第五話「薮ヲ突イテ蛇ヲ出スノ事」/其の九
私たちが庭の隅から見つけてきたのは長いロープでした。
ロープの端を木の幹に括り付け、エレキロイドが通りそうな道を横断させます。さらにそのロープを何本もの他の木へと引っかけて、遠く離れた場所からでもロープを操作できるようにしたのです。
複数人のエレキロイドが通りかかった時、私たちはそのロープを思いっきり引きました。ロープに足を引っ掛けた先頭のエレキロイドが派手に倒れます。その後ろにいたエレキロイドも前の人形に足を取られて転倒します。その後はもう連鎖的にエレキロイドたちは地面へと倒れていきました。
その音を聞きつけて、続々とエレキロイドたちが集まっていきます。
私たちは中庭の入り口に人形がいなくなったのを見計らって、出口めがけて駆け出しました。
――しかし。
「甘い、甘いわねえ、二人とも」
「いじましい努力じゃないか。なあ、辰敏ぃ」
立ちはだかったのは藤上さんと三雄さんの二人でした。月野さんも何が可笑しいのかにやにや笑いながらその後ろに立っています。
「残念だったな。あのエレキロイドは操縦者と視覚の共有もできるんだよ」
「観念なさい、二人とも」
当然、藤上さんたちはエレキロイドを従えていました。音でおびき寄せていたエレキロイドたちも続々と背後に集まってきています。
「特にそっちの男。私の顔に傷をつけてくれた恨み、これから存分に晴らさせてもらうわ」
藤上さんが犬村さんを指さします。それに連動するように、前方の人形たちも私たちに迫ってきました。
絶体絶命です。
藤上さんたちの号令で、前方のエレキロイドたちが一斉に襲い掛かってきます。私たちは庇いあうように立ち、人形を睨みつけ続けました。
するとその時、ばきばきと何かを折るような音がした後、巨大な影が私たちの頭上を飛んでいきました。
「え……」
どずんと音を立てて、それは私たちに襲い掛かろうとしていた人形たちを押しつぶしました。
それは庭に生えていた大木でした。大木の幹は強大な力によって握りつぶされたかのようにひしゃげていて、押しつぶされたエレキロイドたちがその下でもがいています。
どうしてこんなものが降ってきたのでしょう。
その場にいた全員が言葉を失っている中、大木の上にすとんと降り立つ影がありました。
「シュテン……」
犬村さんが呆然と呟きます。
書生姿の青年――一助さんは大して興味もなさそうに私たちを一瞥しました。
「おーおー盛り上がってるな」
藤上さんたちの後ろ側、中庭の入り口の方から、やる気のない声が響きました。声の持ち主はのったりのったりと歩きながら、私たちに近づいてきます。
「俺も混ぜてくれよ。……なんてな」
「先生!」
「お前、裏島正雄!」
先生は肩を左右に揺らしながら、唖然とする藤上さんたちの横を通り過ぎ、私たちの方へとやってきます。その後を月野さんが追いすがりました。
「おお、おお、裏島くん。ちょうどいいところに来てくれた。君はアヤカシたちに顔が効くのだろう? 君の協力があればアヤカシを探すのが楽になる。どうだい、私たちに協力――」
「あおい」
「は、はいっ!」
先生は私にボロボロの布きれを差し出しました。
「これ持っとけ」
「はい?」
咄嗟に受け取りましたが、それが何なのか理解するまでにしばしの時間がかかりました。細長くて、呪文のような小さな文字が書かれた布。
「……あっ」
そうです。これは蛇蠱の箱に巻き付いていたあの布じゃないですか。
これを渡された意図を尋ねようと先生に視線を向けると、先生はだるそうに首を傾けて、月野さんたちを見やっていました。
「あー、一個聞いておきたいんだが」
月野さんはにこにこと笑いながら「なにかな?」と聞き返した。先生は気だるげな雰囲気は崩さないまま、その声色にだけ不機嫌さをにじませて尋ねます。
「お前らがアヤカシ誘拐事件の犯人か?」
「誘拐だなんて人聞きの悪い。彼等にはただ実験に協力してもらっているだけですよ」
先生は眉をひそめると、こちらに視線をよこしました。
「犬村ァ」
それだけで何を尋ねられているのか犬村さんには分かったようでした。
「嘘だ。捕まっているアヤカシたちを見た。とても同意の上のようには見えなかったな」
犬村さんの言葉に、月野さんはあからさまに舌打ちをしました。
「そうか。じゃあ容赦は要らないな」
先生は眠そうな目で月野さんたちを見つめながら、ぐるんぐるんと肩を回しました。
「あおい、犬村。ちょっと暴れるから離れてろよー」
「へ?」
「分かった」
合点がいった様子の犬村さんに引きずられて先生から距離を取ります。先生は両手の拳をバシッとぶつけました。
一体何をしようというのでしょう。
先生は大きく口を上げると、息をすうっと吸い込んで、獣のような咆哮をあげました。長い長いその咆哮は、まるで洞窟の中を通り抜けていく暴風のようにごうごうと唸りを上げ、私たちを圧倒します。
私には先生の体が膨らんだように見えました。目をこすってみましたが、見間違いではありません。先生の身長は見る見るうちに伸び、肩幅もどんどんと広がって、その体は身の丈四、五メートルはありそうな巨体へと変貌したのです。口からは鋭い牙が覗き、額には二本の長い角が生えています。
ええとこれは、鬼です! 鬼ってやつです!
私たちは一様にぽかんと口を上げて先生を見上げるしかありません。先生はそんな私たちをぐるりと見回しました。
衝撃からいち早く立ち直ったのは月野さんでした。
「なんだ、君もアヤカシだったのか! ならば話は早い。君にも我等の研究材料になってもらおうじゃないか!」
「そうだ、所詮はアヤカシだ!」
「行きなさい、エレキロイド! あいつを取り押さえるのよ!」
次いで三雄さんと藤上さんも正気に戻り、先生にエレキロイドをけしかけました。
一斉に押し寄せてくるエレキロイドの先頭を先生の巨大な腕が薙ぎ払います。力の差は歴然です。このまま押し切れると思いました。しかし。
「ぐうう……」
先生の動きはだんだん鈍くなっていきました。いくら殴られてもなかなか壊れないエレキロイドたちが、次々と現れては先生の体に纏わりつきはじめたのです。
「先生!」
「ハハハハハ! 所詮はアヤカシ! 人間の知恵には勝てまい!」
なんてことでしょう。このままでは先生が負けてしまいます。何か私にできることはないのでしょうか。
私はあわあわと考えて、はたと気づきました。
そうだ。この前の雷獣の一件では、私があの巨大な装置を壊して、エレキロイドの動きを止めたじゃないですか。
私は慌てて装置を探し始めました。きっと近くにあるはずです。
しかしそんな私を藤上さんは冷たく見下ろしました。
「制御装置を探しているの? 無駄無駄。あれはここにはないのよ。前回、凌雲閣であなたに壊されちゃった反省を生かしてみたの」
そんな。もう私には打つ手がありません。私は先生が追い詰められていくのを、呆然と見つめることしかできませんでした。
庭中のエレキロイドのほとんどに組み付かれて、先生の体はもう見えなくなりつつあります。
もうおしまいです。私は見ていられなくなって目をそむけようとしました。
その時です。先生は突然、天を仰ぐと、大音声でこう叫んだのです。
「今だ、震太郎! 落ちてこい!」
まばゆい光が猛烈な勢いで降ってきた直後、地を割るような衝撃とともに、ぴしゃん! という音が鼓膜を揺らしました。
目をぱちぱちと開け閉めしながら、ややあって何があったのか私は理解しました。
――先生とエレキロイドたちの上に、雷が落ちたのです。
ざああっと音を立てて、黒い獣の群れが先生のもとから走り去っていきます。その中の一匹は立ち上がると、ぺこりと一礼しました。
あれは……雷獣の震太郎さんです!
もしかして、もしかして恩返しに来てくれたんですか!
先生にまとわりついていたエレキロイドたちは、ばらばらと音を立てて地面に落ちていきました。雷を受けて壊れてしまったのでしょう。一様に関節の隙間から煙を噴いて、動きを止めています。
鬼の姿の先生は、体を数度ぶるぶると震わせて、そんなエレキロイドたちを振り落としました。雷が落ちたというのに先生はぴんぴんしているようです。
次いで、ばきっと何かをへし折る音がしました。見ると、先生に取りついていなかったエレキロイドの残党を、全て一助さんが片付けたところでした。一助さんの周りには、首や手足をもがれたエレキロイドがごろごろと転がっています。
ち、ちょっと一助さん! そんなに強いのなら、前に戦った時も本気を出してくださいよ!
「そ、そんな、私のエレキロイドが……」
月野さんは愕然としてそう言いました。そして目の前の現実を受け入れられなかったのでしょう。先生を指さしてわめき始めました。
「くそっ、何なんだお前は! どうしてそんな力を持っている! 誰なんだ貴様は!」
「……そうだな、一応名乗っておくか」
鬼の姿の先生は、屈んだような姿勢から後ろ足でぐっと立ち上がりました。たったそれだけで、背丈が倍以上になったように見えます。
「悪党ども、よおく聞け!」
先生が吠えます。あまりの声量に、私は再び雷が落ちたのかと思いました。先生は月野さんたち一派をぎぬろと睨みつけます。
「千年を生きる鬼ヶ島の大鬼、吉備の温羅(うら)とはこの俺のことだ!」
吉備? 鬼ヶ島?
私はぽかんとしながら必死に頭を動かして、かすかな記憶を手繰り寄せました。
たしか綿貫さんがそんなことを言っていたような……。
――他に有名どころで言うと、桃太郎の鬼退治があるな。吉備に住んでいたというその鬼の名前は……。
ああっ! まさか桃太郎の鬼退治のモデルになったっていうあの!?
月野さんたちも思い至ったようで、動揺で顔をゆがめています。
「まさか、そんな大物がなんでこんなところに」
「ああ? いちゃ悪いかよ」
先生はどかっと地面に腰を下ろしました。
「時代が変わったってんで、岡山くんだりからわざわざ上京してきたんだっつの」
言うが速いか先生の体はするすると元の大きさへと戻っていきました。体が小さくなるのはまだ理解できるのですが、服まで元の通りに戻っているのは一体どういうことでしょう。不思議です。摩訶不思議です!
「まあなんだ。あんまり度の過ぎた悪戯をするようなら、今度は頭から食っちまうぞー」
先生は立ち上がると、両手で爪の形を作って、がおーと月野さんたちをおどかしました。私は思わず笑ってしまいました。
「先生、それじゃあ全然怖くないですよ」
「そうか?」
「そうですって」
……そんな風に気を抜いていたのがいけなかったのでしょう。
「相手が誰だろうとこんなところで計画を終わらせてなるものか!」
私は月野さんに手を取られて、ぐいっと体を引き寄せられました。突然何をするのかと抗議しようとした私の喉元に、鋭い切っ先が当てられます。
「ひっ……」
「あおい!」
「あおいちゃん!」
首に手を回されて、顔を仰け反らされます。先生たちの焦る声が聞こえてきます。ああ、絶体絶命です。そんなのんきな考えが頭をよぎります。
その時、ナイフの辺りからシューッと幽かな音がしました。
目だけを動かしてそこを見てみると、銀色の小蛇が姿を現して鎌首をもたげているではありませんか。
さっきは助けてくれなかったくせに、今更何をしようというのでしょう。
私はやや冷めた気持ちでそれを見ていました。
小蛇は大きく口を開けて月野さんを威嚇しています。刃が首筋に触れて、血が一滴流れる感覚がありました。
――小蛇の声が一気に大きくなったような気がしました。
それはまるで洪水でした。真っ黒な蛇の群れが、月野さんの持つナイフを飲み込み、月野さんを飲み込み、近くにいた藤上さんと三雄さんまでも巻き込んでごうごうとうねり出したのです。
視界を埋め尽くす蛇の群れに、それでも息ができるように私の周りにだけはぽっかりと空間を空けている蛇たちに、私はその場にへたりこむことしかできませんでした。
まただ。また殺してしまう。
冷たく動かなくなった猫塚さんを思い出します。月野さんたちの悲鳴が聞こえます。不思議と彼等が暴れている感触が、私にも伝わってくるのです。
私は頭を抱えて俯きました。
「もうやめて、もう殺したくない……!」
「あおい!」
蛇の向こう側から先生の声が聞こえたような気がしました。次いで、すさまじい力で何かが蛇たちを引きちぎるのを感じました。
その衝撃は、文字通り引きちぎられるような痛みとなって私の体に訪れました。
「あああっ!」
私は、ほぼ反射的に「蛇を引きちぎったそれ」に蛇をけしかけてしまっていました。
体を抱きしめて、荒く息をします。全身がずきずきと痛みます。私が蛇に巻き込んだ三人の悲鳴はもう聞こえなくなっています。離れていた蛇たちが私の体に纏わりついて、だんだん蛇と私が一体になっていくような感覚がしました。
私は、目を閉じて、蛇に身を委ねようとしました。
その時、声が聞こえました。
「あおい、聞こえるか!」
――先生?
私はぼんやりと顔を上げました。
「布だ! 布を見ろ!」
――布?
私は足元に落ちている細長い布を――蛇蠱の箱に巻き付けてあったそれを見つけました。
「そいつは蛇除けの歌だ! もう誰も殺したくないならそれを読み上げろ、急げ!」
ぱっと頭の中に光が煌めいて、急に意識がはっきりしました。
私は蛇たちが決して触ろうとしないその布を拾い上げ、それを読み上げました。
「てっ、天竺のちがや畑に昼寝して、わらびの恩を忘れたか! アビラウンケンソワカ!」
その途端、ざざざっと音を立てて蛇の波が割れました。私に纏わりついていた蛇たちも離れています。
蛇の壁から月野さんたちが吐き出されました。三人はそのまま慌てて蛇の天蓋の外へと逃げていきました。
「何やってる! 急げ、あおい!」
はっと正気付いた私は慌てて立ち上がり、蛇のあけた道を駆けだしました。私の左右からは蛇の壁が迫ってきています。道が閉ざされようとしているのです。
転びそうになりながら蛇の道を走ります。蛇の壁が上から崩れていきます。ばらばらと何匹もの蛇が降ってきました。先生がこちらに向かって手を伸ばしているのが見えます。
私はうんと手を伸ばして飛びました。
「先生!」
「あおい!」
私を受け止めると、先生はその勢いで私ごと後ろに倒れこんで、蛇の追手から私を引き離しました。
ざざん、と音を立てて、蛇の道は閉じました。
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