第四話「狸憑キノ帝都ヲ騒ガスノ事」/其の十
広間に戻った私たちは再び関係者の皆さんを一か所に集めました。その中に真犯人さんの姿もあって、私はほっと胸を撫で下ろします。さっきの騒ぎに乗じて逃げてしまったかもしれないと思っていましたから。
「綿貫さん、頑張ってくださいね」
「あ、ああ!」
傍らに立つ綿貫さんの背中を叩きます。綿貫さんは背筋をぴんと伸ばしました。
そうそう、そうしていれば格好いいんですから。虚勢を張っていきましょう!
「どうしたんですか、綿貫さん。皆を集めたりして」
後藤さんが不満そうに言います。きっと「化け狸」の捜索に戻りたいんでしょうね。でも、その事件はもう解決したんです。
「お忘れですか、後藤警部補。私たちにはもう一人、突き止めなければならない人物がいるじゃないですか。つまり――オーナーの豪三郎さんを殺害した犯人です」
そういえば、という顔で皆さんは顔を見合わせます。いやいや。忘れちゃいけない大事なことでしょうに。
綿貫さんはかけている縁の細い眼鏡をくいっと直しました。
「まず前提として、どうしてやったのかではなく、誰がどうやってやったのかに焦点を当てて考えていこうと思います。……そもそもあの時、オーナーの豪三郎さんは銃で撃たれているんです。ということは犯人は豪三郎さんの近くに銃を持ち込むことができる人ということになります。
そして、豪三郎さんのシャツの釦は取れていました。これは何者かに地面に押し倒された証拠。豪三郎さんは地面に押し倒された状態で至近距離から心臓を撃ち抜かれたんです。
以上のことを考えるに、犯行時に豪三郎さんに接触していても怪しまれず、わざとステンドグラスの警備を甘くすることでムジナが登場する場所を制限することができ、なおかつ現場に拳銃を持ち込める人物……」
綿貫さんは皆を見回し、そのうちの一人を指さしました。
「犯人はあなたです。谷川信二さん」
「なんだと……!?」
その場にいる全員がオーナーの護衛の谷川さんを見ました。谷川さんは驚愕に目を見開き、それから、烈火のごとく怒り出しました。
「そ、そんな訳があるはずないでしょう! 豪三郎さんは私の雇い主ですよ! 私が彼を殺す動機はどこにあるっていうんですか!?」
「ですから最初に申し上げた通り、どうしてやったのかではなく、誰がどうやってやったのかなのです。それを考えると、谷川信二さん、あなたが犯人であるという可能性が最も高いのです」
谷川さんは興奮で顔を真っ赤にしました。
「そんなものはただの可能性でしょう! そうだ、俺がやったという証拠はどこにあるんですか!」
そう、証拠はない。だからこれから証拠を作るんです。
私は綿貫さんと目配せをしました。
「はーっはっはっは!」
私たちの頭上、ステンドグラスの窓枠から高笑いが響きます。全員の注目がそこに集まりました。
「か、怪盗ムジナ!」
誰ともなく彼の名前を呼びます。
しかしてその正体は、怪盗ムジナに化けた綿貫美千代さんです。
怪盗ムジナは流麗な仕草で、私たちに一礼しました。
「まずは皆様にお詫びを。わたくしの舞台でこのように死人がでてしまったこと、大変遺憾に思います」
後藤さんが慌てて、捜査員の方々に指示を出します。怪盗ムジナを捕えようというのでしょう。時間はありません。美千代さん、急いでください!
「わたくしの名も売れすぎました。このままでは皆様にご迷惑をかけてしまう。もはや潮時なのでございましょう。この怪盗ムジナ、この事件を最後に泥棒稼業より引退とさせていただきます」
ムジナのマントが夜風に揺れます。怪盗ムジナは頭を上げました。
「そうそう、置き土産として最後に一つだけ皆さんにお知らせしたい情報が」
怪盗ムジナは谷川さんを指しました。
「あの時明かりを消したのは谷川様ですよ、もう一人の共犯者を使ってね」
その言葉を聞いた途端、谷川さんは叫びました。
「嘘だ! あの明かりはお前の時限装置で落ちたはずだ! お前がオーナーを殺したんだ!」
かかった。私は小さく笑みをこぼします。
「どうして、時限装置で落ちたということを知っているのです?」
ムジナはきょとんとしている後藤さんへと目を向けました。
「後藤警部補。その情報はまだ探偵の方以外には伝えていませんよね?」
「あ、ああ、伝えていない」
「わたくしの時限装置で落ちたことを知っているということは、事件前に既に時限装置の存在を知っていたということ。……どうしてそれを解除しておかなかったのです?」
「な、ぐ……」
「詰めが甘かったですね、真犯人さん」
ムジナはにやりと笑い、高らかに言い放ちました。
「さて皆様! 名残惜しいですがここまでです! もう皆様に会うこともないでしょう! では、御免!」
怪盗ムジナの姿はあっという間にほどけ、いずこかへと消え去りました。
「き、消えた……」
呆然とそれを見上げる後藤さんでしたが、はたと正気に戻ると、部下の捜査員さんたちに指示を飛ばし始めました。
「いや、まだ近くにいるはずだ! 追えー!」
ばたばたと捜査員さんたちが走り去っていきます。あとに残されたのは、探偵と容疑者、それに犯人だけ。
「谷川さん……」
綿貫さんが谷川さんに声をかけます。谷川さんは地を這うような声で語り始めました。
「……あいつはな、俺の親父を殺したんだ。勿論直接じゃないさ。だけど親父の店を潰して、親父が首をくくるきっかけを作ったのは間違いなくあいつだ。……だから俺は軍を辞めてあいつに復讐してやるって決めたのさ」
谷川さんは私たち全員を見回しました。
「だがそれの何が悪い! 俺がやらなくても、いつか他の誰かがあいつを殺しただろうさ! あいつは死んで当然の人間だったんだ!」
「それは違います!」
私は思わず声を出してしまっていました。
「し、死んで当然の人間なんていません! どんな人にも大切な人はいて……、ええと、とにかく駄目なんです!」
「ガキが偉そうな口を……!」
谷川さんは絞り出すようにそう言い、腰から拳銃を抜き放つと、私に向かって銃口を向けました。
しまった、谷川さんならもう一丁、銃を持っていてもおかしくないじゃないですか。
私は蛇に睨まれた蛙のように硬直することしかできませんでした。
「あおい!」
「あおいくん!」
先生と綿貫さんの声が聞こえます。
――破裂音。
何かがぶつかってきた衝撃で私は尻餅をつきます。目を開けると、目の前では私を庇った綿貫さんが私にもたれかかっていました。
「わ、綿貫さん」
返事はありません。綿貫さんの腕は地面にだらりと落ちています。私は、頭が真っ白になりました。
ざわり、ざわり。
無数の不可視の蛇が視界の端で蠢きます。止めようのない衝動が私の中に持ち上がります。蛇はあっというまに、狼狽えた様子の谷川さんへと飛びかかると、その首をぎりぎりと締め上げ始めました。
許さない。
谷川さんは床に倒れ、まるで魚のように口をぱくぱくと開け閉めしました。そんな様子を見ても私はただ怒りが募るだけで、手を緩めようだなんて気持ちは全く起こりませんでした。
死んでしまえ。
物騒な考えが、まるで当たり前のものかのように脳裏に浮かびます。
その時、私に体重を預けていた綿貫さんが身じろぎをしました。
「び、びっくりした……撃たれたかと思った……」
「へ?」
その言葉を聞いた途端、私の頭は急に冷えました。
泡を吹いて気絶した谷川さんを、今更やってきた警官さんたちが取り押さえます。
谷川さんを締めつけていた蛇が消えていき、私は今自分がしてしまったことをようやく自覚しました。
やってしまった。もう「これ」は使わないと決めていたのに。
もしかして見られてしまったでしょうか。視線を感じて振り向くと、藤上さんがこちらを見ていました。先生をそっと見上げますが、少しの間私の顔を見つめた後、興味が失せたようにふいと視線をそらされてしまいました。
……ここは誤魔化していきましょう。気付かれないのなら、それに越したことはないんですから。
「ご協力、感謝します!」
十数分後。捜査員さんたちに谷川さんが連行されていき、後藤警部補もぴしっと敬礼をして去っていきました。
これで本当に一件落着というやつです。……私の秘密を見られてしまったかもしれないという不安は残りましたが。
「ほら帰るぞ」
「あ、はい、先生!」
何事もなかったかのように先生がそう言うので、私も元気にそれに返事しました。そしてそのまま帰ろうとして、ふと立ち止まります。
そうだ。お世話になったのだから、ご挨拶していかなきゃですね。
私は、やれやれと眼鏡の位置を直している綿貫さんに駆け寄りました。
「綿貫さん、色々ありがとうございました。……庇ってくれて嬉しかったです」
「お、おう」
綿貫さんは居心地悪そうに目をそらしました。どうやら照れているようです。
そんな様子に私は、ふふ、と笑いました。
「じゃあ私、帰りますね。探偵助手、結構楽しかったです!」
綿貫さんは偉そうに胸を張ると、私に笑いかけました。
「あおいくん、またいつでも探偵事務所に遊びに来るといい。歓迎するぞ!」
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