「んふふ~。それ、どこで手に入れたのでしょーねー?」

 彼女は楽しげに、一琉に問いかける。

「おいおいトキちゃん、ヒミツで、しょ?」

「ふぁーい」

 佐伯は一琉からリストをするりと回収して言った。

「ま、簡単な取引だよ。あの子の話したこと、それから行動――俺に全部教えてほしいわけ。そしたら情報をあげる」

「それよりもっとすっごいモノもあるわよー?」

「次に彼女の安否が確認できるようなことがあったら知らせてやってもいい」

「本当ですか……っ!」

 一琉は立ち上がらんばかりに食らいついた。情報交換ということらしい。まひるの状態を教えてくれるというのに隠す理由も思い当たらない。知りたがっている人間にそう簡単に吹聴するのもよくないかもしれないが、誰に話すのが正解で、誰に話したらいけないのか判断も今はできない。情報交換ということなら、と口を開く。

「話しますよ。何から話せばいいですかね……」

「全部だ。全部」

「わかってますって」

 じれったそうに、佐伯が急かす。

「あ……でも」

「ん?」

「まひる……こないだまで、一緒に行動していたんです。どうしてまひるがいるうちに、接近しなかったんですか」

 こんな風に後で俺から聞くより、本人に直接なんでも聞けばよかったのに。

「知らなかったんだよ。俺としたことが、灯台もと暗しだ。知ってたら確保してたさ。電話を受けて気付いた時だって、おまえの電話が盗聴されているかもしれないから、警戒して仕方なくああして待ち伏せするしかなかった」

 佐伯は少し息を吐くと、続けた。

「研究所も、慌ててたよ。重要人物を逃がしたわけだから……。上にばれないよう内々に処理しようと、おおっぴらには動かなかった。俺はそのチャンスを逃すわけにはいかなかった。でも、ようやく彼女の居場所を突き止めたと思ったら、彼女はもう寺本丈人大佐の手元で……」

「寺本丈人大佐……」

 委員長の父親代わりだ。夜勤の上層部とは聞いていたが、大佐だったのか。あまりに雲の上の存在すぎて、知らなかった。

「寺本大佐……の手によってまひるが研究施設に戻されたっていうのが、いまいち理解できません。だって、夜生まれの代表が、夜の世界を裏切っていることになりますよ……。そんなこと、あるはずがないです。さすがに……」

 癒着しているとでもいうのか? まさかそんなこと。 金か? たしかに昼は、夜のとは比べ物にならないくらいの資金力を持つ。でも、そもそもそんな風に富が偏る行為に加担するなんて――。

 佐伯は、シニカルな笑いを浮かべ――でもそこに少しだけ哀しさを滲ませながら、言うのだ。

「死者を蘇らせたいと思っているのは、昼の人間だけじゃないってことだよ」

 前に飲んだ時に見た、佐伯の遠い視線の先。

「佐伯さん、あなた……何者なんですか。この店も」

 その視界に、自分が入っている。

 まひるから聞くまで知らなかったこの世の真実を、既に知っていただけじゃない。こんなアジトを作って、実際に行動していて。


 まひるとの出会いからこれまでについて一通り話し終えたとき、空になったグラスにウーロン茶のおかわりを時江が持ってきてくれた。

「そういえば、トキちゃんに買い物に付き合ってくれって頼まれてたんだったね……」

「あ……いえ佐伯さん忙しいならまた今度でも……んー、でも……そろそろ必要だなあ」

「だよねえ」

「なんとか……! 今日、買い物に行きたいですっ」

「うーん」

「だめ……ですか? うるうる」

 引っ越したてで家具を揃える若妻のような会話は、物騒な違法BARにそぐわない。じれったいほどにのん気だ。

蔵力ぞうりき時江ときえ中尉殿に言われちゃあな」

 と、佐伯が両手を上げて、降参したように承諾する。

「中尉! ?」

 一琉は思わず口を挟んで訊ねてしまった。

「それは、昔の肩書きじゃないですか……。それに、今も昔も、私は佐伯中隊長代理殿の忠実なる部下ですよー」

 照れたようにむくれて言う時江だったが、

(え、佐伯さんよりも階級が上なのか……? ええっと、この人も何者なんだ! ?)

「もし君が年下じゃなかったらちょっと扱いづらい部下だったよなー」

「時々、進言しちゃいましたからね……」

「まあ進言というか命令というか……やれやれ。これだから理系女子は」

「いや~佐伯さんは、私の意見もちゃんと聞いて通してくれるからつい」

「俺に意見するに見合う実力と階級があるだけに、やっかいな女の子だったよ。そして言ってることが半分は正しいとわかるのに、もう半分はまるで意味不明ときたら」

「技術的なことは説明が難しくって……。でも、佐伯さんは根気よく付き合ってくれて嬉しかったです」

「……君のそのせいで宮本中尉中隊長が逃げちまって、俺が中隊長代理なんて大役に就かされたわけだけど」

 そうだったのか……。

「ま、トキちゃんは中隊のアイドルだったからねえ~、だからオジサンもがんばれたよ。若いっていいよね!」

「あーっ。悪かったですね~、今はもう若くなくて」

「いや、十分若いって。貝原なんか見てみろ」

 佐伯がちょいとカウンターの向こうを指す。

「貝原さんは、ちょっと、とても佐伯さんと二つ違いには……」

「うるせえ! とっとと仕事ン戻れ!」

「はい、はい」

 佐伯は手をひらひらさせ貝原を追っ払う。そして少し考えるように顎をさすると、

「一琉、代わりに行ってくれないか」

 と、一琉に問いかけ、時江も「あら」と、期待するようにこちらを振り向いた。

「買い物、の付き添い……ですか? え、今から?」

 佐伯からまひるが戻されたという話を聞いてからというもの、あいつが薬を飲まされ精神崩壊しているうちに体を切り刻まれるんじゃないかと、気が気じゃない。

「ああ。頼めるか? 中尉殿の護衛任務」

 もーう、中尉は昔の話ですー! 今は居酒屋のトキちゃん! などとふざけ合っている二人を横目に、一琉は自分を落ち着かせた。まひるの話以上のことは、自分は知らない。佐伯はより詳しそうだ。そんな佐伯たちがよく行く場所に行ってみればなにかが掴めるかも。それにまたこの人と連絡がつかなくなるくらいなら、関わっていたい。

「今日は非番ですし、それはいいですけど……でももう日も落ちてきているし、あまり時間ないですよね。シェルターも閉まっちゃうんじゃ……? 俺、昼の街なんてそんなに詳しくないですよ」

「あ、いや。ちがうんだ。昼の街じゃない。夜の街だ。闇の街とか、闇市っていった方が近いか」

 一琉はそれを聞いてはっとした。

「闇市……一体、何を買いに? !」

 今しゃべっているここが一般的な飲み屋ではないことを思い出した。ただの買い物じゃない。どうやら本気で、護衛任務だ。

「あの、弾薬借りられません? ベレッタですけど。弾数が不安で」

「ああ、あるよな貝原?」

「ある」カウンターの向こうにいる貝原はぶっきらぼうに佐伯にそう答えて背を向け、棚からワインボトルを数本降ろすと、その奥の火薬庫らしき引き出しから紙箱を二箱取り出した。

「九ミリのパラべラムだな。もってけ」

「ありがとうございます」

 貝原から手渡される時、もうひと箱余分に載せられた。

「ったく佐伯、おまえが行け」

「あーあー俺は、ちょっと用事がね」

「……」

 三箱の弾薬箱が、なんだかずっしりと重い。貝原の視線を感じる。

「……俺が行けたらいいんだが、あいにくな」

 この人なら、いるだけで十分威嚇になるだろう。

「やめとけやめとけ。おまえみたいな目立つ奴が歩いていたら、通報される」

 貝原は軽口をたたく佐伯を睨んで制しながらも、

「まあ実際、俺はここの店主として顔が割れているからな。俺とトキエが揃って闇市を出歩いていることで、店に査察が入ったらめんどうだ」

 と、引き下がる。そしてこちらを測るように、暗いサングラス越しに再び一琉を眺めて言った。

「だが、ガキ一人じゃな」

 一琉は言い返さなかった。実際自分は十六で、戦闘の経験も浅いと自身でわかっていた。それに、このみてくれに言われちゃ何も言えない。それに……貝原という人は言葉が悪いだけで、時江と、もしかしたら自分のことまで、心配しているようなニュアンスも含まれているような気がした。憮然とした言い方にならないよう気を配りつつ、加賀谷あたりを思い浮かべて訊く。

「誰か、連れてきた方がいいですか」

 一班は今日はみんな非番だ。どうせヒマしているだろう。

「うーん……?」

 すると、時江が割って入った。

「闇の街はスラムといえばスラムだけど、あてもなくふらふらしに行くわけじゃないですし。さっと行ってさっと帰ってきます! ぞろぞろと行くのも良くないし」

「そうか」

「心配性だねえ。貝原は」

 佐伯が苦笑い混じりにつつくと、貝原は「お前は意地が悪い」とクロスを手にグラスを磨き始めた。

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