第五話「薮ヲ突イテ蛇ヲ出スノ事」/其の六
同日、綿貫探偵事務所。
「だからお袋! 手伝ってくれるのはいいけど、ご近所に噂で売り込むのは恥ずかしいからやめてくれって言っただろ!」
「でもねえ、宗太。私が事件を起こさなくなっちゃってから、お客さん一人もこないじゃない? そろそろ手を打つべきだと思うのよ」
「う、それはそうだけどよ……」
「恥ずかしいだなんて言ってる場合じゃないわ! 探偵で食べていくって決めたんでしょう? じゃあできるかぎりのことはしなきゃ!」
「でもよー!」
「騒がしいなー。ここはいつもこうなのか?」
ノックもなしに裏島は探偵事務所に足を踏み入れた。入口のドアが半開きになっていたのだ。おかげで中の大騒ぎも丸聞こえだった。
「う、裏島正雄!」
「おう、俺だぞー」
のろのろと歩み寄ってやると、身長差で威圧されたのか、綿貫は少し後ずさった。
「なんでお前が……というか何しにここに!?」
「何って……探偵の真似事かね……」
しみじみと言う。本当に、ガラでもないのだ。こんな金にもならないことで動くだなんて。
裏島はすっと真面目な顔を作ると、綿貫に尋ねた。
「ムジナ事件で、毎回お前たちと一緒に呼ばれていた藤上って女のことなんだが」
「藤上がどうかしたのか? たしかにいけ好かない奴だが、記事にされるほどの悪行をするような奴でもないぞ」
「いいや、そういうことじゃない」
綿貫は首を傾げる。裏島は眉を寄せ、眉間にしわを刻んだ。
「藤上とみ子。あいつ本当に探偵か?」
「は?」
「ムジナ関連以外で、藤上が解決した事件はあるのかって聞いてるんだ」
訳も分からないまま、ええと、と綿貫は考え始める。わたわたと二人を見比べる母親を置き去りに、十数秒唸った後、綿貫は腕を組みながら答えた。
「たしかにあの事件以外に、あの女が活躍したーだなんて話は聞いたことないが。……でも大事件なんてそうそう起こるものでもないんだし、そんなもんじゃないのか?」
「そうかもな。……ああ、綿貫美千代。あんたにも一つ聞きたいことがある」
「は、はい! 何でしょうウラ様!」
美千代は丸めていた背中をぴんと正した。緊張で声も裏返っている。
「怪盗ムジナだがな、あれ、どうやって動かしてたんだ? 動力は何かが充填されていたとして、あんな細かい動き、普通の人形にはできないだろうに」
「はあ、あれはですね、人形に狸憑きの要領で思念を飛ばして私が操っていたんです。私に届いた脅迫状にも、そうやって使えって書いてありましたし……」
「……そうか」
裏島は眉間にしわを刻んだまま小さくそう言って、ズボンのポケットから一通の封筒を取り出した。
「ほら、礼だ」
「えっ」
「情報料だ。受けとっとけ」
「お、おう」
綿貫は怪訝な顔をしながら封筒を開く。中身は迷い猫探しに関する情報。つまりは綿貫探偵への依頼だった。
「……裏島、これ!」
「やったじゃない宗太! 久々のお仕事よ!」
喜ぶ親子をそのままに、裏島はのたのたと探偵事務所を後にした。
同日、警察署、裏手。
「もう、ウラさん! 来るなら来るって先に言っておいてくださいよ!」
「悪い悪い」
もう三十代も半ばにさしかかっているというのに言動が若々しいその男――後藤の頭をぽんぽんと撫でながら、裏島は大して悪びれた様子もなく口だけで謝った。
「で、頼んでおいた件だが」
「はい。ウラさんの仰るとおり、怪盗ムジナはスチームロイドではなくエレキロイドでした。……でもこんな情報、何に使うんです?」
「こっちの仕事だよ、気にすんな」
「なるほどそっちの分野の仕事ですか! 気にしないことにします!」
素直に笑う後藤に、「こいつ大丈夫か……」と思わず呟いてしまう。まあ、こんな人の良いやつでもなんとか昇進している以上、警察の中にもこいつに振り回されている奴がいるような気がするし、気にしないでおこう。
「エレキ、ね」
電気。雷。雷獣の一件を思い出す。あれもおそらくはエレキロイドだったのだろう。誰が何のために何をたくらんでいるのかは知らないが、手は打っておくべきだな。
「そうだ、もう一つ」
「はい?」
いそいそと警察署に戻ろうとしていた後藤が振り返る。裏島は人差し指をぴんと立てた。
「数ヶ月前に××女学園辺りで起こった、自動車の多重事故現場って、どこか分かるか?」
同日、××女学園近く、多重事故現場。
数ヶ月前の事故の跡など残っているはずもなく、大通りには蒸気自動車が行き交っている。裏島は道の端を注意深く見下ろしながらのろのろと歩いていった。
「さすがにもうないか……?」
一通り道端を探し終わり、やれやれと裏島は伸びをする。背中がバキバキと音を立てた。
駄目で元々で来たのだ。どうせ内容は見当がついているし、ここらへんで切り上げるか。
そうやって踵を返し、ふと足下に目をやる。そこには側溝の隙間にぼろぼろの布切れが挟まっていた。
「……あった」
同日、とある橋の下。
裏島はここで行われるアヤカシ会議に顔を出していた。
アヤカシ会議は東京中のアヤカシが集まっては情報交換や交流をする会議だ。出席義務はないが、多くのアヤカシが数回に一度は参加している。
「ウラ様!」
「どうしてこちらに?」
「歓迎せねば」
「どうぞどうぞ真ん中にお座りになってください」
「いや、いいよ。あんま気にすんなって」
よっこらせ、と口に出しながら、裏島は会議の末席に腰を下ろす。上座にいた何匹ものアヤカシたちが居心地悪そうに裏島の周りへと集まってきた。
「本当に気にしなくていいのによ……」
「でもウラ様はウラ様ですから」
そうだそうだ、と他のアヤカシたちが同意する。裏島はハァーとため息をついた。
「なあお前ら。最近変わったことは起きてないか? たとえばアヤカシに近づいてくる人間がいるとか」
大いにあり得る話だ。自分を探っているということは他のアヤカシたちについても調べられている可能性がある。
そう考えながら辺りを見渡すと、アヤカシたちは表情を暗くして黙りこくった。
「……何かあったのか」
「それがですねウラ様。……アヤカシたちが行方不明になる事件がちらほら起きているんです」
「そうなんです! うちの旦那が三日ほど前から帰ってこなくて!」
「うちの息子もだ!」
「俺の友達も!」
やられた。事態は予想以上に深刻だったようだ。
裏島は口に手を当てて、難しい顔をした。
「やっぱり人間の仕業なんでしょうか」
「……まだそれは分からねえよ」
ほぼ間違いなくそうだろう、と推測はしながら裏島はそれを口には出さなかった。無駄に不安をあおるのはこいつらのためにはならないだろう。
「ま、やれるだけ手は打っておくから、安心して待ってろ」
つとめて明るい声を出して、アヤカシたちを勇気づける。アヤカシたちは顔を見合わせて、安堵の息を吐いた。
「そうだ、ウラ様。行方不明と言えば、最近オサキの御仁も姿を見せないんです」
「何? オサキもか?」
「かもしれません……。苛烈な方ですけど俺たちのことは考えてくださってる方なのでやっぱり心配で……」
「分かった。そっちも合わせて探ってみる」
そのアヤカシに向かって頷いたあと、裏島はアヤカシたちを見回した。
「ところで空を飛べる奴は、この中にいるか?」
アヤカシたちはひそひそと囁き合う。やがて他のアヤカシたちに押されて、一匹のアヤカシが前に出てきた。――鎌鼬だ。
「名前は?」
「は、はい! 風です!」
「風。ちょっと手紙を渡してきてほしい奴がいるんだ。頼まれてくれるか?」
一通の手紙を鎌鼬に手渡す。鎌鼬は宛名を見て合点がいったという様子で、鎌のついた前足をぴんと上に伸ばした。
「お任せください、ウラ様!」
これでできることは全てやった。あとは情報を足で稼ぐか、静観するしかない。一つでもとっかかりができれば解決にも向かいそうなものなのだが。
裏島はよっこいせ、と立ち上がった。
「じゃあ俺はこの辺で……」
「あのう、ウラ様」
見下ろすと、小さなアヤカシたちが足元にすがりついていた。
「どうした?」
わらわらと集まってきたアヤカシたちはざわざわと躊躇うような声を出した後、消え入りそうな声で裏島に問うた。
「おれたち、人間が怖いんです。人間の技術の進歩が怖いんです。不安定で恐ろしかった夜が人間たちに照らされちまって、俺たちは昼でも夜でもこそこそと身を隠さなきゃいけなくなって……。このままじゃろくにおどかすこともできなくなって、忘れ去られちまいます。そうなったら、おれたちはおしまいです。ねえ、ウラ様。アヤカシと人間は本当に共存できるんでしょうか」
小さなアヤカシは涙を目にいっぱいにためて、裏島を見上げた。周りのアヤカシたちは何も言葉を発しなかった。きっと多かれ少なかれ、皆がそう思っているのだろう。
裏島は、小さく、自分に言い聞かせるように答えた。
「……できるさ。そのために俺がいるんだ」
「ウラ様……」
その時、何者かがアヤカシ会議の輪に走りこんできた。
「大変です、大変ですー! ウラ様―!」
「トラじゃないか、どうした」
二足歩行の猫又、トラは裏島の足元に走り寄り、縋り付いてきた。
「ウラ様! こ、この前ウラ様の事務所にいたあの女の子が! あの女の子がぁ!」
「なっ、あおいがどうかしたのか!」
「そうです、そのあおいさんが! 誘拐されたんです!」
「何ぃ!?」
トラは裏島の足元で泣き崩れた。
「俺、怖くて見ていることしかできなくて、助けられなくて、ごめんなさい、ごめんなさいウラ様……」
裏島はしゃがみこみ、そんなトラの頭に手を置いた。
「お前のせいじゃねえよ、トラ。それで、犯人の特徴は覚えてるか。車か? 行き先は?」
「特徴は男だということしか……。行き先は皆目見当もつきません……すみませんウラ様……」
裏島は焦って再び立ち上がり、毒づいた。
「クソッ、どうしたら……」
手がかりは皆無。状況からいって、アヤカシをさらっている奴らと同じ犯人だろう。
「俺のせいか……」
良かれと思って遠ざけたのが裏目に出てしまった。俺との交渉材料にするつもりなら一応は無事だろうが、もしそうでなかったら……。
「ウラ」
聞きなれた声が傍らから聞こえ、裏島は俯いてしまっていた顔を上げた。
「いちすけ? どうしてここに」
大して興味もなさそうに、いちすけは片手で抱えた一人の男を裏島へ差し出した。
「事務所に来た。不審者」
男の顔は腫れ上がり、服はぼろぼろだ。おまけに、いちすけに対してひどく怯えている。何をされたのかは容易に想像がついた。
「は、話す! 計画の目的でもあの女学生の行方でも何でも話すから、こいつから守ってくれ、頼むぅ!」
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