第五話「薮ヲ突イテ蛇ヲ出スノ事」/其の五

 遡ること三か月前。

 大正二十五年、二月十日。


「息子が山童(やまわろ)に祟られたぁ?」


 裏島正雄はいつもの椅子に座ったまま、来客に対応していた。その表情は呆れきったといった面持ちで、机の前に立っている客は肩身が狭そうに縮こまっている。


「自業自得だろ、そりゃ。奴らがそうそう祟ったりするもんか」


「そう言わんでくださいよ、裏島先生……」


「先生は止めろって言ってんだろ」


 追い払うように手をひらひらと動かす。先生、だなんて呼ばれると背筋にこう、むずがゆいものが走るのだ。

 依頼者の男――下内は黙ったままそんな裏島の様子を窺っていた。裏島は背もたれに体重を預けた。


「で、どうしてそんな状況になったんだ」


「聞いて下さるんですか、先生!」


「聞くだけだ。受けるかどうかは内容次第だな」


 ぱっと下内の顔が明るくなる。こんなに感情が素直に顔に現れるというのも見ていて不安になる光景だが、裏島はそれを指摘してやることはしなかった。きっと本人自身がよく分かっていることだろう。


「実はですね、先生。うちは代々、大工をやっている家系なんですが、大工仕事を妖怪の山童にもこっそり手伝ってもらっていたんです。山童はいつも透明な姿でしたが、よく働いてくれました。ここまでは先生もご存じだと思うんですが。


 山童には仕事の報酬に毎回、魚をお供えしていたんです。でもある日、ちょっと高級なまんじゅうが手に入りまして、一家だけで食べるには量が多かったものですから、山童にもおすそ分けしようという話になったんです。


 それでその日の仕事の前に「今日のお供え物は美味いまんじゅうだぞ。期待していてくれ」って自分は言ってしまったんです。そこまでは良かったんですが、約束通りその夜、まんじゅうをお供えしておいたんですがね、それをうちの馬鹿息子がちょろまかしまして。


 翌日から山童が仕事を手伝ってくれなくなって、すぐに息子がやらかしたことに気付いたんです。自分は息子に山童に謝るように言ったんですが、アヤカシなんかに謝らない、の一点張りでして。


 そうしたらその日から、夜になると息子がうなされるようになったんです。それだけならよかったんですが、それでも息子が謝らないと、今度は夜になると死んでしまいそうなほどの高熱を出すようになりまして。自分たちが代わりに謝っても一向に許してくれる様子は無くて、これはもう自分たちには手に負えないと判断して先生を頼って来た次第なんです」


 裏島は話が終わるまで手を組んで背もたれに軽く寄りかかっていたが、話が終わった途端にハァーと大きなため息をついた。


「本っ当に自業自得じゃねえか……」


「言わないでください……。自覚はあるんです……」


 二人はもう一度揃って、ハァーと大きなため息をついた。


「それでその……この依頼、受けていただけないでしょうか」


「そうだな……。記者としての依頼でもないし、それぐらい自分たちでどうにかしろとも言いたいところなんだけどな……」


「そこをどうかお願いします! 少ないですがお礼なら払いますので!」


「あー……」


 深く深く頭を下げる下内の頭頂部をしばらく裏島は見ていたが、やがて「仕方ないな」と小さく呟いた。


「分かった、分かったよ」


「先生!」


「ただし解決するのはお前たちだ。これはお前たちの問題だからな。俺がするのは橋渡しまでだ」


「ありがとうございます、裏島先生!」




 翌、二月十一日。

 裏島は下内の家を訪れていた。昔ながらの大工の家らしく、弟子を多く抱えることができるよう平屋建ての広い家とはなっていたが、山童がいないせいで工事ができないのか、弟子たちの姿はどこにも見えなかった。


「オッサンだオッサン! 何の用だオッサン!」


 家に入って早々、突然まとわりついてきた少年が、裏島の脛を何度も蹴る。裏島は今回助けてやるはずの少年――友則に絡まれていた。

 裏島はされるがままになりながら、下内を振り返った。


「下内ー。俺帰ってもいいか?」


「せ、先生、そう言わずに!」


 下内は「こら、友則」と大して厳しくも聞こえない声色で息子を叱った。その対応のせいで嘗められているんじゃないのか、と喉あたりまで出掛かったが、すんでのところで飲み込む。人様の家の教育方針に口を出すのもあれだろう。


「で、例のものはちゃんととってきたのか」


「はい、でもこんなもの何に……」


「山童の好物なんだよ」


 さて、どこにしかけるか、と呟きながら裏島は歩き出す。足下には友則がしがみついたままだ。


「本当にどうしてこんなことになったのか……。あんな些細なことでこんなに怒ってしまうだなんて。いい仕事仲間だと思ってたんです。たまに山童からお礼の品が届いたりして……。やっぱり人間とアヤカシが協力して仕事をすること自体が間違いだったんでしょうか、裏島先生」


「んなわけあるか。人間だのアヤカシだのの区別が無くたって、自分と他人の考え方にはズレがあるもんだろ。それともあれか? お前は山童と仲良くしたくなかったってのか?」


「そ、そんなことないです! ずっと仲良くやっていけるとばかり思っていましたとも!」


「だったらそれを疑ってやるなよ。多少こじれちまってるだけで、あっちもきっとお前と同じ気持ちだぜ」


「……はい、ありがとうございます裏島先生……」


「なー、それよりおれと遊べよー、オッサンー」


「こら、友則!」


 ようやく下内が友則を足から引きはがす。裏島はうんざりした顔で足首をぶらつかせた。


「お、あそこにするか」


 裏島が声を上げると、後ろから下内が裏島の視線の先を覗き見た。


「庭の……池ですか?」


「おう、山童ってのは山に上がった河童のことだからな。この家でいるとすればあそこだろうよ。ほら、あれ出しな」


 下内が取り出したのは小さな網いっぱいに入った沢蟹だった。裏島はそれを受け取ると、池のふちからそれを水中に垂らした。


「あー。お前らはちょっと下がってろ」


「はい。ほら友則、行くぞ」


「えー……」


 渋る友則を引きずって下内は池から遠ざかる。それでもやはりこちらは気になるようで、柱の陰に隠れながらこちらを窺っていた。

 池の中に垂らした網を数度、揺する。水面に小さな波が立ち、波紋が広がっていく。波が完全に収まり、数分経った頃、池の底から毛むくじゃらの手がぬっと現れた。

 裏島はその手がしっかりと網を掴み、牙の生えた口が網の中身に噛みついたのを確かめると、一気に網を引っ張り上げた。

 まんまと釣られた山童はきょとんとした顔で裏島を見ていたが、そのまま地面へと下ろされると、網から口を離して叫んだ。


「ウラ様!?」


「おう、川太。久しぶ……」


「アヤカシだーー!」


 裏島が片手を上げて軽い調子で挨拶しようとしたその時、友則が突然大声を出して走り寄ってきた。

 その勢いに驚いた山童は、肩を跳ね上げると、一目散にどこかへと逃げ出した。その後を転がるようにして友則が追いかけていく。


「あっ、おい!」


 裏島と下内も二人の後を追ったが、あっという間に引き離されてしまう。友則と山童は足が汚れるのも構わず、庭を通って家の外の方へと駆けていった。これが若さか、などと呟きながら、裏島は慌てて靴をひっつかんで玄関に向かって走っていく。


「待て、悪いアヤカシめ! このおれが退治してやる!」


「ひえええ!」


 ひどい言いぐさだな。いや、友則からすれば毎夜自分を苦しめている犯人なわけだからそういう言い方をするのも仕方がないのか……。

 表の道に飛び出した二人の後ろ姿を追いかけながら、そんなことを考える。


 と、その時。追いかけっこをする二人の目の前に、一人の女学生が姿を現した。胸あたりまである黒髪を三つ編みに結い、黒っぽいセーラー服を着た、利発そうな女学生だ。


「あっ、そこの姉ちゃん! そのアヤカシ、捕まえてくれ!」


「えっ、あ、アヤカシ!?」


 素っ頓狂な声を上げながらも、女学生は咄嗟に向かってくるアヤカシに向かって手を伸ばした。


「きゃっ」


「ぷぎゃっ」


 避けきれずに勢いよく山童がぶつかった衝撃でふらつき、女学生は倒れてしまう。だが、その体の下敷きになる形で、山童もまた足止めを強いられていた。


「やっと捕まえたぞ、アヤカシめ! 覚悟しろ!」


「ひいい……」


 やっとのことで女学生の体の下から這いだした山童は、友則に捕まえられて悲鳴を上げる。裏島は上からそれをぬっとのぞき込むと、二人の首根っこを掴んで、二人を引き離した。


「何すんだ、オッサン!」


「さてと、川太。ちょっとお前に話があるんだがな」


「ウ、ウラ様! あなたはどちらの味方なんですか! そんな人間の肩を持って!」


「ばーか、どっちもだよ」


 暴れる二人を放してやり、そのまま二人の頭にぽんと手を乗せる。


「人間もアヤカシも俺から見りゃどっちもただのチビガキだ」


 ぐしゃぐしゃと二人の頭を撫でてやると、二人は不満そうな顔をしながらも大人しくなった。


「困ってる奴に、何の違いもないさ。……ただし報酬がなきゃ俺は絶対に動かないけどな」


 ほうしゅう、とまだ座り込んだままの女学生が口の動きだけで言う。

 それに気づいた裏島が女学生に声をかけようとしたその時、下内は神妙な面持ちで山童に近づいた。


「山童」


 山童はむっとした顔で下内を見上げた。下内は座り込むと、地面に膝を付けて頭を下げた。


「すまなかった! ……そうだよな、約束を破るだなんて最低のことだよな。でも、でもさ、もしお前がよかったらなんだが、あの時とおんなじ菓子を買ってきたんだ。……これで手打ちということにしてくれないだろうか、頼む!」


「父ちゃん、なんで謝ってんのさ。アヤカシなんかに謝らなくったっていいじゃん」


 唇を尖らせる友則に、下内は素早く立ち上がった。


「いい加減にしろ、友則!」


 突然大声で怒鳴られて、友則はのけぞる。いつもでは考えられないほどの剣幕で、下内は言葉を続ける。


「あれは山童にあげたものだったんだ! 山童のものだったんだ! それを盗んだお前は泥棒と同じだぞ!」


「ひっ、ご、ごめんなさい……」


 怒鳴られた友則は、今までの尊大な態度はどこへやら、俯いて縮こまり、震える声で父親に謝った。

 そうだよな、叱る場面ではちゃんと叱らないといけないよな。と、裏島はしみじみと考える。


「俺に謝ってどうする。謝るのなら他にいるだろう」


 下内に促され、友則は山童へと振り返った。自分が悪いことをしたという自覚がようやく芽生えてきたのだろう。下を向いた視線をゆらゆらと動かしている。そうして少し経った頃、友則は山童に頭を下げた。


「山童、ごめん……」


 山童は、友則同様に目を泳がせたあと、視線を逸らしたままぶつぶつと呟いた。


「むう……そういうことなら……元々謝ってほしかっただけだし……」


 そんな二人を見て、裏島は下内の背中をどんと押した。


「ほら、折角だからそのまんじゅう、一緒に食ったらどうだ? いい仕事仲間なんだろ?」


 下内と山童は居心地悪そうにお互いをちらりと見た後、どちらともなく小さく声を上げて笑い出した。

 裏島はハァーと息をついて、「一件落着だな」と呟く。

 ひとしきり笑い終わった下内は、裏島へと一通の封筒を差し出した。


「ありがとうございました、裏島先生。これ、少ないですがお礼です」


「おう。これからは仲良くやるんだぞ」


「はい!」


 裏島は封筒を折り畳んで、無造作にポケットに突っ込んだ。


「そっか、お金があれば助けてもらえるんだ……」


 女学生が小さく呟く。裏島は座り込んだままだった女学生へと手を伸ばした。


「お前も巻き込んで悪かったな、今のは見なかったことにしちゃくれないか」


 女学生はその手を取って立ち上がると、裏島をまっすぐに見上げた。どうしたのかと裏島が首を傾げる暇もなく、女学生は意を決したという様子で声を張り上げる。


「あ、あの、裏島先生!」


 その女学生――藪内あおいはぺこりと頭を下げた。


「私を弟子にしてください!」





 話は戻って、大正二十五年、五月二十一日。

 あおいが去っていった事務所で、裏島は天井を仰いで「あー」と声を出した。体重を預けたソファの背もたれがギシギシと音を立てる。

 面倒事は重なるときは重なるものだ。だがどうやらもう見て見ぬ振りをすることもできないらしい。

 裏島は億劫そうに立ち上がると、傍らに立っていた一助に声をかけた。


「いちすけ。ちょっと出てくる。留守番は頼んだぞ」


 無言のまま頷いたのを確認し、裏島は鞄も持たずに事務所から出ていった。

 部屋の中に残されたのは一助ひとりだけ。ビルの外の音がやけに大きく部屋の中に響いている。

 一助は表情をいっさい変えないまま、奥の部屋に引っ込もうとした。そうそう依頼なんてくるはずもないという判断だ。

 その時、事務所のドアが乱暴に叩かれた。

 一助は慌てる様子もなくドアへとむかい、無言で戸を開け放つ。

 ――目の前に拳銃が突きつけられた。


「よう、坊ちゃん。裏島正雄を出してもらおうか」

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