第五話「薮ヲ突イテ蛇ヲ出スノ事」/其の七

 同日、首都圏郊外。

 犬村は三雄に連れられて、郊外にぽつんと建つ一件の豪邸へとやってきていた。


「ここはとある軍のお偉いさんの所有する豪邸でね。使われずに放置されていたから研究所として再利用したんだ」


「御託はいい。ここに月野さんはいるのか」


「いるとも。彼はここの責任者だからね」


 さあ、中へどうぞ、と妙に芝居がかった仕草でそう言う三雄を睨みつけながら、犬村は豪邸の中へと足を踏み入れた。


 本当ならば、こんな所に一人で来るだなんて愚は犯さない。しかし、「人質がどうなってもいいのか」だなどと言われてしまえば、こちらに選択肢はないようなものだった。人質というのが誰なのかも聞いていないが、もっといい方法があったのではないかと犬村は歯噛みする。


 豪邸の中は三雄の言った通り、研究所になっているようだった。家具などは撤去され、代わりに巨大な機械がごうごうと音を立てている。三雄に導かれるままに奥へと進むと、聖堂へと出た。正確には過去に聖堂であったであろう場所にだ。


「やあやあ辰敏くん。私のことを覚えているかね」


「……月野さん」


 聖堂の真ん中に立つ月野を、犬村は睨みつける。


「そう睨んでくれるなよ、辰敏くん」


 いくら睨みつけても全くこたえていないようで、月野は肩をすくめるばかりだ。


「見るといい。これを見せたくて君を連れてきたんだ」


 月野が指さした先には巨大な機械があった。機械の足元には檻が設置され、その中には小さなアヤカシたちが閉じ込められていた。


「なっ……」


 アヤカシたちは不安そうな顔で身を寄せ合っている。どう見ても合意の上でそこにいるわけではなさそうだった。


「アヤカシがそんなに珍しいかい? そんなはずはないだろう。アヤカシ記者、裏島正雄に関わっているのなら、当然アヤカシも見慣れているはずだ。……それとも人間がアヤカシを捕まえられていることが不思議なのかな?


 いや、なにも難しい仕掛けがあるわけじゃない。ただ単純な道理があるだけさ。「アヤカシは人間より弱い」って道理がね。だがそんな弱いアヤカシにも使い道はある。……何だと思う? 気になるだろう?」


「外道め……」


 自分より弱いアヤカシをさらってくるだなんて、か弱い子供を虐げるのと同じことだ。人質がいると言われてなければ、月野に掴みかかっているところだ。

 月野は犬村の反応に機嫌をよくしたのか、にこにこと笑いながら語り始めた。


「このアヤカシたちはね、これから憑きものになるんだよ」


「憑きものだと……?」


「我々の推測が正しければ、全てのアヤカシは憑きものになる可能性があるはずなんだよ。憑きものというのは、要はそのアヤカシを使役する一族なわけだからね。


 十五年前、我々は一つの実験を行ったんだ。その実験では、実験の出資者である猫塚夫妻に憑きものを取りつかせて憑きもの使いにする予定だった。だがそれは失敗した。猫塚夫妻はアヤカシに体を食い破られて死んでしまった。アヤカシに対する耐性のない人間に、憑きものを憑けることはできなかったのだよ。……我々は出資者を失い、隠ぺいのために軍を追放されるしかなかった」


 そう言うと月野は大げさに肩を落とした。しかしすぐに顔を上げると、上機嫌そうに部屋の奥へと歩いていった。


「ああ、もう一つ君に見せておきたい物があるんだ」


 月野は「それ」にかけられていた白布をばさりとはぎとった。その下から現れたのは鋼鉄の人形。


「エレキロイドだよ。今の出資者の意向で、これの研究もしているんだ。なんでもこれを使ってクーデターを起こすらしいよ。我々には関係ないことだがね」


 やはりクーデター計画の関係者だったか。証拠は押さえた。あとはここから脱出して、外にこのことを伝えなくては。すばやく周囲に目を走らせる。出口は一つしかない。


「実はエレキロイドというやつはほとんど完成しているんだ。筋肉の代わりになる機構も問題はないし、充電もこういう巨大な機械があれば容易に可能だ。本当は雷でも充電できるようにしたかったのだが、雷の落ちる地点を操作できない上に、雷の力が大きすぎて回路が焼き切れてしまうことが判明してね。そこは本当に残念だった。


 問題となっているのはこいつらが思考して難しい動きをすることができないという点でね。それを解決したのが憑きものというわけだ。我々はエレキロイドに憑きものを憑けて、操作する技術を確立した。残った問題は、憑きものを「持った」人間が少ないということだ」


 月野はエレキロイドをこんこんと叩いた。


「辰敏君。十五年前は狗神を憑けられていた君だ。間違いなく憑きものへの耐性はある。どうだろう、この研究所で君の能力を伸ばさないか? ただの憲兵として一生を終えるより、ずっといい暮らしができるようになるぞ」


 犬村は少しも考える素振りを見せず、即答した。


「断る」


 同時に踵を返すと、犬村は背後の出口に向かって走り出した。出口には三雄が立って、こちらに銃を向けている。――だが所詮は素人だ。

 射線から体をずらして一気に距離を詰めると、拳銃を握っている手を下から蹴り飛ばした。弾き飛ばされた拳銃が、からんからんと音を立てて床を転がっていく。犬村は蹲る三雄の横をすり抜けて、開け放たれたままの扉へと走りこもうとした。


「行かせるかよ! やれ、エレキロイド!」


「なっ!?」


 その言葉に驚く間もなく、突然飛び出てきたエレキロイドが、犬村の横っ面を殴り飛ばした。犬村は殴られた勢いのまま倒れこみ、床でしたたかに頭を打つ。呻きながら起き上がろうとするも、視界が揺れてうまくいかない。そうしている間に、エレキロイドに腕を取られ、犬村は床に押さえこまれた。


「そうか、それならば仕方がないね。……君には死んでもらうとしよう」



   *



 次に私――薮内あおいが目を覚ました時、猫塚さんの遺体はどこにもありませんでした。閉ざされた小さな部屋に私は一人きりです。

 全部、悪い夢だったのでしょうか。そう思って体を起こすと、制服の前がはだけているのに気がつきました。


「あ、あ……」


 夢じゃない。本当に私はあの人を殺してしまったんだ。

 手足が、がくがくと震え始めました。

 無数の蛇が襲い掛かるあの瞬間を、目を見開いたまま死んでいたあの人を思い出します。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 私は床に頭をつけながら、何度もそうやって謝りました。両腕で体を抱きます。震えは止まりません。ぼろぼろと涙がこぼれて、謝罪の声はだんだんと呻きへと変わっていきました。

 どれほどそうしていたのかは分かりません。だけどふと目を開けたその時、視界の端を銀色の紐のようなものが横切ったのです。


「へび……」


 私は顔を上げました。目の前には指の太さほどの小蛇が鎌首をもたげてこちらを見上げていました。小蛇は何かを問うように頭を傾けてみせました。

 私は思わず叫んでいました。


「どうして殺したの! どうして!」


 当然ですが返事はありません。


「私はそんなことしてほしくなかった……!」


 蛇は首を傾げたまま、じっとこちらを窺っています。私は身を丸めて、懇願しました。


「お願い、もうこれ以上殺さないで……!」


 小蛇からの返事はありませんでした。だけどその代わりに、地面についた私の前髪辺りにするりと何かが触れる感触がありました。


「え……」


 顔を上げると、蛇がするするとこちらに近づいてきていました。小蛇は私の膝元までやってくると、私の手にすり寄ってきました。

 そうしながらこちらをちらちらと窺う様子は、まるで謝っているかのように見えます。私は急に罪悪感にかられて、目を伏せました。


「……私こそ、当たってしまってごめんなさい」


 そうですよね。蛇蠱はそういう存在だから、そうしているだけですもんね。

 でもだからこそきっと私たちは相容れないんでしょうね。人間と蛇蠱は理解しあえない。私は諦めきった視線を小蛇に向けました。

 小蛇はもう一度私に視線を向けると、私の影の中へとするりと帰っていきました。

 直後、何の前触れもなく、部屋の戸が開かれました。

 開かれたドアからつかつかと踵を鳴らして入ってきたのは、見覚えのある女性です。


「ふ、藤上さん、どうしてここに……」


 件の怪盗ムジナ事件で出会った探偵の一人、藤上とみ子さんが座り込む私を冷たく見下ろしていました。

 藤上さんは私の問いかけには答えず、部屋の中央に置かれた椅子にどかっと座って、足を組みました。


「まったく探偵のふりをするのも疲れたわ。他の二人は馬鹿ばっかりだし。どうして私があんなところまで出張らなきゃならなかったのかしら」


「え……」


 まるで藤上さんが探偵ではないかのような言い方です。どういうことなのかと私が問うよりも先に、藤上さんは口を開きました。


「私は探偵なんかじゃないの。怪盗ムジナがうまくやれているかどうか監視するために、あそこに潜り込んでいただけなのよ、薮内あおいちゃん」


 目をまっすぐに見られて名前を呼ばれただけなのに、ぞくぞくっと悪寒が走ります。視界の端で黒い蛇が蠢き始めているのが見えました。


「無駄よ。あなたの蛇は使えないわ。だって私には狐が憑いてるんだもの」


「き、狐……?」


「そう。私の可愛い可愛い狐ちゃん。ここの研究の一環で、憑けてもらったの。あなたの蛇よりずっと強いから、私を呪い殺そうとしても無駄よ」


 恐ろしいようなホッとしたような気持ちで私は藤上さんを見上げました。藤上さんはそんな私を気持ち悪いものでも見るような目で見下ろしてきます。


「あおいちゃん。あなたが持ってる蛇蠱はね、私たちの研究材料だったの。それを偶然あなたが拾って、盗んでしまったわけ。返してもらおうかとも思ったけど、あなたから蛇を引きはがす方法も分からないから、いっそのことあなたごと仲間に迎え入れようと思ったのよ」


 仲間。一体何をする仲間なのでしょう。藤上さんの言っていることは半分も分かりませんでしたが、それでもよくないことを企んでいるということだけは分かりました。


「猫塚をあてがったのはあなたの蛇蠱を試したかったからよ。結果は予想以上だったわー! 本当はエレキロイドを動かすためだけの蛇蠱のはずだったけれど、ここまで力が強いのなら暗殺にも使えるわね。


 ねえ、あおいちゃん。私たちの仲間になって悪い人を殺す仕事をしない? そうすればあなたの蛇が暴走しないよう、私が見張ってあげるわ。もうあなたは、親しい誰かを殺しちゃうかもしれないって恐怖から解放されるのよ?」


 願ってもない提案でした。藤上さんは今の私が欲しいものを正確に言い当てているのです。

 だけど。


「……お断りします。どんな理由があっても、人は人を殺しちゃいけないんです」


 私は即答しました。こんなことは小さな子供だって分かることです。すると藤上さんは声を上げて笑い出しました。


「何が可笑しいんですか」


「あなたがそれを言うの? さっき猫塚を殺したあなたが?」


 全身の血が冷える感覚がありました。閉じ込めていた震えが蘇り、ごめんなさい、ごめんなさいと言葉が勝手に口からあふれます。頭上から藤上さんが、ふふ、と笑うのが聞こえてきました。


「いじめてごめんなさいね。でもあなたのためを思って言っているのよ」


 藤上さんは私の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせました。私は抵抗する気力もなくして、ただそれに従うしかありませんでした。


「さあ行きましょうか」

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