第2話 『「夜勤」』中

 くそっ。一琉は八九式小銃を手放すと、死獣に向かって駆け出した。おもちゃのような見た目の太陽光線銃を構えながら。間合いを詰めて――ッ。引き金を引く。轟く起動音。光線銃内部で強力な磁場を発生させる音だ。

 下敷きになっている野並に当てないよう銃口をやや上に向け――だが完全に当てないというのは無理だ。

「だあ――っ」

 あたりが昼の様に照らされ、目が開けられないところを無理やりこじ開ける。撃っている側でさえ皮膚がピリピリする。それにしても近い。近くないと当たらないが。臭気が漂ってくる。焼ける臭い、血の臭い。なにかが頭上から振りおろされる。猛禽類のような足。一メートル半ぐらいまで細く長く高く上がって、勢いよく振り下ろされる様がスローに見える。意外と太くて頑丈そうだ。これ食らったら頭割れるな。だがこうなってはもうこの光線銃を撃ち続ける以外にない。死ね、早く、くたばれ――っ。

 あ、だめだ。俺、死ぬ。

 そのときこめかみを何かが通った。ぱちんという何かのはじける音がして、見るとその鳥足は途中からちぎれてなくなっていた。援護射撃だ。どうやら仲間に守られているらしい。そして、暗かった視界の部分に、ピカッとまぶしい光とともに新しく景色が広がる。

「加勢するよんっ!」

 さらに左からは長い金髪を振り乱し、有河七実が駆けてくる。軽機関銃を置いてすぐ駆けつけてくれたらしい。顔だけ見れば今時のオシャレな女の子だが男の一琉より高身長で怪力持ちの怪物だ。光線銃で近距離照射。そして自分の後ろからまた鋭い銃声が鳴る。

「のりぴーが援護してくれてる!」

「助かる……」

 方角的にいって、さっきのも今のも棟方法子か。あんな細いものをよく撃ってくれた。棟方なら間違って自分が撃たれることはないだろうと安心もする。

「やあ――っ。でっかいねーっ」

 有河が引きつり笑いを浮かべる。冷や汗で頬に張り付く金髪が光を反射させてきらめいている。

「あそこにいるのはノナミンだね……」

 こいつはどんなときでも無理して笑いやがる。

「助かるかな……」

 野並の悲鳴はまだ聞こえる。だが、極めて弱くなっている。

 有河の頬にきらめいているのは涙かもしれない。

「助けるのよっ!」

 声に振り向くといつの間にか後ろに付いていたのは委員長だった。

「もうすぐ応援が来るわ! 救護もね」

 長い黒髪をかきあげトランシーバーを耳に当てつつ、右手の光線銃で加勢する。

「加賀谷くん聞こえる! ?」

「あいよー! 光線撃ってるぜー! ばーんばーん! ちゅどーん」

 トランシーバーで敵の向こう側にいる加賀谷と話しているらしい。木の上から見て状況を把握していたようだ。応援と救護隊も委員長が呼んだのだろう。

 一琉は頭の中で状況を整理する。今は自分と有河がこちらから光線銃、その後ろから棟方が普通の銃で援護射撃して、敵の反対側から加賀谷が光線銃、委員長が――

「あたしが敵の懐に飛び込むわ」

 そう言って光線銃を切った。

 ――はあ! ?

「それはやめろ! 委員長まで死ぬ」

 思わず叫んだ。だが彼女は腰にさげている刀を抜く。夜を切り裂くように、銀の刀身がきらめいた。

「あたしは昼生まれよ」やる気らしい。接近戦。

 委員長が昼生まれで太陽光線銃が平気なのは一琉も知っている。昼に生活していた頃からたしなみとして身に付けていた剣道の腕で、死獣戦には不向きだと言われる日本刀も、自分の武器にしていることも。昼生まれの兵士の給与はたしかに夜生まれとは段違いにいいらしいが、だからといって昼に生まれておきながらその生活を捨てて夜の世界に来る精神はまったく理解できない。俺たちのように、兵役義務があるわけでもないのに。

「敵が暴れ狂ってるのがわからないか」

「野並くんを見捨てろって言うの! ?」

「野並はもう助からない」

 一琉の断言に有河が傷ついた顔で振り返るのがわかったが、誰かが言わなくては。一琉は叫んだ。

「委員長が死ぬのは無駄死にだ! ここでおとなしく……」

「無駄かどうかは私が決めるわ! 助からないかどうかもまだわからない」

 刀身を引き摺るようにして構えると、駆け出す。

 馬鹿げている。と一琉は思った。夢見がちの学生的理想主義を揶揄して「班長」ではなく「委員長」と呼ばれているこいつの今みたいな言動はいつものことだが、こんな異常事態にまで勝手な行動ははっきり言って困る、と。

 くそっ。勝手にしろと言いたい気持ちは山々だった。だが――一琉は舌打ちして駆け出した。

「止めなくていい。私がいく」

「なっ――! ?」

 それを制する様に背後に現れたのは棟方法子だった。遮光機能の付いたゴーグルを装着しつつ。一琉も、さっきの命の恩人の意見とあっては委員長の様には一蹴できず、反応が遅れる。

「委員長はいうことを聞かない」

 同意だが。

 棟方は淡々と説明する。「彼女はそれでいい」

 それは違う。だが、有無を言わせぬまま、「私が守ればいい」と、言いながら引き金を引く棟方の顔がオレンジ色のマズルフラッシュに二度照らされる。彼女の撃ち込んだ弾は、二発とも正確に敵の眼球をとらえた。敵は奇声を上げ、やみくもにじたばたし始める。その隙に胸元から自分の光線銃を出して一琉に託す。さすがの棟方も片手で光線銃を撃ち続けながらの援護射撃は正確性を欠くのだろう。夜風に乗った火薬の臭いと肉の焦げる臭いが鼻を衝く。

 本当に助かる見込みがあるか? だって、あんな馬鹿でかい死獣に喰われ始めて――

「野並くん! 野並くん――ほらまだ生きてる! 生きてるわ! !」

「融合がはじまっている。右腕と右足が、死獣の中に融け始めている」

 委員長と棟方の声。「大丈夫よ。待ってて、今あたしが死獣を斬り離すから――」

 光の中で、日除けのために軍服の上着を被せ、死獣と野並の接合部をのこぎりで切るように刀を前後に引く委員長がいた。棟方は、死獣が異物を排除しようとするように伸ばした数十本の鳥足を、一琉と有河の中間位置から一本ずつ撃ち落とす。時に背後を取られ背中をかぎづめに引き裂かれたり、ロープのように長い鳥足にひっかけて転んだり。それでも体勢を取り直して、野並を引き上げようとする委員長を最優先に、守る。

「応援はまだなのか! ?」

 もしかしたら今ならまだ間に合うのか? 野並はもう無傷というわけにはいかないだろう。でも、あの死獣の捕食方法は、融合だ。噛み切って飲み込むタイプじゃない。照らされて見えた。今、あの死獣は野並と融合するのに、血液は流していない。化学変化かどんな原理か知らないが、死獣に喰われながらも、野並はまだ生きている。奇跡的に。

 死獣の一部となる前に、応援が来て光線銃の数が増えれば――死獣は焼け死んで、委員長の被せた上着の下の野並は生きたまま戻ってくるかも。

 一琉は棟方に託された光線銃を握りしめ直す。棟方が、一琉に光線銃を託したのは、もしかしたら危険危険と口やかましい一琉に光線銃を二丁持たせて安全圏を確保させて黙らせるつもりだったかもしれない。

(誤解するなよ。俺だって……)

 でも一琉にとっても野並宏平はずっと一緒に国の施設で育ってきたうちの一人だ。彼はのんきでひょうきんなやつだった。こんな暗く悲しい夜の世界の中でも、彼は人を笑わせることにかけては天才的だった。助かるなら、助けたいに決まっている。

(だけど)

 そのとき、先ほど射抜かれた死獣の鳥足のちぎれ目に、まるで接ぎ木でもするように、何か太い肌色のものが生えてきた。こみ上げてきた感情を無視して、一琉の理性が理解していく。

 ああ、もう。

 死獣は、よせ集めでできている。自然物、人工物、生物、そして死骸から。

 あれは、死獣が取り込んだ――長く、ろくろ首のように変形した、野並の腕だ。

 一琉は両手に持った太陽光線銃を最大放出したまま、隣で、足腰を震えさせながらなんとか光線銃の引き金を絞っている有河に近づいて、片手の光線銃を一丁押し付けた。そして自分は胸から銀色に光る拳銃――ベレッタ92Fを取り出して、

 狙いをつけて、撃った。

 手首に命中。赤い血を噴き上げて、その手が紅葉のようにカッと開く。乾いた音を立てて、握られていたものが落ちる。

「あ……ああ……」

 すらりと長い足を震わせながら、声にならない声を漏らす有河も、これが一体誰の腕なのかわかっているのだろう。でも、一琉はやった。先ほどその腕の先の手には、彼の愛銃――コルト・ガバメントが握られて、銃口がこちらを向いていたので。

「二班到着! 全員で援護照射! !」

 ようやく応援が来た。遅いんだよ! !

 取り囲んだ各員が放出する光線銃のまぶしすぎる白い光の中、

「目標、沈黙」

 棟方の声が終わりを告げた。

 全員が光線銃を撃つのをやめる。強烈な光がなくなり、目がなれるのに時間がかかる。あたりに立ち込める煙が消え、雲のようにぼんやりした白い影が、徐々に実体へと変わっていく。

 委員長は、棟方は、野並は。敵は。――委員長は声を上げて泣いていた。

 消し炭となった死獣からは野並の焼けた足だけが二本出ていた。正確には、死獣から僅か少し離れた位置に野並の両足が落ちていた。取り込まれた後だ。

「だから……」だから無理だと言っただろうが。

 言いかけた一琉を、委員長がキッとにらむ。

 俺だって泣きたいよ。

 そうだな、おまえの言うとおり、たしかに助かるかもしれなかった。僅かな可能性だったが、たしかにそれはあった。

 だけど今、野並は死んだ。まだ敵はどこかから現れるかもしれない。

「悪かった。次に備えないと。もう隠れよう」

 委員長は、一琉が野並を殺したとでも言うような目つきで叫んだ。

「うるさい!」

 だが、一琉にも言い分はあった。

 ――どちらかというとおまえの方がうるさい。そのかん高い声が、死獣のうようよする夜の闇に響く。もしかしたらまだ他にもあんなのがいたら? その声で二次被害が起きたらどうすんだ? おまえが防いでくれるのかよ。無理だろ。野並だってきっとそんなこと望まないだろうが。

 結局野並も救えなかったし、班を危険な目にも遭わせた上、まだ危険にさらす気か。

 今回は、訓練地域にこんな大型が現れるわけがないという認識の甘さがこの事態を招いた。悔やむ気持ちがあるなら、二度とこんなことが起きないよう気を引き締めるべきだ。

「一班、状況は」

 駆けつけてきた隊長が委員長をちらりと見てから棟方に尋ねる。

「目標は死滅確認。一班、犠牲者一名」棟方は表情を変えず、端的に説明する。

 重い沈黙がその場を包む。隊長は短く黙祷を捧げると、鋭く目を光らせてつぶやいた。

「こんな……Ⅲ型が……。どうして都会に――」

 本当にそれがわからない。一琉は隊長に、そのときの状況などを詳しく報告する。

 呼ばれてきた救護隊は、野並宏平の死亡を確認し次の場所へと急行していく。

 委員長だけが、なにもかもどうでもいいというように、冷たくなった野並のそばで刀を離し、手向け花のように一人声を上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る