第四話「狸憑キノ帝都ヲ騒ガスノ事」/其の五

 広間には人が溢れています。無理もありません。舞台の近くにいた人と、ムジナを一目見ようと詰めかけていた人たち全員が容疑者なのですから。

 犯行現場を前に、私はふーと息を吐きました。どうやら覚悟を決めるしかないようです。


「……勢いで言ってしまったが、大丈夫か、あおいくん?」


「へ?」


 なんでしょうか。綿貫さんは申し訳なさそうに眉を下げています。


「何って……君は普通の女の子だろう。本当なら事件だの死体だのには無関係なはずの。これ以上関わりたくなかったら言っていいんだぞ?

 いや俺もこんな殺人事件なんかに関わるのは初めてだけども……」


 なるほど、そういうことですか。

 言葉尻が徐々にしぼんでいく綿貫さんの背中を、私はべしっと叩きました。いきなり背中を叩かれて驚いている綿貫さんを見上げて、私は人差し指をぴんと立てます。


「いいですか、綿貫さん。私はもう十分この事件に巻き込まれてしまっているんです。……ここまで来たら最後まで付き合いますよ。その方が早く帰れますしね。分かったらほら、しゃんとしてください。綿貫さんだけが頼りなんですから」


「あ、ああ。そうだな、すまない」


 半分虚勢ではありましたが、綿貫さんは納得してくれたようです。私はパン、と手を打ちました。


「じゃあ現場検証を始めましょう、綿貫さん!」


「ああ。だがその前に「狸憑き」について改めて説明しておこうか」


「そうですね、情報整理は大事です!」


 綿貫さんは懐から手帳を取り出してめくり始めました。


「怪盗ムジナの最初の事件、市井宝石店盗難未遂事件で初めて「狸憑き」は確認された。俺はその時初めて奴の挑戦状で呼び出されてな。正直、店主も俺もただの悪戯だとばかり思ってたんだ。市井宝石店はどこにでもある小さな質屋で、大したものも置いていなかったからな。しかしそこに「狸憑き」は現れた。


 最初の「狸憑き」は店主の奥さんだった。一度、席を外して戻ってきた直後、奥さんは突然何かに憑かれたように、標的の宝石を奪い取り、逃走を図ろうとしたんだ。


 だが出入り口は俺たちが固めていた。俺たちは「どうしてあなたがこんなことをするんだ」と尋ねた。すると奥さんは「自分は「狸憑き」だ。今自分には狸が乗り移っているのだ」と言う。その後、奥さんは俺たちの包囲を突破し、逃げていった先で気絶しているのが発見された。


 標的に近い関係者に取り憑き、標的の宝石を盗ませる。これが「狸憑き」だ」


 ふむふむ。これは厄介そうな相手です。


「しかも「狸憑き」にされる人間には何の前触れも現れない。あらかじめ「狸憑き」を見つけるというのは不可能だ。幸い今までは、運よく毎回標的を取りかえすことができているが、いつまでもこれが続くとも思えない。警察も頭を悩ませているというわけだ」


 そこまで聞いて、私は妙な引っ掛かりを覚えました。それが何なのかは判然としませんでしたが、とにかく何かがおかしい気がしたのです。


「綿貫さん。いくつか質問してもいいですか?」


「ああ、何だ?」


「……最初の事件の時、怪盗ムジナは姿を現さなかったんですよね?」


「ああ。奴が姿を現し始めたのは四回目の事件からだ。この一件が「狸憑き事件」としてこちらの業界で噂になり始めてからだな」


「そうですか。ではもう一つ。綿貫さんは毎回、怪盗ムジナから標的を守り抜いてきたんですよね?」


「そうだ。毎回俺たちが奴を追い詰めてな、逃げ場をなくしたムジナが標的を囮に投げ捨てて逃げていくんだ。「狸憑き」が奴に標的を渡せないまま取り押さえることもある」


 そこまで聞いて、私はある推測が頭に浮かびました。


 でも、そうだとして、どうして犯人がそんなことをする必要があるのでしょう?


「あおいくん、何か分かったのか?」


「……いいえ、ちょっと頭がこんがらがっているだけです」


 あと少しで何かをはっきりつかめそうなんですがね。大事なことを見落としているような気がします。


「そうか。じゃあそろそろ本格的に現場検証といこうか。まずはムジナが残していった身代わり人形だ」


「はい、綿貫さん!」


 綿貫さんは私をステンドグラスの真下へと連れてきました。足元には色とりどりのガラスが散らばっています。


「これが怪盗ムジナの身代わり人形だ」


 ステンドグラスの残骸の中に転がされていたのは、怪盗ムジナの服を着た人間大の人形でした。


「ムジナそっくりですね」


「ああ、これがあの騒ぎの直後ステンドグラスの真下に落ちていたんだそうだ。凶器の拳銃と一緒にな。ムジナが逃げ去る時に使ったんだろうが……、今まではこんなものは使ってこなかったのだけが妙なんだ」


 なるほどそれはおかしな話です。今までは追い詰められたら標的を諦めて逃げていったというのに。


 私は捜査員さんたちが人形の服を脱がしていくところを、しゃがみこんで見つめていました。露わになった人形の手はよくデパートで売っている人形(セルロイド人形というそうです)と同じような素材でできていて、それでいてよく見ると手首などの関節に筋があるように見えます。

 何でしょう。これに似たものを最近見たような――


「……スチームロイド?」


「そんなまさか。……と言いたいところなんだが、どうやら捜査員によると構造は似ているらしい。ただの身代わり人形にしては手が込んでるよな」


「そうですね……」


 何のためにこんなものを置いていったんでしょう。

 二人して首をひねりますが、やはりすぐには結論は出ません。

 綿貫さんは「次に行こうか」と言って、広間全体が見渡せるガラスケースの近くに私を連れていきました。

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