第四話「狸憑キノ帝都ヲ騒ガスノ事」/其の九

 舞台の中央、「大猫のまなこ」のガラスケースの前に、容疑者の皆さんは集められました。私の前に立っているのは、奥さんの邦子さん、初恋の相手の遠木さん、護衛の谷川さん、探偵の綿貫さんと箕輪さんと藤上さんの六人です。それ以外の観客の皆さんには、舞台を降りたところで待機してもらっています。犬村さんのお父さんとお母さんもそこにいます。


「さて、皆さん。謎解きを始めましょうか」


 私が気取ってそう言うと、広間にいる全員の注目が私に向けられました。緊張から体が少し震えましたが、それをなんとか抑え、私は話し始めました。


「この事件は、二つの事件が同時に起こったことによって出来上がった事件なんです。その両方を一度に考えようとすると、事態の本質が見えなくなってしまう。だからまずは「狸憑き」についてだけを考えるべきだと思います。それでよろしいですね?」


 皆さんの顔を見回します。異論のある方はいないようです。


「ではまず怪盗ムジナの身代わり人形について。これは完全に私の推測なのですが、あれは身代わり人形ではありません。あれこそが怪盗ムジナの正体なんです」


「あれが怪盗ムジナの正体!?」


 後藤さんが驚きに声を上げます。そして私と、床に転がしたままの怪盗ムジナ人形を見比べました。


「どういうことなんだ、あおいくん?」


「そのままの意味ですよ、綿貫さん。怪盗ムジナはただのハリボテ人形だったんです。精巧にできたスチームロイドをなんらかの形で操作して、まるで生きた人間であるかのように見せかけていたんです」


「そっ、そんなことがありえるのか?」


「もしそうだとして、どうしてそんな回りくどいことをする必要があったのかしら。私が犯人なら、直接、怪盗ムジナの格好をするわ」


 箕輪さんと藤上さんが反論します。私は確信を持って二人を見返しました。


「それは、犯人にはどうしてもムジナの姿で現れることができない事情があったからです。でもそれは後から説明しますね」


 納得のいっていない顔をしている箕輪さんと藤上さんを置き去りにして、私は話を続けます。


「調査の結果、人が「狸憑き」――いいえ、「化け狸」となるにはある条件があることが判明しました。それは、犯行時間前に一度、席を外していること。そうですね、綿貫さん」


「あ、ああ。多分間違いないと思う」


 こくこくと綿貫さんが頷きます。


「それを踏まえてあの時の状況を確認してみましょう。まずオーナーさん、谷川さん、邦子さん、綿貫さん、私、は違う。なぜならセレモニー前にこの場所から出ていないからです。


 次に藤上さんも違う。犯行時刻にこの場所にいなかった上に、自由に現場に出入りできるのだから、いつでも逃げられたはずだからです。

 すると残るのは一人だけ。犯行時刻前に一度離席し、その後にも「ムジナを追いたい」と言って、外に出ようとしていた人物――」

 私は一度言葉を切り、まっすぐにその人を指さしました。



「化け狸はあなたです。箕輪節夫さん」



「な、何を馬鹿な」


 箕輪さんはあからさまに狼狽え、それからごほんと咳払いをして反論しました。


「そんなことあるはずないだろう。それにその推理には穴がある。君たちと合流する前に、「狸憑き」になっていた奴がいるのかもしれないじゃないか」


「いいえ、箕輪さん。「狸憑き」ではなく、「化け狸」なんです」


 動揺を隠しきれない様子の箕輪さんを、私はまっすぐ見据えます。


「そこの「箕輪節夫さん」は、本物の狸が人間に化けた姿なんです」


 私の言葉に周囲がざわつきます。箕輪さんは一歩後ずさりました。どうやら私の推測は当たっていたようです。実は化けている動物が狸である根拠はなかったのですが、ハッタリに引っかかってくれて助かりました。


「そ、そんな馬鹿なことがあるわけないじゃないか、あおいくん。た、狸が人間に化けるだなんて」


「皆さんだって今まで真剣に「狸憑き」があると考えて犯人を捜していたじゃないですか。それと同じことです。化け狸は存在します」


 私がそう言うと、綿貫さんは黙り込みました。その代わりに藤上さんが口を開きます。


「あおいちゃん、どうして「狸憑き」だ「化け狸」だとこだわるのかしら? 私にはどちらも同じのように感じるわ」


「それはですね、藤上さん。そこを勘違いさせるのが、怪盗ムジナの常とう手段だったからですよ」


 私はふふんと人差し指を立てました。

 実はここから先も根拠は全くありません。ただの私の推測です。でも気付かれないようにしなくては! 女は度胸です!


「「狸憑き」ということにしておけば、怪盗ムジナという人物が妖術なり魔法なりを使っているように見えます。しかし化け狸だということがばれてしまえば、それはもう人間の範疇を超えてしまう。狸だからこそ使える逃げ道が封鎖されてしまう。だからムジナは「狸憑き」だなんて回りくどい方法を好んで使っていたんです。


 とはいっても、最初は苦し紛れの嘘だったんでしょう。はじめのうち、怪盗ムジナという人物は姿を現さなかったんですから。それが、なんらかの理由であのスチームロイドを手に入れ、怪盗ムジナは誕生した。……これが怪盗ムジナの真実です」


「し、証拠は! 証拠はどこにある!」


 箕輪さんが顔を真っ赤にして声を荒げます。私は、後ろに控えていた後藤さんに合図しました。


「後藤さん、よろしくお願いします」


 後藤さんは頷くと、捜査員さんたちに指示して、ある人物を連れてこさせました。

 それは――二人目の箕輪節夫。二人目の箕輪さんは自分そっくりな人物を前に驚愕の表情を浮かべています。

 私は一人目の「箕輪節夫」を睨みつけました。


「どうですか! まだこれでも否認しますか!」


「ぐ、ぐう……」


 一人目の「箕輪節夫」は唸り声を上げたかと思うと、突然見張りの捜査員さんたちを突き飛ばし、逃亡を始めました。

 逃げた。ということはあっちが偽物で確定ですね。

 ここで粘られたら、なすすべはなかったんですが、うまく乗せられてくれて助かりました。

 とはいえ、このまま逃げられてしまっては元も子もありません。

 私は捜査員の皆さんと一緒に、広間から逃げていった「箕輪節夫」を追いかけはじめました。

 ところがどうしたことでしょう。「箕輪節夫」を追いかけて扉の外に出た私たちの目の前に広がっていたのは、誰の姿もない廊下だったのです。


「さ、探すんだ! まだ近くにいるはずだ!」


 後藤さんが声を張り上げ、捜査員の皆さんが方々に散っていきます。

 私もそれに倣おうとしたその時、誰かが私の手を掴んで引き留めました。


「こっちよ、あおいちゃん」


「い、犬村さんのお母さん!?」


 犬村さんのお母さんはお父さんと一緒になってにこりと笑うと、猛烈な勢いで私をどこかへと引っ張り始めました。

 右へ左へと引きずられるようにして、私は犬村さんのお母さんに引っ張られていきます。廊下を走っているうちは普通だったのですが、途中何度も通用口のようなところを通り抜けたり(鍵もないのにどうして開けられたのでしょう)、そもそも道ではないところを歩いたりしたような気がします。


 そうやって行くと、「箕輪節夫」が廊下の真ん中で立ち止まっている姿が見えてきました。「箕輪節夫」の向こう側には、気だるそうな顔で裏島先生が立っています。


「おう、来たか」


 裏島先生が片手を上げました。足止めしていてくれたんですね。ありがとうございます。

 追いついた私は息を整えると、裏島先生と睨みあっているその人に声をかけました。



「もう逃げられませんよ、「綿貫美千代」さん」



 その人は驚きと悔しさを顔ににじませながら、振り返りました。


 「箕輪節夫」さんの姿がほどけて、代わりに現れたのは綿貫さんのお母さん、「綿貫美千代」さんの姿です。


「……どうして分かったの」


 悔しそうにこちらを睨みつけてくる美千代さんから目をそらさず、私は指を二本立てました。


「理由は二つあります。……一つ目に箕輪さんの口調。離席前はあんなに「ワトソンくん」と言っていたのに、離席後にはパタリと言わなくなりました。そしてもう一つ。照明が落ちた時、咄嗟に声が出てしまったんでしょう。「宗太!」って。あの時の声は間違いなく箕輪さんのものでした。でもそれら二つだけでは狸の正体があなただという証拠と呼ぶには程遠い。だから、あとは私の勘です!」


「なるほど、私はハッタリにまんまと引っかかったという訳ですね……」


 美千代さんは肩を落としました。そうして本当に観念したのでしょう。消え入りそうな声で、自白を始めました。


「……始まりは些細なことだったんです。探偵だなんて夢のような職を志してしまったあの子、宗太が心配で心配で。案の定、宗太のもとには依頼なんてものはほとんど来なかったんです。だから私は……宗太が解決するための事件をわざと起こすことにしたんです。


 失せ物さがし、迷子探し、浮気調査……。私がでっち上げた依頼をこなしていくあの子を見ているうちに、私はつい、欲が出てしまったんです。もっともっと大きな事件を宗太に解決させて、名を上げさせてあげたいって。


 そうして始めたのが「狸憑き」騒ぎです。少しの誤算はありましたが、初めの数回は思い通りに事が進みました。だけどある時、私宛に脅迫状が届いたんです。「お前のしていることは知っている。これからはこちらの指示通りに怪盗ムジナを演じろ。さもなくばお前の秘密を息子にバラす」って。


 私はそれに従うしかありませんでした。いいえ、いい機会だと思ったんです。これで思惑通りに宗太の探偵としての名を上げられるんですから」


 ぽつりぽつりと語っていく美千代さんに対して、先生はハァーとため息を吐きました。


「とんだ親馬鹿だな」


 涙をためた目でキッと睨みつけてくる美千代さんを意にも介さず、先生は頭を掻きながら言いました。


「あんた、そろそろ子離れするべきなんじゃないか」


 その途端、美千代さんの姿がぐっと大きくなったように見えました。手足は見る見るうちに毛むくじゃらになっていき、顔は鼻面が伸びて狸の顔へと変わっていきます。美千代さんだった二足歩行の狸は、怒りから牙をぎちぎちと鳴らしました。


「私はあの子の母親だ! 母親が子を慈しんで何が悪い! ウラ殿といえど、こればかりは譲れぬわ!」


 全身の毛を逆立てて威嚇されているというのに先生は面倒くさそうな顔を崩しません。

 せ、先生! いくら依頼でもなんでもないからって、その態度は相手を怒らせるだけですよ!

 先生は半目で美千代さんを見て、首を傾げました。


「いや俺も強制するつもりはないけどな。でもそいつはどう言うかな」


 ひょいっと指さされた先、私の後ろ。振り向いてみると、そこには美千代さんの息子、綿貫宗太さんが呆然とした様子で立っていました。


「お、お袋……」


「宗太……!」


 美千代さんは悲鳴のような声を上げると、するすると体をしぼませ、人間の姿に戻っていきました。

 だけど時すでに遅しです。綿貫さんはしっかりと、狸の姿の美千代さんを見てしまっていました。

 綿貫さんは一度美千代さんに向かって何か言おうとした後、唇を噛み締めてどこかへと走っていってしまいました。その目には涙がたまっていたようにも見えました。もしかして最初から全部聞いていたのでしょうか。自分が解決してきた事件が全部、母親の自作自演だったってことも。


「そ、宗太……」


 美千代さんはその場に崩れ落ちると、俯いて肩を震わせ始めました。握りしめた拳にぱたぱたと涙が落ちていきます。

 私はどんな声をかければいいのか分からず、ただおろおろとすることしかできませんでした。先生も黙って状況を見守るだけで、助け船を出すつもりはないようです。

 と、その時。


「美千代さん」


 うなだれた美千代さんの肩に手を置いたのは犬村さんのお母さんでした。犬村さんのお父さんもすぐ隣にいます。


「追いかけてあげなさい」


「え……」


「ちゃんと話せば、きっと分かってくれますよ」


 涙に暮れていた美千代さんが顔を上げます。犬村さんのご両親は優しく微笑みました。


「どんな事情があったとしても、彼はあなたが愛して育てた、あなたの息子なんですから」


 美千代さんはぐっと涙をこらえた顔をした後、「ありがとうございます」と言いながら立ち上がり、綿貫さんの駆けていった方へと走っていきました。

 大丈夫でしょうか。でもこればかりは綿貫さんたちの問題ですしね。これ以上私たちにできることはきっとないのでしょう。

 私たちはゆっくりと綿貫さんたちの後を追い始めました。


 ――それにしてもこれだけ騒いでいるというのに警察の方が一人も来ないというのも不思議なものです。綿貫さんたちが警察の方々に見つかるだなんてことにならなければいいのですが。

 そんな心配をしていると、犬村さんのお母さんたちの声が降ってきました。


「私たち以外には誰も来ませんよ」


「そうなるように化かしてきましたから」


 はて。化かしてきた?

 どういう意味かと見上げると、犬村さんのお父さんとお母さんの顔は、金色のイタチの顔へと変わっていました。


「へ? え? えええっ!?」


 思わず目をこすってみると、二匹の巨大なイタチは犬村さんのご両親の姿へと戻っていました。


「辰敏には内緒ですよ」


「あの子には何も言っていないんです」


 唇の前に人差し指を立てる二人につられて、私も唇の前に人差し指を立てます。

 び、びっくりしました。だけど色々と納得です。だからこうして私をここに連れてくることができたんですね。

 そうやって歩いていくと、綿貫さんたちの背中が見えてきました。綿貫さん親子は互いを抱きしめ合いながら声を上げて泣きじゃくっています。

 よかった。どうやらうまくいったようです。


「……と言っても辰敏は私たちがどんなものか、勘付いているような気はしますが」


「本当にね。あの子ったら優しいんだから」


 うふふ、ははは、とご両親は笑いあいます。その背後には二本の尻尾が機嫌よさそうに振れているような気がしました。

 なるほど。確かに犬村さんならそういうことをしそうです。

 それをご両親に伝えると、二人そろって満面の笑みを浮かべました。


「ええ、私たちの自慢の息子です!」




「さて、これからどうしましょう」


 綿貫さんたちのしゃくり上げる声も収まってきた頃、私はうーんと悩み始めました。

 「狸憑き」事件はこれにて解決です。しかしもう一つの事件の犯人は挙げられていません。怪盗ムジナの仕業に見せかけて、オーナーさんを殺した殺人犯が。

 その時、のったりのったりと先生がやってきました。


「おー、終わったか?」


「先生!」


 困ったときは先生を頼ってしまいましょう。

 私は期待を込めた目で先生を見ました。それだけで先生には分かったようで、先生は取り出した懐中時計を軽く見やると、私の頭に手を乗せてぐしゃぐしゃにしました。


「あおい、もう誰が犯人なのかは分かってんだろ?」


「はい、箕輪さんが狸だった以上、オーナーさんを殺すことができた人間は一人しかいません」


 先生はちらりと私を見下ろしました。私はふふんと先生を見上げました。先生は気だるそうにため息を吐きました。


「じゃあいっちょ演出してみるか。怪盗ムジナの退場劇をな」

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