第24話 『昼の街 昼文化』

 意外な場所で、まひると再び出会った。まひるは食い入るように何かを見ていた。

「まひる」

「あ……」

 一琉に声をかけられて、まひるは我に返ったように振り向く。

「何を見ている?」

 ここは歴史史料のコーナーだ。縄文弥生など人類の始まりの頃の生活史料から、去年に起きた事件簿まで揃っている。まひるの小さな両手には『前時代技術予想大図鑑』というタイトルの分厚い図鑑が抱かれていた。

「文化最栄期の前時代が滅ぶ前の、技術予想図鑑か」

 小学一年生が背負うランドセルのように、体格との対比で図鑑が大きく見える。人類半滅の理由には諸説いろいろあって、宇宙との侵略戦争に負けたとか、死獣に対応しきれず滅ぼされたとか、新説が出ては毎回世間を騒がせている。そして、前時代の生活についても多くの学者が様々な異説を唱えている。もちろんそれだけ多くの書籍も出ていて、歴史史料のコーナーはだいたいどこの本屋も広めにとってあるものだ。

「これ……」

 腕をプルプルさせながら差し出される。重そうだ。一琉が持ってやって一緒に見る。

 高度文明期の遺物。ロストテクノロジー。

 最初から順番に見ていく。面白くなさそうなものは飛ばしながら。

「自動車だ……」

 まひるが反応したら、すぐに手を止める。自動車か。

「ん。昔の車の技術はすごかったらしいな。全自動で」

 今は自動車学校に通って運転技術を学んで免許を取得した人が運転するしかないが、高度な文明を実現させていた昔の時代の車はそうではなかったらしい。さすがに空を走ったりはしないものの、運転操作はすべて自動。前後を走る車と自動的に通信をし、全国のネットワークを介して適切な車間距離と運転速度で、数秒の狂いなく目的地へと運んでくれたんだとか。運転席というものは存在せず、すべて客席だ。これが再現されれば、有河の乱暴な運転に荷台の中で委員長とすっ転ぶこともないのか。

「『自動車』という名前はここから来ているんだろう。文明の衰退した今は、それに比べて全然自動じゃない」

 一琉の考察に、まひるは首を横に振った。

「いえ……それは違う、かもです」

 一琉は図鑑から目を離し、まひるに耳を傾けた。

「ここまで自動化される前も、車は自動車と呼ばれていたから……」

「そうなのか?」詳しいな。

「宇宙……通信機?」

 まひるのつぶやきに、またページをめくる手を止める。

「これは遠くの星と交信できる発着信機だな。現在は使用方法不明で、劣化防止機能もなかったことから故障している可能性が高いらしいけど。去年あたりに、操作パネルの画面が一瞬点いたと話題になったんだが」

 通信機……画面が点いたってことで、まあ再生の可能性は感じなくもないが、直すにはもっと根底からの、そもそもの技術基盤が足りなすぎる気がする。こんなところにあまり研究資金を回してくれるのも考えものだ。

「まさかおまえ、違う星から来たとか言うなよ」

「あ……う。わかんないです」

「はは、そうか、そうだよな」

 これが使えるようになったら。以前通信を交わしていた他の星があれば、ロストテクノロジーの解析をしてもらうことができるかもしれない。なにか文明再興のヒントを貰えるかもしれない。……そう言われているが、そんな知的生命体のいる星に、現在は日本以外地球がほぼ滅亡していて文明衰退していることを知られるのは危険なんじゃないか? とも思う。死獣だけでも手一杯なのに、宇宙戦争とか勘弁してくれよと。

 その後もまひるが手を止めるたびに過去の文明を説明してやった。

 合成食品製造機。現代では合成添加物程度しか作り出すことができなくなってしまったが、昔は肉でも野菜でも、別のものから合成して作り出すことができたらしい。一部腐ったものや、味に問題のある食品、または合成に必要な成分の含まれている物をなんでもいいから機械に入れて分解して、可食部を集めて合成。残飯からでも材料を分解・合成して食品を再生してくれる機械もあったと書いてある。尿や糞からでも残っている栄養素を綺麗に取り出せるとか。ちょっと気持ち悪い。が、食糧補給方法の限られた宇宙船なんかでは大活躍だったらしい。ま、食糧の不安の一切を取り除くことは、生物の本能的不安を解消することでもあるな。

 デジタルの分野も今とは比較にならないほど進んでいた。特筆すべきは五感を機械的に刺激し再現することで、実際の現実にはないものを実在しているかのように体感させるバーチャルリアリティ技術。仮想空間に入って、現実世界と何も変わらない感覚のままで冒険したり恋愛したりできるゲームに使われ、「若者の現実離れ」などと社会現象にもなったそうだ。その技術も失われ、空想するしかない今ではこれは、漫画や小説のジャンルとして人気を博すに留まっている。もう一度実現されたら自分も使ってみたいと一琉は思う。もちろん当時その技術はゲームだけでなく、軍隊の戦闘訓練や、病気で体が不自由になった人に自由に走り回れる空間を与える精神的ケア、味覚や満腹中枢を刺激することでダイエットや、神経を狂わす違法なデジタルドラッグ等にまで応用されたらしいけれど。

 消えた高度な文明の数々は他にもたくさんある。一琉はページをめくりながらまひるに紹介してやる。高度な人工知能を有す「話し相手ロボット」。自動更新していて、最新のニュースにも反応するとか。全世界の電気供給を担うようになった太陽光発電技術。太陽光に関わる技術は現代でももっと力を入れて解明してくれないといろいろと不便だ。夜勤でも普通に昼に歩けるようにしてもらいたい。それから、体内に入れて操作できる超小型ロボット。これで切除手術なんかでいちいち腹を開いたり穴開けたりする必要がなくなる。長寿に貢献。この辺までは、まあそのうちまた実現するかもしれないと思う。だが、さらに先に行くと、透明人間になれる塗り薬とか、壁や物質を通り抜ける装置、重力を自在に操る重力制御装置、テレポートや物質転送技術まである。ここまでくると超テクノロジーすぎて解明が全く追いついていない。だが、実在した。

 「夢みたい!」と単に人々の興味を引きつけてやまないだけではない。半滅後も現存する道具や装置を、手さぐりで利用しているものも多くあるため、その解析は社会にとっても深刻だ。ブラックボックスのまま利用している技術は数多い。太陽光をほぼ百パーセントの再現率で放出する光線銃なんかはその一つだ。困るのは、どういう仕組みで動いているかわからないため、故障時に修理不可能であること。

「すごいです!」

「まあ……過去の文化だからな。昼文化は、かなり近づいていると思う」

 久しぶりにここに来て、改めてそう思った。

「……えと、じゃなくて、一琉さんが!」

「……」

「すごく、詳しいんですね!」

 弾んだ声。一琉は反射的に口をつぐむ。馬鹿言うな、と言おうとして……まひるの瞳が、爛と待っているのに気付いて、ため息に変わった。手に持った図鑑に目を落とす。『前時代技術予想大図鑑』。子供向けに、大きくルビがふってある。表紙には、先のロボットや宇宙通信機やらの予想CGがずらりとカラフルに並んでいて、力が抜けて言葉が出た。

「小さい頃は……」

 不思議と、言うつもりのなかったことを、話していた。

「こういう世界に……憧れて、いたからな」

「そうなんですか?」

「まあな。それで、本だって……たくさん持っていたんだ。昼の街も、雲の厚い日に黒衣着てよく大人についていった。こういう図鑑、立ち読みするためにな」

 毎月のお小遣いをこつこつ貯めて、一冊ずつ買って集めた。持っていたのは、一色刷りの粗悪な作りのものだけど、それでも大切に何度も読み込んだ。

「おまえぐらいの頃に、全部捨てたけどな」

「……そう、ですか……」

 言うんじゃなかった。一琉は後悔した。

「ま、嘘くさいのもあるからさ」

 そう言ってごまかす。そんな理由で捨てたんじゃないけど。

「そんなことない、です。素晴らしい予想図です」

「そうか? これなんて見ろ」

 ページをめくって見せてやる。最栄時代には白いパイプのようなものを手ににぎるだけで、空が飛べたと書いてある。

「パイプの名前は「ブルーム」。箒って意味だ。これじゃ、まるで魔法だろ?」

 一琉は肩をすくめて笑った。

「ま、予想図なんだから仕方がない。少しくらいは夢もないと……」

「いいえ!」

 遮って、まひるはきっぱりと否定した。その勢いにどきっとする。

「私、見たことあるもの、ばっかりですから」

「え?」

 まひるは予想外のことを言う。

「私はここに……住んでいた気がするの、です」

「は?」

 住んでいた?

「ははっ。それは、あり得ないな。何百年と前の時代だぞ」

 そもそもこのあたりの文化は一度滅んでいる。この時代へのファンは多いから、あれこれと尾ひれを付けているし。

「あ……でも、ううん……ぼんやり、おぼろげですが……研究施設でこの図鑑の内容と同じような映像を見せられていたような……だから、もしかしたらそのせいなのかもしれないです」

 まひるは眉根を寄せて必死に考え込んでいる。

「前時代のことを研究している施設なのか?」

「そうかもしれない……です」

 なるほど。これは新しい手がかりである。どんな小さな企業だって前時代技術の研究は行うし、前時代のことを研究している施設など無数にあるが――それでも手がかりには違いない。よし。

「これ一冊、買っていくか」

「はいっ!」

 値段を見るために裏返した。げ。けっこうな額だ。ここが昼社会であることを忘れていた。しかもフルカラーの大判図鑑なんだから当然か。

「……足りなかったら出すぞ」

 来る前に、まひる基金だとか言ってみんなで金を出し合って小遣いを持たせてやったのだが、その懐具合はどうだろうか。集めた金の入っている黒袋を覗いているまひるに尋ねる。

「足ります!」

 どうやら恵まれているらしい。

 まひるは黒袋と記憶の欠片を抱きかかえ、レジへと急いで駆けていった。


 集合場所に向かうために出口に向かう。一琉はなんだか少しのどが渇いたなと思うと同時に、まひるが出入り口脇の自動販売機の方を見ていることに気が付いた。

「ほら、ジュース選べ」

 言いながら、両替しておいた小銭を機械に投入してやる。自分は水筒で水分を持ってきている。はっきり言って自動販売機の飲み物など夜勤には割高だが、委員長のところで預かられているまひるにはその辺の価値などよくわからないだろう。

「えっと、えっと、これ」

 スムースな機械音がして、ピーチジュースが取り出し口に運ばれた。一琉はそれを受け取ると、まひるに手渡した。

「ありがとうございます!」

 まひるは花がほころぶように微笑むと、軽快な音を立ててプルトップを上げ、缶を逆さにしてごくごくと飲み始めた。口元から桃の甘い匂いが漂う。「おいしい!」半分まで一気に飲んだらしい。アルミ缶の周りに結露した細かな水滴が鮮やかだった。まひるの満たされた顔を見て、一琉は久々に健やかに涼しい気分だった。夜の貧しさを慮って固辞されるより、素直に喜んで受け取ってもらえて、ありがたかった。

「座って飲んでろ」

 吸ったことも無いタバコを吸いに行くふりをして、一琉はその場を立ち去る。水筒に詰めて持ってきた水道水を、この場で一緒に飲むのは憚られた。気付かれぬよう、早々に。恥ずかしかったというのもあるが、まひるの純粋な喜びを邪魔したくなかった。

(夜勤の厭気など、わかる必要もない)

 喫煙所と便所の間の壁にもたれ、生ぬるい水道水を、影に隠れるようにして飲んだ。

(無邪気なまま、昼に帰れ。頼むから、そうしてくれ)

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