第30話 『研究施設での日常と非日常』下

 私たちはあの知識がどこから来るのかずっと疑問でした。どんなに話し合っても解決の糸口を見いだせませんでしたが……。なぜ、集中して思い出すようにすると、過去の文化や文明、技術が徐々にわかるようになるのか。考えてみれば言葉や自分の名前、洗顔の仕方や服の着方、最低限の常識も、誰にも教えられていないはずなのに知っていました。私たちは、どこから来たのか。私たちの存在は、一体なんなのか。

 その場所に足を踏み入れた時、それらは一挙に解決しました。入って正面、巨大ガラスの仕切りの向こうの空間。宙に浮いたピンク色のやわらかそうな大きな袋のようなものが、どくどくとうごめいていました。その直下にはベルトコンベアが流れていて、さらに奥の部屋につながっているようです。スイッチ類のついた基板やパソコンの前で操作している人も、それ以外の研究員も、みんな、そのガラスの向こうの部屋を注視していて、私が入ってきたことには気が付かないようでした。

 巨大なモニターがあって、コマ割りのようにガラスの向こう側の様子を様々な角度から映しだしていました。そのコマの中に、抽象的な立体映像がありました。すごく不思議な形をしていて説明しづらいのですが、近いものとしては……女性の人体にある、子宮? 左右から近づいてきた青と赤の光が一つになったとき。ただの映像のはずなのに、言いようもない不安と嫌悪感に襲われたのを覚えています。

「おお!」

 突如、誰かが声を上げました。それから、波紋が広がるようにして他の人からも次々と。

 私はみんなの視線の先、ガラスの向こう側を見ました。何もなかったはずの薄皮の中に、裸の少女が膝を抱えて沈んでいるのが透けて見えました。

 研究員たちは、天に祈りを捧げているようにも見えました。

 そこへ水を差すような、ビーッという警告音。

「……ダメか、やり直しだ……」

 研究者がつぶやきながらレバーを引くと、モニターの光も同時にひしゃげて消えます。キュッと音を立てながら。それは単に完了を知らせる電子音なのでしょう。しかし、その時の私には、苦しげな悲鳴に聞こえました。目の前にいた裸の少女も、融けるようにして、姿を消したのです。

「次を始めるぞ。調整は良いか?」

 スピーカーから「問題ありません。始められます」という音声が聞こえます。ガラスの向こうにいる作業員が移動を完了して、待機しています。

 リーダー格の研究員が頷くと、機械が動きはじめます。そのたびにモニターには人の形が浮かび、また消えていきます。ガラスの向こうの部屋の、ピンク色の袋の中の少女も。

「今回はどうだ?」

「ダメです主任。生命反応が弱すぎます。この検体では魂の定着が難しいかと」

「解析班、何か分かったことはあるか?」

「元の肉体が強靭だったようです。この検体では魂からの負荷に耐えられず、筋繊維が持ちません」

「仕方ない。廃棄しろ。次だ」

 そんな言葉が飛び交います。機械の陰になっているところを見ると、その部分はガラスのようなもので出来た透明な容器でした。その中に、何かが浮いています。この位置からはよく見えませんでしたが、機械が動き出すとその何かが内部へ運び込まれているのがわかりました。

「おおっ、あれは……! 今回はどうだ! ?」

「いけます! 複数の材料を使わずに済んでいるのでキメラ化せず、合成は順調に進行しています。検体の材料が優秀だと違いますね!」

 一人の研究員が、小さな画面に映る数字を見ながら興奮してそう答えています。

「さすがに遺伝情報の抽出が順調だな。DNAも傷ついていない、か」

「表皮や角膜すら綺麗ですからね。幽閉させておくのは効率良いですよ。中でもこういう健康優良児は、丸ごと再利用できるので楽ですね」

 主任、そう呼ばれた研究員がそれを聞いて笑った時、機械が大きな音を立て始めました。

「生命反応ありました! 魂と肉体の連結良好!」

「体勢反射あります。神経系も問題ありません」

「身体欠損なし。構成率九九パーセント。循環系が機能し始めました」

「よし、培養液から引き揚げろ。その構成率なら酸素分圧は高く設定だ。それと……」

 主任研究員は口元を怪しくゆがませ、そして……

「誕生パーティの準備だ。こいつの、二回目のな」

 研究員が愉快げに笑って言いました。

 先ほど、その子の体になにかが入っていったと言いました。その妙な感じの正体。

 それは、魂。

 機械で再合成された肉体に、新しい魂が封入されるのです。人工的に作られた肉体と、彷徨える魂の封入。つまりそこでは、死者の蘇生を行っていたのです。一度死んだものに、肉体を与え、もう一度目覚めさせる。そんな行為が行われていたのです。

 連れて行かれ、それ以後見かけなくなる人は、ここで化学分解されていたのです。

 そして、新しく見かける人たち。彼女らは、ここで新しく肉体を合成され、新しい魂を入れられてできた人だったのです。

 そうです。私たちは、死者です。私や、チカ、そしてあの施設にいた子たちは全員、本当はずっと遠い昔に、普通に暮らしていた人たちです。

 そしていつかの昔に、死んだ。その魂が、呼び戻されて、合成された体を与えられて、この時代に生き返らされていたのです。


 まひるはそこまで話すと、呼吸を整えるように口を閉じた。

 一琉たちは一言も声を発することができなかった。

 リビングは静まり返っていた。


 私はその場にくずおれました。自分に、今とは別の過去がある気がしていた理由、教えられていないのにわかる常識やぱっとひらめくようにして思いつく特殊な知識、その理由が、私たちがすでに死んだ存在で、生き返らされたからだったなんて!

 持っているペンとティッシュが手汗で濡れていました。

 自分は想像以上に、大変なところにいる。

 どうしてこんなことが行われているの? 誰がやっているの? 今の世界はどうなっているの? 存在しているの? それともここが死後の世界なの?

 思い返せば、資料整理の作業中にもたしかにヒントはたくさんありました。資料整理のために、今ある資料を参照することは許されていました。私は死者蘇生装置の資料を読んだことがあったんです。そこには、このようなことが記されていました。生命誕生のしくみについてです。生物は、受精すると着床し、細胞分裂を重ねて大きく育っていくことはみなさんご存じだと思います。実はそれは、小さな魂がそうさせているのです。生物が誕生する時、肉体は魂を、魂は肉体をそれぞれ求め合います。魂は両親から受け継いだ遺伝子と呼応して肉体を形作り、それを入れ物として、定着します。形作られた肉体は両親から受け継いだ魂を受け入れ、生命を生み出します。私たちはこうしてこの世に生を享けるのです。そして月日が流れ、肉体は死を迎えます。その時魂は、新たな居場所を求めて天へと向かいます。これが生命の死です。魂の居場所は、現世には一か所しかありません。それを失った時には、現世から離れていくのが摂理なんです。

 ですが稀に、地縛霊のようにこの世に強い未練を残した魂は現世に残り、浮遊していることがあります。そういった魂は、基本的には時間が経つにつれて残る意味を失い、天へと向かいます。けれどもさらに稀に、現世でひたすら居場所を探し続けた結果、本来いるべきではない肉体へと宿ることがあるそうです。

 ただ、それはあってはならないことです。魂自身と相容れることのない肉体。その体は必ず、入ってきた魂と反発します。肉体を動かそうとする魂と、魂の思い通りには動こうとしない肉体。そんな状態では無理が生じます。肉体は魂に逆らってボロボロになり、魂は肉体を我が物にしようとしてあらぬ方向へ成長させます。

 研究所で行われていたのは、死者を蘇生させる行為――死者の魂を本来あるべきではない肉体に入れ、その持ち主を生き返らせる。そんなことは出来ないはずです。けれども、低い確率ではありますが他人の魂を受け入れることのできる肉体がごく稀に存在するのです。あそこではそれを作り出す研究をしていました。天界から望む魂を呼び戻し、その結果生み出されたのが私たち。

 そして、その実験に失敗して、浮遊する地縛霊と結びつき生み出されたのが――


 まひるはそこで一瞬、言いよどんだ。

 夜生まれの多く集まるこの場に、あまりにも辛辣な事実を突きつけねばならなかった。

 それでも、まひるは、言うしかなかった。深呼吸をして、心を落ち着けて、はっきりと言う。

「死者蘇生によって、生み出されたのが、この世界に跋扈している、死獣です。死獣が、どこからともなくあらわれ、そして倒しても倒しても、尽きることなく、人を襲うのは、こういうことなんです」

 あたりは、水を打ったように静まり返った。当然である。

「なん……だよ、それ……」

 一琉が声にならない声を上げた。その声は震えていた。

「それって……!」

 有河の悲鳴にも似た声。まひるは、見ていられないというように視線をそらした。一琉は、まひるの話を理解するのに時間がかかったし、まだ信じられなかった。新しく飛び込んでくる情報量があまりにも多くて、まるで処理しきれない。それでも、興奮したままに叫んでいた。

「つまり……、死獣は、人間が生み出していたってことかよ……? !」

「そう、ですっ」

 まひるは、急いで付け加える。

「でも! 死獣は死者蘇生の副産物なんです。死者の蘇生をやめれば、死獣もあんなには増えないはずなんです! ! 多くとも台風や地震……そんな災害程度にしか、出現しないはずなんです。幽霊や……怪物や妖怪、おとぎ話ぐらいの存在だった時代だって、もっともっと過去にはあったんです! だから……、もう、止めてほしい……っ!」

「そんな……」

 委員長のからからに乾いた声。その場の全員の視線が、吸引されるようにしてまひるの瞳に向いている。その瞳の奥には、誰がいるのか。


 チカと一緒に死にたいと思っていました。でも、まさかこの体が永遠に生き返らされているだなんて。私の知っているチカはもういないのに、それを繰り返さなければならない。そこまで考え終えた私の肩を、叩く者がいました。

「こんなところまで来て、気付いていないとでも思っているのか、0088号」

 はっとして振り返ると、呆れたような顔をした研究員が一人立っていました。この秘密を知ってしまったらどうなるのか? 身構える私に、研究員は笑うと、

「まあいいだろう。もともと隠す気もない。おまえからも情報を全部吸い出したら、生まれ変わらせてやるからな」

 そう言ってぐいっと腕を掴んできました。

 一度は全うした人生を、誰かの都合でこんなふうに生きなくちゃいけないなら――

 そんなの――

 私は手に持ったボールペンの切っ先を男に向けスイッチを押しました。これは実はただのボールペンではありません。メモと共に手にしたときに、私にはわかっていました。チカの手によって重力制御装置を応用して密かに作られたものだと。今はロストテクノロジーとなった各分野の専門家が蘇らされていて、彼女にはその才覚があったのでしょう。途端に重力は反転。ペンを頭に限界まで加速。加速機能も搭載しているのは天才のなせる業です。両足が浮いた、と思うより先に、私は猛スピードで男に突っ込んでいました。

 向かいの壁に激突する間際に即座にペンのヘッドを押しました。振り向くと、男は流血した腹部を押さえて倒れていました。騒ぎになる前に私は屋上へと走りました。屋上には洗濯物が干されていて人の出入りが毎日あり、特に鍵がかかっているわけでもありませんでした。私はそこから飛び降りて全てを終わらせようと思ったんです。

 ところが、私は運がいいのか悪いのか、生き残ってしまった。重力を操るペンが落下から身を守ってしまったのかもしれません。

 頭を打った私は、しばらくの間、なにも思い出すことができずにただ彷徨っていました。言葉を思い出したのは、一琉さんに会った時。一琉さんたちと過ごすうち、昔生きていた頃の記憶が呼び覚まされて、合成されて生まれてからの記憶と、混ざってしまっていました。それからの私は、みなさんご存じのとおり、です。


 まひるが口を閉じ、リビングは再び静寂に包まれた。外を走る車のエンジン音が大きく轟き、そして消えた。ドアを閉める音がした。しばらくの間、カタタタタという振動音が、鳴っていた。

 充満する重苦しい空気の膜を破るように、

「はっはっはーっ、とんでもねーなー」

 加賀谷が、乾いた笑い声をあげた。ひきつり笑いだった。

 それ以降、言葉が続かなくて、結局また静寂が訪れる。

 まだ……全部信じたというわけじゃ、ない。一琉は冷静さを取り戻そうと試みる――。こいつが嘘を言っているようには見えないが、曲解や誤解は、あるかもしれない。あるいは、記憶の混乱。昔見たSF映画と勘違いしているとか。でも、――こいつは実際に、大破のごとく故障した太陽光線銃を、直してみせた。

 じゃあもし、これが本当だったら――?

 まひるは言っていた。研究所は過去の情報や技術を知る者を集めて閉じこめ、現代に過去の文明を復興させようとしていると。

「そんなことしている理由は……何だか知らんが……」

 つまりどっかの連中が、好き勝手に死人を生き返らせて、そいつらを人間扱いせず好き勝手利用するだけ利用して。その結果死獣を生んでいる。そして俺たち夜勤に死獣を始末させている。

 まひるは、精神薬漬けと生きたまま肉体を切り裂かれる恐怖の中、よくわからない作業をさせられていて、今でも他の子供は、そんな地獄の環境下で生活させられている。

 昼生まれ連中の金儲けか? その産業廃棄物たる死獣に苦しめられてきた俺たちはなんだ? 人生の初めからどれだけ狂わされたと思っていやがる。何人のクラスメートが死んだと思う。どれだけの家庭が壊されたと思う。夜生まれも、昼生まれも、食い殺されて。

「許せることじゃないぞ……」

 そのとき。がちゃり、と、遠くからドアの開く音と、

「あ、あらっ、旦那様! お帰りでしたか! ? ごめんなさい、そうとは知らずお迎えもできず――」

 奥から、真理子の声。ひどく驚いて、あわてている。

丈人たけひとさん……?」

 委員長がぱっと顔を上げた。その顔には緊張が走っていた。

「帰ってきたの? そんな、急に……」

 どたどたと足音を立てて、すぐに、その人はリビングに現れた。

「丈人さん!」

 委員長が、彼の姿を認める。一琉たちも全員、反射的に起立して迎えた。その人――丈人は茶色の上質そうなスーツを着ていて、年は四十半ばという頃だろうか。細い目の下に刻まれた幾重かの皺。幹部特有の厳格な雰囲気を漂わせつつも、小柄で華奢な体つき。きちんとした階級は委員長に訊ねるのを忘れていたが、そもそも自分たち二等兵以下の階級なんてこの世にない。丈人は踏み鳴らす足をそのまま止めず、むしろ加速するようにリビングに入ってきて進み出る。髪と同じ色の、口元でそろえられた口ひげを動かして尋ねた。

「ああ、帰宅した。信徒に聞いたよ。“保護している子”がいるんだって」

「あ、この子……だけど……」

 委員長が返すと、丈人は一琉たち来客には目もくれず、中央で遅れて立ち上がったまひるに近寄った。まひるは不安げに顔をうつむかせ、前髪の隙間から丈人を窺っている。

「野々原まひるさん、ですか」

 そして成人した女性に話しかけるように、きちんとした言葉づかいで言う。

「研究所から通達がありましたよ。貴女を探していると」

 まひるは突然のことに黙り込み、丈人を見つめていた。

 研究所……?

 一琉はまだ切り替わらない頭を無理やりもたげるようにして、視線を上げた。

「待って! 丈人さん、この子の話を聞いてほしいの! どこかの研究所で、ひどいことが行われているのよ。大事件だわ! !」

「それはまたあとで聞く」

 丈人は委員長を黙らせるようにぴしゃりと、一瞥して言い放つ。

「とりあえず、君たちは家に戻りなさい。私の車で送ろう。真理子、頼むぞ」

「はい」

 名を呼ばれ、真理子が頷く。丈人は立ち上がると、一琉たち一班に向かって優しい口調で言った。

「あとは私たち大人に任せなさい」

「で、でも……っ!」

 一琉が反論しようとすると、丈人の鋭い目がきらりと光った。

「彼女には捜索願が出されている。それがここにいた――本来なら誘拐罪として君たちを本部に連れていかなければならない」

 誘拐? 捜索願も出されている? 誰が出しているんだ? 国か?

 そして、落ち着かせるように、

「だが私がなんとかしよう。大丈夫、安心したまえ。それと、捕まりたくないなら、このことを他言しない方が身のためだ」

 と。

 夜勤軍幹部であるという丈人はもしかしたらもう何らかの事情を先に知っていて、急いで駆けつけたのだろうか。

 それならば、彼に任せるべき……なのだろう。上層部が知り得ていて、動いているのだ。そこへ下っ端たちが気安く首を突っ込んでいいわけがない。でも、まひるのことを直接保護し、話を聞いたのは一琉たち一班でもある。それが誘拐罪だなんて……。そしてどんなに優しい言動をとっていても丈人には、一琉たちを、有無を言わせず寄せ付けぬ気迫があった。一琉たちは真理子に連れられるまま、追い立てられるように各自の家へと帰された。

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