第五話「薮ヲ突イテ蛇ヲ出スノ事」/其の八

 部屋の外は一見すると洋風の邸宅のようでした。庭に面した渡り廊下を、手を引かれて歩きながら、私は小声で尋ねました。


「……どこへ行くんですか」


「あなたのよく知ってる人のところよ。嬉しいでしょう?」


 藤上さんは心底楽しそうにそう言います。私はそれ以上何も聞きたくなくなって、黙って藤上さんの後を着いていくことしかできませんでした。

 連れていかれた先は聖堂のような場所でした。「のような」というのは、本当なら祈るべきものが置いてあるはずの場所に、巨大な機械が鎮座しているからでした。そしてその機械の足元には一人の男性が後ろ手に拘束され、座らされていました。


「犬村さん!」


「あおいちゃん!?」


 思わず駆け寄ろうとしましたが、肩を強く掴まれてそれは叶いませんでした。犬村さんは私の顔を呆然と見た後に、近くに立っていた男性二人を睨みつけました。


「月野! 三雄! 貴様ら、この子に何をした!」


「何もしていないさ。何かしたというなら、その子の方だ」


「何?」


 犬村さんが「月野」と呼んだ男性は、いたって冷静にそう返しました。その横で、「三雄」と呼ばれた男性がにやにやと笑っています。


「藤上くん。もう少し蛇蠱の力を見たい」


「分かってるわ」


 かちゃりと金属音が耳元でしました。振り向くと、藤上さんは私に銃口を向けていました。


「あおいちゃん。その男を殺しなさい」


「え……」


 言われた意味が分かりませんでした。いいえ、理解するのが嫌だったのです。


「聞こえなかったの? その男を、犬村辰敏を、殺しなさい」


「何をっ……!」


 犬村さんが声を張り上げます。三雄さんが犬村さんの頭にも銃口を向けました。


「君は知らないだろうがね、この子には手も触れずに人を殺す力があるんだよ」


「さぁ、あおいちゃん。蛇蠱の力を使うのよ。でないとあなたもその男も殺さなきゃいけなくなるわ」


 それは、口封じと言う意味でしょうか。

 藤上さんの顔を視線だけで窺うと、藤上さんは同意するようにふふんと笑いました。


「い、いやです。殺したくありません」


 私がそれでも従わないと見るや、藤上さんは恐ろしい顔になって、持っていた拳銃で私の顔を殴りました。


「やりなさい!」


「あおいちゃん!」


 叱りつけるような藤上さんの声と、叫ぶ犬村さんの声が同時に響きます。

 私の視界の端にはざわざわと蛇が湧きだし始めていました。

 お願いです、蛇蠱。私たちを助けてください!

 しかし蛇たちはそれ以上、出てこようとはしませんでした。傍らで藤上さんがにやにやと笑っています。

 どうしてこんな時だけ言うことを聞いてくれないんですか!


「……もう少し痛い目を見てもらうしかなさそうね」


 藤上さんはもう一度拳銃を振り上げました。私は咄嗟に顔を庇います。


「やめろ!」


 犬村さんの叫び声に、藤上さんの手が止まりました。犬村さんは覚悟を決めた顔でこちらを見ています。

 やめてください、犬村さん。そんな顔しないでください。何をしようっていうんですか。


「あおいちゃん。俺を殺してくれ」


 いやです、何を言っているんですか。そんなことできるわけないじゃないですか。


「約束しろよ月野。俺が死んだらあおいちゃんは解放しろ」


「ああ、約束するとも」


 嘘です。騙されないでください、犬村さん! そんなつもりないに決まってます!


「我々は少し離れておくとしよう。巻き込まれたらかなわないからね」


 月野さんたちは拳銃を下ろすと、私たちから距離を取りました。私は床に跪かされた犬村さんと向かい合います。


「あおいちゃん」


「嫌です」


 犬村さんの言葉を聞く前に私は即答しました。


「そんなの嫌です! 殺せるわけないじゃないですか! 帰るんです! 犬村さんも一緒に、帰るんです!」


「……そうか」


 私の叫びが聖堂に響きます。犬村さんは俯きました。

 その直後、犬村さんは顔を上げると、まるでいたずらっ子のような目でにやっと笑いました。


「じゃあ逃げるか」


「へっ?」


 犬村さんは素早く立ち上がると、がこんと音を立てて「右腕」を外しました。そうして、義手の右腕を、手錠で繋がれた左腕で引っ張って、袖の外へと引きずり出したのです。自然と犬村さんの拘束は解かれます。


「お前っ!」


 いち早くそれに反応して銃を構えたのは藤上さんでした。しかしそれは間違いだったのかもしれません。そんな藤上さんに気付いた犬村さんが、彼女の顔めがけて、左腕と繋がったままの鋼鉄の右腕で横薙ぎに殴りつけたのです。

 悲鳴を上げることもできず、藤上さんは床に倒れました。


「行くぞ、あおいちゃん!」


「は、はいっ!」


 犬村さんに急かされて、私は走り出します。


「エレキロイド! あいつらを捕まえろ!」


 背後から三雄さんの叫ぶ声が聞こえてきます。ついで、がしゃんがしゃんとエレキロイドが歩いてくる音も聞こえてきます。私はといえば、犬村さんの走る速さに着いていけず、だんだんと犬村さんとの距離が開き始めていました。


「あおいちゃん、ごめん!」


「へ? きゃっ!」


 犬村さんはそう断ると、片腕で私を抱え上げました。そのまま、まるで私なんて抱えていないかのような速度で廊下を駆け抜けていきます。

 さ、さすが軍人さん。力持ちですね。

 犬村さんは最初、この家の出口に向かってまっすぐ走っていたようでした。背後からの怒号はだんだん遠ざかり、私もこのまま逃げ切ることができると思っていたのです。


 しかし、進行方向に現れたたくさんのエレキロイドによって、出口への道は閉ざされてしまいました。犬村さんはそれを察知すると、小さく舌打ちをして、渡り廊下から中庭へと飛び出しました。

 一旦、中庭に身を隠して、脱出の機会を窺おうというのでしょう。

 中庭は随分と長い間手が加えられていないようで、荒れ放題でした。やや乱暴に茂みの影へと下ろされて、私は小さく声を上げます。


「いたっ」


「しっ、静かに」


 藪の向こう側をエレキロイドが通っていきます。彼らに視覚や聴覚があるのかは分かりませんでしたが、私たちは息を潜めてそれをやりすごしました。


「さて、どうするか」


 エレキロイドたちが十分遠ざかり、犬村さんはやっと緊張を解きました。地面にあぐらをかいた犬村さんの横に、私もちょこんと正座します。


「あの数だ。直接やりあっては勝ち目はない。何か作戦を立てなければな」


 そうですね。隙でもあればいいんですが。

 犬村さんは顎に手を置いて考え始めました。


「見たところ、彼らには目にあたる部品が無いようだ。ならば聴覚だけでこちらを判断しているんじゃないだろうか」


「つまり……それを利用して人形たちをどこかにおびき寄せるって作戦ですか?」


「そういうことだ。具体的にだが――」


 がりがりと音を立てて犬村さんが地面に図を書きます。私はそれを頷きながら見ていました。

 なるほど。それならいけそうです。

 作戦を実行しようと私が立ち上がりかけたその時、犬村さんは私を制しました。


「……その前にあおいちゃん」


「はい?」


「その、前を閉めてもらえないだろうか」


 犬村さんは目をそらしながら私の胸を指さします。視線を落とすと、私の制服は、前がはだけたままになっていました。


「ひゃっ」


 私は慌ててセーラー服の前を閉じます。


「ご、ごめんなさい……」


「いや、こっちこそすまない……」

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