第四話「狸憑キノ帝都ヲ騒ガスノ事」/其の四

 同日、午後六時半。


「紳士淑女の皆々様! 本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます!」


 高らかに口上を述べるオーナーさんに、舞台を取り囲むお客さんたちから歓声が上がります。舞台となった高台の周りにはロープが張り巡らされ、お客さんとこちら側とを分断しています。


 私は舞台の上からお客さんたちを見下ろしているのですが、見渡す限り、人、人、人。舞台周りのスペースはもちろんのこと、舞台を見下ろすバルコニーにも人がぎゅうぎゅう詰めになっています。言葉通り、満員御礼というやつです。


 舞台の上には、挨拶をしているオーナーさん、その斜め後ろで控えている護衛の谷川さん、隅っこに立って怪盗ムジナを待つ、綿貫さんと、シャーロキアン探偵の箕輪さん、それに私がいます。オーナーさんの奥さんの邦子さんは舞台から降りた場所に立っていて、女探偵の藤上さんは別室で待機しています。観客の中には犬村さんのご両親の姿が見えます。ふと見上げると、邦子さんの初恋の相手という噂のある遠木さんの姿がバルコニーにありましたが、すぐに踵を返してどこかに行ってしまいました。


 こういうのを役者は揃った、とでも言うのでしょうか。私は緊張から、ごくりと唾を飲み込みました。


「今宵皆様にお見せいたしますのは、世紀の大泥棒、怪盗ムジナの逮捕劇でございます。十数件に渡り、この帝都を荒らしまわった奴ですが、今日が年貢の納めどきという奴ですな。さあ皆様! どうぞ一秒たりとも目を離さず、奴が現れる瞬間を待とうでは――」


 その時です。

 舞台を照らしていた照明が一斉に消えました。辺りは闇に包まれます。

 ついでパリンと音がした方を見上げると、一つの人影がステンドグラスを破って窓辺に降り立ったところでした。

 誰かが叫びました。


「怪盗ムジナだ!」


 うおお、と声を上げて、怪盗ムジナを一目見ようと、観客の方々が舞台を囲むロープへと押しかけます。怪盗ムジナはまるで舞台俳優がそうするかのように大げさにマントを広げ――その直後、パン、と乾いた音が舞台に響きました。


「銃声だ! 伏せろ!」


 護衛の谷川さんの叫ぶ声がします。それまでの興奮とは打って変わって、観客の皆さんの逃げ惑う声が聞こえます。どうしたらいいのか分からなくなって立ち尽くしていると、綿貫さんの声がしました。


「あおいくん!」


 綿貫さんは私に飛びつくと、そのまま私に覆いかぶさりました。


「宗太!」


 誰かがそう叫びます。はて、今の声は――

 パン、と再び銃声が響きました。辺りはさらに混乱のるつぼに陥ります。カランカラン、と何かが床を転がる音がしました。


「誰か早く明かりをつけろ!」


 谷川さんが怒鳴ります。

 数十秒だったのか数分だったのかは分かりませんが、とにかくしばらく経った後、唐突に部屋の明かりがつきました。


「きゃああああ!」


 絹を裂くような悲鳴が辺りに響きました。綿貫さんの体に押しつぶされてもがいていた私がなんとかそこから這い出してみると、オーナーさんが立っていた辺りに人だかりができていました。


「オーナーさん!?」


 人だかりをかきわけていった先にはオーナーさんが仰向けで倒れていました。ただしオーナーさんの周りには赤い液体が飛び散り――血だまりができています。一目で死んでいるということが分かりました。


「見るな!」


 遅れてやってきた綿貫さんが、私の目を覆いました。


「綿貫さん。オ、オーナーさん、は」


「死んでいるな。しかもおそらくは誰かに殺された――殺人事件だ」


 殺人事件。なんて非現実的な響きでしょう。

 私は、ふっと意識が遠のくのを感じました。




 次に目が覚めたとき、私は広間の壁際に寝かされていました。体にかけられていた誰かの上着を持ち上げて起き上がると、広間の中では何人もの捜査員さんたちが慌ただしく動き回っているのが見えました。

 私はどれだけ気を失っていたのでしょう。外はまだまだ真夜中のように見えます。


「あおいくん、目が覚めたか、よかった」


 私が目を覚ましたことに気付いた綿貫さんが駆け寄ってきました。上着を着ていないことを見るに、このかけられていた上着は綿貫さんのもののようです。


「あの、上着ありがとうございます」


 ああうん、と言いながら綿貫さんは上着を受け取りました。どうやら少し照れているようです。

 広間の中央を見ると、そこには血痕こそありませんでしたが、チョークで人型が描かれていました。そして、オーナーさんの姿はどこにも見えません。――どうやら悪い夢だったというわけではないようです。


「あおいくん、一つ伝えておかなければならないことがあるんだが……」


「はい?」


 神妙な顔をしてそう言いだした綿貫さんに、私は首を傾げます。どうしたというのでしょう。


「あの状況から言って、おそらく犯人は怪盗ムジナだ。あの時現れたステンドグラスからオーナーの豪三郎さんを狙撃したんだろう。ちょうどステンドグラスの真下に凶器の拳銃も落ちていたしな。

 しかし一つだけ妙なのは「大猫のまなこ」が持ち去られていないことだ。ここから推測できるのは、ムジナは何か理由があって標的を回収できなかったこと。しかもあれからこの広間が封鎖されている以上、ムジナの操る「狸憑き」はまだこの部屋にいるということだ」


 なんですって。それは大変です。一体誰がムジナの手先になってしまっているのでしょう。


「他人事ではないぞ、あおいくん。「狸憑き」の疑いがかかっているのはあの時、この場にいた全員だ。しかも「大猫のまなこ」に近ければ近いほど「狸憑き」の疑いは大きい。……つまりなんだ。俺も君も「狸憑き」の容疑者として疑われているんだ」


「えええっ!?」


 思わず素っ頓狂な声を出してしまい、部屋中の視線が私に集まります。私は手で口をふさぎ、声を潜めて綿貫さんに反論しました。


「そんな! 私、「狸憑き」じゃありません!」


「みんなそう言うんだ。だが「狸憑き」になっている間、その人間は記憶を失ってしまうらしい。だからあの場にいた人間で「狸憑き」じゃないと断言できる人間は一人もいないんだ」


「そ、そんなあ……」


 成り行きでここまで来ただけだったのに、とんでもない事態になってきました。


「いつもなら、「狸憑き」はすぐに行動を起こしていたからこんなことをする余地はなかったんだがな……。奴が標的を盗らずに身代わり人形を置いて逃げていった以上、奴の手がかりを握っているのはこの中にいるはずの「狸憑き」だけなんだ」


「ムジナが、身代わり人形を置いて逃げていった?」


「ああ、そこを含めて一緒に現場検証といこうじゃないか、あおいくん」

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