第3話 『「夜勤」』下
一琉が安全な基地内に入り、その中にあるアパートへの帰路につく時、もう空は白み始めていた。安い集合住宅に吹く木枯らしはどこか寒々しい。袖を通り抜ける今日の風はどこか嫌な気分を掻き立てた。空いた穴をふさぐ何かを探すような気持ちで、一琉は自宅の前の、いつものコンビニに立ち寄った。
「らっしゃらせ~」
度のキツそうな分厚い眼鏡をかけた若い店員にけだるく迎えられる。一琉は陳列された色とりどりのペットボトルの飲み物やガムやソフトキャンディーの菓子のあたりをぼうっと彷徨うだけ彷徨って、結局いつものお茶と弁当だけを配給カードで買って外へ出た。
向こうの方から来たフード付きの灰色の独特な制服を着た隊員たちが、一琉と反対方向に素早くかけていった。これから出勤か。すれちがうとき、なんとなくぞくっとする。あの色はおそらく白んできた空の色になじむようにつくられているのだろうが、死神に見えるという意見もある。彼らは明け方に出勤する死骸処理部隊。夜勤の中では比較的日光に強い人種が集められている。産まれる時、帝王切開など自然分娩以外の出産になってしまうと、昼に生まれてもうまく抗体が作られないことがあるという。その場合もアウト。夜勤として国に連れていかれる。死骸処理部隊にはそういう境遇の連中が多いと聞く。彼らが野並を殺したわけでは断じてないが、彼らがこれから野並の遺体を回収しに行くのだと思うと、死神呼ばわりしてしまう人の気持ちはわからなくもなかった。彼らがいるおかげで、一琉たちがどんなに銃弾と敵を撒き散らかしても、朝日が昇るまでにその薬莢肉塊肉片はすべてきれいに片づけられているのだが。
安全基地内のコンビニ店員も、死骸処理部隊も、夜勤にしては比較的安全度の高い職業だ。死骸処理部隊に関しては、死獣の死骸だと思って回収しようと近づいてみたらまだ息があって襲われたりする事故や、夜と朝との中間の時間にまれに出現する死獣からの不意打ち、それから通常の夜生まれに比べると日に強くはあるものの、のんびりしていると日に照らされる時間が長くなって寿命が縮まるリスクはある。だが少なくとも、今日の野並の様にばっさり殺されることはあまりない。あのグロテスクな惨状と猛烈な臭気をなんとかするのは相当精神に来るだろうが。
連中のおかげで清潔が保たれているのだから感謝しなければいけないというが、しかしまあはっきり言って、撒き散らかされていて困るのは、この地に住む昼生まれだけなのだから関係ないという憤然とした気持ちが一琉にはあった。
そもそも、死に物狂いで自分たちがこの街を守ったとしても、朝日が昇った後の時間は、夜に生まれた一琉は知る由もない。
いや、行こうと思えば行くことはできる。
基地の外。一琉たち夜勤にとって戦場のそこは、今は闇と銀色の鋼鉄に覆われた建物ばかりだが、朝日が昇るころになると、その鎧を脱ぎ捨てて昼生まれたちが生活する場となる。一琉の持っている知識では、道路には闇にとける黒色の戦車ではなく個人所有の赤や黄色の自動車が走り、太陽にまぶしく照らされた、信じられないほどの色鮮やかな世界を、人々が警戒心のない何食わぬ顔で歩いているのだった。一琉と同年代の人たちはそれぞれの年齢に合った学業を積むためにまだ学校に通っているらしい。銃の出てこない学校生活。体育という科目があって、球で遊ぶだけだとか。弾じゃなくて球。ぬるすぎてびっくりだ。勝負に負けても死ぬわけじゃないくせに、何のために戦ってんだよ。
そして労働と言えば、種類が多すぎて一概には言えないのだそうだ。
昼の文明はすごい。最栄の過去ほどではないにしろ、少なくとも生産能力の低い夜とは比べ物にならないくらいに進んでいる。夜世界に住んでいても、少しなら昼の豊かさを垣間見ることならできる。たとえば配給カード(IDチップが使われている。これも昼社会の技術だ)で国から夜勤兵たちに平等に分け与えられる昼の世界のお手製弁当。その隅にほんのちょこっとあるほうれん草のおひたしひとつとってみても、どれだけの人を介しているか。畑を耕している人もいれば、よくわからないがバイオテクノロジーだとかでその農法を開発する人もいるらしい。調理する人や、それを運搬する人、そしてそれを弁当のおかずの一部として使う弁当屋なんかがあって……。たかだか葉っぱ一枚に、ご丁寧な暮らしですこと。コロッケも焼き玉子もウインナーもがんもどきも花型の人参も漬物も米もそんな感じでこの箱に集まってきて、どこからはるばる一琉の手元まで流れ着いたのか知らないが、弁当箱は薄いラップに綺麗に密閉されている。破れることなくぴったりと。
昼間の平和に過ぎる世界は、なんだか作り物の別世界みたいで、いまいち実感できない。
夜の世界は、労働と言えばほとんどが「戦闘」に関わる。そして全部まとめて「夜勤」と呼ばれる。
階級は? 担当地域は? どんな敵と戦った? 武勇伝は? 傷は?
そして昨日まで生きていたやつが明日には死んでいる。
頼んでもいないのに笑わせてくるあの笑わせ役も、今じゃ泣き声の聞き手一方の亡骸だ。
遠くに厳めしい上官が話しているのを見つけては、不意に声を当ててきたり、くだらないことを言っては、そばにいる人間を誰彼構わず笑わせていたことを思い出す。
野並が死ぬのに、あいつがさぼっていたとか、みんなに嫌われていたとか、特別な事情があったわけじゃない。
ただ、たまたまそこにいたのがあいつだったからだ。
突如、真横に音もなくぬらりと現れる死獣。運試しもいいとこだ。
野並はどれほど絶望的で、どれほど怖かっただろう。
――嫌な夜だった。
一琉は足を速めた。
早く帰って忘れよう。早く帰って早く飯食って早く寝て忘れるんだ。
あのくそいまいましい綺麗事だらけのバカ委員長のことも、恵まれた昼生まれのやつらのために摩耗するだけの仕事も、死んだ野並のことも。
狭く古いアパートに着いた。ドアの鍵を開けると電気も付けずに靴を踏みつけて歩いていく。感覚だけでたどり着いた布団に倒れ込んだ。八つ当たりするように、敷布団を足で蹴り広げる。
闇とまどろみに溶けるようにして眠りに落ちていく。弁当? 風呂? もういいや――
忘れよう。そして、なにもかも見ないようにしながら明日も生きていけばいい。
ふて腐れたように、一琉はたしかにそう思っていた。
この日までは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます